第十六階層
第七階層は下層と同じ様な少々入り組む構造の後に魔王の部屋があるのか、それとも最終階層なので着いた途端に大きな部屋が出迎えてくれるのか。
見たところどちらでもなく、しばらく大道を進んでいると大きな扉が現れた。
第六階層と第七階層の狭間から感じていた事だが、やはりこの冷たく刺さる様な感覚は魔王代理の気配だろうか。
代理のものにしては少々過分に思える程だ。
しかし間に合わせの魔王でこれならば、本物に相対するとどう感じるのかが気になる所。
まあ今考えても仕方がない。
とっととニグルクルイス(ここ)を落とす為、早速扉を開け放ち、迅速に戦闘を終わらせよう。
大きな広間。
俺を出迎えたのはダンジョンと同じ様な石造りの玉座と、足を投げ出して玉座を占める獅子だった。
「……もう森から帰って来たのか。あれ程猛り勇んで出発したのだから弟の仇は討ったんだろ? ディルゴ……」
獅子は背に預けた上体を起こしながら喋り掛けて来た。
何を言っているのか理解し難いが、俺の種族がブラタヴィス・コボルトで三配下の兄弟もブラタヴィス・コボルトという事から、この獅子は俺を生き残りの兄だと思い込んでいるのか。
確かに自分以外の種族など明瞭に見分けがつかなくても仕方ない。
俺だってゴブリンの顔を見分けるなんて恐らく無理だ。
「……ではないな。お前、誰だ……?」
気付きやがった。
敵ながら賛嘆の言葉を掛けようかと思ったが、よく考えるとこの場合に限っては見分けられて当然だった。
確かに自分自身とは別である種族の個体を見分けるのは難しい。
しかし、俺とその他のブラタヴィスとなれば話は別だ。
この威厳満ちる俺とその他雑魚を、間違える事こそ困難。
そう考えると今気付かれてしまったのも仕方ないと言えるな。
「話に出てた弟の仇と言ったところが妥当だろ」
「……ほう、お前が。それで、あいつの仇が一体何の用だ?」
「こんな空疎で粗末なダンジョンをわざわざ最深層まで潜って来たんだ……察せよ」
「悪いが、俺の下に居た二匹と同種の者が出来得る事なんて知れている。やはり見当を付ける事は出来んな」
「なら教えてやろう。何でも最近、家出した奴の尻拭いで仮初の魔王を始めたとかいう身の程知らずが居るらしいじゃないか。その馬鹿が自分の軽挙に気付けるはずもなく、荒らしてはいけない地を狙い、事を起こした。要はそいつを殺しに来たんだよ、俺が」
「俺様の下にお前と同種の奴が二匹居たと教えたはずだ。その内一匹倒せた程度の強さで、この俺に勝てるとでも言うのか? 劣等種である、お前が!」
相手の種族から見れば、確かにブラタヴィスの方が劣っているのかも知れない。
だが実際、戦闘になれば種族の強さではなく個々の強さが重要なのだ。
「まあ良い……このニグルクルイスを任せられている以上、迂闊に他者へ任せて森に出る事を控えている身だ。少々暇でな、死に往かせる前に束の間の雑話、相手してもらおうかと思っているのだが?」
「了承する。俺も聞きたい事ならある」
「聞いてやる、劣等種」
「家出した魔王ってどんな奴なんだ?」
「……あの方は強く、魔王でありながらどこか純真。お前は、あの方のダンジョンを空疎で粗末と言った。確かにあの方はダンジョンに興味が無かったから、ここはあまり創り込まれていない。それでも俺はここに誇りを持っている。あの方はたかがダンジョンにそんなものを見出だしては居ないだろうが、俺はあの方から任せられたニグルクルイスを誇りに思う」
「おいおい執心かよ」
「尊敬だ」
