ちょっとした眠り
珍しいものを見たな、と暮子は思った。
仕事帰り、教会から廃棄された大きな十字架を積んで、ようやく地元に戻ってきたところだった。ここのところ雨が続いていたところでのようやくの晴れ間で、ずいぶんと前に依頼されていた大物の回収を片付ける絶好の機会だったのだ。
夏の強い日差しはあぜ道の地表をもしっかりと乾かし、重量物を積載した暮子の愛トラック、シンセイT80でも問題なく走れるだけの固さを保ってくれている。路面状態の確認と選択は、トラック乗りにとって何よりも重要なものだ。
それでも三十キロと四十キロの半ばくらいの速度で慎重に走るシンセイの前方から向かってくるのが、これまた年季の入った代物だった。
前方に一つ、後方に二つのタイヤ。軽トラックとオートバイを足して無理やり二で割り切ったような外見。そして、暮子のシンセイもそうだが、あの当時のデザインというのはどうしてどこもかしこも丸っこいのか。
今ではもう見かけることも少ないオート三輪。それも由緒正しいタイハツのミジェットだ。
このあたりでいまだに三輪車を乗り回しているような人間を、暮子は一人しか知らない。
横に並んだところで、互いに停まった。見下ろすと、ミジェットの窓から見知った顔が突き出される。
「よう暮子ー。今帰りかー」
「ああ。珍しいな、アンタがこのへんうろついてるなんて」
暮子とは対照的な青白い顔にやせ細った身体。はじめて彼を見たものはどこか病気でもしているんじゃないかと疑うが、これがこの男の標準だ。あんななりで、どこにそんな力があるんだと思うくらい、荷物をすいすいと運んでいるのを見たことがある。
ミジェットの横腹には『ゴッドReサイクル Reンネ』のタイポグラフィ。つまりは、同業者だ。
「まあなー。頼まれごとでなー。ヒトのシマ踏み込むのもどうかと思ったんだけどなー」
「どこだよ」
「誠仁さん。山中の。あそこ、うちの爺さんの頃からの付き合いだからなー」
「モノは何よ」
「ま、細々としたモンっすよー。うちのミジェ子ちゃんは、シンセイちゃんみたいは積めんからねー。俺しか上に乗せないからねー」
「神サンはいつも載せてんじゃねえか」
「後ろは俺、専門外なんでー」
ミジェットの荷台は後方にある。
「誠仁さん、ってことはまたオーパーツ的な何かか」
「たぶんそっかなー。あのへんはさすがに俺も姉上に調べてもらわにゃわっかんねーっすわー」
「だったらいいや。面倒ぃし」
「だろー」
小回りの利くミジェットを常の足としている『Reンネ』は、『ひまら屋』に比べ、小さな物品を専門としている。小物の類は特別な専門知識が必要な場合が多いため、回収業以外の商売が主体であることも多い。古物商の鑑札は暮子も持っているが、この男、輪祢は他にも様々な鑑札を取得していたはずだ。
「……ま、仕事があるなら、何よりだ」
「だなー。この仕事も、いつまで続けられっか、わっかんねーしなー」
「あんたんとこは店も構えてんだから何とかなるだろ」
「でもなー。うちだけ生き残ってもなー。ほら、やっぱり何か、面白くねーじゃん」
ナツミカンスピリットを一本くわえる。神様あってこその回収業。世界から神様が消えるとき、暮子たちの生業も、また姿を消すだろう。
「ところで、相変わらずでけえ乳だなー。一度揉ませろよー」
「ママのオッパイでも吸ってな」
いつものやり取りが出たらおしゃべりはおしまい。
ソーロング、アミーゴ。
「同業者なんておったのか」
走り出してから爺さんが口を開く。そういえば静かだったなあ、とようやく気付いた。
「そりゃあいるっすよ。ま、確かに数は多くないっすけどね。」
「儲かるのか」
「どうっすかね。やりようによるんじゃないっすかね。さっきの『Reンネ』なんかは、表芸とあわせて上手いことやってるみたいっすけど。今でこそこんなことになってるけど、もともとは裏家業っすから」
「まあ、当分は安泰ってことかの」
煙を吐き出す。田園は茜に染まり、夕暮れが近づきつつある。暮子はシンセイの速度をこころもち上げた。
「必要だから、商売になるってわけじゃないのが、難しいところなんすよね。うちらに近い商売で、廃品の回収業ってのがあるんすけど。個人ではどうにかできない大きなゴミとか、大量のゴミとか。そういうのを処理するってのは、まあ、必要な仕事なわけっすよ。今まさにそういうものを抱えてる人ってのは、困ってるわけっすよ」
でも。
「だからって、そういうものを引き取ってもらうのにお金を払うってのは。そういうのは嫌だって人は、少なくない数いるんっすよね。むしろ、引き渡すんだからお前が金を払え、とか言われたりして」
「そんなことが、あるのか」
「あるんっすよ」
「今まさに困っているのにか」
「何すかね。こういうことはタダでやってもらうのが当たり前だとか。こういうものはこれくらいの金額でできるはずだとか。そういう、自分で定めたんだかどこかから聞いてきたんだか。ともかくそういう自分ルールで回ってる人ってのは、結構いるんっすよ。しかもそっちの方が地域の通念になってて、一帯の人間が皆揃っておんなじ考えの持ち主だったり。そういうものは、今でもまだまだあるっすよ」
そういうところほど、神様が発生する率も高いんっすよねぇ、と暮子はぼやく。両目は前を見ているが、心は半ば遠くに飛んでいる。
「あたしらの仕事も似たようなモンっすからね。似たような仕打ちを受けることも、まあ、あるっすよ」
ううむ、と爺神さまは唸っている。身体があったら、腕組くらいはしているのかもしれない。
「儂らからすれば、どうにも理から外れているように思われてならんが」
「今ここに住んでる人間の大半が、そういうものを学んで来なかったんすよ。あたしも、家業を継ぐまではそうだったっすから。教えてくれる人も、そういうのを見せてくれる人もいなかった。そのまんま、今の今まで来ちゃったんっすよ。実際自分で何かを商う側に回ったときに、ようやくそれに気づくんっすよね」
隙羅山が見えてきた。『ひまら屋』までは、あと少しだ。
「ここで、これから先も何らかの商いをするってのは難しい。ほんと、そう思うっすよ。だからみんな。どこか異世界で、今の生業を続けたいって。そう思うんっすよね」
「でも、やらなきゃならんのじゃなぁ」
「そうっすね。やらなきゃならないんっすよねぇ」
色んな人が、色んな生業で生きていければいいが。だがそれを決めるのは、個々ではなく世間の側なのだろう。
狭くなったのだろうな。何がかはわからないが、暮子はそう思った。
煙草を消して、欠伸をひとつ。日は沈み、月が顔を覗かせている。今日は朝早くから遠出だったのだ。
相棒を車庫に入れる。エンジン。消灯。
「おやすみ、神様」
「うむ。ご苦労であった」
暮子は車庫を出て、シャッターを下ろす。思うことは様々あるけれども、本日の仕事はおしまい。今日もよく、働いた。
おやすみ、と心のうちでだけもう一度言って、背を向けた。
おやすみを言うことは。ちょっとの間、眠ることだ。
(完)