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囚われの色  作者: いしだゆい
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〜 白の召喚 〜 その壱



〜 色(いろ、英: color)とは〜

可視光の組成の差によって感覚質の差が認められる視知覚である色知覚、および、色知覚を起こす刺激である色刺激を指す。


色覚は、目を受容器とする感覚である視覚の機能のひとつであり、色刺激に由来する知覚である色知覚を司る。色知覚は、質量や体積のような機械的な物理量ではなく、音の大きさのような心理物理量である。例えば、物理的な対応物が擬似的に存在しないのに色を知覚する例として、ベンハムの独楽がある。同一の色刺激であっても同一の色知覚が成立するとは限らず、前後の知覚や観測者の状態によって、結果は異なる。


〈 Wikipedia参照 〉






 人間の目というのは不思議なものだ。僕たちは当たり前のようにポストは赤であると思っているし、海や空は青だと感じる。それを信じて疑うこともない。僕たちが見えている物体の色は太陽などの光源から物体に届いた光のうち、物体が吸収せずに反射した光でしかないのだ。









 「なぁ、お前は何色に見えるんだ?」








 カーテンの隙間から日が差し込んでくる。前髪越しにそれを感じ目を細めるが、太陽は僕のゲームの邪魔がしたいらしい。もうしばらく人間のような生活からは程遠いところに来てしまっている。朝日は身体に毒なのではと思ってしまうくらいの頭痛がしてきた。立ち上がってカーテンを閉め直すことも億劫でコントローラーを投げ、眼鏡を乱暴に外しそのまま後ろに倒れこむ。床にはいつ食べたのかわからないお菓子の食べこぼしやコーラの空き缶、ついこの前まで僕の体の一部だった髪の毛が散乱している。慣れとは怖いものだ。この部屋にいると整理整頓という概念が僕の中から削がれてしまうのだ。

 最近外に出たのは数ヶ月前、家族から有難く貸してもらっているクレジットカードの上限額を超えてしまった時にゲームの課金に必要なプリペイドカードをコンビニで買ったくらいだ。できることならずっとこの部屋から出たくない、いや出るべきではないのだ。


 両親は小学校低学年の時にとっくに死んでいるし、家族と呼べるものは母方の祖母だけである。今も一緒に住んではいるものの、ドア越しに言葉を交わすだけでしばらく顔すら合わせていない。物心ついた時から部屋に閉じこもって自堕落な生活をしている僕を、祖母は邪険に扱うことはなかった。いつも優しく接してくれる上に、僕のやることに対して否定的な言葉をひとつも発することがないのだ。俗に言うオタクでニートでヒッキーな気持ちの悪い孫なのにである。この世で唯一、色葉(いろは)彩斗(あやと)という人間として扱ってくれるただひとりの存在である。こんな僕でさえ一応人の子である。このままの生活ではいけないと頭ではわかっているし、普通二十歳を過ぎたいい大人なのだから外へ働きに出たり友達と飲みに行ったりするのが当たり前であることは承知だ。僕がただただこの部屋でだらだらと過ごすことにもお金が発生し、祖母がそれをさせてくれていることは明白だ。いつも理由が気になってはいるものの問うこともしない。性根が腐ったクソ野郎の勝手な言い分であるが、正直何も言ってこない祖母が僕にとって都合がいいのだ。

「あやちゃん、おはよう。朝ごはん置いておくからおなかが空いたら食べるんだよ。」

祖母の優しい声に気付き目が覚めた。テレビの画面はメニューのまま使用しているキャラクターがこちらを見ている。倒れ込んだまま少し眠ってしまっていたようだ。祖母に返事をすることなく、脂ぎった頭皮をバリバリと掻きながら起き上がる。まだ頭痛も少し残っていて意味もなく苛立つ。眼鏡をかけ溜め息をついた。祖母はいつも僕の朝ごはんの声かけをしたあとすぐに家を出る。玄関の鍵が外からガチャリと閉まった。これが僕の一日の始まりの音である。

 一日二度しか開くことのない僕の部屋の向こう側は塵ひとつなく、汚れた僕なんかが歩いてはいけない聖域のように感じる。起き抜けなこともあり腹も減ってはいないが用意されているお茶漬けを意識無くかき込み、久しぶりのシャワーに入った。ダイニングの上にみかんが置いてあるのが見えたので、普段座ることはない椅子に珍しく腰を掛け壁時計をぼーっと眺めていた。

