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壊れかけの世界で第二の人生を  作者: ひいこ
第一章
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異世界転生

 



 あの日、あの雨のバイト帰りの道。本当に突然のことだった。きっと暗闇と雨のせいで見えていなかったんだろう。田舎町によくある信号のない道で、私は自動車にはねられて死んだ。

 享年20歳。あまりにも早い死ではあるが、そこは別に構わない。

 夢も目標もなく、高校を卒業してから人生の路頭に迷っていたし、生憎のところ恋人もいなかった。

 家族と早くに離れ離れになってしまったのは悲しいけれど、死んでしまった今、悔いても仕方のないことだ。

 言わずもがな、今私は悟りの境地にいる。

 死ぬとこんなに雑念が消えるのかと少しばかり感動しているくらい。

 だけど、これはなんだ。


 目の前に広がる青い空。

 遠くには白い立派な城が建ち、花々はゆらゆらと楽しそうに風に揺れている。

 ゆっくり目を開けて、私はぼんやりと空を見上げた。手を動かすと、パシャリと音がして、私は水の中にいることに気が付いた。

 大きな水の浅瀬に、頭が丁度あったようで呼吸が出来ていたらしい。上体を起こして見渡すと、森の中だ。これは、湖なのか池なのか。


 ……気候は暖かく寒くはないけど、どうして水の中に?


 しかも、なんだろう。私は一応のところ仏教徒で、日本に生まれていて、どちらかというと、死後の世界は和風な極楽浄土だと思っていたのに、目の前に広がる景色はあまりに西洋チックだ。

 例えるなら、子供の頃読んだ絵本に描かれたおとぎの世界。可愛いファンシーな光景だ。うさぎがクッキーを焼いていても不思議ではないくらい穏やかな気候と美しい草花。木々は高く周りは見渡せないので、ここは森の中だと察することができた。


 仏教の死後の世界でも西洋化が進んでいるのだろうか。

 しょうもない自問自答を繰り返していると、なにやら草むらから音がした。

 ビクッと肩を跳ねさせて一瞥すると、女性がいた。

 白いベールに身を包んだその女性は、私を見るや否や膝を地面につけ、頭を垂れた。後ろに連れていた女性2人と、護衛なのだろうか、鎧を身に纏った男性も同じように膝を折った。


「おお、神よ。賜わりし光を感謝致します」


 女性は恍惚とした表情で私を見やり、何度も恭しく神に感謝した。後ろの従者らしき人々も同じように神へ感謝をしている。

 ビビる私。謎の4人組。日本にいる頃、周囲では馴染みのなかった神様とその信者の様子を見せつけられてどうすればいいのかわからなかった。早く水から上がりたいのに謎の集団のせいでタイミングを逃してしまったと悩んでいると、ふと目が合った。

 ベールに身を包んだ女性は淡い青眼を細めて、私を見上げた。綺麗な人だな、と思った。


「異世界の民よ。待っておりました」


 水に浸かったままの私に、女性はにこりと微笑んで手を差し伸べた。私が少し肩を離させてたじろいだことで、警戒して従者が立ち上がる。それを軽く左手で制して、女性は私をまっすぐ見つめた。


「こちらへ」


 差し出された手に、おそるおそる手を重ねる。

 水の中から出ると、女性は護衛の後ろをゆっくり歩きだし、それに従者である女性2人もついて歩く。

 訳も分からずその場に立ち止まっていると、女性は笑顔を崩さないままこちらにやってきて、私の両手を握った。ひんやりとした手に包み込まれ、薄い青眼は私を気遣わげに見下ろした。


「混乱していらっしゃるようですね。無理もない。この世界では時折、貴方のような方が迷い込んでくるのですよ」

「えっと、どういうこと?」

「詳しくお話致します。ここは森の中です、魔物が出ては危ないので場所を移しましょう」


 女性の言葉に、私はこくりと頷いた。

 やはりここは森らしい。怖いもの見たさで魔物が出てくるのを待っていたい気もするが、何の武器もない以上それは危険極まりない。それに、この世界がどうなっているのか知りたい。

 ”異世界の民”と言われるということは、ここは異世界なのだろうか。とにかく、何か事情を知っていそうな女性についていく方がいいだろう。この場に一人残って途方に暮れるより得策だ。


「では参りましょう」


 満足げに頷いて、女性は前を歩き始めた。


 改めて思うけど、話している言葉は違うのに理解できることが不思議でならない。女性や従者が話す言葉は初めて聞く音なのにしっかり意味が分かる。私が話している言葉も、頭の中では私の国の言葉なのに、口から出てくる音は異なる。なんというか、頭の中に翻訳機が搭載された気分だ。


