第六話 虫の知らせ
何か嫌な予感がする。最初に感じたのはいつだったかとユカリは一日を振り返る。今日もいつものように早起きをし、トレーニングをして、朝食を食べた。ギルドに来るまでの道中も特に異常は感じられなかった。しかし、なにか違和感がする。いつもとは何かが違う。そう感じ続けていることをユカリは嫌な予感と表現することしかできなかった。
「ねえセノ、今日は迷宮に行くのはやめませんか?」
「いきなり何を……何かあったんですか?」
疑うまでもなく純粋に心配してくれるセノに対して、ユカリは何も言えない。
「いえ、やっぱり何でもないです。行きましょう」
笑顔を取り繕ってそう答えると、重い足を無理矢理動かした。
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セノとユカリがギルドに着くと、いつもとは雰囲気が違った。酒場の方に人だかりができているのが見える。聞こえてくる声から察して、有名な探索者のパーティーが来たらしい。
「おお、そこの黒髪の君!これから迷宮に行くのかい?良かったら一緒にどうかな」
人の壁が割れるという表現が正しく聞こえるほど綺麗に、輪の中心とユカリとの間に道ができる。このギルドに黒髪はユカリしかいない。ユカリもその言葉が自分に向けて放たれたということをすぐに理解した。
「すみません、ツレがいるので」
「おや、それは失敬」
ユカリはジリジリと自分から離れようとするセノの腕を掴み、自分の方に引き寄せる。
言い寄って来た男の視線がセノを舐め回す。コートを羽織りフードを深くかぶっているセノだが、女性であることを隠すには不十分だった。
「となりの君も一緒にどうかな?楽に稼がせてあげようか?」
セノの古めかしいコートを見ての発言であろうが、二人の反感を買うには十分である。
「お金は間に合っていますので、どうかお気遣いなく」
ユカリの拘束からスルリと抜け出して、セノは窓口の方向へ歩き出す。
しかしこの男は黙ってそれを見ているような者ではない。ちょっと待ってよ、といってセノに手を伸ばす。
偶然だったのか、それとも意図的にかは定かではない。しかし、その結果は男には予想できなかった。
男の手が掴んだものはセノのフードで、それを引っ張れば脱げてしまうというのは当たり前のことで、中から出てきた銀髪というモノは、男の口を塞ぐには十分な衝撃を与えた。
「く、黒髪の君!早くこっちへ」
「ちょっと!何するのよ!」
男はユカリの腕を引っ張り、自分の後ろへと引っ張る。剣に手をかけ、セノに問う。
「悪魔め!何の用でこの街に来た!」
「何の用で来たって言われても……私はこの街に住んでるただの住民――」
「バカか貴様は!ならばその髪はどう言い訳をするつもりだ!俺は知っているぞ、あの三年前の攻略戦、あの時に主力パーティーを壊滅させたのは銀髪の魔族だってな!」
彼の言葉にギルド内が騒然とする。奇しくも、セノがこの街に住み始めたのも三年前だ。そして、一部の職員はその攻略戦の情報は重要機密であることも知っていた。
「三年前……攻略戦……っ!」
突如、セノの銀髪がたなびく。それは神秘的とも思える光景なのだが、ここにいる者たちにはセノが本性を現し、攻撃準備をしているようにしか見えなかった。
セノは自分の髪を急いでフードで隠し、窓口に向かう。こんな時でもいつもの職員は仕事をしてくれて、セノの分の手続きを終わらせてくれていた。
「ユカリ、あの家は自由に使ってください」
「ちょっと待ってよ!セノ!」
ユカリの制止の言葉を背中に受けながらも、セノは迷宮の入り口へと進んでいく。彼女を引き止めるものは、他には誰もいなかった。
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「君、大丈夫かい?」
「何するんですか!離してください」
「おっと、さっきの子を追おうとしてもそうはさせないよ」
嫌がるユカリの両腕を掴み無理矢理目を合わせる。
「君は彼女に騙されているんだ。彼女とはどこで会ったんだい?そのときに何か魔法などをかけられなかったかい?」
ユカリは答えずに男をにらみつける。すると男はユカリが自分のことを信用していないことを悟り、仲間の女にユカリを落ち着かせようとする。
「セノをどうするつもりなの?」
ユカリは女に連れられながらも最後にそう尋ねる。
