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飛べないブタ

 ブタが飛んでいる。

 大きなブタだった。今年で十周年になるという郊外型のショッピングモール。その中央部分にあるタワーからちょうど真上に、ゆらゆら揺れながらぷかぷか浮いている。

 確かあのモールのマスコットキャラだっけねえ、と思い出しながら、暮子ぐれこは横目でそれを眺めている。暮子が運転する大型トラック、シンセイT80は田舎とも都会とも一見どっちつかずの街並みをゆるゆると後方へ流してゆく。が、どれだけ走らせようとも、トンでるブタは常に視界の中で揺れている。胸元からぶら下がっている大きな二つの脂肪塊と同じく。

 シンセイのサスペンションは優秀すぎると一時問題にもなったほどだが、それでも乗り心地は、セダン車とは比べ物にならない。人がどれほど手を尽くそうと、揺れるものは揺れるのだ。重さを軽減するため前方半分をハンドルに乗せているからでもあるが。

「ところで娘っ子」

「何すか爺神さま」

 そういえばもう一つ、暮子のシンセイには言及しておくべきことがある。

「……その爺神さまという呼び方は、どうにかならんのか」

「気に入らねえっすか。あたしの名前は暮子です。よろしく」

 暮子のシンセイは、喋るのだ。

「……暮子さんや」

「何すか」

「お主、何やらずーっと、不機嫌ではないか?」

「人のオトコ勝手に寝取ったら普通、並べて撃ち殺されても文句言えないっしょ。神様でよかったっすね」

「仕方ないじゃろ! ああでもせんとわし、消されとったじゃろうが!」

「普通は役割終えたら消えるんすよ! それが神さんの甲斐性ってモンでしょが!」

 あるパソコンに宿っていた爺言葉の神様は、故あって暮子の乗るトラックに移ってきた。もちろん持ち主である暮子の意思を無視してだ。以来、暮子は何とかこのとり憑いた神を消そうと試みたが、現状、未だ果たせないでいる。

 だからここのところ、トラックを走らせる暮子はいつも不機嫌だ。

 声はフロントガラスからぶら下げている交通安全のお守りから届いてくる。神棚をつくってほしいという要求を拒否したら、それをスピーカー代わりにすることに決めたらしい。まったくもって、腹立たしい。

 トロトロ走る前の若葉マークにクラクションを叩きつけ、ちょっぴり乱暴な運転で脇道に入る。シンセイが通れる道は限られているので、ルート選択は重要だ。

「選択を誤るとね。進むことも、戻ることもできなくなるんすよ。大きなモノだったなら、なおさら」

 幅員の狭い道に入り、暮子はやや慎重にハンドルを捌く。大通りから外れたことで、景色に店舗より家屋が目立つようになってきた。

 想いをたくさん受け止めた物体に顕現し、その後不要となった神様を回収して、供養するのが暮子の仕事だ。神様の側が抱える気持ちや心持ちというものも、少なからずわかっている。同情する面がないでもないし、自発的に消えてくれるならその方がいい。

 だから、説得を試みてはいるのだが。

「……わかっとるわい。でもなあ。あのときはなぜじゃか、こうせねばならんような気がしたんじゃ……」

「神さまに勘があるんっすか」

「お主ら人のいう勘と同じもんかどうかわからんが、むしろそういうもんの塊じゃな。勘だけで生きているといってもよい」

「まあ生き生きとはしてるっすね。早く消えればいいのに」

「そのうち神罰が下るぞお主!」

「もう下ってるっすよ。あたしの中では」

 神さまがため息をつく。いや見えたわけではないが、感触だけは伝わってくるのが厄介だ。つきたいのはこっちだ、と思いながらくわえていたナツミカンスピリットをもみ消す。

「大きな胸と心でそろそろ許さんか」

「もう完全に怒らせる気しかないっすよねその言い草」

 いろいろなものを揺らしながら敷地内へと進入してゆく。ブタの浮かぶショッピングモール。ここが今日の目的地だ。

 なかなかに繁盛している、と暮子は感じた。モールを取り巻く周辺部分が自転車で埋まっている。この部分に自転車の列ができているかどうかはひとつのバロメータであるといえる。暮子ら大型車を転がすものにとっては厄介な情景であるともいえるが。

 暮子は一般駐車場でなく、搬出入駐車場でトラックを降りた。

 車体にもたれかかって、真上にあるブタを眺める。

 正確には、ヘリウムガスを詰められた、ビニール製のブタ型バルーン。だった、と言うべきか。

「半分くらい受肉しかけてんなぁ、あれ」

 重量を伴ったムーブを見せるブタの揺れ方が、見るからにバルーンのそれではない。この周辺ではショッピングモールが唯一のランドマークだ。ブタのバルーンが地域の住人にとって一種のシンボル的な存在になっているであろうことは、想像に難くない。