「その割にはお前ら、十年ぐらい前に北の町潰したんだろう? 魔王様はその気が無かったにも関わらず、配下が勝手に暴れたとか」
情報屋に聞いた話では、魔王にその気があったかどうかは分からない。
ただ今までの魔王の印象から、きっとそうなのだろうという憶測だ。
「あれは……いや、何故お前がそんな事を」
「尊敬してる奴の意に背くのが趣味なのか?」
「違う! 俺達は意を酌もうとしただけだ! 結果的にも上手くいった! なのに、人間共の町を死地に変え蹂躙した事を報告すると、喜ぶ事は疎かその瞳は哀しげにさえ見えた! 俺達、いや少なくとも俺は、あの方に喜んでもらおうと──」
ああ、話が長い。
しかしその魔王は何か他に算段があったのだろうか。
別の件で人間共の町を利用しようとしていたか。
普通ならばそれで良い。
だが、ここに今までの印象を合わせてしまうと全く別の答えが見えてしまう。
人間に被害をもたらしてしまった悲しみ。
……馬鹿か、魔王がそんな事を思うはずは無い。
無駄な殺しを避け、魔物や人間達を多く生かそうとするのも完全に分からない事では無い。
この時点でも普通の魔物からすればあり得ないのかも知れないが、少なくとも俺にはまだ、その感情の欠片を覗く事が出来ている。
ただし、ここから先は俺にも覗く事が出来ない。
顔も知らない人間がただ死んだだけの事を悲しむなんて。
異常。
──異常を孕む魔王。
このニグルクルイスの魔王らしからぬ魔王は一体何を考えて行動しているのか。
本物の魔王でもない俺や目の前に居るこいつには分からない。
いいや、理解が及ばないからこその魔王なのか。
「──とにかく! この俺はあの方を少しでも支えたいんだ! あの方の力になりたいんだ! あの方が人に混ざり何を目指して行動しているのかは分からない。だが俺は、俺様は任せられた魔王の座を、あの方が帰ってくるまで守りたい! 俺様は存外に頼れるのだと! 今度は、今度は俺も一緒に付き添う為に!」
熱い告白が終わると同時に、いつの間にか立ち上がっていた獅子は玉座の裏へ腕を伸ばし、裏に立て掛けてあったのか大きな剣を取り出した。
「俺は、俺様は……魔王なんだ!」
大剣を両手で持ち、代理相応の速度で突っ込んでくる。
「来いよ。お前の想いが本物だろうが、俺のホームを潰そうとしているのもまた事実」
構えた剣を相手に向けて喋るのと同時に、能力を一段階強化しておく。
俺が強化を終えたと同時に、獅子は二足で地を蹴り飛ばしこちらへ向かって来る。
間合いに入った瞬間、獅子が大剣を横に振るう。
俺はぎりぎりで動きに反応し、先程質が改善したばかりの剣で迫る大剣を受け止めた。
「っぐ、重っ──」
思わず声が漏れてしまう程の衝撃だが、それを言い終える事すらも許されなかった。
受け止めるどころか、そのまま巨大な魔物から突進を受けたかの様な衝撃により、俺の体を軽々と弾き飛ばしたのだ。
結果、宙を受動的に駆け抜けている俺はそのまま壁へと突っ込んでいく。
「……非力な侵入者にこの強力な俺様がここから生還する機会を与えよう!」
壁際で蹲る俺に聞こえる声量で獅子が叫ぶ。
「あの日の事をどうやって知ったか答え、大人しく帰るのならば殺しはしない」
何を言うかと思えばそんな事。
俺にとって何一つ魅力の無い提案だった。
「馬鹿、が……」
部屋の壁にぶつかったダメージは完全に落ち着いていないが、ゆっくりと立ち上がりながら呟いた。
少々侮り過ぎていたか。
この程度の強化では勝負にもならない。
流石、魔王代理の馬鹿力。
「勝負はここからだろうが」
