第五階層
夜の森は暗いな。この独特な冷たい静けさが危ない。
魔物が襲ってきたらどうするか、スライムはどう考えても狩られる側だろう。
いくら弱いからって魔物からそこまで頻繁に襲われる事は無いと思う。そう怖がる事は無い、ある程度は安心だ。
まあ俺が狩る側なら弱そうな奴は襲うけどな。
あれ、やっぱり俺も危険じゃないか! まったくこれだからスライムは嫌なんだよ。
待てよ? そもそも強い奴ならスライムみたいなその強さに不相応の雑魚を倒しても大した得はないのではないか?
流石は英明なスライム、俺。
結論、やっぱり安心だ。
と言う訳で少し強気になって歩いている。
月の下、颯爽と妖しく躙り進むスライム。とても格好良いな。
それにさっき、あいつから薬草を貰ったじゃないか。
少し攻撃を食らっても、体内に保管している薬草をそのまま吸収して回復すれば良い。
これだと相手は俺が回復した事に気付く事すら出来ない……!
ふっ、緻密に計算された薬草作戦、最強種が持つ有り余る知恵と言うのも恐ろしいものだ。
気分が乗って来た。今なら弱い魔物一匹程度なら不意打ちすれば勝てそうな気がするぞ。
そして──
『あそこに生えている植物は薬草ではないか!』
薬草マスターの俺だからこそ気付けたものの、薬草素人のスライムには不可能な探知だ。
もちろん見つけた薬草の葉を引っ張り千切る、千切る、千切る。
数枚の薬草を自分の中へ入れながら、ある事に気付く。
さっきの薬草作戦は一撃で死なない事が前提条件だと。
何が薬草だ! 勿体無いから捨てはしないがいつ使うんだよあの情報屋め!
まあいい、戻って文句言う程でもないし、種族変えで最強の魔物になれば済む話だ。
待ってろよ変な笑い方の物知りスライム、すぐに強くなって殺してやろう。
やっと、ダンジョンの出入り口まで来たか。
さっさと第五階層の酒場まで行って種族変えについての情報を聞こうじゃないか。
……待て、出入り口左右に生い茂る森の内、ダンジョン側から見て左に広がる木々の奥からここまで来た俺だが、ダンジョンの出入り口正面方向、普通の道になっている方向から足音が聞こえる。
ここは一度草の中に隠れるか。
「さーて、今夜も行きますか!」
「油断はするなよ」
「大丈夫だってば! ささ、いつも通り頑張ろう!」
「はぁ……」
人間共め、夜にまでダンジョンへ来るのか。
大人しく寝ていれば良いものを。まあ俺も寝ないがな。
俺の知識からすると、スライムは基本眠らないでも問題無いが、一応眠る事も出来るみたいだ。
さて、人間共も見えなくなった事だし俺も行こう。
やっぱり第五階層まで来ると低階層とは色々違うよな。
人間達はもちろん魔物にもなるべく遇わない様に裏道、隠し通路を駆使して来たが、普通のルートだけでここまで来るのはスライムには少し厳しいのではないか?