「まだ昼にもなっていないのか。」

頭痛はよくなったものの目の奥が痺れるような感覚で目が霞む。眼鏡を外し大きく目を擦ってみるが一向によくなる兆しは見えない。視力の低下も著しい倦怠感も、日頃の行いのせいなのか。最近面白いゲームもなくなってきたことだしゲーム生活も控えてみるか。いやそんなことができたとしても、今まで培ってきたダメ人間スキルがたったそれだけのことで普通人間スキルに突然変異して真っ当な人間にチェンジアップってわけにもいかないし。どっかの異世界に勝手に転生されちゃって僕という人生を他の誰かとして再スタート!ってできれば僕だって今できないことも簡単にできちゃうんだけどなぁ、と現実から逃げて都合のいいことを考えていた。


 その時だ。カシャーンと音がしてフローリングの足元になにかが転がってきた。あまり大きな音ではなかったが突然だったこともあり、大の大人だというのに腕で顔を覆い目をぎゅっと瞑ってしまった。そろりと目を開けてみると僕の掌より少し小さめな木箱が半分開いたまま横向きに倒れている。あまりに力強く目を瞑ってしまったからなのか眼鏡をかけていないからなのかわからないが、見えるもの全てがぼやけてしまっている。だがその箱には見覚えがあり、いつも祖母が両親の仏壇の前に置いているものだとわかった。

「くそ。なんだよ。驚いたじゃないか…」

ビビりあがってしまったことが急に恥ずかしくなり木箱相手に悪態をつく。ひょいと木箱を右手で拾うと、中から黒く錆びた銀色の鎖が外へ出てしまっている。祖母の大切なアクセサリーだろうか。蓋をあけるとあまり綺麗とは言えない霞んだ灰色の石を真ん中に、それを上下から捻ったように鎖と同じ銀色で固定してあるような不思議なデザインのネックレスだった。とても男性から女性へのプレゼントとは思えない古めかしいものだ。こんなもの家にあったのかとネックレスを眺めていると、突然背中に蛇が這うような嫌な緊張感が走った。ベランダの方から視線を感じるような気がする。あまりの恐怖から顔の向きも視線すらも動かすことができない。力任せにギギギギと顔を左へ動かしてみるが油のさしていない鉄と鉄が擦れるような音だけが脳内に響く。ベランダに何かいる。いや誰かがいてこちらを見ているのだ。僕は一体なにが起こっているのかはわからなかった。ここはマンションの五階である。得体の知れないなにかが家の中に侵入しているだけでも恐ろしいというのに、物理的に不可能な高さに現れたのだ。これが金縛りというものだろうか。あるいは夢を見ているのだろうか。それともこんな生きる価値もない人間は魔物とか妖怪のような類に食い殺される運命なのだろうか。はたまたただの超人的な超脚力の持ち主、または某アメリカ映画の蜘蛛男のような超特殊能力を持った超変わった泥棒だろうな。超やばいじゃん。人は危機を感じるとこうなるのか。

 身体が動くのをやめてしまってからどれくらい経っただろうか。きっと一分程なんだろうが、体感としては一時間のように感じる。僕は変に落ち着きを取り戻しつつあった。眼球が思うように動くようになってほっとしたのもつかの間、気づいてしまったのだ。

「色が…ない…。」

木箱もダイニングテーブルも部屋の壁紙も観葉植物も、自分の手も着ている洋服も、全て色が抜け落ちている。まるで何十年か前の写真やテレビの映像のように、そこに鮮やかさは一切なくモノクロに映っている。そんな馬鹿なことがあるか。そこにもう恐怖はなかった。今ベランダにいるなにかが原因なのであれば追求しなければならないし、そうでなくてもこのわけのわからない状況をひとつずつ打破していかなければならないと強く思ったのだ。ゆっくりと深呼吸をすると強張った肩はいつもの調子を取り戻し、なにかに立ち向かう準備ができたようだった。下を向いたままの首をベランダへ向けると思ったより簡単に動いた。昼時の太陽はベランダにいるそのなにかに遮られ、部屋の中へと光を運んでいるようだ。逆光でしっかりとは見えないが人の形をしていることは間違いなさそうである。その人の形をしたなにかはベランダの塀に腰をかけこちらを見ている。確かに立ち向かう準備は出来たはずだった。しかし実際に目の前でそのなにかと対面してしまうと先程の決意とは裏腹に臆してしまうものだ。しかし僕はオタクでニートでクソゴミ社会不適合者である。例えこのあと目の前のなにかに殺されようとなにも失うものなどないのである。死んで泣いてくれるのは祖母くらいだし、やりかけのゲームもほぼクリアしていて今は入手忘れのアイテム探しをしているだけだし、さっき風呂にも入って身体は綺麗だし。うん、この世に未練はない。勢いよく立ち上がり、右足を一歩前に出した。

