第十四階層
水晶に触れ、意識を集中させる。
今の時点で選択が可能な種族が浮かび上がってくる。
魔光を経た俺が次になる種族。
前もって考えていた通り、力に重きを置いた種族を探していく。
もちろんどの様な種族を選んだところで、この種族変えによって力の補正は多かれ少なかれ上昇するのだ。
各能力面で見ても、差し当たり緊急的に超えなければいけない強敵など居ない俺にとっては、必ずしもここで力を選択する必要は無い。
だがそれでも力に拘るのには、正当な理由がある。
そしてその理由があっての至当な判断。
つまり一見しただけでは力しか能の無い種族に見えて実は魔法戦も得意とする、という存在がこの上なく格好良いという正当で至当な理由だ。
そんな整理をつけつつも種族変え可能な種族を眺めていた時。
なんと因果なタイミングだろうか、ここでこの種族名を見つけるとは。
少し躊躇いはあるが選択可能な種族の中では強さも上の方。
そして俺が実際に戦った魔物の中では一応の最強種族と言ったところだろうか。
ならば選択しない手は無いと、早速その種族を選び魔光の体に別れを告げる。
『ブラタヴィス・コボルト』、コボルト系の種族ではあるが、実際にコボルト系の立ち位置としてどれ程の強さに位置しているかは分からない。
ここのダンジョン低階層に居る普通のコボルトに毛が生えた程度なのか、もしくは普通のコボルトから何度も上位種族へと成長を繰り返した末に辿りつく種族なのか。
実際あのブラタヴィスと戦った俺が見るに、普通のコボルトとは能力的に違い過ぎているので毛が生えた程度という事は無い。
だが逆に、そう何層も上の強さという訳でも無さそうだった。
特徴としては、くすんだ灰色の毛に浮き出た赤色。
そして今までの俺とは決定的に違う部分、腕と足があるのだ。
今、魔光の体がブラタヴィス・コボルトへと成り変わっているのが分かる。
自らに起こっていた変化が止んだところで、水晶へ注いでいた意識を戻すことに。
広い部屋、手を前に出して自分の腕を見る。
少し満足するがまだ早い。
次に、腰から生え俺の体を支えている二本の足を見た。
紛れもない俺の腕と足だ。
ふははは、ついに手に入れてしまったかこの手足。
軽くその場で飛び跳ねながら堪能する。
しまった、これでは俺が腕と足程度を手に入れただけの事に対して相当嬉しがっている様ではないか。
実際は初めての部位なので、動きを確かめる為に仕方なく飛び跳ねているだけだというのに。笑いながら。
それにしても俺が倒したブラタヴィスはただの馬鹿面引っ提げた灰色のコボルトであったのに対し、俺が実際なってみるとやはり強そうなオーラ漂う感じになってしまったか。
身に纏わりつく直感でオーラ漂うなどといったが、冷静に考えるとこれは魔力では無いだろうか。
魔光の体を持っていた時の感じ方とは違った為に、軽い冗談を混ぜたのだが今落ち着いて感じたところ、やはり魔力だと認識できる。
では何故違和感があったか。
魔光は元々魔力に馴染んだ種族だが、この体――ブラタヴィス・コボルトという種族は元々魔法方面の能力は高くないので、こういった感覚的な違いが出るのだろう。
更に今の俺は、その魔力が初期能力のままではあるものの、他のブラタヴィスと比べて幾分か多い為に、違いをより強く感じたのだと思う。
まあ少し魔力の感じ方が違うだけなので魔法の行使は問題ない。
さて、あのチビ魔光からこの体になったのだ。
これはエイカオーネにも感想を、と聞こうとするとエイカオーネは何故か慌てて闇を潜り、この広い部屋から出て行くところだった。
