第七階層
俺は、今から種族変えするのだという期待と共に水晶へと意識を集中させる。
スライムになったばかりではあるが長く付き合って来た様な感覚もあり、相応の愛着すら湧いて来ている程だ。
確かに弱い種族だが、種族の価値というものは強さだけではないはずだ。
スライムの有用性を考えながらも、俺の意識の中へ水晶の効果だろうか何かが流れ込んでくるのを感じる。
なるほど、今の段階でなれる種族の名前が意識の中に浮かび上がってくる様に分かる。
それにしても水晶の反応が遅いのか?
今見えている名前以外、なかなか他種族の名前が浮かび上がってこない。
しばらく待っても反応が無いので諦める。
途中で薄々気付いてはいたのだ。
反応が遅いのではなく、これで全て出揃っているという事は。
結局浮かび上がって来た名前はこの種族のみ。
つまり今の俺がなる事の出来る種族がこの一種類のみだと言う事。
──『ゴブリン』だ。
何だこの選択肢の無さは、嫌がらせかよ!
せめて『どの種族になる?』ってレベルで頼みたかったんだがな。
これじゃあ『ゴブリンになるか?』だろ。
そうなるともう種族変えじゃなくてゴブリン化の間違いだろうが。
まあとりあえず今の段階では成長が足りないだけだろう。
第五階層の男を倒して吸収したとは言え、流石に数が少な過ぎる。
もう少し粘ってから種族変えした方が良いだろう。
確かに同じ雑魚とは言え、腕も足もあるゴブリンの方が良いかも知れないが(主に移動速度で)、第五階層で討ち取った男の成長分をゴブリンに使うかどうかと聞かれたら、現状のスライムという道を選ぶ。
それにゴブリンになればダンジョン内でぶち殺されないかと言うと、苛立って居るコボルト相手に瞬殺される程度なのでスライムと比べても気持ち安全かと言ったところか。
いや、見た目的に考えても歯牙にかける気も起きないスライムの方が余計な争いを生まないのではないか。
とりあえず危険度はあまり改善されない様だ。
今はスライムの戦い方も分かって、少し成長しているが、よく考えればここでゴブリンになった場合、何も分からず初期状態の弱さでダンジョンを歩かなければならないのか。
それとも種族変えをする事で成長は引き継がれるのか?
後でエイカオーネに聞いてやろう。
教えてくれなければ拷問するしかない。
ああいや、相手はエルフだ。逆に殺される。
俺がもっと強くなったら覚えていろよエルフめ。
ともかくゴブリンは無いな。
種族変えに必要な成長度も宝箱開けて死んだあいつだけじゃ足りないのは分かった。
今はスライムのまま、もう少しなんとか頑張るしかない。
考えをまとめて水晶から意識を離す俺。
水晶を渡した時と同じ場所で立っている金髪のエルフ、エイカオーネ。
俺はとりあえずの役目を終えた水晶をエイカオーネに渡すと、彼女の方から喋りかけてきた。
「スライムのままで居る事にしたのですか?」
『ぐっ、雑魚種族しか選択肢がなかったから保留にした……』
「そ、そうでしたか」
『下手に弱い種族になってしまうと慣れない体でダンジョンを歩く事になって危険だからな』
「そこまでお考えになっていたのですね」
『それより聞きたい事がある』
「はい、なんでしょう?」
『種族変えした後は今までの成長だとか強さはどうなるんだ?』
「種族変えを行うと、その時に溜めていた成長度は失います。ですが種族変えを行う度に、魔力や力など各能力も強くなっていく様です」
『おお強くなるのか』
「種族変えの補正として例えば同じスライムで、普通に生まれたスライムよりも種族変えでスライムになった方が、両者共まだ成長していない状態で比べても、種族変えを行ったスライムの方が最初から能力面で優れている様です。更に両者が同じ経験を積んだ場合、成長率にも補正がかかっているので、能力の伸びも違ってくる様です」
『なるほど……さっき俺がゴブリンになっていたら普通のゴブリンより基本スペックも能力の上がり方も違うって訳だな』
「えっと、はい、そういう事になります」