「おっ、お前はなんなんだ!」

 久しぶりに対人へ発せられた言葉は自分でも驚いてしまうほど声が裏返っていたしボリュームもおかしかったが、言った。言ってやった。あまりに人と会話をしない生活がデフォルトだった為に、答えが返ってくる前に満足感に似たものを感じる。おかしなことを言っているのはわかっている。今僕は人と、あるいは人ではないなにかと会話をしようと言葉を投げかけたのだ。いや正確にはそんな難しいことは考えず、最終的結果の会話ということに繋がるアクションを非常に自然な形で自らの力で行動したのだ。要するに高揚している。会話というのはキャッチボールであり、投げるだけでは成立しない。相手がこちらを認識した上で投げ返してくれないと会話は成り立たない。その人の形をしたなにかはゆらゆらと揺れているだけで、こちらに投げかけてくる様子がない。もう恐怖心はなかった。むしろその得体の知れない人の形をしたなにかに対して、どうして質問に対して答えてくれないのかと憤りを感じていた。人の形をしたなにかではあるが、生物ではないのか。はたまた生物であっても言葉が通じないのか。可能性をひとつひとつ考えてみるものの時間だけが過ぎていく。そうしてひとつの結果に落ち着いた。疲れているに違いない。ゲームで目を酷使しているし、わずかに頭痛もする。生活習慣も決していいわけではなく今も本当に起きているのか夢の中なのかはっきりと断言できる自信もない。急に全身の力が抜け椅子にどっかりと座り込んだ。ゲームやアニメの観過ぎにも程がある。現実がつまらなすぎて脳内で次元変換でもしているのか。それもありっちゃありなのかなぁ。しかし生活に支障出るのは勘弁である。そんなことを考えながらダイニングに置いたままの眼鏡を手に取り、目をつぶり俯いた。

色葉(いろは)の分際で無礼にも程があろう。」

女の子供の声だった。声の主は人の形をしたなにかなのか定かではないが、僕に向けた言葉であることは間違いない。慌てて眼鏡をかけそちらを向いた時には人の形をしたなにかはベランダの塀の向こう側へと姿を消した。取り憑かれたかのようにふらふらと窓辺に向かい塀の下を覗き込んでも人のような大きななにかが落ちた様子もなく、親子で賑わう公園がそこにあっただけだった。左手にネックレスを握りしめたまま、しばらく呆然とする他なかった。





 あれから部屋に戻ってすぐに布団へ入った。たった五分弱の出来事がまるで映画のように長く感じて、頭の中でぐるぐると再生された。あれはなんだったんだ。考えても答えが出るはずもない。二十年以上生きているんだし、今日はいつもに増して寝不足であったことだし不思議な出来事のひとつやふたつあったっておかしくはないだろうと、もやもやした心に蓋をしようと試みる。しかしどう頑張ってみてもこの不可解な出来事を思い返してしまうのだ。それには大きな理由がひとつある。ベランダで立ち尽くしてから我に返り、ネックレスを木箱に入れ直すと、また転がり落ちないよう仏壇の奥の方へしっかりと置いた。そして僕の、僕だけの部屋に入り鍵を閉めた。そこで気がついたのだ。部屋のカーテンがいつものように青いことに。飲みかけのコーラの缶は赤いし、布団には茶色や黄色のシミがある。しっかりと色が見えるではないか。先程のモノクロの世界はなんだったのか。布団の中へ入り頭の上まで掛け布団で覆った。あんなに鬱陶しかった日の光が嘘のように真っ暗な世界がそこにはあった。なぜかこのなにも見えない布団の中が安心できたのだ。僕はそのまま深い眠りに落ちていった。




つづく

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