表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/4

3

「あ、あの!サーヤです!私の名前、ツクァモーリ=サーヤといいます」


突然、彼女が自らの名を告げた。

サーヤ、ツクァモーリ=サーヤ…、ツクァモーリ…。

俺が訊いたときには答えてくれなかったのに、ダグラスには教えるのか?

小さな怒りと悲しいという感情に苛まれる。


「ダグラスさん、ロイスさん、よろしくお願いします」


彼女がダグラスとロイスの名前を呼んだことで我に返った。

いつの間にか俺から腕を取り戻して、逃げ出していたダグラスだけでなく、ロイスまでもが彼女の名を呼び、彼女に名を呼ばれている。

くそっ!これだから人族は油断がならない!

獣人である俺は、容易く女性の名を口にすることができないというのに…。

はぁ…、仕方がないことだ。

思わずため息を吐いていたら、ぽすぽすと胸の辺りに何かが当たっていることに気付いて、何なんだとそちらを見て固まった。


「隊長さんのお名前をお伺いしても?」


吸い込まれそうな黒い瞳が俺を見ていた。

獣人の俺に名を問うことの意味を解っているのか?

獣人が名を呼ぶのを許すのは親しい者にだけ。名を告げるのは、名を訊ねるのは"あなたと親しい関係になりたい"という意思表示だ。

もっとも、俺は既に彼女に名を告げているが…。

いや、そもそも俺が獣人だと気付いていないのかもしれない。通常の獣人のように耳や尾が俺にはない。俺は先祖帰りといわれる外見的特徴がない種だからな。

先祖帰りは外見的特徴がないから、獣人であると明かしてから相手に呼ばせる名、"警備隊隊長"を伝えるのが当たり前なのに、俺はそれをしなかった。

彼女が、俺が名乗ったことを忘れているなら、何もなかったことにした方がよいのか…?


「あー、ツクァちゃん、隊長はじゅ」


「もう名乗った」


名乗り直しを考えていると、ダグラスが俺が獣人だと彼女に言いそうになったのを遮っていた。


「「「えっ!?」」」


やってしまった、と後悔しても遅い。

名を告げる行為の"親しい"は異性に対しては友人ではなく、恋人を求める意味合いが強い。それを知っているダグラスやロイスが驚くのも当然だろう。

ダグラスたちの反応や俺の体格から、もう彼女も俺が獣人だと解ったはずだ。そして獣人だと明かさずにした名乗り、名を呼ばせようとした不埒な行為に嫌悪を抱くことになる。考え込む様子の彼女から蔑みの言葉が発せられるのを覚悟した。


「ぁ…、セイリオス…さん…?」


彼女の唇が俺の名を象り、耳に響く鈴の音が彼女の声だと解って歓喜に胸が震える。

彼女は花がほころぶように笑う。

俺だけに向けられた黒い瞳に、自分の締まりのない顔が写っていた。だらしなく下がった目尻に緩みきった顔、だらしない顔を見せていたなんて…。

どうする?どうしたらいい?

顔が火照ったように熱くなり、動揺で視線がさ迷う。


「んんっ!ゴホンッ!」


ダグラスが俺の醜態に顔をひきつらせながら「街へ戻ろう」と助け船をだしてくれた。

すまん、助かったと目で礼を言うほどに、今回ばかりは感謝の念が沸いてくる。

否はないと思うが、彼女にもそれでよいか確認をしようと見下ろせば、悲愴に揺れた瞳が伏せられた。


…っ!!


なんで俺はこんな簡単なことも気づかなかったんだ!

俺の胸に添わされている手は肌荒れひとつなく細く、輝く艶を放つ黒髪、白く華奢な体、彼女は恐らく貴族階級に属する人間だろう。あるいは神殿関係かもしれない。

そんな彼女が如何なる理由で森なんかに…?

最初に彼女を見つけたときは恐ろしい事態を考えたが、俺たちのような男が近くにいても意外なほど落ち着いてる。いつの間にか最悪の想像を打ち消していたが、それは間違っていないだろう。

だが、成人しているかも怪しい年齢の少女が、着衣もなく、森で保護されたとなれば、あらぬ噂もたつ。

そうなれば、彼女の将来は暗闇に閉ざされてしまう。


「…っ、…サーヤ嬢」


思わず"ツクァモーリ"と彼女の名を呼びそうになるのを堪え、家名である"サーヤ"と言い直した。

俺は、まだ彼女に名を呼ぶ許しを得ていない。

それでも、彼女を守りたい…。


「セイリオスさ…ん…、私、どう」


「大丈夫だ。心配するな、俺がいる。何があっても、俺が守る。だから、泣くな…」


俺がいる。俺が、俺の全身全霊でお前を守る。

だから泣かないでくれ。

彼女の頬に伝う涙を、彼女の柔らかい肌を傷つけないように慎重に拭う。


「本当に…?」


すがるように訊いてくる彼女に、確りと頷きを返す。


「私、得体の知れない人間、ですよ?」


「名前を知っている。それとも、偽名か…?」


偽名かと問えば直ぐに「違う」と否定してくる。

獣人は己を表す名を大切にする。

だから、それが真実であれば、それでいい。


「なら、セイリオスの名にかけて誓おう。サーヤ嬢、貴女を守ると」


俺の誓いに彼女は戸惑い、俯き、全てを明かすことができないと態度で伝えてくる。

それでも構わない。

いつかは知りたいと思うが、今は俺が貴女を守ることを受け入れて欲しいと、彼女の小さな手に口づけた。





・・・・・・?