ふむ、もしかするとこの俺の姿が余りに強そうだったので恐くなったのか。
そういう反応をされると少し嬉しくなってしまうではないか。
俺はもう少し恐がらせてやる為に、エイカオーネを追って闇を潜った。
居ない。
いつもエイカオーネを呼び出している部屋に戻ってきたが、既にこの部屋に彼女の姿は見当たらない。
ここで待っていれば来るか。
いや、今回の種族変えは終わったのだからエイカオーネを待つ必要も無い。
する事が無ければ情報屋スライムの居る木の根へ向かう予定だが、それも特に急ぐ事ではないだろう。
もう少し新しい体の様子を見てから移動を始めるか。
自分の体を見渡す。
毛の色は灰色だが、倒したブラタヴィスと比べると気持ち白に近い。
あいつのは単なる汚れが混ざった灰色だったのか。汚いな。
あれとは違ってくすんでいない灰色の俺は、なるべく体の清潔を保つ様にしよう。
それにしても手足があるというのは良い。
無意識にその場で足踏みしたり、腕を振るったりしてしまう程に。
そんな時、俺の後ろから何かを感じた。
背後、それも腰辺りを断続的に軽く叩かれている。
気を抜きすぎていたか。
俺は前へ飛び、相手を確認するべく振り返るが、そこには何も居ない。
未だ敵かどうかも分からないが、警戒する。
まあ超絶魔法技巧を持つ俺にこんな真似をしているのだ。殺されても文句は無いだろう。
しかしこんな所で早々と運動する事になるとは、嬉しくなってしまう。
エイカオーネが不在の今、この部屋には俺以外の姿が見えない。
姿を隠す相手、そして俺に触れている時も気配すら感じない相手。
静かに興奮して、腰を低く構える。
ここまで集中すれば背後に立たれても気付くだろう。
次に仕掛けてきた時がお前の最期だ。
嬉々として獲物の出方を待つ。
――来た。
悔しいが気配で気付いた訳ではない、またも背に触られてしまった。
だが反応速度は問題ない。
背後に腕を振るい魔法を発動しようとしたが既に相手の姿は見えない。
待て、冷静になれ、相手の気配すら掴めないのは俺の実力不足。
だとして相手は何故俺にまともな攻撃をして来ない?
俺が超えられない能力差。そして、遊ばれている……?
面白い。俺を殺す気が無いならそのまま遊んでいれば良い。
ただし俺はお前を殺すつもりで行くからな。
そこでまた背後の腰辺りを軽く叩かれ始める。
落ち着け、相手は俺に殺されるはずがないと踏んで遊んでいるのだ。
振り返っても捉えきれない能力差がある以上、ここは冷静に分析するしか無い。
まず、相手が遠距離で俺に干渉している可能性。
ここはダンジョン、ゴブリンの中には弓矢を扱う奴も居たはずだ。
だが背後は壁のはず、この部屋にそのゴブリンが居たならば既に俺が瞬殺しているはずだ。
冷静に、小さく左右交互に叩き続ける攻撃。
落ち着いて、獲物はすぐ後ろだ。
一定のリズム。
ぱたぱたぱたぱた。
低く構える俺の顔を冷や汗が流れる。
この汗もスライムや魔光の時には無かったものだ。
ぱたぱたぱたぱた。
一瞬、ある仮説が浮かび上がった。
何かを思考している時、無数に浮かんでは棄てられていく案。
そして正解の範疇にある案が過ぎる時、それは一気に周囲と結びつき、問題の条件に合致し、大きな花が咲く様に一瞬で答えとして持ち上がってくる。
そんな感覚、これこそが今回の正解であると、認めたくは無いが自信のある仮説。
ぱたぱたぱたぱた。
相手の正体、これの正体、この部位の正体。
恐らくこれは俺の尻尾なのだと、気付いた瞬間だった。
「……良かった、まだ居てくれましたか」
エイカオーネの声が俺の耳へ届く。
まさか、今の恥ずかしい勘違いを見られていた……?
