第六階層
完璧なオーダーテクニックを使いこなした俺の前に、マスターは無言で水を一杯出した。
コップはガラスで出来ており、ダンジョンで見かける事は珍しいだろう。
それはさておき客の居ない酒場、マスターと俺の二人きりなのだが、両者とも水を出し出されてからは沈黙だ。
分かっている、黙って悠々と飲むってのが酒場上級者の嗜み方なのだろう。それぐらいは知っているさ。
だが俺はこいつの話を聞きに来たのだから、黙っていては話が進まないのも事実。かと言ってさっさと口を開いて本題に入る奴も小物臭い気がする。
とりあえず一杯飲んでから俺が余裕なのだと見せつけてから、本題へ移るべきだろうな。
と言う訳で俺もコップを傾けて悠然と水を飲んでやる。
ぼたぼたぼたぼたぼた。
『…………』
なんだこの惨状は! 床が水で濡れているではないか!
飲めた──上手く吸収出来たのは二割と言ったところか、残りはダンジョンの一室である部屋の床へと馴染んで行く。
なかなか難しいものだが、だいたい感じは掴めたから次は普通に飲めるだろう。
『マスター、もう一杯だ』
ふっふっふ、今度こそは大丈夫とこちらを一瞥した隻眼から、俺も床に広がった一杯目を一瞥して水を受け取る。
二杯目は俺のイメージ通り上手く飲めた為、少し得意気になった所で本題へ戻すことにする。
つまり、どうしてお前は無愛想なのかと言う本題だ。
もう少し愛想良く接客しなければ客は寄り付かないだろ。
まあ新参相手に値踏みするのは分かるのだ、そうどこの馬の骨とも判別出来ない雑魚まで囲われると、客の質ってものが下がって居心地が悪くなるものだ。
ただ俺の様な最早お得意様レベルの客に対してまでこれじゃあ先が思いやられると言うものだ。やれやれ。
『おいマスター、せっかくまともな客が来てるんだ。もっと明るく出来ないのか』
俺の言葉に固まるマスター。よく今まで接客が務まったものだ。と思っていると、その苔でも生えているのではと思う全然動かなかった口をゆっくりと開いた。
『……スライムの姿をしたまともな客なんて居る訳がないだろ』
大柄である事に片目の傷も相俟って、歴戦の風格すら纏う情報屋に合った、低い声が俺の中へ響いてくる。
若干笑みを浮かべるこのマスターから放たれている空気は居心地の良いものではない。具体的にどんな笑みなのかと言うと、あの奇笑怪笑物知りスライムと話している時に感じたものと似ている笑みだ。
『ったく、情報屋ってのはどいつもこいつも……』
俺は一本だけ作った腕からコインを出して呟いた。
『……なんだこれは?』
『お前の親友だとか言うスライムからここを聞いた』
『親友、とはな……奴も相変わらずの様だ』
『それで、話は聞かせてくれるのか?』
『良いだろう、それにしてもあいつに気に入られた奴だったとは。お前何者だ?』
『今日ダンジョンで生まれたばかりのスライムなんだけどな』
『なるほど……』
言いながら自分だけ何か納得した様に目を閉じる情報屋。
一人でそんな事を言われても困るのだがな。
『自分の世界に入るのは寝る時だけにしてもらいたい』
『ああすまん、ここに来るまでの話を少し聞かせてくれるか』
『まあいいが』
戻しておいて良いと言われたコインを体の中に入れてから、出された飲み物を一口飲み、今日ダンジョンから出て情報屋スライムに話を聞いた後、もう一度ダンジョンに潜りここに来るまでの話を聞かせてやる事にした。
『第五階層まで来た奴をスライムが倒すとはな……』
『どうやらお前は話の分かる奴らしいな。気に入ったぞ。それにしても他の奴らはお前と違って俺が話しかけても無視する無礼者ばかりだ。ダンジョンを徘徊してる奴らは、この最強種族であるスライムを舐めているのか?』
『何を言っている。何の関わりも無い全く違う種族に話が通じる訳ないだろう』
『そっちこそ何言ってるんだ。お前は普通に喋っているじゃないか』
『そういえば知らないのだったな。魔力などが一定以上あれば、度合いにもよるが他の魔物だけでなく人間とでも喋れる様になる』
『お前だけ卑怯だぞ!』
『この程度出来なければ、俺はこんな事をやっていない』
『それもそうだな』
水を頼んでいるのにパサパサのパンケーキでも出されたら堪ったものではない。マスター然り情報屋然り、最低限の必須スキルと言うべきだな。