まあいい、早速酒場に行くとしよう。
しかしながら階層毎の広さもかなり広がってきている。スライムがここから酒場まで辿り着くのは一苦労だ。
「くそっ!敵が減らねえ!」
戦闘か? 声からして少し厳しい戦況みたいだな。
無理してこんな階層まで来るから悪いんだよ。
種族変えも気になるが酒場は逃げる訳でもない、観戦して行くか。
「ちぃっ! おい、大丈夫か!」
「ああ……なんとかな、ここで諦める訳にはいか──」
コボルトの剣が振るわれる。
なんとか往なすが喋る間も無く次ぐ斬撃。
それも、見える魔物は一匹や二匹じゃない。
「ふっ! はっ!」
「簡単には休ませてくれそうに無いな!」
さっきのダンジョンに入っていった奴らとは別だな。
第五階層まで来たんだから、それなりに実力はありそうだ。
それでもこのままだと勝機は無い。
対する魔物も種類が増えて低階層よりも手強い。
二人も相当な量を倒してはいるが徐々に囲まれていく。長引く程に集まる魔物。
「ダンリ! こいつら燃やす!」
「わかった! 任せろ!」
ダンリと呼ばれた男が了承と共にもう一人の前へ守るように立つ。
「……フレイムっ!」
「グェォォオオウ!!!!」
燃やすと宣言した数秒の後、叫びと共に手の先から炎が出る。
周りに居た魔物はその炎に襲われて半分程が倒れる。
だが残った魔物と、炎の射程外に控える魔物がその穴を埋める。
「はっ! おいダンリ! 流石にもう魔力が無いぞ!」
「いいや上出来だ! ラストスパート、暴れてやろうぜ!」
「ったくお前は……やってやるよ!」
止まない斬撃、巨体からの重撃、遠距離からの攻撃。
躱しては受け、殺しては受け。
徐々に傷を増やし、いくつかは深い傷となっている。
それでも立ち回る二人はまだ諦めていない様だ。
その時、先程魔法を放った男の足元から黒い影が湧き上がる。
影に含まれた足が抜けない。
「くそっ! なんだよこれ!」
「どうした!?」
「チッ、こんな時にトラップかよ!」
ダンリはすぐに理解した様だ。
あれは床に仕掛けられた罠。ダンジョンに潜むそれの一つ。
その言葉にもう一人の男も理解したのだろうが、既に黒い影は男を首まで包み込んでいる。
「ダンリ、また後で会おうぜ」
「おう!」
影は男の全身を包みきると、そのまま地面へ溶けていく。
「さあ、お前ら……最後まで付き合ってやるよ!!」
残ったダンリは自分を鼓舞する様に叫ぶ。
とは言っても二人共まともには戦えない状態だった。特に包まれた方なんか動けるかどうかも怪しいのだ。
少し考える……残った魔物全員とこのダンリが戦っている。
さっきの罠は転移罠、かかった奴を別の場所へ移すもの。
転移先はそれぞれの罠で違う場所、最悪なのは魔物の多い部屋で、中には別の階層へ飛ぶものもある。
もちろん俺は把握していた。あれの転移先がどこなのか。
この階層だがここから少し離れた場所。行き止まりの何も無い部屋。
今回ばかりは、敵が居ない部屋に飛ばされたあいつは逆に助かったとも言えるが、罠としては何も無い部屋であろうが充分にそいつらを脅かす。
何故なら魔物達に各個撃破と言う選択肢を与えてしまうからだ。
元々一人で来た奴なら被害は少ないかもしれない。少々無駄足を経るというだけの事。
だが二人組み以上の仲間で戦力を合わせて、この階層へ挑むのに相応しい実力だった場合、一人欠けるとその危険度は跳ね上がる。
それはさておき飛ばされたあいつ、動けるかも怪しい瀕死の怪我。
だが腐っても第五階層まで辿り着いた手慣れの男だ。
……なんとも笑いが込み上げて来るじゃないか!
俺は早速動き出す。
低階層より種類も増えて強くなった魔物達が、残された男を囲み全員で殺すのを横目に、目指すは瀕死の片割れだ。
逸る心を抑えて冷静に、俺が止めを刺してやろう。
──大人しく待ってろよ格上が。
『あー疲れたー』
入り口の陰から部屋の中を確認する。どうやら奴は気絶してるのか倒れて動かない。
更に一旦ゆっくりと慎重に近づいた。気絶した振りでもされていたら俺が床を濡らす羽目になる。
辺りは少し血で汚れているが、確かに気絶している事を確認して部屋の前まで戻る。
予想以上に辿り着くのに時間がかかってしまったがいや良かった。
早速止めを刺す準備を始めようじゃないか。
もちろん腹にある深い傷を硬化した体で叩き潰しても殺せるかもしれない。
だけど考え無しにそんな事をする奴が死んで行くのだろうと思う。
