帰りのHRがまだなんですが
「これアニメで見たやつだ!」
高校2年B組担任、小磯は速やかに上記を叫んだ永原の口を塞いだ。
ホームステイ先で英語能力が磨かれ、意思表示を明確にすべき国柄でしごかれたのはいい。だが今はダメだ。まず黙るのが必要である。
何せホームルーム中の教室の床が歪んだかと思いきや、クラスメイト全員が時代錯誤甚だしい装飾に満ちた部屋にいたのだ。
悼ましい事件は枚挙に暇がないが、過去類を見ない方式の集団拉致である。
拘束こそされていないが、話の通じる連中じゃないのは確かだ。おもねる必要はないが、大声で刺激するのも避けたい。脊髄反射と見せしめで蜂の巣になりかねないだろう。
小磯は中世だの区別がつくほど歴史を知らないが、あまり建築様式も調度も洗練されていない。いかにもな玉座に、豪奢な扮装の中年を見つけて、異常事態に頭痛を堪えきれなかった。
出先で銃撃に巻き込まれた際の一市民としての対応は知っていたが、流石に剣を持った甲冑の騎士の対処は知らない。
事態に気付いてすまねぇ、とばかりに手を合わせた永原の額を指でしたたかにはじき、離れるなよ、と他の生徒にも声をかけた。
英語特進科のクラスは生徒数が少ない。21人全員が、即座に小磯の背後に集まっていた。
「い、今、なんと?」
恐る恐る冠を戴く中年は言った。にっこりと微笑んだ小磯が、物腰は穏やかに、それでも語るのは英語である。
「説明するならそちらからが礼儀だろう。とんだクソ野郎に呼ばれたもんだな。人に物を聞くならまずその大層な椅子から降りたらどうだ」
「先生、攻撃してどうするんです」
空気を読んだ委員長小林が、そっと小声で窘めたのも英語である。
生真面目?いや、真っ当に礼儀を重んじる彼女はスラングを使うこと自体に顔をしかめているが、そもそも誘拐犯どもには言葉が通じていないらしい。
連中は召喚が失敗だったかと、こちらも事情を解していない前提で口を滑らせ始める。日本語で。およそ世界の存亡がかかっているとか、そんなレベルの話をしてない。どうも国家間の戦争レベルの話だ。異界の民間人が手を出すべきではないのは確かである。
幸い連中の不可思議翻訳魔法は、状況に流されやすく、情に訴えられては弱く、所々で受けた英才教育により、異世界の一言で理解を得やすい日本人に特化していたらしい。
しかしもう時代が違う。ここにいるのは自尊心と未来ある若者と、基本的にヒトに傅くことをしない中年だけである。
何を盾に取られようが、気楽に使い捨てられるのをよしとはしない。
「いいか小林。こういう手合いは、そもそもまともな取引相手にはならない。こんなふざけた真似、どんな技術でやったのかもさっぱりだが、かなり大掛かりな仕掛けだろう。俺らの存命中に2度目が使える保証がない」
いかにも困った顔で肩をすくめると、気落ちしないでといった顔で小林は頷いた。側からは言葉が通じず不安に思った様に見えただろう。
「……いや、それはいいですけど。まず穏便に確かめてからふっかけましょうよ」
「そんな暇はないと思うよいんちょー!」
一連のやり取りで連中が日本語のみ対応、と悟った生徒達は、即座に銘々英語で情報共有を開始した。
「まずスキル選別かな。そして生まれるクラス内カーストと差別」
「それで殺されるかこき使われるか放りだされるのに分かれるんだっけ」
「騎士自体強そうなのに、わざわざ学生にって辺り変。いや、多分異世界ではすごいやつ、ってあれなんだろうけど」
「顔のいい騎士とか魔法使いで籠絡もあるかも!」
「へんな魔法で洗脳とかな」
「そもそもこいつらが人間じゃない説」
「ある〜」
「いやそこは人間が黒幕説じゃない?」
「最近はそっちがトレンド」
「ざまあ?」
「クラスメイトは何人か死ぬやつ」
「身体改造とか、呪いの道具とかな。自分達が追い出した奴に劣等感募らせたり、人質取られたり、そもそも人質殺された後だったり」
「いや待てよ…ここはあれだろ。status check」
「発音がよ(い)…!」
「う、うわー!でる!気持ちわる!」
「お前自分で出してんだろ、あっ英語じゃん」
お前らなんでそんなにラノベの展開に強いんだ。そしてなんで極端な一ジャンルを流暢に英訳して共有できるんだよと、一介の英語教師は眉間を揉んだ。