『おいいつから居た』
「い、今戻って来たところです。あの、とりあえずこれを」
白々しいぞこのエルフ。
エイカオーネは視線を逸らしながら、布を渡してきた。
本当に今戻って来たのなら、今のこいつの態度はあり得ない。
どう考えても笑いを堪えてこちらを見ないようにしているのだが、ここは大人しく布を受け取っておこう。
自分からその話題に下手な触れ方をして傷口を広げる必要は無い。
『……それで、この布はなんだ?』
渡された布をばさりと広げながらエルフに問う。
先程のあれをどの様にして誤魔化すか考えながら。
「それを、腰に巻いてください……」
『ふむ、こうか?』
腰に布を巻いてから俺が言うと、こちらへ恐る恐る顔を向けるエイカオーネ。
「はい、それで大丈夫です」
小さく胸を撫で下ろす姿を見て、どうやら本当に笑いを堪えていた訳ではない事に気付く。
同じブラタヴィスだった馬鹿な強敵も、一応小さな腰布を巻いていた。
そして俺は全くの裸。
つまり本来なら隠すべきだったのだろう。
俺からすれば魔物の裸など一際目立つという訳でもないのだから、隠す必要も感じられなかったし、ブラタヴィス・コボルトという種族で恥ずかしがる様な事もなかった。
スライムであった時よりも前の頃、不思議とダンジョンを漂っているだけで色々なことを知っていった。
それは魔物が持つ知識であったり、人間側の持つ知識であったり。
その事から、一般的な人間達が全身を露出して外を出歩かないのも分かるし、俺が人間だったとしても全裸で人前に出ようとは思わない。
だがそれでもブラタヴィスに腰布が必要なのかは疑問に思う。
では先程の慌てて逃げ出した理由とこの部屋に戻って来た時の反応、エイカオーネは俺の強そうな姿に怯えて逃げたのではなく、いきなり全裸を見せられて驚いて逃げたという事になる訳だ。
たかがコボルトの裸だろう。少し過剰反応気味、むっつり変態決定だ。
腰布を装備し終えた俺の体が気になるのか、ちらちらと観察している割にどこか取り繕おうと顔は壁の方へ向けているエルフに言ってやる。
『おい変態、さっきから俺の体をちらちら見ている事は既にバレている。堂々と見て良いから感想を聞かせてくれ』
「へんたっ……!」
『今回の種族はどうだ? 強そうに見えるか?』
「……漂う魔光よりは強そうです」
『ま、まだその程度だと』
正直な所もう少し良い感想をもらえると思っていた。
何と言っても手足が生えているのだから、魔王と見間違えたなんて感想をくれても良いのではないか。
「あの、別に私は変態では……」
『おのれ変態!』
「ひっ……」
『少し評価の妥当性が欠けているので今後注意する様に』
「は、はい。私に対する変な評価も」
何か言っているが気にする事でも無いだろう。
俺はおもむろに魔法の調子を確かめるべくファイアーボールを手の上へ出現させる。
「や、やっぱりいいです」
そして無事に目的を達成したファイアーボールをそっと消した。
「あの、ブラタさん」
『なんだ?』
スライムさん、フェロルさん、今回はブラタヴィスだからブラタさんか。
「これもどうぞ。中にブラタさんのお金と薬草も入ってます」
手渡されたのはエイカオーネが腰につけているのと似た入れ物だ。
『くれるのか?』
「はい、丁度余っていたので」
『助かる。薬草片手に敵を倒すのは避けたいからな』
「……そもそも倒せるんですか?」
『魔法が使えるのだから、雑魚相手なら両手を使わずとも倒せるだろう』
「たしかにそうでした」
その後も言葉を交わしていると、ある事に気付いた。
俺も普通に、口から声を出して喋れるはずだという事に。
