午前の会社
大きな門をくぐると直ぐに事務所がある。
この事務所の2階が女性の更衣室になっている。
この建物の前に立つと、これから始まる仕事にもう疲れる自分がいる。
けれでもここで立ち止まっている場合ではない。
誰にも迷惑をかけることなく会社での一日を終えないといけない。
急いで準備をしないと遅刻扱いになっては元もこもない。
直ぐに更衣室に向かう事にした。
朝の更衣室はとっても騒がしくて急いで着替える人で込み合っている。
私の勤めている会社はブレイカーの製造メーカーだ。
会社の敷地内にはいくつもの工場があり
製造工程によって建物が分かれている。
社員は会社に来たら既定の制服に着替えて、
身なりを整えてからタイムカードを押す決まりになっている。
誰もが決まった時間にはタイムカードを押さないといけないので、
おのずと朝の更衣室はこみあっている。
もう2年もこの更衣室で着替えをしているのだからいい加減になれないかと、
自分でも思うのだけれども、まだ不安を感じて着替えている。
必ず同じ右側の袖を腕からはずし、左側の袖をはずす、
服を脱ぐときは素早くそして会社の制服のブラウスを素早くきる。
脱いで着るスピードはとても速くそして静かに行う。
無駄な動きはない。
制服のスカートをはいたら、来ているズボンを脱ぐ、
これもとても早く静かに行う。
更衣室は大勢の人間がいるので、私の着替えなんて誰もが見るわけもないと、
2年間言い聞かせてきたけれども、まだなれない。
「だれも私の事などみていない」
そう自分に言い聞かせて着替えを終えて、服をキチンとたたみ、
自分の着替えの確認と自分の持ち物を確認してからロッカーのカギをしめる。
そしてもう一度だけ、ロッカーがきちんとしまったか確認する。
必ずしまった事を確認して、カギは制服のチャックのついた胸ポケットにしまう。
その時もきちんとチャックがしまったかどうかも確認する。
確認が終わると私もタイムカードを押して自分の持ち場にむかう。
更衣室を出て少し敷地内の奥にある3号棟が私のいつもいるところだった。
業務用の大きなエレベーターで工場の事務所へ向かう。
私はブレイカーの品質管理部門というところで検査書類を作る仕事をしていた。
工場内の事務所に入るまでは機械の色んな音が鳴り響いていて、
小さな話し声ならば聞こえる事はない空間だった。
この話し声が聞こえないところが実はこの会社のいいところかもしれない。
ひそひそ話の声が聞こえないって事は、
うわさ話や、いいや嫌な話が聞こえないのだから。
事務所に入ると部長が朝礼をするまで私はすることがあった。
皆が飲む麦茶を沸かしておくことだ。
お茶を沸かしてみんなの洗ってあるコップを棚にしまう。
それが終わるころに朝の朝礼がいつも始まる。
朝礼はいつもこうだ、事故をしないように正確に商品を作ること。
いつも決められた時間に製品を作る事。
大体は朝から社員の気合を入れる事が目的だった。
いつもの変わらない朝にいつもの変わらない職場、
こんないつもの仕事に人生の楽しさを見つける事なんでできないままに毎日を過ごしていた。
いつもの話が終わると私はすぐに自分の机で言われた通りの書類を作る。
作業は黙々と言われたデータをパソコンに打ち込み書類を作っていく。
右から左にパソコンでデータを入力していく、ただそれだけの仕事。
2年間変わる事無くそれが続く。
思い出せばここに勤める事が出来たのは、運がいいと言われたのを覚えている。
高校の先生が就職先を紹介してくれたのだけれども、
どう頑張っても高校卒業生しかこの会社は受け入れできない事になっていたのだけれども、
特別に入社する事が出来た。
それも高校をやめて2か月後にはここに勤める事が出来た。
17歳の学生の女の子がいきなり会社に勤める事ができるのだろうかと、
両親も先生もいろいろと悩んでくれたのだけれども、
いざ会社に行くことになって、
仕事をしてみたら、周りが心配するような事はなく、
すんなり仕事にも環境にもなれる事ができたと喜んでくれた。
会社には電車にのって時間通りにいけばいいし、
仕事はパソコンで言われたデータを入力するだけの仕事だったので難なくできるようになった。
人間関係が挫折したので学校をやめる事になったが、
それも環境がかわれば難なく適応できるだろうと言われた通りに適応できた。
周りの言われたとおりにできた。
大人はこう言っていた。
「大人が決めたレールを上手く走れないで高校を中退した事は、
もう人生を成功するチャンスを逃したのよ」
高校を中退した私はもう社会の厄介者らしい。
遠回しにそういわれたような気がした。
あの時の先生もそう、今の親からもそういわれたような気がした。
言われたような気がして、言われたような気持ちはどこに行くことも出来なくなって、
気が付いたら自分の中に閉じ込めておくことにした。
両親や先生のいうレールを走る事が出来ないと社会には混じる事が出来ない。
一回レールから外れた人間にはもう、そっちの世界には戻る事ができない。
そう、失望された事がつらくて、
こうする事しかできなかった事がつらすぎて心の中にしまっておくことにした。
もう周りを失望させないように生きていくしかない。
この会社だってそう、両親や先生に言われたように誰にも迷惑かけないように、
黙って上司のいうように動いて働かせていただいている。
もう誰にも失望されることなく、誰にも迷惑をかける事無く、
私の生活はひっそりとすぎさっていく。
言われた書類をパソコンで打つ私に無駄な動きも会話もない。
ただ正確に一定のスピードを保って仕事をこなしていく。
8時から12時までは私の自分を殺した時間が続くのである。