狸、再び。
彼女に案内され、彼女の住む家へと辿り着いた。
そして、今現在、彼女の部屋の中にいるわけで……。
「……ええっと、絵利奈?何から話したらいいか……」
現状を把握するに、ここが自分の知る世界じゃない事は間違いない。
あんな犬モドキも、街並みも見たことがないんだから。
だからって、「僕、異世界から来たんだっ!」なんていきなり言い出す奴がいたら直ぐ様、病院を進められるんじゃないだろうか?
というか、僕ならそうする。
……でも、そうなると目の前にいる幼馴染みそっくりなこの娘は一体どういう事なのだろうか……。
「エリーナです。いえ、いいんです、ちゃんと全部分かっていますよ」
エリーナは諭すように微笑みながら僕に言った。
開け放たれた窓から吹く風が、彼女の髪を靡かせる。
「貴方が、何処か遠く……。
いいえ、この世界とは違う異世界から来られたという事は分かっているんです」
今、まさにどのように説明しようかと頭を悩ませていた事柄を言い当てられてしまった事に、僕は驚愕する。
「貴方は、私にとっての救世主なんです。お名前を教えて頂けますか?」
微笑みを崩す事なく、彼女は言う。
「……渡良瀬、浩一……です」
「コウイチさんですね。宜しくお願いします」
そう言って、彼女に手を取られ握手を交わす。
「ちょ、ちょっと待ってよ! どういう事なのか最初から説明してくれ!」
頭の整理が追いつかない。
気が付けば魔物に襲われて、そこを助けられ、訳の分からぬままに街へと連れてこられて……挙げ句の果てには救世主と言われる。
僕は、ただ、幼馴染みとの関係をやり直したかっただけなのだ。誰も冒険活劇なんて望んじゃいない。
……正直に言えば、そんな事に憧れた時期があったのは否定しない。
誰だって、子供の頃には自分がヒーローになる夢の一つや二つ空想した事はあるだろう。
僕も、その大多数の子供達と同じようにヒーローに憧れを持った少年の一人だった。
だが、しかし、今そんなものはお呼びでないのだ。
僕が最も欲しかったのは日常線上の先にある幼馴染みとの関係だったのだから。
「――つまり、コウイチさんは私と共に……」
彼女が話し始めた時、家の何処かで、ギィと扉が開く音が聞こえてきた。
ピクリと彼女、エリーナの表情が強張る。
「……少し、お待ち下さい」
彼女は小声でそう言うと、扉へと静かに歩いて行った。
慎重に、扉を開き外へと顔を覗かせる。
突如に、張り詰めた空気に僕も身構えようとすると、彼女が此方を向き、手だけで動かないように合図を送る。
緊張感が走る。
彼女が半身を扉から出した、その時、
「エリーナー、帰ってきてるのー?」
「はーい、今友達きてるからー」
そんな声が聞こえてくると共にエリーナが返事を返した。
そして、そのまま部屋を出ていくエリーナ。
え?
何それ?
ええー?
何を勿体ぶって普通の会話を繰り広げてくれちゃってんの?
緊張感って何?
っていうか、結局何一つ分かってねぇよ。
謎が増えるばっかだよ。
僕は、一人残された部屋の中で頭を抱えたくなった。
「よっ、と」
開け放たれた窓からそんな声が聞こえる。
「やぁ、やっと二人っきりで話せるよ」
そこには、俺がここに来る前、あの住宅街の中で見たこの全ての出来事の原因であろう、
「まだ名前も言ってなかったね。うん、そうだな、ミミル……ミーミル……」
狸の姿があった。
「ボクの事は『ミミル』って呼んでよ」
◇
「さて、多分もう気が付いているとは思うけど……」
そんな口振りで自分の事を『ミミル』と言った狸は話し始めた。
「平行世界って分かるかな?俗に言う、隣り合わせの世界」
「パラレルワールドってやつだろ?」
僕が狸の話に相槌しながら言う。
「そう、ここがそのキミの住んでいた世界の隣――」
しかし、『隣り合わせ』なんて言うわりには、あまりにも違い過ぎてはいないだろうか?
パラレルワールドの定義としてよく聞く『可能性』の問題だったとしてもあの犬モドキや、街の様子は掛け離れ過ぎている。
そんな『可能性』の転がっているような世界に僕は住んでいただろうか?
「――から、斜め上に結構離れた世界。それがここさ」
「それ完全に異世界じゃねぇか!」
そりゃ色々違うだろうよ!
なんで平行世界の話を一回挟んだんだよ!
「僕は幼馴染みとの関係をやり直したいだけなんだ! 誰が異世界冒険させてくれっつった!?」
「まぁまぁ、落ち着いて……」
狸が前足で僕を宥めるようにしながら言う。
「いやさ、本当はちゃんとキミの望み通りの世界に送る予定だったんだよ?」
ただ少し問題が起きてね。と狸は呟く。
「なんだよ問題って」
「どうやって説明すればいいかな……」
そう言いながら狸が首を傾げた。
「……手が滑ったというか、余所見していたというか……」
「人為的なミスかよっ!?」
そんな理由で、こっちは飛ばされて早々に犬モドキに殺されかけるとか洒落にならんぞ、本気で。
「……まさか、これで『願い事は叶えた』なんてふざけた事言うつもりじゃ……」
「あ、そこは大丈夫。ちゃんとキミの願う通りになるまでサポートするから。アフターフォローまでしっかりね」
胸を張って狸が言った。
「ただちょっと、直ぐにって訳にはいかないんだ……」
この狸が言うには、世界移動する為にはそれなりに時間というか、エネルギーが必要になるらしい。
どれぐらい掛かるのかと聞くと二、三日あれば次の移動が可能なのだとか……。
僕にはそれが早いのか遅いのか判断がつかない。
それと、移動出来るのは異世界や平行世界だけでは無く、過去現在未来と時間的な事も問題がないとのこと。
因果律がどうのこうの……聞いた所でよく分からなかった。
何よりも、僕の一番の望みである幼馴染みと喧嘩別れしたあの日あの時に戻れるのかと聞いたら、ちゃんと可能なのだとか……。
どうしたところで、数日の間はこの世界に留まらなくてはならなくなった。
「それで、この世界はなんなんだ?何か知っているのか?」
「もう目にしてきただろうけど、この世界には魔物……キミに分かりやすくいうと『モンスター』だね。その存在があり、そして、それに対抗する為の手段もまた存在している」
ゲームや漫画によくある、『剣と魔法』という事だろうか?
「お試し感覚でこの世界を楽しんでみたらいいんじゃないかな?二泊三日って感じで」
「そんな異世界を旅行感覚みたいに言うなっ!」
「それに、キミの幼馴染みだっけ? そっくりな人がいたじゃない。
……半分ぐらいは願い叶いそうだし、いっそこの世界でいいんじゃない?」
「何勝手に妥協させようとしてんだよっ!!」
ちょっと面倒臭くなったって顔してんじゃねぇぞ、このクソ狸。
諸悪の権化たるクソ狸を捕まえようと手を伸ばし、それをスルリと逃げられた先には……幼馴染みの代用品扱いされたエリーナがお盆を持って立っていた。