ユーリエス王子
光の神 メビユライネーツの力を使った。
その言葉がぐわんぐわんとこだまする。
クルレインアルジャーノンから別れた二つの最高神、生を司る光の神 メビユライネーツと、死を司る闇の神 ベントゼンターナー。
どちらの最高神の力も、扱える者がおらず、使う事が不可能とされていた力だ。
闇の神 ベントゼンターナーの力を使うには、贄と強大な魔力を保持した術者が魔力を奉納して行わなければならない。それと同じで、光の神も贄と豊富な魔力を持つ術者が必要であると考えた時、神の愛子であるレオナルド王子を呪い殺すための生贄に使われる予定だった私は、術者の条件を満たしているのかもしれない。でも、私は儀式をしていないし、なにも奉納していない。
だから、私は光の神の力を使っていないと断言できる状態なはず。だけど、否定できないのは、目の前にある光景のせいだ。
この世界に治癒魔法はない。生と死は、この世界に誕生した全てのものが唯一平等とされる権利であり、神々だけに許された禁忌の領域だからだ。
……私、本当にやばいんじゃないかな。
ていうかなんで私がこんなことできるんだろう。
出来ない・ありえない、と言われていた事を反覆するかのようにやらかしてしまっていて嫌になる。
大人しくして過ごそうとしているのに、動くたびに意図せず何かやってしまうのが辛い。早く元の世界に帰りたい。
つまらない、やる気ない、いつ死んだっていい。大学生活を送っている時は、本気でそう思っていた。でも、この世界にやって来てその考えも変わった。何もないつまらない日々も、一度手放してしまうとあの平穏な時間が恋しい。家族にも会いたいし、友達とも遊びたい。身分や柵などなく、バイトをして、勉強をして、大好きな人達と笑い合う日常に戻りたい。
何故か小さくなってしまった自分の体を見下ろして、ぐっと唇を噛み締めた。
いつまで経っても、レオナルド王子は私に元の世界へ帰る方法を知らせてはくれない。ならば、神殿長はどうだろう。長い歴史を持つ神殿で、神の御元で仕える不思議な目を持つと言われる彼女なら、私の求める答えを、方法を知っているかもしれない。
「シオン、今日のところは家に帰れ。私から王には、魔力が暴走して倒れたと報告しておく」
カーレスやミレーリット達と話を終えた王子が、私にそう言って城へ戻っていった。
「シオン様、倒れた事になっていますから。持ち上げますね。失礼します」
ダニエルが一言断り、私を抱えて持ち上げた。そして、馬に乗ったアレックスへ渡し、私はそのまま城を後にした。
馬車の中は、静かな時間が流れていた。
同乗者の微かな息遣いと、馬の蹄が淡々と響く中で私はゆっくり目を閉じた。
思い切りやらかしたので、今日は自宅謹慎かと思ったら、本日も城へ出向くこととなった。
馬車に揺られ着くと、私が治癒したセレフィリア前王妃の別棟は相変わらず幻想的で美しい空間が広がっていた。
護衛とミレーリットの後ろを歩きながら白い建物の中に入ると、綺麗に掃除されたのがわかる。カーペットやカーテンはすぐに用意できるものではないので古いけれど、私の為に整えられたとわかる部屋は新しい家具が運び込まれていた。
「今日は座学をしましょう」
一応、とミレーリットは開発していた魔法を遮断する結界魔術具を発動させ、私の隣に腰掛けた。
本がペラペラと捲られ、属性別に記されてある魔法の言葉や、組み合わせて使う合体技などを教えてくれた。例えば風の魔法で竜巻を起こし、そこに火の魔法を使えば火炎放射器のように威力が上がるとか。
数時間勉強した後、休憩の合間に固まったうんと体を伸ばした。
元の世界にいる時の三倍は勉強している気がする。貴族令嬢の生活はあまりアクティブに動く事がなくて、運動不足になってきた。毎日三十分、日課にしていた筋トレももう随分していない。
そういえばここに来てどれくらい経ったっけ。もうそろそろ一ヶ月近く経つ気がする。
お茶を飲み、深い溜息を吐いていると、エリーゼが心配そうに私を見た。
「シオン様、大丈夫ですか?」
エリーゼの小動物のように丸く大きな瞳が不安に揺れている。可愛いなあ、と思って私はにこりと微笑んだ。
「大丈夫だよ。ありがとう」
エリーゼは私から見ても子供だ。私よりも背が低く、小柄である。だから、なんとなく妹のように思っている。きっと彼女が平民で、緊張せずに済むからだとも思う。
……変なことをしたら、貴族の皆はすぐ指摘してくるから、ちょっと疲れちゃうんだよね。
それが私のためであるとわかっていても、四六時中いつでもどこでも振る舞いや言葉遣いを注意されるのは辛いものがある。
エリーゼのお陰でゆったりと落ち着いた時間を過ごすことが出来て、リフレッシュさせることが叶った。
ミレーリットが作った結界を発動させた空間の中、ステッキを使用しながら、ほんのちょっとだけ魔力を使う練習をしていたら、段々その感覚が掴めるようになってきた。
私が想像していた魔法を使う感覚は、腕を振り上げるというようなしっかり力のいるものだったけど、お箸で米粒を掴むような繊細な力だった。
何度も練習し、一日で大分安定してきた気がする。それでも、無詠唱で魔法を使った前科があるので、安心できるものではないけれど。