何の反応も返さない彼女の顔を覗き込むと、高熱を発したように赤い顔で意識を失った。

熱があったのか!?

触れていた手は熱くは感じなかったが、急に発熱したなら何かの病気かもしれん!


「サーヤ嬢っ!!」


彼女を見つけたときに、さっさと街へ戻ればよかった。

一刻も早く戻らねばっ!


ーゴッ!


腰を浮かしたところで後頭部に衝撃が走り、前のめりに倒れそうになった。


「いったい何してくれてやがるんですか!」


変な敬語で叫びだしたダグラスは、鞘に収めた剣を振り抜いた姿勢でいた。

その剣で俺を殴ったのか?

あぁ?いったい何してくれてんだ?

いや、今それどころじゃねぇんだよ!


「彼女を街へ連れて行く。お前の指導・・は後だ」


急に発熱した彼女を助けることが先だと、再び腰を浮かしかけるとダグラスがまた剣を振り回してきた。その剣を片手で受け止め怒鳴りつけた。


「邪魔をするな!彼女は熱があるんだぞ!!」


ダグラスが両手で押してくる剣を掴み、振り払おうとするが、彼女を抱えていて体勢が悪い。


「誰のせいで、そうなったと思ってんですか!」


「どういう意味だ?」


「隊長がいきなり求愛するからでしょうが!!」


は…?求愛…?

誰が…?誰に…?


「な、にを言っている…?」


何を言われたの理解できず、物理的にも押し問答している間に、ロイスがダグラスの指示で彼女を俺から引き離した。


何をする!

なぜ俺から彼女を奪う!


目の前が赤く染まる怒りにのまれ、ロイスから彼女を取り返すことしか考えられなくなった。ダグラスの剣を弾き飛ばし、ロイスに掴みかかる前に、俺の喉元に短剣が突きつけられていた。


「何のつもりだ?」


短剣ごときでは、俺の喉を貫くことは不可能なことは解っているはずだ。上官に剣を向ける所業は、理由によっては厳罰もあり得る。それを解ってしているのか、と睨み据える。


「ちょっとは落ち着いてくださいよ!誰も隊長の"つがい"を取りませんから!」




俺の"番"だと…?




"番"とは、獣人にとって特別な存在だ。

配偶者、伴侶と呼ばれる者なら互いの合意でそういう関係を得られるが、"番"となれば別物だ。

獣の本能で惹かれる相手。獣人にとって運命の相手とされる"番"に出逢えるのは、広大な砂漠で小さな貝殻を見つけるようものだ。

砂漠で貝殻、つまりは夢物語とされている。


「…いいですか?」


ダグラスは短剣を下げて、子供に言い聞かせるように話しだした。


「彼女は隊長の"番"です」


「それは夢物語だ」


否定する俺に、ダグラスは首を振って続ける。


「いいえ、間違いなく、隊長の"番"ですよ」


「……なぜ断言できる?」


獣人でもないダグラスに、獣人の"番"の何が解るというのだ。馬鹿も休み休み言え、と睨みつければ爆弾発言が飛び出してきた。


「俺は、"番"を得た獣人を知ってます」


「なっ!?」


「俺の知ってる獣人は女性ですけど、彼女は獣人と人との合の子(ハーフ)で、隊長と同じく先祖帰りでした。彼女は"番"を見つけた時のことを、『私だけに判る匂いがある。切ないほどに香る甘い花の匂いだ』と言ってたそうです。"番"を見つけた獣人は、その甘い花の香りで理性が吹っ飛ぶらしいですよ?今の隊長と同じじゃないですか?」


違う。いや、違わない。でも、違う。

だって彼女は人だ。獣人ではない。


「獣人じゃなくたって、彼女は隊長の"番"ですよ。獣人の運命の相手が、獣人だけだなんてことないんです。世の中の人族にも、獣人族にもお互いの血が入り交じってるんですから。それに、俺の知ってる獣人女性の相手も人族でしたよ」


俺の考えを見透かすように言ったダグラスの言葉が、不思議と受け入れられた。ダグラスに諭されるのは、少々、かなり癪ではあるが。


「俺の、"番"…」


声に出すと奇妙な感情が沸き上がる。

嬉しいのに苦しい。

羞恥と憤慨と歓喜、そして苦悶。

これが、愛しい…だろうか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