第二段階、腕や足に赤を増した俺は先程行われた滑空飛行より速く獅子に向かって走って行く。
俺の到達に合わせて大振りにされる大剣を潜り抜け、そのまま腹を斬って走り抜けるが、傷は浅く赤の一筆を加えただけだ。
「ハッ、すばしっこくなっただけでは鼠と変わらないな!」
そう言って嘲笑う顔を斬り耕したいがここは落ち着き剣を構える。
能力を強化したことにより速さだけでなくもちろん力も上がっている。
だが今ので無理に深く斬ろうとしていたら走り抜ける速度が落ち、あいつの大剣が届く範囲から逃れる前に背中へ一太刀貰っていた可能性がある。
それでもさっき壁にぶつけられた仕返しも含んだ一撃なのだ。
攻撃後の動きを配慮していたとは言え、もう少し痛がってもらうつもりだった。
つまり予想以上に肉が刃を通し難い。
斬れない程ではないが、さっきの控えめな斬撃という選択は正解だった。
再び近付いて斬り結び始める。
今は第二段階を開放しているので最初の様に問答無用で飛ばされる程ではない。
「流石だ。ブラタヴィスにしてはやる。少なくともあいつが森へ行ってるのは運が良かったと言えるな」
「っと……その喋る余裕が小癪に障り過ぎていると言えるな」
この状態でも少々不味いか。
第二段階まで開放すれば余裕だと思っていたが、これでも斬り合いだけでは少し押されている。
不本意だが魔法も組み込むとしよう。
一歩踏み込んで剣を振るっては、二歩下がりながら大剣を受ける。
魔法を使うために剣の集中を弱めると、その二歩は三歩に変わる。
だが後ろに押されていくペースが速まるのは好都合だ。
自身の背後、相手の死角に小爆発の魔法陣を一つ用意した。
ブラタヴィス相手の時は二つ重ねて使ったが、今回は威力を高めての一つだ。
尚も後退し続ける俺の体と魔法陣は重なって、擦り抜ける。
俺がただ押されて後退の一手を選ばされ続けていると思い込んでいる獅子は、何も気付かずその大剣を打ち込み続ける。
魔法陣が抜けきって獅子の面前に出た瞬間、俺は大きく後ろへ跳ぶ。
それと同時に魔法を発動させ、小爆発の光に呑まれる獅子の全身。
爆発の音は魔王代理の口から拡散する音も塗り潰して部屋中に響き渡る。
煙が引き始めると俺は距離を取って戦闘の続きを待つ。
威力は高めた。
更に言えばブラタヴィスを倒した時の魔法関係の補正を持ちつつ、成長を上乗せしているのだから、幾多の魔法陣で囲まずとも相当な威力があったはず。
ただそれでも、魔王代理をこれで倒せた等とは微塵も考えておらず、煙の中から現れる忌ま忌ましい影がその考えを肯定していた。
「……んん、がはっ……何しやがった」
「おお、思っていたより結構なダメージだ。……答えると思っているのか?」
「……仕掛けが見当たらなければ、魔法しかないか。しかしブラタヴィスにその様な『らしい』魔法が使えたか……?」
その問いに口角を上げてから畳み掛けを始める。
まず一気に獅子へと近寄り、迎えに出された大剣を避けて剣を振るう。
この程度なら無理せず繰り出せるが、もちろん相手も避けてくる。
剣を回避された後、普通はここで一度引くが今は更に蹴りで追撃する。
振り抜いた後の体勢から蹴り。
無理のある体位で蹴りが放たれたら、当然その後には大きな隙が出来てしまう。
俺自身もそのデメリットは理解しており、それ程の猪突めいた愚かな連撃だからこそ、相手の意表を突く事に成功。
しかし獅子も馬鹿な兄弟とは違う。
その蹴りに驚きはしたものの何とか避け切り、その後の隙を想って笑う。
「……ハッ」