『ん? どうかしたのか?』
「いえ……失礼ですが、スライムなので今の話を理解するのは難しいのではと思っておりました」
『んなっ!?』
こ、このエルフ親切に教えてくれたから良い奴だとばかり思っていたがやはり俺の敵だな。
たしかにスライムは弱いが、それは侮り過ぎというものだ。
いつかスライムを舐めまくったその発言、後悔させてやるからな。
『このエルフめ……』
「あ、あの、マルムエルフです……」
『いいかエイカオーネ!!』
「はひっ!!」
『スライムを笑う奴はスライムに泣くのだ!』
「はい!」
『と言う訳でいつかスライムに殺されない様に気をつけるんだな』
「……は、はい」
エイカオーネは自らの死期を悟ったのか言葉に詰まり、一寸置いて悲しそうな顔をしたまま返事をした。
どうやらやっとスライムの怖さを知った様だな。
これだから田舎者のエルフは困るのだ。
『それで質問の続きだが、一度の種族変えでスライムになった奴と、幾度も種族変えを繰り返した末にスライムになった奴は違いがあるのか?』
先程の説明を聞いた時に思ったがこれは気になる。
一度の種族変えで一気に大物の種族になるよりも、種族変えを繰り返した方が強くなると言うのならば話が違ってくる。
出来るだけ成長度を溜めてからなるべく強い種族に種族変えをするのが良いと思っていたが、これなら今のゴブリン化さえ抜け出せばさっさとスライムから脱出できそうだ。
「はいあります。種族変えを行い補正が増えて更に種族変えを行えば、今までの補正に今回の種族変えによる補正が加わりますので、繰り返せばそれだけ補正も上がっていきます。また、どの種族を経て来たかでも変わって来ます」
『と言うと?』
「魔物の種族によっては、魔力が強いものや力の強いもの、動きの速いもの等、色々な特徴があると思いますが、その能力に応じて力の強い魔物に種族変えした場合は、それ以降の種族変えで力の補正が多く増えますし、他にも能力の補正だけでなく特徴なども引き継がれる様です」
『種族変えってやばくないか……?』
「使い方によっては大変な存在になると思います」
『なんで他の魔物共が使わないのか分からんな』
「種族変えをしようとするあなたの気持ちも分かりませんが、種族変えを行いたくない方の気持ちも私とは違うのでしょう」
『したくない派とは言え、やっぱりエルフは魔物と考え方が違うのか?』
「マルムエルフですが少し違うと思います……それにマルムエルフでは種族変えが出来ませんので」
『なるほどな、とりあえず元の部屋に戻ろうか』
「そうですね」
さて、当面の予定は決まった。
種族変えで他の選択肢が現れてくれる程度の成長を目指す、つまり狩りだ。
今はエイカオーネに聞きたい事も特に無い、何かあればまた第七階層のこの部屋まで来れば良い。
情報屋に連れて来られた元の部屋に戻って来た俺達。
『それじゃあ俺はまともな種族になれる様にちょっと行って鍛えてくる』
「はい、分かりました」
『さくっと成長してまた来るが、ここに来て名前を呼べば良いんだな?』
「私が居ない場合はそうして下さい」
『わかった、じゃあな』
「どうかお気をつけて」
軽く別れを交わして部屋から出る。
狩りとは言ってもここは第七階層だろ?
ここで獲物を探すのは流石に無理がある。
いくら第五階層の馬鹿を吹っ飛ばしたからといってそんなに成長してはくれないのが現実。
とりあえずは無難な第一階層や外の魔物を狩ろうじゃないか。
そこに行くまではいつも通り裏道や隠し通路を使うとしよう。
ただ移動するだけでは時間が勿体無い。
今から戦う訳だから、少しスライムなりに戦い方というのを考えながら移動するべきだろう。
俺にも武器が使えたら良いのに。
まあ剣なら一応持てるだろう。
柄の部分を自分の体に取り込んで振るえば良い。
一振りした後そのまま剣に振り回される形になりそうだが。
却下だ却下。
そうなるとやはり硬化を使った打撃だよな。
やっぱり刺殺斬殺の方が良い感じに狩れると思うけど仕方ない。
待てよ?