担当生徒の成長が喜ばしかったのである。彼自身は留学した先で遊び呆けたので、実用にはよろしくない訛りがついていたから尚更。
またなんか発見したようで、わちゃわちゃと薄青く光る薄い板を銘々手にして眺めている。
「こいせん!俺のスキルに洗脳あったわ」
嬉々として言うな佐藤。
「小磯先生、私魔力操作まっくす〜」
もうちょいハキハキ話せ西山。
「あ、結界あるわはっとこ」
湿布の如き気軽さで結界張るのはお前くらいだよ内藤。
「………おぉふ」
いやなんとか言え野木山。
「あっ野木山お前職業勇者かよ!俺無職なんだけど!てかすげえスキル多いけど薄幸ってなに?!当て馬にされる方の勇者じゃん!死ぬのお前?」
おい不吉なこと言うから野木山泣きそうだぞ花谷。
しかし勇者がいるということは魔王もいるのか、とまたぎゃーぎゃーと騒がしい。
突如現れた結界に、言葉も通じないままなんか始めた学生たちは、誘拐犯連中にとっては脅威だったらしい。
騎士っぽいのと、杖を手にした魔法使いっぽいのがなんか必死に結界を殴ってるが、内藤の結界はびくともしない。結界みるふぃーゆとか言いながらさらに壁を重ね、全員に声をかけて飛び跳ねた瞬間床にも張ったので、誘拐犯連中が泣きそうである。
どうやら十分時間はあるようなので、小磯もまた嫌々生徒にならうことにした。ステータスチェック。
「……あ、俺が魔王だわ」
Satan、と書かれたjob欄である。レベルは19。
むしろどこで上がったんだこのレベル、と思い返して小磯はそっと記憶の蓋を閉じた。危険区域に敢えて行く。母を泣かせてそんな若気の至りは封印したのだ。
小磯の呟きにぴた、と生徒達が固まった。すぐにわさわさと群がる高校生どもの圧がすごい。
「あるある〜」
「あったか?」
「あいつが読んだ中にはあったんだろ」
「おれせんせいたおさなきゃいけないのやだよ!!!!」
「そうならないようにしてんだろ落ち着け」
幸い生徒達が距離を置くことはないので、些事だ。使える技能があればいいのだが。10レベルの読心術、黒魔術、吸魂、記憶改竄、そして20レベルの棒術(鉄バット)と5レベルの包容力…およそ首を傾げるラインナップである。
「何故鉄バット…?魔王スキル超える習熟度じゃん。鉄バットが棒術に入るほど何経験してるの先生」
そこ、と吐息のように漏らして小磯は天井を見つめた。
「一切の間違いも起こさずに死ねると思うなよ、永原」
「読心術あるよ先生!帰り方、えいって覗けばいいんじゃないかな?」
「読心術…読心術ねぇ。加藤、ありだがそもそもどうやって使うんだこれ。内藤ー?」
「読心術ー、って言ってみたら?対象宣言して」
出来た。
「集合、一回手を止めて情報共有だ。この世界では多国間で戦争が起きている。この連中は若干自国が不利と悟り、異界から生物兵器を入手する目的で俺達を召喚。懐柔、洗脳を施して運用しようとしている」
生徒達は知る必要はないが、男子は戦士に、女子は顔のいい子は娼婦か諜報員、悪ければ人質として取り、裏で始末しておこうとは聞こえた。なんなら今後の繁殖も含めて策を練っているらしい。ご苦労なことだ。帰れないと分かれば、ここで連中を死なせてやるのも救いかもしれない。
「人権はないんですか!」
「国民を使わないだけ支持はされてるらしい。俺たちの分は勝ち取るしかないだろう」
「ど、どうするの先生!」
「術者に魔法陣を使わせて、今教室に帰る……佐藤!右から2番目の騎士が最強格だが魔力抵抗がゴミ!」
「うっす!」
「西山、魔力操作であそこの魔法使いが使ってる呪文暴発出来…いや早い早い」
「せいや!」
それで受ける精神的苦痛を鑑みた上で実行か決めろ、と諭すより早い。
ごおん、と爆音が室内に響き渡る。死ぬところまではいってないが、重傷者しかいない有様だ。物言わぬ死体より、よほど神経が削られる状況である。
生徒達のショックにつながらないか、と思ったが、応えてるのは勇者野木山と委員長小林くらいか。存外少ない。
……いや、状況に高揚してはいるが、落ち着けばわからない。PTSDになった所で、原因を理解されない分悪化する可能性もある。ケアを考えておかなければ。
「だってそもそも、あっちがこっちに何発も打ってた魔法だし。内藤がいないと、どうなってたかわからないもん」