「三日だ。三日ここを閉鎖し、その後に僕たちのパーティーから迷宮に入る。それだけだ」
言葉にならない声が漏れ出る。この男は今何を言ったのだろうか。それではまるで、何が何でもセノを殺すと言っているようなものだ。
しかしユカリには何も言えない。それが酷く悔しくて、ただ拳を握り歯を食いしばることしかできなかった。
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家に帰ったユカリを迎えたのは静寂だった。日本に居たときから、ただいまと返すとおかえりと帰ってくることが当たり前だったのだ。それがない今、そしていつもどってくるかわからない今、彼女を孤独が形をなしたような不安感が襲う。
三日間は何もする気にならなかった。料理も作ることはなく、飢えを凌ぐためにパンを齧るくらいだった。
そして、三日後がやってきた。ユカリはいつも通りの時間に目を覚ますが起き上がらずに枕に頭を埋める。まだほんのりとセノの匂いがした。
ようやく起き上がったのは昼前だった。身だしなみを最低限整え、ギルドへと向かう。到着する頃には、もう太陽が真上に来ていた。
ギルドに入ると、例のパーティーが迷宮に入るところだった。ユカリの生気のない顔を見てだろう。何人もの探索者がユカリに話しかけるが、その声はユカリには届かない。
「迷宮、入場手続き」
ギルドの窓口でそうボソっと呟く。いつもの無表情の職員の目が迷うようにかすかにブレたが、それすらもユカリに興味はなかった。
迷宮には例のパーティーとユカリ、そしてユカリを心配した数名の探索者が入ることとなった。先頭を例のパーティーが、そして最後尾にユカリがトボトボとついて行く。
「妙だ」
誰かがつぶやきた声が聞こえる。迷宮には魔物がいるはずである。しかし、だれもエンカウントしない。魔物の姿が見当たらないのだ。
しばらく行くと、ユカリは通路の隅に何かを見つけた。フラフラとそれに近づいてみると、ボロボロの布切れのようだ。しかしユカリにはそれが違うものに見えていた。この色合い、この構造、そして何より所有者の残り香……これはセノがいつも身に纏っていたコートだ。しかしもはや原型も留めていないそれは、セノが魔物に攻撃を受けた場面を想像させる絶好の材料となる。
先頭パーティーはどんどんと先に進んでいく。既にユカリが来たことがある階層は超え、今はマッピングされている中では最深部に来ていた。それまでに見つけられたものはセノのコート以外にない。魔物も、セノの姿も、何も見つからない。
ところで迷宮とは一定数の魔物を維持するようにできている。だからもし低階層に魔物が居ない場合、それは高階層に集まっている可能性が高いということである。であるからして――
「逃げろ!魔物の大群だ!」
探索者達が魔物の波に飲まれてしまうのは必然とも言えた。
阿鼻叫喚というのはこのようなことを言うのだろうな、とユカリは呑気に考えていた。彼女には武器が何にもなかった。混戦では誤射の危険があり魔法は使えず、剣技も後回しにされていたため振り回すことしかできない。
気づけば彼女は一人だった。周りには物言わぬ屍と無数の魔物しかいない。魔物たちは微動だにしないユカリを嬲るようにじわじわと近づいてきている。
身体は勝手に動いた。逃げ回りながらも魔法を詠唱する。呪文の中にはユカリオリジナルのものも含まれている。精神が蝕まれていることをユカリは実感する。しかしそれはまるで数値が減っていくカウンターを見るように他人事のように感じた。何故自分はこんなことをしているのだろう、という考えがユカリの頭をかすめる。彼女は生き延びる理由すらも見失っていた。
でも、それでも、彼女は足を止めなかった。
意識が薄れていく。魔法が上手く発動してくれない。もっとよこせと暴力的な狂気がユカリを襲う。
ふいに身体から力が抜ける。もうユカリは心身ともに限界だった。床がどんどん迫ってくる。もう限界だよ、そうつぶやいた。
「よく頑張ったね」
突然なにかに抱きとめられる。もう視力すらも薄れている。だがしかし、あの人である、ユカリそう確信を得て、意識を手放した。
魔族:古くから人族と戦いを繰り広げている種族。優秀なMP量により、高度な魔法や魔術を操る。しかし、未だに多くの謎があり、学者の中には本質的に人族と同じ種族であるとする意見を持つものもいる。