変形で丸い腕を作るのではなく鋭い棘や、剣の様に薄い形状でその部分を硬化すればどうなる?
物は試しだやってやろう。
『……』
どちらも試してみたが棘の方はいつも作る腕よりも少し細いかと言う程度、剣の方は気持ち平たく伸びたか? 程度の残念な結果。
流石スライム、もうこのぐらいは予想の範囲内だ。
成長すれば複雑な形にもなれると言っていたか。
まさか棘の様に細く伸ばすだけですら複雑って区分に入るとはな。
硬化、硬化はどうだ?
いつもは腕を伸ばした先だけ硬化してるが、どの部分でも出来る筈。
ならば硬化させる範囲はどうだろう。
これも早速試してみるか。
『はっ!』
こっちはなかなか好成績。
七、八割は硬化出来た。
これなら相手の攻撃を受け止める時に、斬撃ならその周辺を余裕を持って硬化させれば、安全に防げるはずだ。
他にも色々試しつつ、順調にダンジョン内を進んでいく俺。
第一階層まで進み、魔物の通りも少ない通路。
前方に一匹ゴブリンが居るではないか。
これはなんとも好機かな。
もちろん倒して喰ってやろう、薬草ならばまだ残っている。
倒せなくても問題ない。
これは先程気付いたが、何も障害物を越える時だけ跳ねる事も無い。
普通の移動でも跳ねて動けばゴブリン相手に隠し通路まで逃げる速度にしては充分だ。
こちらへ歩いてくるゴブリン。
もちろん敵意はないゴブリン。
これから俺が喰うゴブリン。
さあ、遂に俺と擦れ違ったぞ。
半身程通り過ぎたかと言うタイミングで、左から伸ばし硬化させた腕と共に、体をゴブリンの居る右側へ回転させた。
右隣でただ明後日の方を向いて進むゴブリン。
俺の旋回させた体と共に、左で硬化させた腕が横薙ぎにゴブリンの後頭部へと吸い込まれる。
腕に軽い衝撃が伝わり、ゴブリンの小さな身をその身長三つ分前へ打ち出した。
後頭部をいきなり硬化した腕で殴られたゴブリンは、頭から床へ滑り込み、衝撃で急には起き上がれないのか少しずつ腕の力を床へと注ぐ。
もちろん俺が見逃すはずも無く、既に高々と振り上げた俺の攻撃手段。
未だゆっくり起き上がろうとしているゴブリンの頭へ、硬化させた腕を一気に振り下ろす。
頭部を伝い、床へ響く軽い震動でなんとなく倒せた事を感じた。
『いやなかなか上手くいったものだ』
勝利の味を楽しみつつも、倒れたゴブリンを吸収──喰っていく俺。
ゴブリン一匹ぐらいなら不意討ちで余裕だな。
だけど今は外へ向かおう。
魔物があまり来ない通路で獲物を待つのも良いが、やっぱり時間がかかり過ぎるのは頂けない。
スライムの情報屋と話してから、ダンジョンに入るときは暗かった夜の森が、もう薄明るくなって来ている。
もう朝か、さてさてスライム二日目も頑張ろうか。
ダンジョンを出てこの道を真っ直ぐ行くと多分人間と遇うだろう。
今は当然避けるべく情報屋の居る木の根がある方、つまりダンジョンから出て左側の木々へ突っ込んでいく。
たしか昨日の話では、スライム君と昼に木の根で待ち合わせだったか。
少し記憶が頼りない気もするが、その時はその時だろう。
戦闘経験の豊富なスライムを紹介してくれるんだったよな。
スライムの可能性というものを俺に見せてくれるはず、楽しみだ。
待ち合わせは昼だ。そして今は朝。
ふむ、森で少し鍛えるか。
数分、森を歩いているとダンジョンでは見ない茶色いもふもふが居た。
恐らくあれはアウリムラビットだ。