「その話なら先生が魔王にされてもおかしくないんだよ?悠長じゃん?」
神崎と菅川が、考え込む小磯の背をばしばしとはたく。
残念ながら創作じゃないので、いくらでも死ぬ機会がある。だからこそ容赦はしないと腹を括っているらしい。
口元を覆ってしゃがみ込んだ野木山にジャケットで目隠しをしてやって、小林に片想いしているらしい花谷が彼女の背中をさすってやっている。
………ああ、まあよく叫ばず耐えたな。ブラ紐でも指先に当たったのか、努めて無心になろうとしている。がんばれ。
「先生、次どうする?」
「佐藤、さっきの騎士洗脳して、あそこで足やられてる男引きずって持ってくるのはできるか?」
「できた!」
「ありがとう」
小磯の形相に、すでに心が折れていたらしい。
日本語で問い掛ければ、がくりと崩れ落ちた。わかっていたのかと。
「近年、俺たちの世界からこうして人が大量に消えることが多い。皆自衛のために抵抗手段を有しているんだ。……お前たちの王にも伝えておけ。故郷を追われ、首輪つきで働かされるのを受け入れるほど、俺たちは従順ではない。2度目はないぞ」
「かしこ、まりまして…!!」
王が逃げて、王国最強クラスの騎士に吊られている状況に、先程までは下卑た考えのあった魔法使いは心が折れたらしい。
ただ、敵愾心は否定できない。手元狂って違う世界に落とされてはたまったものじゃない。
「先生魔王オーラ出せてんじゃん」
「これじゃね?威圧スキル」
「いやなんか慣れてるからそーゆうのじゃなくね?」
「俺、山下先生体育の久原に口説かれてる時にあんな顔してんの見たわ」
「山下先生?」
「世界史の」
やかましいぞ生徒達。どこで見ていた松木。
「帰せるな?」
ぎり、と右手で首を締めてやる。案外簡単な手順で帰れるのは見た。ただ、送り出す人間が必要なだけで。
黒魔術、と言えば悪いお薬でのバッドトリップのイメージしか小磯にはないが、どうも約束を違えれば死、という大変おあつらえ向きの便利魔法があるようだ。
案の定仕返しを考えていたのだろう。意地の悪さを隠せずに頷いた魔法使いに、口約束でも契約は成立した。
果たしてどのような魔法が、と思っていたら、どろりとした真っ黒い泥濘が、小磯の手を伝って喚く魔法使いの口に潜り込んでいく。
しばらく海苔の佃煮を食べる気が起きないかもしれない。
「お前は帰せると言った。出来なければ、お前は相当酷い有様で死ぬだろうな。単身化物どもに立ち向かい、王国から退けた栄誉を取るか、唯一の死人になるかを今選べ」
ふと気づけば、馴染み深い教室の教壇に立っていた。時間は些かも経過していない。小磯は一瞬夢だったかと。しかし痛みに喚く連中を鮮明に思い出して、首を振った。
「……帰りのHRだが、点呼を取る」
異論はなかった。
クラス全員分の安否の確認が終わり、誰一人欠けずに戻ってきたことに、互いに安堵の息を吐いた。
野木山と小林は不思議そうに周囲を見渡しているが、ここに戻るまでに記憶改竄であの惨状の記憶を消しているから無理もない。
何故帰り着いたか理解できていないのだろう。小林は肩にかけられた制服が、身に覚えない花谷のそれと気付いて、物言いたげにこちらを見ていたが。
「………お前らなら分かるな?」
疲れきった中年の問いかけに、生徒達は固く頷いた。
「絶対話すなよみんな!成人式辺りで再会したら死ぬほどいじられるぞ!あと家族仲悪くなりそう」
「……クラスのsnsグループで相談はしてもいい?」
「誤爆に気を付けろよ」
流石に危機的状況を越えて冷静になると、先程の光景がトラウマになりかねない。もちろんだと小磯が頷けば、内藤はほっとして笑った。
「いやーしかし、何基準な世界観だったんだろうな。ステータスチェック〜で画面が出る、とか…!」
ぽん、と軽やかな音と共に、佐藤の目の前に薄青く光る薄板が浮いた。修羅場をくぐった生徒達の連携は早い。とっくに帰りのHRを終えて廊下を歩く連中から遮るように、駆けつけて佐藤を隠した。
がやがやと騒がしい廊下と打って変わり、静まり返った教室で、小磯は端末を操作した。
記憶改竄で【スキル】【惨状】【事件自体】を忘れたい者は適宜名乗り出るように。補習を行います。
既に携帯は返されていた。メッセージを確認した生徒達の手が一斉に上がったのは言うまでもない。