第七話 手に入れたいモノ
ここ三日のセノは酷い荒れ方をしていた。魔物どもをすり潰すように倒し続け、気がつけば見たこともないところにいた。動き続けないと苦しさで死んでしまいそうだった。
しかし彼女も一応人間である。空腹と眠気には勝てなかった。セノは四肢に力が入らないことに気づく。そしてセノは死んだかのように眠った。無防備な彼女を襲った不埒な魔物は文字通りこの世から存在を消された。
セノは何かの音に目を覚ます。それは確かに人間の声だった。戦闘している、と音から察した。戦闘をしているということはそこに魔物がいるということであろう。そう思いセノはふらりと立ち上がった。彼女の瞳には既に正気はなかった。
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セノが戦闘の場に近づく頃にはもう殆ど音がしなかった。もう終わってしまったのかと残念そうに進む足を止める。足から力が抜けて壁に背中を預けたときだ、静寂を割いて声がする。
止まった足はいつのまにか動き始めていた。ないエネルギーを絞り出して足へと送る。
詠唱の声はもう掠れて消えてしまいそうだ。しかしセノは必ず間に合ってみせるとさらに足を早める。初めて見つけた大切なモノ、ここで失ってはいけない。
「よく頑張ったね」
倒れこむユカリを受け止める。身体に目立つ怪我はないが精神的な衰弱が激しい。ユカリは安心したのか、意識を保つことをやめたようでグッタリしている。セノはユカリを強く抱きしめる。
しばらくしてセノはユカリを床にそっと寝かせた。剣を抜いたセノは魔物たちに目を向ける。彼女の髪は、溢れ出る魔力の奔流によってなびいていた。
ほんの一瞬だった。瞬きする度に魔物が一体ずつ絶命していく。真っ二つになる者、壁や天井まで殴り飛ばされる者、魔法で四肢の先から徐々に焼かれていく者……
もしここに他に誰か居たのならば、きっとこう言うだろう。
セノは悪魔だ、間違いない。
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ユカリが目を開けると、そこはセノの膝の上だった。鼻腔をセノの香りが満たす。フードを失い露わになっている銀髪が揺れる。薄暗い迷宮の中で仄かに光るセノの髪が、ユカリは好きだった。
「良かった。目が覚めましたか」
「……ぁ……ぅ……」
ユカリの声は答えにはならなかった。なんとか答えようとする様子を見てセノはユカリの額に手を置く。
「大丈夫、伝わってますよ。だから今は落ち着いて休んでください」
ユカリは落ち着いていき、再び瞳を閉じる。セノは荷物から魔法書を取り出し、精神安定の呪文を唱え始めた。
今のユカリは非常に危ないところにいる。おそらくMPが枯れる寸前まで魔法を唱え続けたのだろう、とセノは的確な推測をする。ユカリは疲労困憊に加え、いつ発狂してもおかしくないほどのモノを見続けたのだ。廃人になっていないだけマシである。
ユカリが寝息を立て始めたことに気づいて、セノはユカリを背中に背負う。そしてそのまま迷宮の出口へと向かって歩き始めた。
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ギルドは騒然としていた。というのも例の有名なパーティーが満身創痍も同然で迷宮から帰ってきたからだ。彼らはセノを探しながら高層まで向かい、そこで魔物の群れにあったと公表した。
ギルドの中では様々な説が流れていた。しかし、それはどれも共通点があった。セノがその群れにパーティーを襲わせたというものだ。この噂を止めるものはそこには存在しなかった。
「よし、俺らで銀髪の悪魔を討伐しよう!」
どこからともなくそんな声が聞こえた。それに賛同する声がギルド内を埋め尽くす。皆気分が高揚していた。おそらく眉一つ動かさなかったのはいつもの無表情な職員くらいだろう。
そんなときだった。迷宮へと続く扉が大きな音を立てながらゆっくりと開いていく。生き残ったパーティーの話では他に生き残りは居ないはずである、ある一人を除けば。その一人とはもちろん、死体の見つからなかったセノだった。
「ぎ……銀髪!」
セノはギルド内の様子がおかしいことに気がつく。いつもよりも視線が敵意を帯びている気がした。その感覚は間違いではないのだが、セノは気にせずに長椅子にユカリをおろした。
無防備なセノを見過ごす探索者たちではない。戦士は武器を構えて突撃し、魔法使いは詠唱する。セノは後ろから来る脅威に気づくも、それは手遅れになった後だった。
「麻痺が効いたぞ!今だ!」
誰かが叫んだのを皮切りに、戦士達がセノを地面に押さえつける。現状把握の間に合わないセノは驚いたような表情を浮かべた後、その顔を苦痛に歪める。華奢な腕に折れそうなほどに負荷がかかってというのもあるのだが、そんなことよりもセノが許せなかったのが、男たちがユカリをセノから遠ざけようとしたことだった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
しびれる喉から声を絞り出し、周りの男たちを腕で薙ぎ払う。まるで魔法でも見ているかのようだった。屈強な大男たちはその細腕に吹き飛ばされていく。しかし――
「みな、落ち着け!状態異常の魔法は効いている!」