ああ、パンケーキって言うのもいつか食べてみたいな。味は知っているが。
『しかしお前も人間の声だけは聞けるのだったか、いや話からして別種族の魔物の声も理解出来るんだろう? 本来ならばどちらも出来ないはずだが』
『分かるものは分かるんだ。それよりも魔力の上げ方を教えてくれ』
『……成長に応じて強くなっていくものだ。だが普通のスライムがそこまで成長出来るかと言われると厳しいな』
『また種族の壁かよ。あーあスライムに厳しい世界だ全く。ところでお前も魔力結構あるんだろ? 使い道は他種族と話せる様になるだけか?』
『いいや、恩恵を受ける代表的なものと言えば魔法だな』
『それを待っていたんだよ俺は!』
『だが種族によって得意な魔法は変わってくるからな、スライムが得意なものと言うのなら、ここを紹介した野郎の方が詳しいだろう』
『確かにそうか、これでスライムが魔法を使い暴れまくる時代というのが訪れるんだな、ふっふっふ』
『得意な魔法というのもあるが、魔法自体が得意であるかどうかも種族で分かれて来る』
『……何が言いたい? いや言うな、分かっている。つまりスライムがはしゃぐなって事だな』
『そこまで言ったつもりはないが考え自体は間違っていないな』
『くそ! やっぱりどこまで言っても雑魚種族じゃないか!』
『それでも第五階層の人間を倒して喰ったんだろ、そこらのスライムよりも強いのは確かで、もしかすると魔法もな……』
『やはりそう思うか?』
慰められているのは分かるが気分が悪い訳でもないので流れに乗っておこうじゃないか。それにしても魔法か……今の状態で『もしかすると』って言う事が本当なら、もう少し何か狩れば普通に使えるのではないだろうか。
それより思い出した、本題はそもそもスライムがどうのなんて関係無い話題じゃないか。
誰だ酒場の接客方針を本題とすり替えたのは。
『さてそろそろ本題へ入ろうと思う』
『ほう?』
『俺は、種族変えと言うのをしたいんだ』
『……』
『……』
『……あいつがここを教えたのはそれか』
『そういう事になるんじゃないか?』
『しかし、本気か……?』
『何度言われても本気と答える』
『種族変えは、それを知ってる奴自体滅多に居ないのだが、それが何故なのかと言えば、誰もそれをする者が居ないから。と言うのが答えだ。知らない、と言うよりも忘れられていると言った方が正しいな』
『そんなに不人気なものなのか』
『人気がどうとかではなく普通なら選択肢に入らないだろう。あのスライムには聞かなかったのか?』
『たしかに自分が他の種族にはどうのこうのと言ってたな。だが俺には関係ない』
『……いよいよもって普通じゃない様だ。ならば種族変えの立ち位置を聞いた所で何の足しにもならないだろう? それよりも種族変えの詳細についてだ』
『……』
『種族変えにはメリットもあればデメリットもある。俺も全てを把握している訳じゃないが出来る範囲で先に教えよう。まず、種族変えで自分の種族を変える事が出来る。これは名前からして当然、スライムから本来なれないゴブリンへの種族変えが可能だ。但し、本来種族変えをしなくてもなれる種族や自分と繋がる下位種族へはなれない』
『どういう事だ』
『例えばスライムであるお前が、スライムの上位種族へ種族変えでなる事は出来ないと言う事だ。種族変えをしなくても、成長していけば上位種族になれるからな。何故上位種族になれないかと言う理由はいくつか考えられるだろうが正確には分からない』
『まず誰が好き好んでスライムみたいなの選ぶんだよ』
『スライムに限らず、だ。種族変えは条件さえ満たせば何度でも出来るからな。ゴブリンになったあとゴブリンの上位種族にはなれないが、スライムに戻る事は可能だろう』
『なんとなく分かった』
『下位種族についてもだが、スライムの上位種族から普通のスライムにはなれない』
『普通のスライムから何か別の上位種族に一気に種族変え、なんてのは出来るのか?』
『条件が厳しくなるだけで問題は無い』
『……それじゃあその条件を聞かせてもらおうか』
『そう構えることは無い。上位種族になる時と同じく、それなりの成長が必要と言うだけだ』
おいおい、それじゃあ種族変えが出来る程成長するまでは結局スライムのままなのか?
馬鹿な、いつまでぷよんぷよんしてなくちゃならんのだ!