種族的には同じブラタヴィス・コボルトだったあいつもエイカオーネや人間達の様に喋っていた。
物は試しと挑戦すると、案外簡単に喋れるもので、それからは俺も口から声を出して喋っていた。
あの斧を振り回していた馬鹿ブラタヴィスに出来て俺に出来ない事があるはずも無いので、これは当然の結果といえるな。
「この後の予定?」
「はい何か決めているんですか?」
「ああ、今種族変えをしたから次はスライムの情報屋が居る木の根へ行く予定だ。何をするのかは聞いていないが呼ばれていてな」
「外に、行くんですか」
「まあ木の根はダンジョンの外にあるからな」
何故か思案顔のエルフは少し間を置いてからまた口を開く。
「今夜は森が、いつもより危ないかも知れないので……気をつけてくださいね」
「ここらの森に居る奴らの相手なら心配無いとは思うが気をつける。まあ、一応そこまで遠くへ行く予定も無いから問題ないだろ」
ダンジョン周囲の森といえば、兎や狼程度だ。
囲まれていたって、余裕を持って倒せる。
まあこいつは俺の高度な魔法戦を見て居ないから心配するのも分かる。
だがこれ以上心配されても仕方ないので、そろそろ会話は切り上げて木の根へ向かう事にしよう。
「それじゃあちょっとまた強くなって来る」
「はい、お待ちしています」
この我が家ともいえるダンジョン。
ダンジョン第一階層では周りが雑魚ばかりなので、大した脅威も無い。
それも相まって第一階層は気持ちのいい安心感がある。
初めての足で第一階層の床を踏み締め、堂々と擦れ違うコボルトどもを見下してやる。
目立たない通路では通りすがりのゴブリン相手に魔法を試しながらの移動。
やはり魔法は問題ない。
木の根へ向かう予定の俺は迷っていた。
ダンジョンマスターの俺が何故こんな場所で立ち止まらなければいけないのか。
当然、今立ち止まっている場所は見慣れた通路だ。
むしろ初めてこのダンジョンに訪れた人間ですら道に迷う事は無い様な場所。
ダンジョンの入り口だ。
「仕方ないな」
潔い諦めの呟き。
入り口から眺める外は、すっかり夜。
ただしいつもの夜とは大きく違う。
遥か空から水が降り注ぎ、ダンジョンを囲む森、木々の持つ葉にその水があたっては音を鳴らす。
無数の水滴が無数の葉に降って無数の音を弾き奏でる。
葉を打つ音は途切れることも無く地面を打ってまた違う音も鳴らす。
これが雨か、知ってはいたが実際に経験するのは初めてだ。
降ってくるのは水だろう。
俺が毛に包まれた種族になった途端この天候。
ふざけるなよこの雨め。
先程の迷いも、悪天候なので情報屋の待つ木の根に行くのは止めて置こうかという迷い。
雨ならば仕方ないだろう、そんな事を考えて呟いたのがさっき。
そして思い留まっている今。
スライムになってから数日、今日が初めての雨だ。
しかし雨自体は珍しい天候でもないというのは知っている。
好んで雨の中活動するつもりもないが、雨が降る度に抜き差しならぬという状態ではこの先問題となるに違いない。
「……仕方ないな」
今度のは濡れる事に対する諦めの呟き。
ここに来るまでの軽い運動で充分に馴染んだ足を一歩一歩前へ進める。
生意気にも上から俺を濡らすべく降ってくる雨粒。
思ったよりも大きく質量もある。
風向きが変わり俺の顔面にあたる。若干痛いのだが。
大雨というやつだな。全くついていない。
もしも誰かがこの雨を降らしているという様な事であれば、この俺が速やかにぶち殺してやろう。
しかし何も外出する用事がある時に降らなくても良いだろう。
たしかに夕方、ダンジョンへ入る時は既に曇っていたが。
まあ今は文句を言っても仕方ない。
情報屋の待つ木の根に行ってやろう。
「来てやったぞ」
