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「た、いちょ、ゼェ…ハァ…、速すぎ…。どうした、ゼェ…、んですか?」
濃密な香りに目眩を覚えて足を緩めると、息を切らせた2人が追い付いてきた。
何とか言葉を発するダグラスの問いかけを無視して、俺の腰高まである草を分け入った先に"妖精"がいた。
"妖精"と見紛う少女は、その瞳に涙を浮かべる姿が痛ましく、震える肩を抱き寄せて、その涙を拭ってやりたい思いに駆られる。
幼く見えるのに、白い肌、肩だけでなく、艶かしい脚が露出された姿は少女の中の女を感じさせる。
「っ!隊長、あの子っ!」
「黙れ」
自分でも底冷えする声音でダグラスを黙らせる。ロイスは言われるまでもなく青ざめた顔で言葉をなくしている。
たった1枚の布だけを頼りなげに握りしめ、その姿から導き出される答えに怒りを覚える。
脅える彼女を落ち着かせようと剣を納めて、何も纏っていないに等しい格好を隠すために肩から外套を外して頭から被せた。
「やだっ!やめてっ!何するの!?」
逃げようと抗う彼女に腕を回して、腕が余るほどに細い体を拘束する。
「ちょっ!?隊長、それは動物捕獲の手段!」
ぎょっとした声でダグラスが言う。
煩い!そんなことは解っている!
こんな方法しか思いつかなかった自分が情けない。
「大丈夫だ。もう大丈夫…」
大丈夫だ、もう怖いことはないのだと繰り返し、小さな頭を撫でてやる。しばらくすると、俺の胸に頭を押し付けて大人しくなった。
「落ち着いたか?」
俺の言葉に小さく頷きが返され、気が抜け息を漏らす。
びくっと彼女の体が硬直する。吐いた息ひとつで怖がらせてしまったと自嘲して謝れば、彼女の体から強張りがとれた。
「俺はセイリオス。ここは弱いとはいえ魔獣がでる森だ。…どうして、こんなところに?」
彼女の頭を擦り寄せる仕草に、無意識に名乗っていた。
獣人の名は親しい者にしか呼ばせないのに、初めてあった彼女に俺の名を呼んでほしいと思った。
すり寄る彼女から漂う甘い花の香りが鼻孔を擽り、胸が疼く。
今朝から離れない、あの花の匂いだ。
ここにいる理由を訊ねても彼女からは答えがない。
小さな布1枚しか身に纏っていなかったが、至近距離で見た体には怪我も汚れもなかった。だから、初めに思ったような事態ではないのかもしれないと思った。だが、やはり答えられないようなことが彼女の身に…?
ぶるりと震えた腕の中にいる彼女の身の上を思い、ふつふつと沸き上がるモノに蓋をして、答えられそうな質問に切り替えた。
「名前は、言えるか?」
答えて欲しい。
ただ彼女の名が知りたかっただけなのかもしれない。
気付かれないように花の香りを吸い込み胸に満たす。
「あ、あの!これ、とっていただけませんか?」
得たい答えではなかったが、彼女の鈴が鳴るような可愛らしい声が聞こえた。これ、と言って俺の外套を下から押し上げている手の形がわかる。
可愛らしい小さな手だ。
外套を外して直に見たい、触れたい。
彼女を包んでいる外套をとれば…。
「っ!いや、それは駄目だ!」
外套をとれば、また布切れ1枚だけの姿になってしまう!
見たいが、それはマズイ!
いや、違う。違わないが、違うんだ!
「逃げたりしないんで、お願いします!」
逃げる?
この腕から離したくない。
逃がすものか。
いや、そうじゃない、違う。
俺はいったい何を考えているんだ…。
「いや、そういうわけでは…。その、あれだ…。外套をとると、その、なんだ…。服が、だな…」
俺の馬鹿な考えが彼女にバレないかと内心焦り、歯切れの悪い言葉で彼女に服がないことを伝えた。自分の格好を思い出したのか、慌てて顔だけ出したいと言ってきた。
残念なような、ほっとしたような…、俺は最低な男だ。
顔だけが出せるように慎重に外套をずらそうとして、躊躇う俺がいた。俺の顔を見ると女子供は卒倒するか、泣くか、ましな方でも怖がって口が聞けなくなる。
彼女に怖がられたくない。
嫌がられたくない。
結果、俺がとった行動は、俺の顔を見せない、だった。
「はぁ〜。ありがとうございま…す…?」
なぜ疑問形になった?
