★5★ 離れたからこそ気付くこと。
やっと長らくご不在だったヒーロー登場です♪
σ(*´ω`*)<ん? それとも立ち位置からするとヒロインか?
間口の割に奥行きがあり、奥に進むにつれ入口からの陽光が届かなくなる、知る人ぞ知るといった風な怪しげな店先に、この一ヶ月間と一週間、ずっと捜し求めていた人物がいた。
頭に白いスカーフのような布を巻き、同色の貫頭衣を着た高齢の店主の隣で、常連客と一緒に立ち話をする姿に胸が騒ぐ。細々とした品物を手に何事か話かける客を相手に向けられる笑みは、ずっと見たかった記憶の中にあるそれだった。
寸分変わらないその笑顔が眩しいと同時に、自分が姿を見せた瞬間にかき消えるのではないかという恐怖に喉が乾く。
――ルシアが義母上と家出をしたのは、今から一ヶ月と一週間前のこと。
その前日に割と大きな星詠みを使った仕事の伝手を得られた俺は、各地に散っているヴォルフ達にツナギをつけるために、義父上と共に馬で片道四時間ほどかかる隣町まで出かけていた。
これでまた行商人がリンクス領を通る仕事が増えれば、領地は潤い活気も出る。そう考えていたのは俺だけではなく義父上も同様に思っていたようで、ルシアのことでは頑固な彼も珍しく協力的だった。
そもそも大切な一人娘を嫁にやるのだから、絶対に娘と将来産まれてくる子供に苦労をさせるなと、ルシアと結婚してから毎日のように言ってくる義父上だ。
こちらも勿論そのつもりだったので、まだまだ収益が安定していない間に子供が出来たりしないよう、ルシアと寝室を分ける徹底ぶりで仕事に明け暮れた。そうでもしないと結婚式の夜の調子では、あっと言う間に子供を授かりかねない。自分がああも堪え性がないとは思わなかった。
何よりもまだ人の親になるには未熟な自分が、ルシアとの子供を抱き上げる様子が想像出来ないでもいた。
ただ、時折ルシアが甘えてくるのを何とか理性で避けるのは骨だったが、今住んでいる屋敷の隣にこじんまりとしていても良いから、ルシアと子供と一緒に暮らせる別宅を建てたかったのだ。
結婚してからまだ三ヶ月と少しだったが、自領にいた頃とは違い、毎日やりがいと充実感に満ちていた。
ちょうど隣町に犬ゾリ便で知り合った者達がいたので、少しばかり話し込んだ俺達が領地に戻ったのは、日もすっかり落ちた頃で。そこまで遅くなるつもりがなかったから言付けをしないで出てきたことから、二人に怒られるだろうなという義父上との共通見解に苦笑しあっていた。
けれど片道四時間、往復八時間の乗馬で、地面に降り立った途端に足がふらつく俺を見た義父上が『馬はわたしが繋いでおこう。クラウスは先に二人に戻ったと告げてきなさい』と応じてくれたので、その言葉に甘えて先に屋敷へと向かったのだが――……少し離れた場所からでも、その変化に気付いた。
気のせいだと思いたかった俺は、手にした星火石のランプを屋敷のある方角に翳してみたが、やはり見間違えなどではなく、屋敷には明かりが灯っていない。それを見た途端に冷たいものが背中を走る。
駆け出すことの出来ない不自由な脚を奮い立たせ、ステッキを頼りに屋敷へと急いだが、近付けば近付くほどに絶望感は増した。
焦る気持ちを抑え込んで玄関ドアを開ければ、中は暗闇だけがぽっかりと口を開けており、そこに出迎えてくれるはずの二人の姿はない。何故、と感じる一方でけれど、朝はいつもと変わりなく一緒に仕事をこなしたルシアの表情が思い出せない自分がいた。
そうして早鐘を打つように忙しない心臓を押さえながら、グルリと周囲を照らした星火石ランプが浮かび上がらせたのは、玄関横に設置されている姿見に口紅で書かれた、ルシアと義母上の連名が入った最後通牒だったのだ。
その場に凍り付いていた俺の背後で、厩から戻ってきた義父上も同様に凍り付く気配がしていた。けれどすぐに無言で厩に向かおうとした俺を止めたのは、意外にも娘と妻が命のような義父上で、肩に置かれた手を振り切って外に出ようとした直後に、無言で脚を払われる。
そして無様に倒れた俺に向かって姿見の一文を指差して『ルシアはお前の体調をちゃんと考えている。今夜はしっかり休んで、明日出かけよう』と溜息を吐いた。
そこに記された期限は二ヶ月。ルシアが頼れそうな行き先などそう多くもなく、馬車をひかない馬で駆けて二週間ほどの道のりを、敢えて二ヶ月も取ってくれた。
そのことに感謝するよりも先に情けなさが立って。結婚してからずっと浮かれていた自分を殺してやりたくなった。
翌日しばらくの間領地を離れると領民に告げると、義父上と一緒に散々小言を聞かされて送り出され、馬で休み休み王都を目指した。