男の声によって魔法職が詠唱を交互に繰り返しセノの動きを完全に止める。まるで獣のようだ、とセノは思う。
いや、これが正しいのだろう。自分のような化け物にはこういう処遇の方がふさわしいのだろう。セノは唯一動く頭を動かしてユカリを探す。案外すぐに見つかるもので、ユカリはいつのまにか目覚めていた。こちらに走り寄ろうとするのを周りに阻まれている。その顔には鬼気迫るものがある。
私は大丈夫だから……そんな顔をしないでよ……
セノは首筋に冷たいものを感じる。どうやら例のパーティーリーダーの剣らしい。刃を当てられただけだというのに既にセノの白い首筋には目立つ一筋の赤い線がはいっていた。
男は剣を振りかぶり、躊躇なく、手加減なく、全力の力とMPを注ぎ込んで、剣を振り下ろした。
だから言ったでしょ?私は大丈夫だって
ギルドの祝勝会ムードは男の後ろに佇む悪魔のせいで台無しとなった。だが、男の判断は早かった。この悪魔が死ぬまで何度でも首を落としてみせよう。そう男は声高々に宣言する。
「うぉぉぉぉ!」
男は咆哮しながらセノに斬りかかる。男の殺意のこもった視線に対して、セノの感情は無だった。感情のこもっていない瞳は何度剣で断ち切っても立ち上がる。たとえ四肢を切っても、首を落としても、心臓をくり抜いても……
「はあ、はあ、なんなんだよ、なんなんだよお前は!」
男の剣がセノの肩口から身体の入り込み、内蔵や骨を紙のようにたやすく破壊し尽くし、もう何度目かもわからない頭の落ちる音がギルド内に響く。その後の静寂ほど気味の悪い時間はなかった。
落とされた上半分が突如光り輝き、粒子状になって消えてゆく。そして残された下半分から、あらたな上半分が生えてくる。
「私は化け物だ。ただの死ねない化け物だ」
男はもう嫌だ、とつぶやいて剣から手を離す。彼の手には人の肉を断ち切る感触がずっと続いていた。彼は正義感が人一倍強く、そして信心深い素直な一人の青年に過ぎなかった。この世の理から隔絶された者を正面に、正気を保っていられる性格では無かったのだ。
セノは男だけでなくギルド内が狂気に飲まれているのを見る。金切り声を上げるモノ、パニックを起こしているモノ、意味もなく言葉を並べ立てるモノ、中には自身を傷つけ始めるモノすらいた。
セノは歩いた、もうこの街にはいられない。家をすぐに引き払ってここから出ていかなければいけない。人間の街に化け物の居場所はない。
そんなことを考えて歩くセノを後ろから抱きしめるモノがいた。その匂いにはセノには覚えが合った。
「ユカリ、離してください」
「絶対に嫌だ。だって……だってこの手を離したらセノがどこかへ行ってしまいそうだもん!」
「……もう私はこの街にいられません。ここでお別れです」
その言葉を聞いてユカリはセノを抱きしめる力を更に強める。
「この街から出ていくなら私も連れて行って!」
「駄目です。化け物には人間の隣にいる資格なんてないんです」
セノの声は冷たかった。しかしユカリはその冷たさは無理に上塗りされているものだと察した。
「ねえセノ……あなたのいう人間って何なの?人の形を成しているモノ?セノを化け物と呼ぶモノ?死ぬモノ?一体どうやったらあなたの隣に私はいることができるの?」
ユカリの問にセノは答えない。いや、答えられない。彼女もきっと狂気に染まってしまったのだろう。
「お願い……私を一人にしないで……」
「あなたは一人になんかなりませんよ、あなたは素晴らしい才能と優秀な容姿を持っている。あなたは私がいなくてもすぐに仲間を作ることだってできますよ」
「……っ!セノのバカ!」
ユカリの手はセノの頬を赤く染める程に強く叩いた。パシンという音がセノの脳内に響く。何度も斬られもう痛覚は感覚を失っていたはずだった。しかしユカリに叩かれた頬がどんどん熱を持っていくことをセノは感じる。
「ほら……やっぱりセノだって寂しいんじゃん」
ユカリがセノの正面にくる。その顔は涙でぐしゃぐしゃになりながらも笑顔を浮かべていた。ユカリの指がセノの目元を拭う。そこで初めてセノは自分が泣いていることに気がついた。
「私は……私は化け物です。それでも……それでもあなたは変わらずに私に接してくれるのですか……?」
「何を言っているの?私はセノが好き、それは人間だからセノが好きなんじゃない。たとえその容姿が違ったとしても、私はセノが好き。だから絶対にあなたを見放すことなんてない」
「私はあなたにずっと隠し事をしてきたのですよ?」
「隠し事の一つや二つ何よ!私だってセノに言ってないことなんて山程あるわ!」
「でも……でも……」
足から力が抜けて、セノは床に座り込んでしまう。
「お願い、セノ。私にもっとこの世界のことを教えて?私はあなたがいないと困っちゃうの。私はあなたが必要なの」
「……っ!ユカリ……」
「やっと……目を合わせてくれたね」
セノはもう限界だった。ユカリの胸に顔を押し付け泣きじゃくる。ユカリはセノを優しく抱き、涙が止まるまでセノに付き合った。
狂気:人は異質なモノを排斥するようにできている。それは種の存続本能としては正しいことだ。しかしながら、拒むこともできない力を前にして、人はソレを認識することさえできなくなる。人は狂気に対抗するために精神を安定させる魔法を開発した。しかしながらこの研究過程は、どこの国の記録にも残っていない。