俺は実戦経験がないスライムなんだ。馬鹿正直に叩いておいて止めを刺すに至らなかったらそれで終了。
慣れがあれば話は別だが、そんな可能性を持った愚策を実行する訳がないだろう。
早速用意した物をゆっくりと動かし始める。ここへ来るのに時間がかかった原因であるこれ。
誰もが心躍る宝箱だ。押して押してやっとの想いで辿り着いた。
試してみたが、この宝箱ほどの大きさだと体に保管する事は出来ないみたいだ。
用意した宝箱を慎重に、男の顔の近くまで押していく。場所はこれで充分だ。
仕込みをここで終えても良いとは思うが、まだ少し。
宝箱の隙間から、先程ダンジョンへ入る前に採った数枚の薬草の葉が、顔を覗かせるように挿し込んでおく。
これで薬草が中に入ってるけどはみ出てる感じの宝箱が完成だ。
なんて親切なんだ俺は。見て居るかスライム達よ。
部屋の入り口まで戻り、その場にあった小石を拾ってから、すぐに隠れる事が出来る様に半分体を隠す。
今からこの小石を投げてあいつを起こす。
怪我で抉れてるところを狙えば起きるだろうと言う考えだ。
『そー……ふんっ!』
小石を投げる。傷の場所とは違うものの体には当たった。だが起きない。
それに多分小さ過ぎるんだ。もう少し大き目の石を投げてやろう。
そして拾うさっきよりも一回り大きい石。それでも投げる分には問題ない程度だから大き過ぎと言う事は無いだろう。
『これで起きろっ!』
鈍い音が鳴った後、床へ落ちて高めの音と共に床に敷かれた赤い汚れの上に落ちた。
「ゴハッ、ゴフッ!」
血を吐きながら目覚めた男。俺は一度隠れたが、ゆっくりと一部を部屋の入り口で隠れた死角から出して男の行動を見守る。
それにしても酷い有様だ。
先程の男との別れ際、まともに喋って居たのも不思議なぐらいだ。
まああの時も既に口から血は垂れていたけれど。
「俺は……そうか、生きている、のか……」
呟いた。
「ダン、リ……」
ダンリならあの世でお前を待っているぞ。
さあどうする、その薬草宝箱を手に取るか。
「ぐっ……ハァ、ハァ、なんだ……?」
やっと宝箱に気付いた様だ。首一つ動かすのも厳しい、無理も無いか。
「宝、箱……これは、薬草か……」
あの負傷具合、もちろん薬草の一枚や二枚じゃ話にならない。それが宝箱の中にある薬草を取ろうとする理由。
あの重症だから、もっと必死に藁を掴もうとするかと思ったがそうでも無い様だ。
目覚めた側にあるせっかくの宝箱が武器だとか他のものじゃ萎える萎える。
ただの宝箱だとしても恐らく手を伸ばすだろうが、薬草の宝箱だと考えてもらった方がより確実。
「は、ゴフッ! ははっ、はっ……これ、でも……生き伸びる、とは……俺も、つくづく……悪運が……強い、な……」
血で口を汚し笑いながら上体を起こす男。
目の前にある宝箱へ手を伸ばし────開けた。
その瞬間、宝箱から一瞬だけ魔法陣が見えたかと思うと、部屋の中で轟音が鳴り響き、地面まで呼応する様に響き震える感覚が襲う。宝箱が爆発した。
初めての感覚、流石にかなり動転していた感じもするが、終わってみればそうでもない。
爆発した光が確実に呑んだのは部屋の中でたった一部、突然だったからとんでもない音に聞こえたが、巨大な魔物が棍棒を振り下ろした時の方が大きかった気もする。
まあいい、終わった事だ。
今はどうしようもなく可笑しい。笑いが止まらない。
『さ、最後、俺もつくづく悪運が強いな。だって……』
笑いが治まって来る。目の前にあるのは男の体。つんつんしても、もう動く事は無い。薬草は焼け飛んだのか見当たらないが、体の方は焼け爛れている訳でもない。
魔力を持つ生物ならある程度は防がれるもの。魔法を使い切っても最低限の魔力はある。無意識下でも何ら問題は無い。
だが全てが全て無傷で防げる訳でも無い。意識的に防御するならまだしも、無意識下で魔法一発撃て無い様な最低限の魔力であれば尚の事。
これぐらいならば知っている。
そしてあの小爆発によるダメージは男に止めを刺して倒れさせた。
毒の罠とかでも充分良かった訳だが、まさか爆発が起こるとは思ってもいなかった。
この部屋に来る前、低階層には居ないトラッパーさんの部屋に寄っていたから遅くなったが、重畳だ。
トラッパーと言う魔物は罠を作ったり設置するのがメインだから、罠の宝箱を持ち出しても怒られたりはしなかった。
むしろ喜んでた様な気もするけど、俺が喋ったときは無視された。
これはスライムだからなのか。
とにかくこいつは俺が倒したのだ!