馬鹿め。等と考えているのだろう。そんな顔だ。
だが本物の魔王でも無いただの魔物である俺が、それこそ最強染みた格闘を行える訳でもない。
当然の応酬として、蹴りに対する致命的な隙、それは降りかかる。
俺も獅子もそれは理解している。
だからその隙を考慮して手堅い反撃に出ようとする獅子。
それが狙いなのだ。
今、獅子の目に映るのは愚行に対する嘲りと目の前に出された絶好の隙。
背後で旋回し両端から迫り来る火球は視界に捉える事が出来ない。
時間にすれば一秒程度だが確かな隙なのだ。
これを逃す事は出来ないと集中しているからこそ気付けない。
むしろ逃してしまう程度の相手なら、俺が不服ながら魔法を使う事も無かったのだ。
「ぐぁああっ!」
この俺に第二段階まで強化させて、尚且つ魔法を使わせたのだ。
勝てなくても仕方ないだろう。
能力の強化も第二段階まで来ると少々体に負担がある様だ。
まだ動けるし、戦闘が終わり休憩を挟めば後には残らないと思う。
ただこの状態を維持し続けるのには限界があると、自らの身体なので感覚的に分かる。
この段階的な強化というのも結局は自らで行う調整のしようなので、一応は無段階と変わらないが、どの位強化すればどれだけ負担が掛かりどこまで維持出来るかという比率は同じだろう。
派手に動けば残り十分、恐らくこれが第二段階維持の限界だ。
「……っがぁ。こんな様で……頼られたいだとか共に行動したいだとか、非力なのは俺の方か」
「今頃かよ」
大剣を地に突いて立ち上がる獅子へ攻撃する為に近付くが、どこに持っていたのか相手が何かを手にしていた。
「だが、俺様が負ける事は許されない。例え自身の力が足りず、目標が遠のくとしても……今はあの方の力を借り、この場所を守ろう」
腕を前に出し黒い道具を提げた手を振る。
すると、色から想像するには高過ぎる音色が響き始めた。
鈴か。
「小さな蛇達よ、今だけで良い。俺に助勢してもらいたい」
黒鈴の音が鳴るたびに広がる音の波は、魔力を伴い光の波に変わる。
その光の波が床に魔法陣を映し、光る陣からは蛇が出て来た。
「……また玩具かよ」
小さな舌打ちを溜め息に乗せて吐き出した。
あのマスターに『客の証』だとかで騙されて運んだ指輪と言い今回の蛇を呼ぶ鈴と言い、俺はこういう道具と良いお付き合いが出来そうに無い。
「さて、あの方に付き添うにはまだ実力が足りないという事を気付かせてくれた礼だ」
「礼?」
しかし分が悪い。
この小さな黒蛇共、数は十を超えているのだが恐らく強さもただの雑魚ではない。
黒蛇共の魔力から察するに森で戦ったブラタヴィスよりは弱いかと言った所だが、それがこの数になり、獅子も同時に相手するとなれば……
第二段階になり向上したのは単純な戦闘能力だけでなく、こういった相手の強さを観取する事に於いても当然精度が増したと言える。
それを以ってしてもこの分が悪いという判断。
「クインディシアの兵にニグルクルイスを守る俺様が最後の機会を与えよう!」
先程聞いた言い回しで黒蛇を連れた魔王代理が叫ぶ。
「あの方から預かった力を合わせた今、お前に勝ちは無いだろう。しかしそれで得る勝ちは俺の力でもなし。こちらは留守を預かっているだけ。ここで大人しく退くならば見逃──」
その瞬間、小さな黒蛇達が爆ぜていく。
首が飛び、頭が燃える。
この広い部屋の光景を切り抜けばそんな状態。
視界の端々で順に数を減らしていく黒蛇を目で追っている獅子は、未だに原因を掴めていないだろう。
事態の実行者から見れば酷く滑稽な姿だ。
