第三階層
とある部屋。
相変わらず禍々しい空気に満たされている空間。
この部屋には俺だけしか居ない。
第二階層の行き止まりで、全くもって何も無い部屋。
もちろん初めてここに侵入してきた人間達が、時々迷い込む事はあるが今はそんな気配も無い。
ここらの構造を知っている魔物達なら尚更、人間を追い込んだりしているなら別だが、何もないと分かっていて来る様な物好きは居ない。
『よし……』
意を決する。
魔物になるぞ。
やっぱり格好良い魔物が良いな。
強いのも良いけど、そこは後からどうとでもなる。
人間でも狩れば良いだろう。
俺は周りからの情報、光や音を意識の外へ投げ出し集中して、自分が魔物になるよう意識する。
これだけで良い、本能として理解していた。
『……』
何かに包まれる様な感覚。
自分の纏っているであろう騒がしい気配が徐々に薄れていく。
少しして、その変化が終わった。
呆気なくも感じたが、ついに俺は魔物になったのだ。
自ら手放していた周りからの情報を引き寄せる。
さっきの部屋、さっきの位置、さっきの空気。
周りを見渡して一応誰も居ない事を確認する。
『ふっ、ふはは、はーっはっはっ!』
ついに俺は魔物になったのだ。これが笑わずに居られるだろうか。
早る心を抑えて一つずつ確認しよう。
地を踏み締めるはそれ、大地を蹴って動く為の強靭な足──は存在しない。
力の感じるがままに振るい、全てを蹂躙する頼もしい腕──は存在しない。
『うん……?』
長く伸びるしなやかな凶器、一度振るえば一面を抉る雄大な尾──も存在しない。
『まだだ! まだ終わるわけには……!』
命を狩る門、開いた穴は牙を持ち全てを噛み千切って命を吸う口──すらも存在していない。
『なんだ!? 何が起こっている!』
落ち着け、求めるものが存在しないという確認は保留だ。
逆に自分に存在する要素を確認していこうではないか。
────ぷにぷにボディ。
『うわあああああああああああああ!!』
なんだこれは。いやいい、分かってるあれだろ。言わなくていい考えるな俺。違う、現実を見るな。
しつこく俺の思考で目立つ答え。
その四文字はいくら懇願しても消えてくれそうに無い。
『す、スライム』
諦めて認めると気持ちが軽くなるのを感じた。
落ち着け、もっと有意義な事を考えるべきだ。
例えばそう、生き残る方法だとか。
まず問題なのは弱さ、スライムの脆弱具合はよく知っている。
死んだら死体も残らない、ただその床を濡らすだけだ。
……もう一度叫びたくなったが我慢しよう。
少しでも戦いを重ねて強くならなければならない、かと言ってダンジョンを漂っていた俺でも、スライムが勝利を得るシーンなど見かけたことは一度も無い。
ダンジョンで見かけたスライムは総じて非戦闘時か瞬殺。
あまりにも可哀想。可哀想だな、俺。
ならば仲間だ。
基本的に侵入者はみんなで迎え撃っていたが、それとは別でいつも一緒に行動してる奴らも居たはず。
そんな仲間の組み合わせは同じ種族が多かったが、時々違う種族で組んでいる魔物達も居た。
強い魔物と仲間になれば当面は死の危険が減るはず。
『悪いが俺は地面を濡らすつもりはないからな!』
一人で宣言する。
ここに居ても始まらないのは分かっている、部屋を出よう。
『……』
第二階層をゆっくりと躙り動く最弱。
そんな雑魚の居るべき階層は第一階層だとか外が普通。
身の程を知れ無力な魔物め。
俺の事だ。
深い階層の方が魔物は強くなるが、そこまで差があると仲間になる以前に、相手にされないだろう。
身の丈にあった場所でなるべく強い魔物を探すのが賢い行動。
最弱だろうが俺は魔物なのだから、気をつけるのは同胞を瞬殺してくるこのダンジョン外部からの侵入者だけで良い。
だいたいこいつらまで俺に襲い掛かってくる様なら、あの部屋に引き篭もっていたかも知れない。
俺達魔物はきっとみんな仲良しなのだ。
スライムになる前、漂っていた頃も魔物達の会話を聞いて情報収集していたが、それはこのぷよんぷよんした体の今も変わらない。
『おーう、久々だな』
『ん? ああ、お前か、外へ狩りに行ってたからな』
『ほう、ちょいと聞かせろや』
『まあ待て、俺も帰ってきたところだ。いつものあそこで聞かせてやる』
通り過ぎていくコボルト同士の他愛ない会話を聞いているだけで、俺も同じ魔物なのだと実感して嬉しくなる。
『おいテメェ、さっきオレの肉盗っただろ』
『ああ? なに怒ってんだこいつ』
『何だその挑発的な態度は? チッ、これだからゴブリンは』
『さっきから何言ってるか分からねえが煩い犬野郎だ』
『オレ様が喰ってやるよ!!』
『いきなり剣出しやがって、上等だ』
『行くぞオラアア!』
「ガルォォアア!!」
「ケケケッ」
剣を持ったコボルトが斬りかかり、素手だったゴブリンも勢いで応戦する。
だが戦いは続かず、地面に液体を撒き散らして臥すゴブリン。
『ったくクソが』
言い捨てて去っていくコボルト。
この状況を無関心で通り過ぎる魔物、笑って見物していた魔物、何か虫の居所が悪そうな顔で、去るコボルトを睨む魔物。
意味不明。
分かったのは魔物が魔物を躊躇い無く殺した事。
『魔物は仲良しではなかったのか!』
驚愕の表情、いや驚愕のぷるぷる具合で仰け反る俺。
これは非常に拙い状況なのだ。
素手のゴブリンがさっきの、剣を持ったコボルトに勝てないのは火を見るよりも明らか。
観戦のプロフェッショナルである俺も、こいつらが戦っているところは見た事無かったが、両種族の強さぐらいは分かっていた。
問題なのはこの事実が、俺も魔物に殺されるかも知れないと言う意味を持つ事。
魔物同士で殺し合っている所を見た事が無いから勝手に仲良しなのだと納得していただけで、魔物による魔物殺し自体は認められていようがいまいが別にどうでもいい。
しかし俺が殺されるのはよろしくないな。殺す側なら別に良いけど。
まあ動きを止めている暇は無い。
もうすぐ第一階層、今よりも危険度は下がるはずだ。
先程よりもなるべく目立たない様に躙り進んでいく。