いや、当然といえば当然だろう。
俺は疵痕が見えないように、彼女から顔を完全に背けてしまっているのだから。彼女は困ったふうに下を向いてしまったのが気配でわかる。
さっきはしっかりと顔を見る前に外套を被せてしまった。
怖がられてはいなさそうだが…。
どんな表情をしている?
名を教えてくれないだろうか?
顔も見れずにいるくせに図々しい想いだけが沸く。
悶々とする俺を引き戻すのは彼女の小さな声だった。
「…あのぉ?」
「何だ?」
失敗した。せっかく話しかけてきたのに、ぶっきらぼうな言い方をしてしまった。問い返しても返事がなく、彼女はきょろきょろと辺りを見回しだした。視界の端で揺れる黒髪が艶やかで美しいのに、動きが小動物っぽくて可愛い。
彼女の動きがある一点、俺たちが来た方向、つまりダグラスとロイスを見て彼女の動きが止まった。
そして、ふわりと笑ったのが解った。
泣き顔ではなく、俺も笑顔が見たいと思っていたのに、どうして彼奴らが彼女の笑顔を見ているのだ。
ムッとする感情のままに腕に力が入ってしまった。笑った顔を見たい、と衝動的に見下ろせば、彼女が俺を上目遣いで見ていた。
髪と同じ黒い瞳は大きく見開かれ、吸い込まれそうになる。食い入るように見ていると、彼女の眉が下がり泣きそうな顔を目の当たりにした。潤む黒い瞳、紅潮する頬、必死に涙を堪えている姿に、あらぬ錯覚をする。
本当に、俺は何をしているんだ。
彼女の潤んだ瞳が情欲を誘っているなんて、女に言い寄られたこともない馬鹿な男の勘違いも甚だしい。
俺の恐ろしい顔など見たくも、話したくもないと思っているだけなんだ。
俺なんかより、親しみやすい彼奴らに任せた方がいい。
恐ろしさに硬直して動けなくなったのだろう、俺と目があっても気丈に耐えている彼女の視線から逃げた。
「…すまん。俺の顔は、声も出せないほど恐ろしいだろう。話はあっちの2人が訊かせてもらおう」
離したくないと拒絶する腕を意志の力で抑えつけて、そっと彼女から距離をとり、立ち上がると「待って!」とズボンの裾が引っ張られた。
追い縋られたようで心臓が跳ね上がる。
掴まれた力は弱々しく、一歩踏み出せば振り払うのは容易だ。振り替えって抱き締めたい欲望を捩じ伏せ、離れようとした時に、バサリと何かが落ちる音がした。
「…っ!!」
彼女に掛けていた外套が落ちたのだ。
落ちたのは外套だけだったが、それでも白い肌を他の奴の眼に触れさせてなるものか!
ダグラスたちと彼女の間に壁になるように体を移動させ、落ちた外套を再び彼女の頭から被せて覆い隠した。
目に飛び込んできた、頼りない布1枚でその身を隠す様が扇情的で、抱き寄せた細い体を力加減を間違えて手折ってしまいそうだった。
「馬鹿野郎っ!」
「ぴゃっ!?」
思わず怒鳴ってしまった。
ぴゃってなんだ?なんの鳴き声だ?
遅れて彼女の声かと判って、そんな声すらも可愛らしい。
「グルゥ…お前ら、見たか?」
華奢な彼女を俺の体で覆い隠し、2人に彼女の肢体を見たかと問うていた。唸り声がでたのは仕方がない。
ギリリと睨むと回れ右をした2人から返事がある。
「「いいえ!何も見てません!」」
いや、絶対見えていただろうが。
あとで殺す。死なない程度に殺す。
ぽすぽすと可愛らしい音をたてて、俺の腹を押してくる何かがいる。彼女しかいないのだが。
お前が一番間近で見ただろうという怒りなのか、彼奴らを殺すと決めたことへの抗議なのだろうか?