入り口を潜りながら低い声をかける。
ずぶ濡れだ。腰布も少し重い。
『ああ、やっと来……』
濡れた全身を思い切り振り動かして水を飛ばす。
ちょうど情報屋スライムが近くまで来ていたのは気付かなかった。
なのでブラタヴィス雨天時奥義、雨水飛ばしがクリーンヒットしてしまった。
魔力消費は無いが、直接的なダメージも無い。
『……入り口で話すのも何だ。とりあえず奥に来い』
奥へ向かう情報屋、スライムなので多少濡れたところであまり気にしないのだろうか。
その後をついて行くと前から声が掛かる。
『それにしても……ブラタヴィスになったか』
「ああ、力の強い種族を探していたら丁度見つけてな」
『ククッ、そうか』
いつもの笑い声を発したスライムは入り口から少し離れた所で立ち止まる。
『さて、まず先にいくつか説明をしておく』
「なんだ?」
『お前が暴れてブラタヴィスを倒したあの辺りにも一つ、ダンジョンがある』
「……何故行く前に教えない」
『ククッ、知る必要が無いと判断したからだ』
どういう判断だ。
俺が思うこいつの性格からして、あまり意味の無い事はしないとは思う。
考えられる判断材料の一つには恐らく現段階の俺の強さもあるのだろう。
出来れば色々と吐いてもらいたい事もあるが、有用な情報を出すかどうかは結局こいつの勝手だ。
『ニグルクルイス、それが北西にあるダンジョンの名称だ』
「おいなんでそのダンジョンにだけそんな名前があるんだよ」
『何を言っている? こちらのダンジョンにも名前くらいあるぞ?』
「聞いてないのだが」
『言ってないからな』
ファイアーボールがスライムの所へ殺到し、それらが全て爆ぜた後に話を再会する情報屋。
『ククッ、そう怒るな。あまり魔力を無駄遣いすると後で困るぞ? ……こちら側にあるダンジョンの名称は、クインディシアだ』
「ふむ」
俺のセンスから見ても、特にダサくは無いので合格だ。
『話を戻すがニグルクルイスは十年程前、北西の森よりもずっと北にあった小さな町に爪痕を残し、今の森まで南下して来た奴が魔王だ』
「人間共の町か?」
『ああ』
「強そうな魔王じゃないか」
『ダンジョンとしての規模はかなり小さいが、それでも魔王だからな』
「そんなに規模が小さいのか?」
『ああ弱小だ。他のダンジョンと比べると、ここのダンジョンもかなり階層は浅いが、ニグルクルイスはそれ以下、七階層しか無い』
「たしかに小さいな」
『ニグルクルイスの魔王は元々ダンジョン自体には興味が無いのか、自分のダンジョンと言えどあまり手は付けて居ない。だから魔王は強くても他は弱小だ』
「そんなダンジョンがよく今日まで残ってたな」
『人間共がニグルクルイスに行っても大したメリットはない上、もちろん魔王は簡単に潰せない。その魔王に至っては十年前にさっき言った小さな町を潰してから大人しいものだ。そんな脅威の皆無なダンジョン、魔物と戦う人間達が多く集まる東の街でもほぼ無いものとされている状態だ』
「なるほど」
『ついでにこいつは噂程度の情報だが、当時その町を襲ったのも魔王ではなく配下が中心だったらしい』
ニグルクルイスの魔王がよく分からない奴なのは分かった。
だが腐っても魔王、その強さも事実として存在するのだろう。
町も配下が潰したとして、その配下を率いるだけの強さはあるのだ。
しかしそんなダンジョンなら、俺が赴いた所で得られるものはあまり無いはず。
これで魔王を倒せなんて言い出したらこいつを囮にしてやる。
「それで、本題は何だ」
『ククッ焦るな灰色、実はその目的不明だった魔王、少し前から何故か不在でな。まあ実際の所、姿を変えて人間に混じり行動しているという情報があるんだがな』