小さな黒蛇たちを爆ぜさせていく。
首を飛ばし、頭を燃やす。
床を蹴り魔法を発動させながら剣を振るう。
蛇の数を一より減らしてから動きを一度止める俺。
第二段階ならば十分、しかしこの状態だと三分維持出来るかどうか。
負けはしないがやはり不本意だ。
たかが魔王の代理に対してここまでしなければ勝てないとは。
これが今の俺。
俺の底だ。
「疑問だな。何故そんな事を聞くのか。条件の内容が、では無くそれを問う事自体が疑問だ。機会を施してやるというのは強者から弱者へ行う戯れの様なものだろう?」
剣に纏った黒蛇の血を払い、獅子に近付き続きを喋る。
「だから俺は一度も答えていない」
俺が剣を天へ向けると、口を半開きにして後退る獅子。
こいつは鈴で呼び出した黒蛇達の強さを俺よりも正確に知っていたはず。
それが次々と殺された時点で、既に穏当な代償だけでは済まない事態だと悟っていたのだろう。
慎重な呼吸と共に獅子の口から思わず漏れ浮かぶのは微苦笑。
「強者である俺が、弱者であるニグルクルイスの魔王代理に選択の機会を与えよう!」
口角が動く。
今ばかりは尾が揺れている事も認めようではないか。
「──自ら死ぬか、俺の手を煩わせるか。選べ」
「ま、待ってくれ。俺は──」
振り下ろした刃が獅子の頭から股下までを駆け抜ける。
「悪い。こっちも時間が無かったからな」
能力の強化を鎮めて、剣を払う。
やはり鞘は欲しいな。
ふむ。この獅子は喰らうとして、こいつの使っていた大剣はどうするか。
ブラタヴィスである今の俺からすれば大剣は威力が高く、この剣よりは扱いやすい気がする。
剣術だとか、そういったものに詳しくない俺が使うのなら、大剣の重さが戦闘に支障を来す訳では無い限り単純にぶっ叩いた時に痛い方がより強そうだ。
そう考えればこの大剣を持って帰るのも悪くないが、それは現在俺がブラタヴィスという種族だからであって、すぐに種族変えする予定の俺からすれば、ただの邪魔な荷物になりそうな気もする。
まあ武器一つ程度どうにでも出来るだろ。
俺は獅子に補吸魔法を使って部屋を綺麗にした。
ニグルクルイスも潰した訳だから、あとはのんびり帰って種族変えだな。
森の方の祭りも既に終わっているだろう。
「さて、帰るか」
先程まで戦闘を繰り広げていた最深層の一室。
俺の想像していた本物の魔王が座るには少々質素にも思えるこの部屋の玉座。
普通の魔物からすれば悪くない物だと思い、軽く見納めてから帰ろうとした時にその現象は起こった。
「魔法か!?」
部屋の上部から無数の光が現れてはそれぞれが融合され、目視が難しい小ささから徐々に大きくなり、俺の目の前で、俺の頭程の大きさになって、空間に留まった。
魔光とは違った光なので、この光塊から魔法が放たれる事は無いと思うが、得体の知れないものである事には変わらない。
引き続き警戒する様に剣を構えると、また光粒が集まりだした。
しかし、今度は大きな光の塊に集うだけでなく、俺の体にまで集まりだしたではないか。
「くっ、なんだ! 止めろ! ぶち殺すぞ!」
腕や足を振り回して光を払おうと暴れるが、その動きも光の粒達は意に介さず、纏わり染み込んでくる。
そもそも『意』が存在するのかどうかも怪しい。
だから叫んでも反応は無いのだが、叫ばずには居られない。
仕舞いには光の粒だけでなく、目の前の大きな光塊までもが近付いてきた。
「おい! 嘘だろ? 聞いてるのか、ひ……光? おいぴかぴか!」
後ろへ跳ぼうとしたが、何故か身体が動かし辛い。
纏り付く光の影響か?
