第四話
パッカ、パッカ、パッカ、パッカ……。
……? 何だろう……。
規則的に何かで地面を打つ音と振動が意識の遠くから伝わってくる……。
パッカ、パッカ、パッカ、パッカ……。
意識は未だぼんやりとしているが、先ほどからなにやら後頭部に柔らかな温かみも感じる。
体が鉛のように重く、まるで体から大量の血が喪失しているかのような気だるさに、何か嫌な記憶を思い出そうになるが、ふわっとしてそれでいてモチっと、後頭部をやさしく押し返す謎の弾力と温もりの前に、そんな思考が霧散していく。
俺は天国にでも来てしまったのだろうか……。でなければこんなに気持ちのいい温かさを体験できるはずが無い……。
天国? その言葉から脳裏に何かがぼんやり浮かび上がる。
……天国……天国は遠いところ……しかも日常とは異なった世界…………異なった? ……つまり異世k……うっ、頭が……。
再び嫌な記憶を思い出しそうになり、思考が強制的にシャットダウンされる。
そうだ……、今はただこの温もりに身を任せればいい。なんかいい香りもするし……。
クンカクンカ…………デュフッ、デュフフッ……。
聞いた者が須らく嫌悪を感じる様な笑い声が漏れる。
「うわっ、なんか気持ち悪い声出して笑ってる……。ねぇリーザ、やっぱりそんなやつ放って置くか、ロープで縛り付けて馬車の後ろを引きずっておけばよかったんじゃない?」
聞き慣れない女の子の声が耳に飛び込んで来る。
「えっ!? だってあのままじゃ死んじゃうかも知れなかったし……」
この声は……なんだか聞き覚えがあるような気がする。
とりあえず分かったのは、どうやら俺は天に召されたのではないらしいということだ。
そうして俺はまた二人の会話に耳を傾ける。
「だから、あの時私の言う通り地面に穴掘って埋めとけばよかったのよ。そうすれば、どっちにしても結果は同じになるし」
うん、誰だか知らんがこいつは敵だ。間違いない!
「しかも膝枕までしてやるなんて……正気とは思えないわね。リーザの取り巻きが見たら、次の日にはそいつ、この世から消されてるわよ」
同じ天国でも、えらい違いだね!
ん? 膝枕!? もしかして今俺はリーザなる人物に膝枕されているのか!?
うおぉぉっ、生きているうちに天国を体験できるなんて!
リーザなる人物は神だ、間違いない! ビバリーザ! ビバ異世界!!
……ん? 異世界? あっ!……。
不意に今までの経緯を思い出す。そういえば神様から嫁を探して来いと、実家の神社からこの世界に飛ばされて来たんだった。段々あの時のことが色々思い出されてきて、腹が立ってきた。あのエロ神め、覚えてろよ……。
そんなことを考えていると、リーザと呼ばれた方がもう一方を嗜める。
「それはさすがに酷いわよ、エステア。それに頭からすごい量の血を流してたから、そのまま馬車の床に置くと危ないし」
「はいはい。リーザは本当お人好しね。でもそんなんじゃいつか痛い目見るわよ」
「痛い目って?」
「そ、それは……、た、例えばそいつに無理やり乱暴されたりとか……」
「もう、だから大丈夫だって! それにそんなことしてきたら魔法で粉々にしてやるわよ」
「まあ、確かにあんたならやりかねないわね……」
粉々は勘弁してほしいな……。まあ、俺に女の子を襲う度胸なんて無いがな!
後、今になって気付いたけど、このリーザって子の声は俺をモンスターから救ってくれた子の声だな……。
詳しくは分からないが、俺はどうも馬車に乗っていて、そこでリーザに膝枕をしてもらっているらしい。
しかも、今確かに魔法って言ったよな! やっぱり魔法はあったんだ!
まだ俺の大魔術師への道は閉ざされていなかった!! これで勝てる!
いや、何に勝つのか? とか突っ込まれても困るが……。
浮かれていた俺は、今この時になってある問題に気付いた。
目を覚ますタイミングを完全に逸しているのだ。意識がはっきりした今、実はずっと起きていたことを悟られないよう自然に起きられる気がしない。
実は起きていて、膝枕の感触を楽しんでいたなんてことがばれたら、魔法で粉々にされてしまう。それはなんとしても避けたい。
しかも、今はどうやら仰向けに寝かされているので、このまま目を開けると高確率でリーザと目が合ってしまう。ばれる確率も高そうだし、どうにかしないと……。
ここで俺の灰色の脳細胞は解決策と共に悪魔の誘いを囁いてくる。
《幸太、お前に良いことを教えてやろう。寝返りをうつフリをして、リーザのほうに向き直り、そのまま顔を埋めるのだ。さすれば疑われることもなく、幸福が与えられるだろう……》
《早く桃源郷に顔を埋めちゃえよ。こんなチャンスもう無いかもしれないぞ!》
《おおっ、幸太よ、クンカクンカできないとは情けない》
おいおい、俺の脳内の悪魔は一体何人いるんだ!? しかも天使は一人もいねぇのかよ!? しかしとても魅力的な案だ……。
俺は反対意見の無い脳内裁判により、悪魔の提案を受け入れることにする。……だって、仕方ないだろ! 俺だって男の子だもん。
それに、この機を逃すともう一生こんな好機には巡り合えないような気がする。そう、だから仕方ないんだ!
「あれっ? この子、凛だっけ? やっぱり飼い主の側にいたいんだね」
俺が鉄の意志を持って最下層の下種な行為を遂行しようとした時、不意にリーザの声が上がった。
そうか、やはりあの血も涙もない凛も俺のことが心配なんだな。
なかなか可愛い所もあるじゃないか! まあ謝るのなら許してやらないことも無いよ!
顔の近くまでやってきた気配を感じていると、耳元で俺にしか聞こえないぐらいのボソリとした声が聞こえてきた。
「邪な電波をキャッチした。死刑執行。」
ザクッ!
「ぎゃあぁぁぁぁっ」
俺の額に鋭利な何かが突き刺ささり、俺は飛び起きる。
そしてさっきまで自分がいた所を見ると、鴉の凛が済ました顔でそこにいた。
「だ、大丈夫……?」
驚いて固まっているリーザと目が合う。
「ひゃ、ひゃい」
想定外の展開に頭がついていかず、相変わらず間抜けな反応を返してしまう。
「……」
「……」
起きていた事には気付かれずに済んだものの、気まずい沈黙が流れる……。
おのれっクソガラス! 一度ならず二度までも……!
必ずや焼き鳥にしてやるからな! 覚えていろ!!