「人間に混じって行動しているだと?」
『ああ、だが今はそちらではない。完全にニグルクルイスから離れている魔王、現在はその配下がニグルクルイスの魔王を代行している』
「魔王代行なんて出来るのか」
『むしろそういった事をしなければ、魔王が長期的にダンジョンを離れる事は出来ないだろう。そして今回の問題はその配下だ。そいつはこちら側に攻めて来ようとしている』
「こちら側って、クインディシアか?」
『それも含まれる。だが別に俺は行儀良くダンジョンを攻略するだけなら文句なんて無い。クインディシア(こっち)の魔王に忠誠を誓った憶えも、配下になった憶えも無いからな。これに関しては隻眼の方も同じだ』
「たしかにクインディシアの魔王が倒されてもどうでも良いな。でもそれなら何も問題ないだろ?」
『問題はその魔王を代行してる配下の行儀が悪いって事だ』
「具体的にはどういう事なんだ」
『あいつらは周辺の森、つまりここまで荒らすつもりだ。クインディシアに直接関係の無い魔物も殺す予定だろうな。それを実行するのに充分な魔物達も用意されている様だ』
「……どうするんだ?」
――抗争だ。
情報屋の怪しい笑みを含んだ言葉。
ニグルクルイスを相手にした抗争か。
『とは言っても結果は見えている。相手はこちらを攻めようとしている事も、その為の魔物達を準備している事も、未だにばれていないと思っているからな』
「攻められるのが分かっていても、それを勝てる理由とするには少し弱くないか?」
『ダンジョン内の魔物を総動員し合う戦いならば一方的に勝てる。あちらは魔王と魔王に近い配下以外そこまで強い魔物は居ない。更に今はその魔王が不在、現在ニグルクルイスの事情は人間達に気付かれていないが、今なら東の街で腕が立つ有名どころを集めれば呆気無く落とせるだろう。ただし、こちらは魔王どころかダンジョン高階層に居る魔物共も今回の件を全く知らない、知ったところで相手にするまでも無い敵だから行動が変わる事は無いだろう。つまりこちらはダンジョン内の魔物が戦力に含まれない。だがそれを踏まえても結果は見えているがな』
「まさか見えているのは負ける結果か?」
『それこそまさか。負ける要素が見当たらない。今回使う戦力なら既に別で揃えてある。しかしただ相手が仕掛けてくるのを待つのは面白くない。なのでこちらの提示するタイミングで攻めてもらう』
「魔王が留守だからといって、そんなに簡単に釣れるのか?」
『ククッ、餌はお前だがな』
「ところでこの木の根が燃えたらお前はどこに移るんだ?」
『おいおい勘違いするなよ? 既に仕込みは終わっているんだ。昼に充分餌役として暴れていただろう』
「……俺は新しい狩場を教えてもらっただけだがな」
『そこで予想以上の働きをしてくれたからな、向こうはあのブラタヴィスが退場した事を知ると、殺気立って今にも攻めて来そうな勢いだ』
「あいつ重役だったのか?」
『さてな、元々ニグルクルイス勢で主要な配下は三匹。その内の一匹が現在魔王を代行している。そして残りの二匹は兄弟だ』
兄弟か、となると自然に生まれた奴じゃなく親から生まれた奴だろう。
俺に兄弟は居ないからどんな感覚かは分からないが、助け合って生きていく仲間みたいな関係なんだろう。
そういえば俺もスライムの頃に仲間だとか言っていたが、今考えると無茶な考えだったな。
今ブラタヴィスになった俺が仲間を探すとして、あんな雑魚を求めるはずがないだろ。
ふははは、雑魚種族め。一生そこらでぷにぷにしてろ。
『そういえば知っているか? お前が倒したブラタヴィス、兄が居るんだぞ』
「ほう、あいつも兄弟なのか……」