小さな体を覆う程の大きな耳が特徴の兎。
その耳は端が薄くなっているのだが、奴らは耳の部分を硬化させる事が出来る。
先程俺が断念した自分の体を剣の様に用いる技を使える。
許せん。兎狩りを始めよう。
だが慌てるな、あそこに居るのは二匹だ。
一対二なんてハイリスクは望んでない。
俺は正々堂々と一対一で戦いたいんだよまったく。
そういう訳もあり一匹で俺に殺されたがってる奴を探そうか。
森の中を散策し、今日の献立アウリムラビット一匹を発見。
ついでに薬草を見つけたので採取しておいた。
とりあえず何気ない感じで近づいてみる。
スライムだから無視されているのか、同じ魔物だから警戒されていないのか。
動こうとしないのでそのまま少し観賞する事に。
なんだこいつ、可愛いじゃないか。
茶色い毛はふさふさして、お尻の方もまんまるだ。
それを覆う様な大きな耳はひくひく動いて可愛さを際立たせる。
スライム唯一絶対要素と考えていた可愛さが目の前の兎に蹂躙されている。
『くそおおおおおおお!!』
理性が弾け失せる前になんとかしなくては。
目の前の兎とは逆方向から腕を目一杯伸ばして硬化する。
俺がスライムであるが為、理性が攻撃されている。
俺がスライムであるが為、敵に迫る死を気取らせない。
良い事なのか悪いことなのか。
とにかく今は、伸ばした腕を縦に思い切り振る。
ゴブリンの頭に振り下ろした時と比べれば、衝撃は衝撃と呼べるのかも疑わしい程、音は更に鈍い。
しかし確かにめり込んだ。
腕を戻すと兎は即座に間合いを取った。
こちらを向いて構えるも、なかなかダメージを与える事が出来た様だ。
今の兎の体勢は、こちらを向いて威嚇するも足は片方地面に着いたり離したりと小刻みに動かされている。
真上からの打撃が当たって足が逝ったのか謎の行動だ。
構うことは無い、動こうとしないアウリムラビットへ跳ねて近づき、硬化させた腕で一気に横から殴る。
キィン、久しく聞いた高い音。
耳を硬化させたのか、俺の硬化した腕と兎の耳がぶつかった。
相手の耳は確かに羨ましい。
剣として斬り、突き刺す事に使えるのだ。
薄く鋭い耳が硬化すれば当然、人間の肌を切り裂ける。
但し、質量ならば俺の勝ちだ。
硬化したその耳は薄く鋭い、硬化したこの腕は太く重い。
横薙ぎでは面倒だ。
腕を流して次は縦、今は重さを添えた攻撃が有効手。
余計な時間は与えるな。
先程は細くしようと試みたが、今は逆に少しでも太めに腕を出し、その鈍器を上から振り下ろす。
耳を交差させて受け止めようとするアウリムラビット。
だが甘い、そんな薄紙二枚じゃこの腕は止まらんな。
俺の攻撃は通って、兎の体へと衝撃を流し込んでいく。
そして一度振り上げる。
耳は頼りなく臥しているが、体の方はまだ動きがあるのでもう一撃。
最初の一撃を合わせて、合計縦振り三発で兎を仕留めた。
何だかんだ言ってスライムでも戦えるじゃないか。
これが戦闘慣れってやつだな。
俺も歴戦のオーラが漂い始めているに違いない。
順風満帆、不意討ち前提。
未だまともに上がらぬ陽に感謝しよう。
先程よりは明るくなっているが昼まで時間は余っている。
存分に兎狩りを楽しもうじゃないか。
予想以上のお気に入り件数になり嬉しい限りです。
まだ種族変えもしていませんが、お楽しみ頂けるモノガタリになっていれば幸いです。
これからも『魔モノガタリ』をよろしく御願い致します。