 ベールに身を包んだ女性に連れられ、小さな神殿のような場所にやってきた。

 私がいた場所が森だから仕方のないことなのだが、道中は整備のされていない足元の不安定な森の中を歩いてきたので、コンクリートジャングルになれきっている私はとても足が疲れた。

 というか、体が使うのが難しかった。ここの世界は人も背が高いし、木や植物も大きい。服も濡れているし、気持ち悪い。


 そんな私の様子に気付いたのか、女性は柔らかく笑って口を開いた。


「そのままでは風邪をひいてしまう。すぐに着替えを持ってきましょう」


 そう、女性は言った。

 案内されるがまま地下室に通され、私はふうと息をつく。好意に甘えることにした。


「どこなんだ、ここ……」


 ここまでくると、ここがもう極楽浄土ではないことくらい理解できる。

 死んですぐに異世界へやってきたのだ。しかも前世?と姿はそのままに。ありふれた勇者や聖女、大本命の貴族の美少女への転生は叶わず、なんなら傷はないものの車にはねられて死んだその日のままの服だ。何故かぴったりサイズだったはずの服がちょっと大きいけど、解せぬ。


「うう、寒いなあ」


 濡れて張り付いた服の上から両腕を撫で、暖を取る。

 地下室は石畳で出来ていて少し薄暗い。勿論地下なので窓はなく、今しがた降りてきた階段以外に外部へ繋がる箇所はなかった。神聖な場所でこんなこというのもなんだけど、少し薄気味悪くて怖い。

 日が当たらずひんやりしている室内に肩を震わせつつ、私は物珍しいもの見たさにこの6畳ほどの部屋をきょろきょろと見渡す。

 全面石畳の部屋。あるのは今私が座っている椅子とここと地上をつなぐ階段。目の前にはランプがあって、床には赤色の絨毯が敷かれている。

 シンプルな部屋だ。なにもなく、ただの地下室。


 ……一体用途はなんなんだろう?


 古い建物には珍しくはあるだろうけれど地下室があるのは変なことではない。別に不審なものじゃないとは思う。けれど、なんだろう。この違和感は。

 何気なく絨毯を捲った。分厚い重厚感のある赤い絨毯の下にあったのは、石畳の上の赤。


 ……これは、血痕?


「ひっ」


 ぞっと背筋が凍る。絨毯を掴んでいた手を放し、私は後退る。

 血だ。なぜ、神殿に血が。

 この部屋は何のための部屋なんだろう。

 再び同じ疑問が脳裏によぎった。

 心臓が少しずつ早く動く。後退を繰り返していると私は石畳に足が躓いてよろけてしまった。

 ばっと手をついた。すると丁度手をついた隣の石が少し動いた気がした。

 緊張に跳ねる胸を押さえ石を押すと、なんと動いた。スイッチになっていたのだろう石は、押し込み切ると反対の壁が音を立てた。恐る恐る壁を押すと、くるりと反転した。からくり扉だ。


 ゆっくり動き、扉の向こうは今いる部屋の半分ほどしかない小さな空間があった。

 暗く湿ったそこは、大きな水を張ったボウルと薬草、縄、斧。そして、壁には大きな……魔法陣?


 ……あ、やばい。


 頭の中で警報音が鳴る。

 テレビだか、ネットニュースだか、何かで見たことがある。古来から呪いの儀式が存在したと。そして、権力者たちはより強固な効果を望んで、人間を生贄に差し出したとも。これは、呪いの儀式をする為のものではなかろうか。

 この状況だ。間違いなく生贄は私だろう。

 全身に鳥肌が立つ。あの血痕は過去の生贄のものだろうか。


 よく考えれば最初から可笑しいのだ。

 神殿から離れた水の中。日常的に水を使っていたとして、あんなにタイミング良く現れることが出来るだろうか。従者と、護衛を連れて、それ以外の道具を持たず、なぜ森の中に彼女らはいたのだろう。なにをしに来たというのか。

 あれではまるで、私があの場にいたのを知ってたかのようではないか。


 ……ああ、私、とんでもないところに来てしまった。


 私が小説やアニメで知っている異世界転生とは程遠い。やって来てものの数時間で殺されかけている。

 しかもこの状況だ。日本で暮らしていた時と姿形も違わず、あの日のままの服を着ている。もしかしたら、私は死ぬ間際にここに呼び出されたのではないだろうか。


 ……なら、私は死んでいない?