遂に光塊は俺に重なった。
かと思えば吸い込まれる様に俺の中へと入り込んで来る。
その直後、今度は別の何かが俺の中に注ぎ込まれていく。
いや違う、その激しさからして傾れ込むといった方が良い。
「がぁ……ぁあ…………あぁああっ!」
そして全ての光が俺の中に入り終えた。
「……ぐっ。……そういう、事か」
恐らく一連の現象は終わりを迎えた。
この状況で自分に起こった変化の内、把握できたのはほんの一部。
しかしそれで充分だ。
簡単な事、あの玉座が俺の物となった。
このダンジョンが俺の物となった。
つまり俺が────ニグルクルイスの魔王だ。
「知るか。何が魔王だ……ん?」
先程まで何も無かったはずの玉座の上に箱が置かれていた。
近付いて観察してみれば、両手に乗る小ささであるのに細かい装飾が付いている。
使い道が分からないがこれは俺のだろ。
一応、ここは俺のダンジョンなのだから当然だ。
持って帰ってあいつらに聞けば、この箱が何なのか分かるだろう。
あの大剣と違ってこれは俺にとって重要な物かも知れない。
強くなれる秘宝であれば幸い、ただのゴミならそこらに捨てれば良い話。
さて、と何事も無かった様に部屋から立ち去る俺。
俺の中で俺が魔王になったと実感する部分と、認めるかという意地の部分がある。
認めたくない理由は簡単だ。
俺は魔王の代理に勝って、このダンジョンのトップに立った。
本来の魔王だった奴にではなく代理だ。
情報屋のスライムも言っていたがやはり代理と本物の間には大きな壁がある。
そして今の俺は代理でも何でもなく一応、本物の魔王という事らしい。
あの光が一方的に押し付けて来たのだから「らしい」としか言えないが、ともかくこれはおかしな事になった。
例えば魔王を倒せば、そいつが魔王になるというシステムがあったとしても、普通はその新生魔王の方も元から魔王を倒せる実力、つまり本来の魔王相当の次元に立っているはず。
しかし、本来の魔王と比べれば塵芥。
そんな代理を倒しただけの実力で魔王になってしまったという事は、今の俺は魔王の平均的な強さから大きく下回っている。
要は『最弱の魔王』なのではという事……。
「ちっ」
ニグルクルイスのダンジョンを地上へ向かって歩く中、舌打ちの一つもしたくなる。
最強の魔物を目指したと思った矢先、最弱の魔王になりました。
大体、リスクが高過ぎるのだ。
最強と言うからにはいずれ魔王になるのも自然な事だったのだろうが、それはもう少し先の予定だった。
具体的には約一月の予定。
それが狂った今、俺の身が危ない。
理想は中堅魔王クラスの強さになってから余裕を持って魔王化なのだ。
最低限の、魔王に相応しい実力も無い中でニグルクルイスに人間が訪れたらどうする。
もちろん殺せそうなら殺すのだが。
いや待て、俺も代理だとか作って逃げれば良いじゃないか。
雲隠れを決め込んでいる元ニグルクルイスの本来の魔王の様に。
ふははは、これで人間に殺されるのは俺の代理。
中途半端な人間なら今の俺でも安全に千切り投げる事は容易だろうが、魔王討伐を真面目に考えた実力の人間達がやって来るのは不味いからな。
そんな中でやっとニグルクルイスの出口に差し掛かる俺。
「何だよこれ」
一瞬、道を間違えたかと疑ったがそれは無さそうだ。
入り口に張られた結界、魔法陣にも似た紋様が描かれている。
触ってみるとそれ以上先へは手を伸ばす事が出来ない。
何故閉じ込められた。
「この変な箱か?」
玉座から持って来た箱をその場に置いて結界に触れてみるが変化無し。
来た時との違い。
俺が魔王だからダンジョンから出られないのか?
──合ってるな。
光塊から得たらしき情報に気付く。
持っていても気になるまでは分からない。
何と使い勝手の悪い情報なのか。
「少しだけ、軽く出掛けて来るだけの予定で……」
──無理か。
まあ戻って来る気なんて更々無かったが。
ふむ……家出中の魔王はこれがあるから代理を用意したのか。
つまり代役を立てれば俺も外に出られる?
