寂れた別棟
門番の確認を得て、城に入ると従者に魔法の練習をする為の場所へ案内された。まずは挨拶じゃないのかと思っていたけど、「今はお忙しい」という言葉以外得られなかった。
そして、連れてこられたのは城の外れにある荒野だ。
誰の手入れもされていない、王族が所持しているだけの土地。何故こんな荒れた土地が敷地内にあって放置されているのかわからないが、ここを使えという。
「なんてこと」
「城にこのような場所があるなんて……」
「庭師は一体何をしているのかしら」
リオノーラやジェシカ、ローレンが口々に信じられないと驚きを漏らした。
私はアレックスに乗せてもらっていた馬から降りて、地に足をつけた。
春だというのに花は一つもなく、枯れた木々が寒そうに辛うじて立っている。白い建物の壁には蔦が這い伸びていて、何年も手入れされていないのが一目で分かった。というか、ここに来て急に草木が朽ちているのだから、手入れされていないというより、誰かが意図的にこの場所を廃れさせているように感じた。
きれいに整備されている城と同じ敷地内、しかも本城から馬を走らせて数十分で着くような場所がこれほどまでに荒れているのは何故だろう。
不思議な様子に目を瞬かせ、私はミレーリットを見上げた。
「ここはなんですか?」
そう聞くと、ミレーリットは苦々しげに顔を歪ませていた。その表情には悲痛が浮かんでいる。
「……ここは、セレフィリア様の別棟です」
え、と全員が言葉を詰まらせた。
前王妃の別棟が、何故こんなにも荒れているのだろうか。たとえ使われなくなったとしても、明らかにこれは可笑しい。
疑問が浮かび、私はハッとした。
……スティルエーテ王妃の仕業か。
「王と王妃は王宮に住んでいらっしゃいますが、執務をする上で城に通わなければならず、お体の弱いセレフィリア様を案じてシャワリンツェ陛下が建てられたのです」
当時はセレフィリア様の好きな花々が一面に咲き誇り、幼いレオナルド王子が走り回っていた桃源郷と見紛うような美しさだったそうだ。
息抜きにとやってきて、二人で寄り添い、子供を見守る国王と王妃の姿が目に浮かぶ。暖かい日の光が皆を包んで、柔らかな風が吹いて花々の甘い香りが鼻腔をくすぐる。皆優しい笑顔を浮かべていた。幸せそうに、なんの影も刺すことのない平和な場所。……そんな幻覚が見えた。見たこともない光景なのに、とても鮮明に。
瞬きをしたら、木漏れ日が美しいそこは荒れて暗く淀んだ場所になっていた。
高く伸びた鬱蒼とした木のせいで日は当たらず、他から栄養がごっそり吸われたように生気のない土地。
これがかつて、皆の笑顔を見守っていた場所なのだろうか。
「酷い……」
眉尻を下げ、私は地面に手をついた。
脳裏に浮かぶ在りし日のこの場所を、なんとか守りたいと思った。こんなの、見逃していられない。
地に手をつけたまま、私はゆっくり目を閉じた。何かが体を駆け巡る。私を包み込み、温かい力がこみ上げてくる。真っ暗な視界の中、キラキラと光が差した。次第に粒が多くなり、大きくなり、輝きを増していく。
ざあああ、と全身にキラキラが流れていった。風が吹き、土が動き、水の香りがし、体が熱くなっていく。
指先から流れていく白い光が、大地に注がれる。一層強く光った時、私の中に何か別の力が降り注いできた。なんとなくだけど、それが感謝のお礼だと感じた。
それがきっかけとなり、正気に戻った私はハッとして目を開いた。意識が飛んでいた。なにかに感化されていた。
しかし驚いたのはそれだけでなく、目の前にはあの幻想と同じ光景が広がっていた。いや、国王や王妃はいないのだけど。
先程までと同じ場所とは思えないほど、荒れた土地は見事に回復していた。花々は美しく咲き誇り、枯れた木々は瑞々しさを取り戻している。灰色と茶色だった土は芝生へと変化し、蔦が這っていた白い建物は汚れが落ちて、淀みない白に戻っている。
花の香りに吸い寄せられるように、どこからともなく蝶が舞い降りてきて、私の周りをくるりと一周した。
それがまるで、喜んでいるようだと思った。
呆気に取られて私はそこに座り込んでしまった。確かに桃源郷のようだ。
数分、無言の時が流れた。ぼんやりとしていた私の意識を戻したのはダニエルだった。