 とにかく、今はここを抜け出さなければならない。あの人達が戻ってくる前に。

 踵を返し、階段の方へ走る。だだだっと駆け上がり、扉に手をかけた。

 扉が開く。そおっと顔を出して。

 奇跡的に誰もいなかった。警備はグダグダだ。疎かにもほどがある。私が逃げないと高を括っていたのだろうか。ならば好都合である。


 外に危険が待ち受けている可能性もあるが、今はひとまず目先の危険から逃れなければならない。

 そろそろと慎重に。誰とも出くわさないように神殿を駆け回る。行きと同じ道を歩いて駆けて、ああ次の角を曲がれば入口だった。


 けれど、あれ? ここはさっき通った場所じゃ……


 突然、背後から重い衝撃が走った。

 鈍痛と共に私は意識を失った。





 後部の痛みと共に目が覚めると私は地下室にいた。

 否、地下室だと思っていたここは祭壇だろう。生贄を授ける為の場所。

 着ていた服は剥がされ、簡易的な白いドレスを着せられている。そして手と足は縄で縛られ、口は白い布で塞がれていた。

 目の前で女は薬草を束にして整えている。


 私が目を覚ましたことに気付くと、綺麗な青い目を細めてにこりと笑った。

 まるで、女神のように。聖女のような可憐さで。


「通路には結界が張ってある。お前の力では脱出することは不可能なのよ」


 くつくつと笑って、女は私を見た。水の中で私を見つけて歓喜に濡れていた声色や言葉は消え、嘲笑うように言葉を弾ませる。

 結界を壊すことが出来ない者は、結界の外には出られないのだという。結界を行き来できるのは術者のみで、それ以外は外から内側に入ることも不可能だそうだ。

 内側にいた私は同じ場所を何度も通るだけで、脱出は叶わない。だから見張りがいらなかったのか。


 私は項垂れて苦虫を噛み潰したような顔をする。力を抜いたら泣いてしまいそうだったから。


「異世界の民よ。お前は私がこの世界に呼んだのです。より良い贄を求めて、何日も何日も、数多の世界から探したわ」


 女は薬草をボウルの周りに置く。部屋の四隅に置かれたランプが煌々と輝いている。

 この空間には私と女の二人きりだった。


「神聖なる術の贄となれること、光栄に思うがいい」


 声にならない声を上げる。なんて絶望的な状況だ。

 私は死ぬのか。殺されて、知らない土地で。

 じんわりと涙が滲む。怖い。死ぬのは怖い。

 目の前の女が短剣を手にし、清めるように水をかけた。


「我が国は今や混沌に塗れている。偽りの王と偽りの城……あの忌々しい男の顔を思い出すだけで気分が悪い」


 物憂げに首を垂れる女は儚く、美しい。

 宝石の埋め込まれた短剣は水を得て神々しく光っている。

 光を愛でるように切っ先を撫で、血の滲んだ指先で女はボウルの中の水に触れた。爪を伝って滴が落ちていく。

 じわんと広がる赤。

 血は波紋を作り、水はどんどん濁っていく。


「私は正したいのだ。あるべきものはあるべき場所へ。偽りは滅び、穢れは消さねばならん」


 赤く染まったボウルの中は女の力を得て真っ黒に染まった。それは少しの光も通さぬ黒。小さな、けれど確かな禍々しい闇。

 端っこで縮こまり震える私を見下ろして、女は笑った。


「ああ、やっとだ。あの男が私の手によって消える。ついに。ついにあの男、レオナルド・ノア・ヘイワードをこの手で消し去る時が来たのだ!」


 ……この人、誰かを呪い殺そうとしているの?


 世界征服だかなんだかの礎の生贄にされるのだと思っていた。でも、誰かを呪い殺すために私は喚ばれたらしい。

 とんでもない女に召還されてしまった。

 逃げるにしても手足の自由を奪われ、目の前の水で闇を作り出してしまう女とやりあったところで勝ち目はない。


「んん!」


 女の手が伸びてくる。悲鳴を上げたが、口布に吸い込まれてくぐもった声だけが落ちた。

 私の顎を掴み、頭から瓶に入った聖水をかける女。

 短剣を手に、女が私の髪を掴む。


 殺される……!


 必死に暴れて逃げる。横たわりむにょむにょと動くしかできないのでなんとも無様だが、はいそうですかと殺されるわけにはいかない。

 しかもこの女は私をこの世界に連れてきたといった。ならやっぱり私は死んでない。死んでないのだ。殺されてたまるか。こんな物騒な世界は嫌だ。


 私は、生きて私の世界に帰ってやる!




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