フォーサイス侯爵家
道中、大した問題もなく勉強をしているとあっという間に着いた。魔術具の知識を蓄えた私は満足げに馬車を降りる。アレックスの案内によって裏口から隠し部屋に向かうと、一人の男性が側近を連れて立っていた。アレックスによく似た茶色い瞳の男性と目が合い、私は膝をついた。
「お初にお目にかかります、フォーサイス侯爵。シオンと申します。お会いできる日を心よりお待ちしておりました」
「レオナルド様からお話は伺っております、シオン様。私もお会いするのを楽しみにしておりました」
椅子に座るよう促され、私は座った。手早くお茶が準備され、柔らかな香りが鼻を擽った。
「早速ですが、養子縁組を結びましょう」
何枚か紙が出され、そこには文字が書いてある。シオン・メトカーフがフォーサイス侯爵と侯爵夫人と養子縁組するという文だ。もう一枚は、シオン・メトカーフという伯爵令嬢を何故養子縁組するのかという理由が記されてあった。
「没落すると、貴族として登録されていた住民登録は破棄され、出生の記録がなくなります。その為、こういった理由付けと調査書が必要になるのです」
流石に素性の知れない者をこの国の貴族として扱う事は出来ないということだろう。確かに、養子縁組が簡単にされてしまったら、敵国のスパイが入り込める隙だらけになってしまう。今回、私の養子縁組が簡単に成り立っているのは、王族の、それも王位継承第一位の王子がバックにいるからだ。
まだ署名もしていないのに王族の判子が押された契約書を見て苦笑した。と同時に、こんな大事なものを預けられる程、フォーサイス侯爵の信頼は厚いのだなと感心した。
フォーサイス侯爵はさらさらと自分の名を書き、私の前にペンとインクを差し出した。
「シオン様、こちらと、ここに」
ミレーリットが指示し、私は言われた場所に自分の名を書く。初めて書く羊皮紙はしっとりしている気がした。確認を終えると小さな木箱に紙を入れ、厳重に鍵をかけた。
「あとはレオナルド様にお渡しするだけです」
「ありがとうございます、フォーサイス侯爵」
「シオン様、養子縁組が成立した以上、彼は貴方の父親で御座います。"お父様"と呼びましょうね」
ミレーリットが「家族間でそのような呼び方はしません」と私を注意した。
初めて会ったばかりの人を父親と呼ぶのは緊張するし、不思議な感覚だ。
「お、お父様」
「ぎこちないです。特訓致しましょう」
「うう」
「はは。大変可愛らしいですな」
にこやかに笑うフォーサイス侯爵が救いだ。後ろに控えているアレックスが同じような笑顔を浮かべている。そういえばお兄ちゃんだったね。
「私も慣れないといけないな。……シオン、すぐで申し訳ないのだが妻を紹介してもいいかい? アレックスの兄と妹もいるんだ」
「はい、勿論です」
隠し部屋を出て、家族が待機しているという部屋へ向かった。使用人が扉を開けてくれ、侯爵の後に続いて中に入ると数人の人影があった。
「お初にお目にかかります。シオンで御座います。お会いできて嬉しく存じます」
ゆっくり丁寧を心掛けて挨拶すると、にこりと女性が微笑んだ。彼女が侯爵夫人だろうか。上品な深緑のドレスを見に纏った綺麗な女性はゆっくり私は歩み寄った。
「私の妻のノーリーンだ」
「初めまして、シオン。娘が増えて嬉しく思います」
侯爵夫人がスッと身を引いて、次に紹介されたのはアレックスの兄であるエフモントとその妻のカマーリア、アレックスより一つ下のジュリアだ。エフモントは騎士団の第三部隊の副隊長を務めているらしく、カマーリアは侍女として王女に仕えていたが、妊娠をきっかけに今はお休み中らしい。ジュリアは現在ハリエット王女の侍女を勤めているそうだ。
「よろしく、シオン」
朗らかに挨拶をしてくれて、私は少しホッとする。貴族らしい上っ面の笑みである可能性も否めないが、露骨に拒否されなくてよかった。
「シオンはこれからこの家で過ごすことになる。君の部屋を案内しよう」
「父上、では私が」
アレックスがそう言い、私を引き連れて部屋を出る。ミレーリットや数人は、フォーサイス侯爵夫妻の元に残った。
「シオン様、あまり緊張なさらずとも良いですよ。父は貴方を好意的に捉えていますし、母も穏やかで優しいです。兄夫婦は普段は自分達の自宅にいますし、会うことも殆どありません」
「お気遣い感謝します。とても素敵なご家族でホッと致しました」