柔和な端正な顔立ちをした男は手を差し伸べ、座り込んだままの私を支えて立ち上がらせる。騎士の服を着ているけど、ダニエルの顔立ちや雰囲気と、この庭園の美しさのせいで絵本の中の王子様のように見えた。
「シオン様」
リオノーラとジェシカが急いでこちらにやってきて、私の服を整えた。座り込んでしまっていたので、裾には土がついている。それを払い、二人は私と一瞬にして息吹を返した別棟を見比べた。
「シオン様、一体なにをされたのですか?」
「え?」
「急にしゃがみ込まれて……お体が発光したと思えば、掌から一気に光が流れ出し土地を再生させていったのです」
あり得ない光景を見た二人は、驚きを隠せない表情で私を見ている。周囲も顔を取り繕ってはいるが、困惑していた。ミレーリットも立ち竦んでいる。
「無詠唱に見えましたが、シオン様、今のは?」
「わかりません。その、わたくし、殆ど無意識でしたので」
「無意識?」
「はい。ただ、ここを守りたいと思っていたら、自然と手をついていて……そしたら何かが体の中に流れてきて、このような事が起きました」
「シオン様、お体は大丈夫なのでしょうか? 魔力不足は如何ですか?」
「特になにもありません」
初めて何かが体から流れていく感覚がした。あれが魔力が流れた感覚なのだろうか。しかし、すぐに別の何かが流れてきたから、結局あまり魔力の流れは感じていない。疲労感もなく、苦しい感じもないので使用感みたいなものもない。
「なにが起こったの……」
ミレーリットが途方に暮れた声色で呟いた。
私もわからない。皆どうしていいか分からず、またしても沈黙が落ちた。
少しして、その沈黙を破ったのはエリーゼだった。
「……あの、お昼にしませんか?」
エリーゼは恐る恐るといった様子で後ろの端っこの方で遠慮がちに声をあげて私を見た。気付けば太陽は空高くに上がっている。お腹も空いている気がした。
答えがすぐに出せないような事態を、このままここで立ち竦んで考えるよりよっぽど良いだろう。
それもそうだなと思い、私は昼食を摂ることに決めた。
昼食の後、私は美しいこの別棟を眺めながらお茶を飲んだ。やっぱりとても綺麗だなと思っていたら、大慌てでミレーリットと共にレオナルド王子がやってきた。
あれ? なんで? と思いつつ、慌てて私は席から立ち上がる。挨拶を述べようとしたら、それよりも先に「何事だ!?」とレオナルド王子の焦りを含んだ声が飛んできた。
「え?」
「いきなり膨大な魔力が流れたと思ったら、空が白んで大きな力が溢れ、……これは?」
私の背後、別棟の様子を見てレオナルド王子が言葉を詰まらせた。目は大きく見開かれ、口はぽかんと開いている。
レオナルド王子は、荒れたあの惨状を知っていたのだろうか。呆然と見つめる王子の瞳には、信じられないものを見ているかのように揺れていた。
「君がやったのか?」
「は、はい。無意識だったのであまり自覚はありませんが、わたくしがやりました」
レオナルド王子がゆっくり歩き出す。地面を見て、花を見て、木を見て、建物を見る。ベンチをすっと撫でて、王子は懐かしむように目を瞬いた。
王妃が座っていた場所。幼い王子が、母親の膝に乗って笑い合っていた光景が目に映るようだった。
「ここは、私の思い出の場所なんだ」
はあ、と息をついてレオナルド王子が額に触れた。
そして顔を上げ、私を見ると苦笑した。
「……君がここを燃やしたのかと思って、焦った」
「そんなことしませんよ!?」
「説得力がないな」
「うっ」
自分の行いを省みて口を噤んだ。なにも言い返せない。
そんな私を見て笑い、レオナルド王子は優しい瞳で別棟へ視線を向けた。
「まだ私が幼い頃、母上とよくここで過ごしたんだ。……ありがとう、シオン。元に戻してくれて感謝する」
王子にとって、どれだけ大切な場所なんだろう。……どれだけ、廃れていくのが悲しかっただろう。
ちらりと王子を一瞥すると、王子は昔を思い出すように目を閉じて。再び目を開けた時には、感傷を消していた。
「ミレーリット、カーレス、コーネリアス」
「はい」
ざっと並んだ三人を見つめ、王子が険しい表情で口を開いた。
「土地が再生されている。これは治癒魔法だ」
王子の言葉に、周囲が響めいた。しかし、三人は真剣な眼差しを向けて静かに聞いている。
レオナルド王子はちらりと私を一瞥した。
「シオンが光の神 メビユライネーツの力を使った可能性が高い」
その言葉に、私も目を見開いて固まった。