──よし、いける。
早速、配下を生贄に俺もニグルクルイスからおさらばだ。
「待て、俺には配下(生贄)が居ない!」
くっ、ならば!
このダンジョンを放棄して外に出る事は……
──可能だな。
これで最終手段は確保出来た。
出られなくなるぐらいならダンジョンは捨てれば良い。
後は、それよりも好都合な手段があるならそれを使うとしよう。
完全な廃棄、放棄があるなら一時廃棄の様なものは無いのだろうか、俺からすればダンジョンとして機能しなくても問題無い。
封鎖、封印が出来れば充分だ。
──封印も可能。
もちろん先程手放した謎の箱は拾い上げ、このニグルクルイスに封印を施す。
結界の様な役割を果たしていた紋様は失せ、外に出た。
振り返ればそこには岩で構成されていた入り口が閉ざされて、形状的には大きな岩と呼べる物が佇んでいた。
先程俺を閉じ込めていた結界に浮かんでいたそれとは別の紋様が、岩肌に淡く浮き出でて光っている。
まあ今はそんな事どうでも良い。出られたならそれで問題ないのだ。
閉じ込め事件は落着し、今度こそ元のダンジョンへ。
外へ出て来ているのだから、今は当然森の中。
ふと、いつの間にか明るくなっている空を見上げ代理を倒しに来た時との変化に気付いた。
「……雨、止んだのか」
ここに来る時にはすぐ近くから、そして遠くからも。
森で騒ぎ立てていた雨音や魔物達の騒ぎ声が静まっていた。
運が良い。
帰りも雨に沐われて森を歩かなくて済む。
ふふふ、森の天候にも俺の苦労が伝わっていた様だな。
それにしても、と手で枝葉から零れる朝日を遮る。
「今の気分はこれじゃあ無いんだよ……」
木々の無い方角から空に架かる虹を見る。
空を使って労うつもりならば暗雲蠢く空で出迎えてもらいたかった。
魔王になる事を望んでこのニグルクルイスに臨んだ訳では無い。
それでもせっかく魔王になった記念だ。
こんなにも穏やかな、事の趣きとは正反対ともいえる空の青さはどうなのだろうか。
「昼前までには戻るとしよう」
ふふ、と悪くない気分で移動を始める。
虹架かる青空に祝われる新生魔王か……センス、悪いな。
抗争は片付き、道中見かける死骸の少なさに疑問を持ちながら見慣れたダンジョンに戻って来た。
もちろん見掛けた死体は補吸魔法のプレデイションで処分した。
情報屋スライムへの報告もする必要は無いだろう。
なんとなく疲れたし、このまま第五階層に居るマスターの所で何か飲もう。
「おいマスター、居るか」
見知らぬ魔物一匹と擦れ違い、この小さな部屋に入りながら声を掛ける。
はぶっ。と異音を立てた後、カウンター席で慌てて振り返る人影。
ぷよんぷよんと机で揺れるごみ種族。
この部屋の主。
「お前か、よく来たな」
「何でスライム野郎がここに居るんだよ!」
『ククッ、俺達の勝利に祝杯を挙げる為に決まっているだろう』
「うぅ……」
最後の呻き声は種族変えをする時のお供エルフではないか。
何故こいつまでここに居る。
「ああ、エイカオーネか。たまたまここで食事をして居ただけだ」
隻眼のマスターにそう言われ自分の前にあった皿を、俺の死角へ隠すエイカオーネ。
相変わらず意味不明だ。
いつもここで食事していたのだろうか。
普段、エイカオーネが何をして過ごしているのか全く知らないな。
『そんな所に居ないでお前も座れ』
「と言うかお前等知り合いじゃなかったのか?」
エイカオーネとスライムの間に空いていた一席に座りながら問う。
二人居るのに元々空けて座って居たのは何故なのか。
知り合いで無くともわざわざ席を空ける必要は感じないが、知り合いであって席を空けるのは更におかしい。