いや、俺は既に人間を倒しているじゃないか、もしかするともうリザードマグナぐらいに種族変え出来る程度には成長しているのではないだろうか?
それにしてもリザードマグナ好きだな俺。強そうだし実際嫌いって訳でもないけど。
『そうか、成長が必要となるんだな。こっちは特に渋る理由も無い、早く試してみたいのだが』
『いいだろう、早速だが移動しよう』
マスターはどこからか一枚の羽を取り出して、その手を軽く前へ出した。
するとその小さな羽は光に変わり、マスターと俺を包み込む。
これやばい魔法じゃないだろうな。
危機感を持つ俺の隣で相変わらず無愛想なマスターだが、どこと無く楽しんでいる様に見える。
少し経ち、包む光が薄れてくるとその場所が酒場では無い事を、先程まで居た酒場とは違う景色から読み取る俺。
『なあ、ここはどこだ?』
『思っていたより落ち着いているな。第七階層にある一室だ』
第七階層、ああこんな部屋あったな。
部屋はカウンターで区切られて、出入り口はこちら側に一つとカウンターを挟んだ奥に一つだ。
細々した物は置かれているがそれだけの部屋。ここはいつも無人だったはずだが。
『ここでどうやって種族変えするんだ?』
「一応聞いておくが、ダンジョンへ来る人間が喋っている言葉は分かるんだな?」
『ああ、理解している』
「たしかに問題ない様だな……エイカオーネ!!」
狼頭のマスターが叫ぶと、俺達と同じくカウンターのこちら側に何かが現れ始めた。
なるほど、今の呪文みたいなので呼び出さないといけなかった訳だな。これなら呪文を知らない雑魚どもには崇高な種族変えは利用出来まい。等と平和的な事を考えていたのだが。
ハメられたか! まずい、現れたのは魔物様の敵も敵、エルフじゃないか。
早く逃げるしかないが俺はスライムなのだ。
これでも成長して少しは移動も速くなったが、所詮はスライムの範疇だ。
対する敵はエルフさん、金髪に白い肌はダンジョンと言う背景によく栄える。
纏う雰囲気だけで言えば人間よりも数段美しいと言うものだが……こんな時にそんな容姿を語って何になると言うのだろうか、もちろん容姿だって俺の生を与奪する要因になるからに決まっているだろう。
この美しい容姿と言えば、当然俺が持っていない腕と足があるではないか。
逃げられない、足を持ってる奴に速さで勝てるのか。
それもただの足じゃない、なんだこのスタイルの良さは。長くしなやかに伸びた……いやその自然に愛されたとも言える不愉快な雰囲気からすれば、伸びたと言うより大地から生えていると言った方が正しいだろうか。
それほどまでに美しいエルフさん、ここはどうか見逃してくれないだろうか。
よく考えれば問題はエルフだけではない、この狼頭の隻眼マスターも危険じゃないか、敵を呼び出して狼狽していない所を見るにこいつも敵。
じゃあなんだ? あのスライムの野郎も敵だったのか?
揃いも揃って情報屋は俺で暇つぶししてた訳だ。
そして結果はこの現状。
『うぉらぁぁあああああああ!!』
叫びながら部屋の出入り口に全力で向かう俺。
実際の時間で言えばエルフが現れてほんの一瞬で動き出した。
反応速度はかなりのものだったと自負出来る。
但しそれでも余裕は無い。
今更後ろへ意識を向ける時間は無いものの、あいつらが全力で追いかければ俺がこの間に進んだ距離を苦もなくその足で辿れるはずなのだ。
色々必死に考えてはいるが、ようやく部屋の出入り口だぜ?