太陽が傾き始めた頃、ミレーリットは「そろそろ帰りましょうか」と私に声をかけた。
私はステッキを腰に下げた袋に仕舞い、片付けを終えた側近と部屋を後にする。
建物の外に出て馬屋へ歩いていると、数人の人影があった。その人影は丁度こちらにやってくる所だったようで、私を見た途端、中央にいた少年はにこりと微笑んだ。
……ユーリエス王子だ。
私は膝を緩やかに降り、裾を持って広げ、お辞儀をするように上体を倒した。
外や立食パーティーの場など、膝をつく必要がない場所ではこのように礼をする。
「ご機嫌よう、ユーリエス王子。シフマルートの祝福があらんことを」
「ご機嫌よう、シオン。顔を上げてください」
「恐れ入ります」
私が顔を上げると、プラチナブランドの髪を持つ愛らしい少年がにこりと微笑んだ。よくスティルエーテ王妃に似ている。けれど、王妃のように毒気がない雰囲気の為に天使のようだ。
しかし、相手はあの王妃の子供で、レオナルド王子と王位継承権を争う相手だ。油断は出来ない。
ちら、と隣を見るとミレーリットも笑顔で固まっていた。これは予想外の事態が起こっていて困っている笑顔だ。
私は再び王子に視線を戻した。王子は私と目が合い、少し眉尻を下げた。
「突然訪れてしまい、申し訳ございません。お会いしたかったのですが、お母様が許してくれなかったので……」
そりゃそうだろうと思ったが、わたしはにこりと笑って黙殺した。
「ご迷惑でしたか……?」
「いえ、とんでもないです。わたくしも、ユーリエス王子にお会いできて光栄で御座います」
そう言うと、花が咲いたように明るい笑顔を浮かべて王子が頰を桃色に染めた。
そのめちゃくちゃ可愛い様子に、母性が鷲掴みにされる。私の中で、可愛さランキング一位に突然君臨した王子に狼狽していると、王子は小さな肩を更に縮こませて私を見上げた。
……ああっ、上目遣いが愛らしい!
「その、私、シオンに謝りたかったのです。……収穫祭の日、お母様が失礼な事をして申し訳ございませんでした」
ぺこりと頭を下げた。
王子が頭を下げるなんてとんでもない事だ。王子の側近が大慌てで止めている。私もびっくりして動きが固まってしまった。
「そんな、頭を上げてくださいませ」
「お母様は、お兄様の事をよく思っておられないのです。お兄様に嫌がらせする為に、あのような……関係のないシオンにまで不快な思いをさせてしまいました。私が代わりにお詫び申し上げます」
「ユーリエス王子……」
まだ八歳の少年が、母親の為に頭を下げるなんてどういうことだ。私が困惑し、助けを求めるように側近へ視線を彷徨わせても、皆手立てがないらしく口を閉ざしている。
「ユーリエス王子、わたくしは気にしておりません。お気遣い感謝致します」
「シオン……」
私の言葉に、漸く頭を上げてくれた。その目は揺れ、体は可哀想なくらい萎縮している。
これからどうすればいいのか、お茶会でも開いた方がいいのだろうか。私が言葉に詰まらせていると、王子の側近が王子の肩を掴んで私から距離を離した。
「ユーリエス様、もう戻りませんと。スティルエーテ様に気付かれますよ」
「目的は達成されたでしょう。早く戻りましょう」
王子の側近は、これ以上私と関わりを持たせたくないようだ。それ以上に、黙って王子をここへ案内してしまった事が、王妃にバレるのを恐れているように見えるけど。
「わかりました。シオン、また是非、時間がある時に」
「ええ、是非。ユーリエス王子、ご機嫌よう」
王子が去っていくのを見届けて、私達は馬に乗った。私は馬に乗れないので今日も相変わらずアレックスの前に座っている。
明日から乗馬の練習をお願いしてみようかな? と考えていたらあっという間に馬車まで着いて、私達は乗り込んだ。
「……ミレーリット」
馬車に乗り、数分して徐に私は口を開いた。
ミレーリットはこちらを見て、頭の中の考え事を中断した。
「わたくし、初めてユーリエス王子とお話ししたのですけど……」
正直に言わない方がいいのか、そもそまこんな事言うのは間違っているのか。けれど遠回しないいかたも思い浮かばないし、かといって聞かずにモヤモヤするのも嫌なので、私は率直に自分の意見を言うことにした。
「ユーリエス王子って、とても良い子じゃありません?」
「ええ。ユーリエス様はとても良い方でいらっしゃいますよ」
緊張しながら聞いたら、ミレーリットはなんということなくさらっと言い切った。
あまりにも拍子抜けする肯定に、私はきょとんとする。それに苦笑し、ミレーリットはユーリエス王子を思い浮かべた。
「ユーリエス様は昔からああでいらっしゃいますよ。母親と違い、歪みを知らず真っ直ぐで、お父上である国王や兄であるレオナルド様をとても慕っておられますし、本人は全く王位を奪う気など御座いません。……けれど、王妃の息子ですから。優しい人柄だと分かっていても、わたくし達は常に警戒していなければなりません」
淡々と言ったミレーリットの言葉に、ちくりと胸が痛んだ。
王位争いがなければ、もっと二人は仲の良い兄弟でいられたのだろうか。側近達が目を光らせることもなく、穏やかに、幸せに、楽しく。
私には兄弟がいないけど、いつも羨ましいと思っていた。幼いユーリエス王子の笑顔を思い出して、私はやるせなさに息をついた。