さっきは行くなと服を掴んできたのに、抵抗しているつもりなのか?
離すものかと少しだけ腕に力を入れる。
「うぐぅ…、し、ぬ…」
力なく聞こえた彼女の言葉に血の気が引く。
死ぬ?外傷はなかったはずだ。
なぜ死ぬなんて…、毒か!?
気付かなかった。
毒物の臭いなど感知しなかったが、彼女の甘い香りに気を取られて嗅ぎ落としていたのか!?
なんということだ!すぐに解毒剤を!
ああ、持ち合わせていない!
ダグラスの奴、どうして携帯食料だけだったんだ!
街に戻って医師にみせねば!
腕の中の彼女はぐったりとして動かなくなった。
くっ!間に合うか!?
彼女を抱き上げ、ダグラスとロイスに街に戻ると叫んだ。
「どうしたんですか!?」
「急にぐったりして動かなくなった!恐らく毒だ!」
「「え…!?」」
声を揃えて間抜けな顔をする2人に苛立ち、ギリリと全身に力が入った。
「ちょっ!隊長絞めすぎっ!抱き潰す気ですか!?」
抱き潰すだと?
この非常時になんと卑猥なことを言う奴だ!
彼女を助けた後には、ダグラス覚悟しておけ!!
「ヒィッ…!」
「ダグさんの馬鹿!隊長、違いますよっ!そんだけ力入れてたら、その子折れちゃいますよっ!腕を離してください!!」
ロイスに腕を引っ張られ、危うく落としそうになった彼女を膝をついて抱え直した。彼女が力なく弱ってしまったのは、俺が締めつけすぎていたせいだと言われ、慎重に慎重を重ねて抱えた。
ぐったりしていた彼女の吐息と、羽のように軽い頭がすり寄ってくる。苦しそうな呼吸はしていないか、体に震えは生じてないか、神経を集中させていると彼女が身を捩るように動いた。
もうこのまま街へ向かうと彼女に言うと、先程とは違った勢いで嫌だと言い出した。
「息が苦しいんです!暗いの怖いの!見えないのイヤなんです!」
俺に抱えられるのが嫌なのかと、ダグラスやロイスならよいのかと、チリリと胸の妬ける想いがしたが、荒い息と咳き込む彼女の様子に慌てて頭から外套を外した。
外套を外すときに、彼女の注意をひくようロイスに目配せする。ロイスが話しかけると、はにかみながら彼女は礼を返した。
おい、なに真っ赤になっているロイス。「うぁ…可愛い」とか言って必要以上に彼女に顔を寄せるんじゃねぇ!
俺が目線でロイスの動きを制すると、ダグラスが後を引き継ぐように彼女に話しかけた。
「うちの隊長、力加減をしらなくて悪いねぇ」
また彼女が微笑んだ。
「おぉ!天使の微笑みっ!」
そう言って色目を使うとは、どういう了見だダグラス。
お前のような女ったらしが彼女に相応しいわけがないだろうが!
だが、今の状況では庇護対象者を落ち着かせるのはダグラスが適任だろう。俺では相手を畏縮させてしまう。
苦渋の選択とはこういうことをいうのか…。
「あー、隊長。彼女の名前はなんていうんですか?」
「…しらん」
まだ聞かせてもらってない。
彼女をこそりと盗み見て、知っていても誰がダグラスなんぞに教えてやるものか、と投げやりに答えた。
「あぁ〜、泣かないで?怒ってるんじゃないから、ね?隊長、ちょっと乱暴で残念なだけだから!」
彼女が泣いた?なぜ?
今さっき盗み見た彼女は特に問題ないと思ったのに、やはり俺のせいなのか?
そして、ダグラス、さらりと俺を貶めるようなことを言いやがったな?
「ダグ、貴様…」
俺を無視してダグラスは彼女に話しかける。
「俺はダグラスっていうの。こっちのがロイスね。で、お嬢さんのお名前は?」
俺を無視するとは、いい度胸だ。
しかも、なぜ彼女の髪に触れている?
彼女の黒髪に他の男の指が絡むのが腹立たしくて、彼女に触れるダグラスの腕を掴んでいた。
ダグラスが「痛い」と泣きを入れてくるが許さん。