 おそらく、多くの人々が祈ったのだろう。殊に、小さな子どもたちが。

 ブタのデザインも問題だったろうと、暮子は判断する。こうして近くで見るとわかるが、バルーンのブタはデフォルメが甘いというか、中途半端に写実的な面を残していた。端的に言って、あまりかわいらしいものではない。

 信仰を集めたのはひとえに、地域にとっての唯一の目印であったからに他ならない。助けられた住民やドライバーも多いだろう。

 だからこそ、ブタは豚となりかけている。飛べない豚は、とか言っていたのは何の映画だったっけか。

 実際の生き物に似せてつくられた物体に信頼や信仰が集まると、それは肉体を持ちやすい。おそらくはつくられた際に、すでに相当の想いや願いが込められているからだろう。古来より人形が受肉するパターンの伝承は数多く記録されている。そういえばつい先ほども、やたらと肌のきれいな少女を連れ歩いている男性を見かけた。ありゃたぶん、元はヒッタイト工業製の高級ラブドールだろう、と暮子は見当をつけている。

 暮子が直面しているとおり、物体が勝手に喋りだすのも問題だが、こうして受肉しはじめるのも大きな問題だ。殊に今回はものがバルーンであるから、受肉が進みバルーン成分を大きく割り込むと、墜落して大災害に繋がる可能性がある。早めに連絡が『ひまら屋』に来たのは僥倖であったといえた。

 そういう面では、仕事がやりやすい時代になったとは思う。これも、世の中に発生する神様事案が増大し、回収屋がそれなりの市民権を得られてきたおかげだ。昔は神様回収といえば、胡散臭い仕事の代名詞であったのだが。

「困る人が増えることで、助かる人もいる。果たしてどっちがいいのやら」

 それでもやはり、この世に存在しない方がいい仕事というものはある。自分のやっていることも、どちらかといえばそちらの範疇に入るだろう。

 だが現実には。神様は各地で発生し続けているし、それに伴うトラブルも増え続けている。そして暮子は、先代よりも羽振りのいい生活をしていられるし、愛車のカスタマイズやチューンナップもしてゆける。

 誰かが困ると同じぶんだけ、暮子の懐は大きく膨らむ。おしなべて、暮子の仕事は負からはじまる。

 なくて済むなら、それがいい。それでも。

 どうしようかと算段を立てつつ、暮子は事務所へ続く階段を昇った。



「で、なんじゃ。帰ってきたと思ったら手ぶらか」

「ええ、まあ」

 シンセイのドアを閉めながらお守りに向かって答える。

「神化しかけてるのが発覚してから、もう次のシンボルを考えていたそうなんで。それを早く決めてもらって、今のバルーンはすぐに降ろしてもらうようにしたんすよ。今度のは、もっとデフォルメした本物っぽくないのにしてもらうようにも伝えてきたから、とりあえずは大丈夫っしょ」

 発車させながら経緯を説明すると、お守りが黙る。自転車の列を避けながら、国道に向かってハンドルを切る。神様が宿ってから細やかなハンドリングが伝わりやすくなったように感じるのは気のせいだろうか。

「……地に叩き落されたブタは、どうなるんじゃ」

「そういう言い方はやめませんかね」

 同類としては、やはりそこが気になるらしい。

「完全に豚肉になるまで、ここで保管してもらいます」

「豚肉」

「幸い、一階は大型スーパーっすからね。地元の人に、美味しく食べてもらえるのが一番じゃないかと思って」

「美味しく」

 おそらくはそれが一番の返し方だろう。暮子はそう考えたのだ。

「想いを注いだ人たちのとこに、返すんっすよ。どうしようもなかったら引き取るっすけど。返せるなら、そっちの方が、いいっすよね」

「子どもたちは、知ったら泣くのではないか」

「それもまた人生っすね」

 煙草をくわえる。視界の隅で、天空から引きずり降ろされてゆくブタの尻を見る。

「因果な仕事じゃな」

「そうっすね」

「だが、よい仕事をしたと。わしは思うぞ、暮子さんよ」

「そいつはどうも」

 必要あろうが。なかろうが。今与えられた範囲の中で、できることをやるだけだ。

 美味しくなあれ。最後にそう一つ願いをかけてから、暮子はそれを背景に消し去っていった。



(完)


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