主従関係が発生している時、アレックスは私に敬語を使う。その線引きがイマイチわからなくて困惑してしまう。
連れてこられたのは広く綺麗な部屋だった。城の部屋と大体の作りは同じだが、天蓋のカーテンや絨毯など年若い女性の部屋とわかる華やかなものだ。
クローゼットには数着ドレスがあり、可愛いドレッサーの引き出しには綺麗な髪飾りや装飾品が丁寧に陳列してある。
「母が準備しました。とても楽しそうにしていましたよ」
「可愛いです。ありがとうございます」
子供の頃、一度は憧れたお姫様の部屋に柄にもなくときめく。大きな窓からは木々や芝生、手入れされた花壇が見えてとても素敵だ。部屋には勿論ながらシャワールームやトイレも付いていて、そこにある小物のひとつひとつどれを取っても可愛らしい。
感動しながらうろちょろしていたら、荷台に積んでいた荷物が着々と運び込まれ、私の可愛い部屋は木箱の茶色に浸食されていった。
「……作業の邪魔になりそうですし、わたくし出ますね」
「そうですね。では屋敷の案内をします」
玄関、ダイニング、居間、客室、保管庫、使用人の部屋、温室や庭などざっくりではあるが一通りの場所を教えてもらった。
お城の全貌は知らないけど、侯爵家であるフォーサイス家はとても大きくて、内覧だけでとても疲れた。足が痛い。
休憩にと通された客室でお茶が注がれた。喉を温かな液体が通るたび、肩の力が抜ける。美味しいお茶は正義だ。
「シオン様、この後夕食を皆で摂りましょう」
「はい」
暫しの休憩を挟んで、ミレーリットが私を迎えに来た。夕食への呼び出しだ。私は手早く侍女達に身支度を整えてもらい、フォーサイス一家が待つダイニングに向かった。
扉が開けられると、映画の世界で見たような長いテーブルが部屋の中心にあって、白いテーブルクロスの上にはセットされたカトラリーや美しい花が活けられた花瓶、キャンドルが並べられている。
上座から侯爵、侯爵夫人、長男、妻、次男、長女と年功序列に着席している。勿論私は最も下座だ。リオノーラが椅子を引き、私はゆっくり座る。いつもと少し違ったのは、ミレーリットが上座に座ったことだ。
「ミレーリット様はレオナルド様の側近で、今はシオンの側近をしていらっしゃいますが、本来は我々より立場は上だからね。今日はシオンの今後についての話をしたかったから、同席して頂く事にしたんだ」
「そうなのですね。この席ではミレーリット様とお呼びしてよろしいですか?」
「勿論です、シオン様」
にっこり微笑んだミレーリットは静かにグラスを傾けた。
談笑を楽しんでいたら、料理が運ばれてきて夕食が始まった。前菜やスープ、城で出てくるものと大して変わらない。
それらをゆっくり咀嚼しながら、侯爵夫妻とミレーリットは近況について話し合った。その中にはさらりとだけど宗教同士の衝突や小さなボヤ騒ぎが増えたことなど、街の治安悪化が述べられていた。
「クルレギア不足が皆の心を荒ましているのでしょう」
「一刻も早く改善しなければいけませんね。しかし、学会での研究もあまり進んでいなくて……」
「ミレーリット様程の書士でも有力な手掛かりは得られませんか」
クルレギアの減少は止まることを知らず、後何十年持つかという死活問題らしい。クルレギアがなくなると、世界を構築していた物質が消えることを意味する。魔法は使えず、時空は乱れ、空間を形取るのが難しくなり、クルレギアと共にあった体の中にある魔力は暴走する。
魔法に頼らず生きてきたと思っている平民でさえ、魔法の恩恵を受けていたと知れば国はもっと混乱に陥るだろう。
「そもそも、魔法を使わなければいいのでは?」
私がつい零すように言ってしまった言葉を聞いて、一緒に食事をしていた皆は目を伏せた。
「そうですね。きっとそれが一番いいのでしょう」
「シオン様。この国は何百年何千年と魔法と共に発展して参りました。わたくし達は魔法がない世界を知りません。きっと、世界中の至るところで混乱が生じるでしょう」
「あ……」
魔法が使えないなら、自分達の力でやればいいじゃない。なんて思ったけど、そもそもが違うのだ。というか、やれるならとっくにやっているだろう。
私は口を噤んだ。
クルレギアがなくなった後、世界がどうなるかわからない。クルレギアの代わりに増え続けている光の神と闇の神の力が満ちて、全く別の世界になるのか、二つに別れてしまうのか誰も想像できない。
ただ一つ言えることは、この世界は壊滅しかけているということだ。