『お互い見知っては居るがな』
「なるほど、ただ変なスライムと関わり合いたくないから席を空けていたと」
「……別に、そ、そういう事は」
俺の左側で慌てるエイカオーネ。
よく見るとこいつの口元にソースの様なものが付いているが放っておこう。
ことり、とグラスを俺の前に置くマスター。
「待ってろ……」
マスターが透き通った赤の液体を注ぐ。
その後、エイカオーネの前に置かれていた容器にも透明の液体、今度は恐らく水を注ぎ足す。
そしてグラスを持ち上げる一同。
この程度の知識は持っているのだ。挨拶みたいなもののはず。
乾杯の後に今回の顛末を三者で話す。
スライムの方は当然今回の抗争について詳しい。
だが怖い顔した狼の情報屋がスライム並に情報を供給しているのがおかしいのだ。
お前はそもそも参加していないだろうと考えつつも聞いていると、どうやら一枚噛んで居た様だ。
今回の戦場は北西の森。
クインディシア(こちら)側からスライムの用意した『戦力』がニグルクルイスの連中が待つ森へ突撃。
その戦力にはあの時間感覚皆無である黒い奴も混ざっている。
これは俺も知っているが、その後は知らなかった。
北には隻眼マスターの用意した奴らが構え、逃げ落ちようとしたニグルクルイスの少数を狩りつつ、戦闘が長引いている場所へ加勢し潰していったらしい。
中には俺が獅子と戦っていたダンジョンへ逃げ帰った奴も居そうなものだが、そう言えば帰り道ではその姿を見なかった。
終わった事を深く考える必要は無い。
俺の方も問題なく魔王の代理を倒した事は伝えておく。
本気を出してしまった、とか最初に一度ぶっ飛ばされたとかにはもちろん触れていない。
そもそも必要の無い情報だろう。
もう数日も種族変えしつつ成長すれば今日の結果程度大きく超えてやる自信もあるのだし。
それに俺の左の席にはエルフも居るではないか。
今や封印ダンジョンの魔王が舐められたらどうする。
待てよ。
『ダンジョンの魔王』と『封印されたダンジョンの魔王』。
どちらが強そうかなど聞くまでも無い。
ふっふっふ、また図らずも最強に近付いてしまったか。
『おい、どうかしたのか……?』
「飲み過ぎたか? 初めての酒だろう」
『おいおい、まだそこのを空けただぞ?』
「元は凡庸なスライムだぞ。お前とは違う」
『ククッ、お前も酔いが回ったか』
「そうかもな、だが今日はこいつを飲む」
『だとよ、聞いてるのか魔王様よ』
後頭部を硬い物で殴られた。
いつの間にか格好良い呼ばれ方の順位を整理する作業に意識を掴まれていた様だ。
お陰で会話も聞き流していた。
もちろん後頭部を殴られた後の最後の一言は聞こえていた。
「やっぱり知ってやがったな情報屋」
『魔王化の事か? 当然だろう』
「だから行く前にそれを教えろ」
『言っても言わなくても結果は変わらんからな。しかし言ってなかったか』
「過程が変わるんだよ糞スライム!」
『落ち着け。それに、選んだのはお前だろ……?』
「……選んだ?」
俺がそう聞き返すとカウンターを跨いだ先でマスターが口を開いた。
「ダンジョンの魔王になる際選べたはずだ。魔王になるかならないか。そこで意思を示して初めて魔王になる」
さてと、俺が倒したのが魔王の代理だからか、それとも他の理由か。
ただ選択出来たとしても恐らくは少し迷った末、結局魔王にはなっていたと思う。
しかしやはり俺にも心の準備というものがあるのだ。
「そんな良心的な選択は断じて存在しなかった。獅子を倒してぴかぴかぎゅーん! で魔王だ」
「……」『……』