実際移動速度が遅いのもあるが大して時は経っていない、本当に時間が長く感じるのだ。
まあいい、ここまで来れば奴らも追ってこないだろう。
そんな訳は無いのだが、一応後ろを見てみると現れたエルフはその場を一歩も動かない。
ふははははっ! 遂に諦めたか、少し余裕が出てくる俺の内情。
冷静に考えたら数歩でも歩けばここまで来れる距離で何が楽しくて笑ったのだろうか。
反省する時間も勿体無い為、躙り進む俺。
ここで気付くが移動は止めない。何に気付いたのか。
今後ろを見たときに確認できたのは一歩も動いていないエルフだけではないか。
あいつを呼び出した情報屋が確かに見当たらなかった。
ではどこだ。
俺のぷるぷるボディが真上から恐怖に掴まれた様に戦慄が──
実際に掴まれていた。
『やめろおおおお!! 俺はまだ強くなるんだああああ!!!』
隻眼の情報屋は俺を片手で掴み溜息を漏らす。
空いた片手は腰にあて、やれやれとでも言った雰囲気。
『裏切り者め』
『落ち着いたか』
既に俺は手の中で暴れることを諦めて、エルフの前に突き出されたその片手から、だらしなく垂れ下がっていた。
これ以上は仕方が無いので、エルフに向き合おうではないか。
『おいエルフ、話し合いを要求する』
「え、えっと……」
部屋の中には細く綺麗なエルフと大柄な狼頭の情報屋、その真ん中に隻眼野郎の腕から吊るされたスライム、つまりは俺が居る状況。
傍から見ればシュールだろう。しかし俺にとっては命懸けなのだ。
『いいかエルフ、俺を倒しても芳しい成長は無いはずだ』
「落ち着け、こいつは敵じゃない」
情報屋が何か重大な事を言い出した。
だが信用は出来ない、こいつはどう見てもエルフじゃないか。
時には一人で、時には人間達と組んでダンジョンにやってくる敵だぞ。
『どういう事だ?』
「まずこいつの名はエイカオーネだ」
「エイカオーネです。初めまして」
相変わらず吊るされたままの俺に対して、丁寧に頭を下げるエイカオーネ。
いきなり魔法を放たれて瓶詰めされる液体にはならずに済んだ様だ。
『初めましてだがお前エルフだろ?』
「いや元エルフと言った所だ」
「はい、私の種族は一応マルムエルフです」
『マルムエルフ……』
「ほう、知っているのか?」
マルムエルフ、少しだけ知っている、たしか魔物側になったエルフの事だ。
詳しくは知らないが敵じゃないなら一安心。
『ああ、魔物側のエルフなんだろ?』
「そういう事になるな」
「あの、それでこの部屋に私を呼んだのは……?」
「こいつが種族変えをしたいと言っている」
『スライムじゃやってられんからな』
「いいのですか?」
『いいからいいから』
「エイカオーネ、あとは任せても大丈夫か?」
「あっ、はい大丈夫です」
「おいお前、また俺の店に来るのだろう? これを持っておけ」
情報屋から黒い指輪を渡される。
魔力を帯びているのが感じられるが、なんだこれは。
「それは店の客である証だ」
やはり俺の事を酒場上級者だと悟っていたか。
奴も伊達に酒場の店主をやって居る訳では無い様だ。
『なるほど、もらっておく』
「じゃあ俺は戻るとしよう、あとは上手くやるんだな」
『ああ色々と助かった』
「気にするな……」
情報屋は来た時と同じ様に光に包まれて、この部屋から居なくなった。
つまりこの部屋には、スライムの俺とマルムエルフのエイカオーネのみ。
敵じゃないとは言え落ち着かない。
さっさと種族変えをしたいものだ。
『それで種族変えだが』
「スライムさんはスライムになってから長いのですか?」
『いや、今日なったばかりだ。日付が変わっているかも知れないが』
「……あの、それにしては成長されてますよね?」
『一応人間一人だけ倒したからな。しかしどうして分かった』
「魔力とか、色々と普通のスライムと違っている様に感じたので」
『流石エルフ、スライムでは分からない相手の能力まで知れるとは』
「マルムエルフです……」
『良いから早く種族変えをさせてくれ』
「は、はい! ではこちらへ」
エイカオーネが促すと、何も無いはずの壁に階層を移動する時の闇が出現した。
少し格好良い、ずるいぞこのエルフ。
俺とエイカオーネがその闇を抜けると、高さも伴う広めの部屋に出て来た。
なんとも良い感じの空気だ。
ああそうか、サイズの大きな種族に変わった場合に小さい部屋では身動きが取れない可能性が出てくるのか。
俺が思うにドラゴンだとかの類だな。
『ここで種族変えを……』
「はいそうです、この水晶に触れて意識を集中させれば出来ます」
『触れたらもう種族が変わるのか?』
「いえ触れるとまず今の状態でどの種族になれるかが分かると思いますので、そこから種族を選べば変わる事が出来ます。もちろん確認するだけでやめておく事も出来ます」
『ほうほう、それじゃあその水晶渡してくれ』
「どうぞ」
『ふっふっふ……待ってろ、まだ見ぬ種族達よ!!』
俺はその水晶を受け取り、早速意識を集中させる。
いよいよ長年連れ添ったスライムの体と離別する時が来たのだ。
さあ水晶よ、俺に全てを見せろ。
俺のなる事が出来る全ての種族を!!