しかし、途中の道まで一緒だった義父上は『メリルの性格からして同じ方角には逃げないだろう』と言うので、王都に向かう直前の街道で別れてここまで来たのだが……いざ会いたい人物を目の当たりにすると、どう顔を合わせればいいのか分からない。
それでもまだ救いがあるとすれば、ルシアが笑っている。領地にいる間に気付けば良かった彼女の変化に、店まで数メートルのこの距離は、王都へ至るまでの一ヶ月と一週間の旅路よりも遠く感じた。
***
「あら~それじゃあ、遠目から元気そうに働く家出中の妻を見つけたけど、顔を見せるのが怖くてアタシのところに来た、と。そういうことなのね?」
「ああ……まぁ、端的に言うとそうだな……。せっかくの休憩時間をこんなことで潰してしまってすまん」
「ふふ、別に良いわよ。アンタから手紙が来た時点でこうなるんじゃないかと思っていたし。それに一番最初にアタシのところに来ないで、自分でルシアの居そうな場所を捜したのは偉かったわね。そうでないと、今頃こうしてお茶なんてしてやらないところよ?」
そう皮肉気に唇を持ち上げて笑う表情に懐かしさを感じつつも、どちらかと言えば行動を言い当てられた己の情けなさの方が上回る。
結局、ルシアの前に姿を見せることが出来なかった腰抜けの俺がその足で向かったのは、友人であるラシードの働く雑貨店だった。学生時代に教えてもらった休憩時間がまだそのままで、本当に良かったと思う。
それに今いるこの喫茶店も相変わらず客がほとんどいないので、こういった話もしやすい。店内を満たすコーヒーの香りも、さっきまでの焦燥感を少しだけ和らげてくれた。
「さて、と。それでアンタはルシアの無事な姿を確認して、これからどうする気なのかしら? 協力して欲しいことがあるから、こうしてわざわざお茶に誘ったんでしょう?」
コーヒーカップの縁を丁寧に磨かれた爪先で撫でながら、そう面白そうに訊ねてくる言葉を聞いて、実際には何の考えもないまま誘っただけなのだが、言われてみればそんな発想もあったのかと思い至る。
けれど次の瞬間に口から零れていたのは、協力や助言を求めるものではなく「いいや」という否定の言葉だった。
「何だ違ったの? アタシはてっきり、それとなくルシアに“今クラウスのことどう思ってるの?”とか訊いてきて欲しいのかと思ってたわ。アタシに気を使ってるなら別に気にしなくても良いのよ?」
僅かに驚いた様子でそう言うラシードの言葉には、いつもの人を食ったような含みもなく、むしろ現状ではありがたい申し出だ。しかし何となくその言葉を受け入れてしまえば、自分の中で今回王都まで辿った道のりが無駄になってしまうような気がした。
「いや、その申し出は大変魅力的なんだが……おかしなもので、領地からここへ来るまでの間は、毎日毎日、結婚してから一番ルシアのことだけを考えていた気がしてな。それを思うと、今のルシアの内面を一番に知るのは、自分の言葉でありたいと思ったんだ」
ラシードの夕陽色の瞳に見据えられたまま答えてみると、ふっとそれまで騒がしかった心が凪いでいく。
「ホント……愚直なお馬鹿ねぇ。もう答えが出てるんなら、即行動あるのみでしょ。アンタはアタシの休憩時間が終わり次第もう一度ルシアのところに行って、今の言葉をそのまま伝えて来なさいよ?」
つんと顎を上げてそう鼻で嗤うラシードに苦笑混じりに頷き返せば、手入れの行き届いた指先がビシリと眉間を強襲した。学生時代にルシアがよく食らわされて悶絶していたが……これは確かにくる。
声こそ上げなかったものの、痛みに眉間を押さえて俯いた俺の耳に「次にルシアを泣かすことがあったら、今の二倍の威力をお見舞するわよ?」というラシードの声が届く。
了承の意味を込めた溜息と共に頷くと、やり取りの切れ目を見計らったように店主が「コーヒーのお代わりはいかがですかな?」と訊ねてきたので、もう一杯ずつ注文する。
コーヒー豆を挽くミルの音が響く店内で、ラシードの口からルシアが王都へ来てからの一ヶ月と一週間に起こった出来事を聞かせてもらった訳だが……ラシードの休憩時間内にその話を全て聞き終えることは出来なかった。
会話からラシード達の方も色々とあるようで、店の前で別れる間際に思わず「その……そちらの式はまだなのに、ベルジアン嬢にまで結婚生活での不安を抱かせてすまなかった」と詫びると、ラシードの答えは「こんな幸せな悩みなら大歓迎だわ」というもので。
男としての年齢だけではない格の違いに、ただただ苦笑を浮かべることしか出来ない我が身を情けなく感じたものの、ルシアに伝えたい言葉で溢れそうなそんな自分も悪くないと。
――さっきまでとは違う気持ちで歩き出した石畳を叩く石突きの音は、早く、早くと、ルシアの元まで急がせる軽快な音になっていた。