それで、まずはどうすれば良い?
ああ金だ金。この腰の袋がそうだろう。よく見かけるし、知ってるし。
ほらあった、戦利品戦利品、と。
さて次は吸収か、やり方は分かるがこの装備も吸収出来るのか?
物は試しでやってみればいいか。
俺は男を頭から覆って行く。全部はもちろん無理なので少しずつ。
体の中に入った部分は暗く霞んでて見えないな。
薬草を入れた時もそうだったっけか?
まあいい、次は首と肩、胸に腕、腹……
どうやら装備品も含めて吸収出来たみたいだな。
これで少しは強くなっただろうか。
目の前に種族変えと言うものがある以上、そこまでスライムでの強さに期待している訳でもないが。
まずは大きさ、意識して体を大きくしてみる。
……ふむ、少し大きくなっている。昼に見たスライム君より大きいのではないか? 微々たる変化だがこれでも嬉しい。
だが、吸収した男の大きさの分だけ大きくなる訳ではない様だ。
次は硬さ、あの物知り野郎ぐらい強くなって居れば早速いじめてやろうか。
そう考えつつも体を伸ばして先を硬くしていく俺。
硬く、おおっ、硬く、おおおっ、硬く。
硬い! 硬いぞ! さっきと比べるとまずまずな硬さを感じる。
これを一気に振り下ろす。
『たりゃあっ!』
根の下でやった時、下は土で、ここはダンジョンの第五階層は石畳さん。
それを考慮しても結構な攻撃力に思える訳だ。
今の俺ならば、さっきの男の止めを自分で刺せる自信がある。
硬化する速度も先程より速くなっていた。
だが不満。今の衝撃も進歩はしているが、どう考えてもあの情報屋スライムより衝撃が弱い。その点においては不愉快だな。
用も済んだし、この部屋に居ても仕方が無い。
とりあえずは酒場へ向かおうじゃないか。
第五階層の酒場、カウンター席の他にテーブルがいくつか。
人間達の街にある酒場も知っているのだが、結構良い雰囲気なのではないか。
客は居ないみたいだが。
カウンターの向こう側、片目に傷がついた狼頭の男。
あれだろマスター。雰囲気からしてそうなのだが近寄り難いものがある。
コボルトなんて比じゃないぞ、明らかに大物臭いんだから困ったものだ。
息苦しい。比喩として息苦しい。
こんな奴と戦うとするならば、あのリザードマグナ数体を相手にした方が良い様な気までして来た。
それにしてもどうする、引き返すか? 入り口でいつまでもじっとはして居られない。
あのスライムの情報屋に色々聞きつつ、もう少し強くなってからここに来るのもありだよな。
色々考えていて思った事が一つ。少し慣れてきてしまった。
良い傾向だとも流石スライム、魔物の最強種族たる素晴らしい適応力を見せてくれたな。
よし、話しかけよう。
俺はカウンター席に近づいて椅子に飛び乗る。移動している時も思ったがやっぱり成長前より軽快だ。
しかし椅子じゃ低すぎるのでそのまま机まで飛び乗る。
ぷよよん。
流石にこっちを見てくる片目のマスター。
俺がその程度で固まると思うなよ? 既にお前の威圧感には慣れている。
だいたいここは酒場だろ。普通に考えて俺は客じゃないか。まったくなんて店だよ。まあ俺は酒を飲みに来た訳でもないが、ここはやはり俺がしっかりと言っておいてやるべきだろう。
『おい片目の狼頭、俺は立派な客なんだがな? 分かったら水を一杯くれないか』
完璧だ。俺の持つ知識まで織り交ぜた高度なオーダー。これで酒場慣れしている感じも出せただろう。人間共の知識もたまには役に立つ様だ。