『その兄は結構な奴でな、ニグルクルイスでは今魔王を代行している配下の次に強い。言ってしまえばニグルクルイスの三柱じゃないか?』
軽い調子で言葉を紡ぐ情報屋。
これが意味する事はつまりそういう事なのだろう。
「俺が倒したブラタヴィスがその主要配下三体の内一体という訳か」
『ククッ、それを倒されて怒気を漲らせた連中は今夜動き出す』
「今更だが、俺はお前の用意した戦力と一緒に森で戦えば良いんだよな?」
『いや、本来ならそのつもりだったが、今回お前には別で動いてもらう』
「別?」
『森に出張った兄には悪いが、お前にはニグルクルイス内部の攻略に行ってもらおうと思う』
「なるほど、班を二つに分けて森で迎え撃つのと同時にダンジョンも同時に攻める訳か」
『何を言っている。ダンジョン攻略の方に頭数を割くつもりは無いぞ?』
「ニグルクルイスの連中より一足先に死んでもらうぞ情報屋!」
今回のファイアーボールも無駄撃ちに終わってしまったか。
しかし今の言葉、冗談には聞こえなかったぞ。
ただの悪意しか感じられない。
俺に単独でダンジョンを攻略しろと言いたいのか。
こちら側のダンジョン――クインディシアの高階層に居る魔物共から想像すると、流石に今の強さでは遠慮したい。
だがニグルクルイスは三匹の配下を除いて雑魚らしい。
ふむ、それならば問題ないか。馬鹿だったブラタヴィス以下なのだ。
俺が相手との戦力差を考えていると、黙り込んでいた理由を勘違いしたのか情報屋が口を挟む。
『ククッ……そうびびるな、大半の戦力が森に出てる以上、ニグルクルイスの最奥部までは取るに足らない状態だ』
「雑魚だけなら俺も森で戦った方が良い成長になると思うが」
『いや、恐らく魔王を代行している奴はダンジョンに残るだろう』
「なるほど、そいつを倒せば良いのか?」
『ああ、勝算なら充分ある。少なくともお前がブラタヴィスと戦った時よりは無難な勝負だ』
「あれよりも無難? 一応その三匹の中で一番強いから魔王代行なんだろ?」
『クククッ、漂う魔光の姿でブラタヴィスに挑んだ奴が、そんな瑣事を気にするとはな』
「それでまた、ブラタヴィスの特性を出たとこ勝負で対処する様な破目になっていたら世話が無い。それで、無難というのは何か理由があるのか?」
『簡単だ。お前はブラタヴィス相手に戦った時と同じ強さで仮初の魔王と対峙する訳じゃあない。ニグルクルイスの最終階層へ辿り着く時にはそいつを上回る程度には成長するはずだ。これはここ数日でブラタヴィスを倒すまでに成長した速度から見た俺の推測だがな』
「なるほど、悪くない理由だな」
この情報屋、分かっているじゃないか。
色々と悲しい誤解もあってファイアーボールもぶつけたが、俺の強さを理解しているからこその提案だった訳だ。
ふっふっふ、ついに魔王代行をも凌ぐと認定されてしまったか。
「だがその推測、上方修正が必要だろうな」
『ククッ、させてみろ。……そろそろ迎えが来る頃だな』
その言葉から数分後、外から聞こえ続けている雨音に何かが混じる。
俺は木の根入り口へと視線を運ぶ。
その音はゆっくりと近づいて、目視出来る場所にまでやって来た。
黒い体、四つの足。全身を覆う毛が水を含んでいる。
当然だろう、今雨の中を移動して来たのだ。
その獣は歩みを止めずに木の根へ入って来る。
含み切れなかった雨水はぼたぼたと地面を濡らしていた。
なんだこいつは。
スライムを見ると、何故かこの黒い獣から離れていた。
この大きな獣はさっき言っていた迎えでは無いのか?
四足歩行で胴は横になっているにも関わらず、その体高は俺の身長と大差無い。
かなりの大きさ、そして強そうじゃないか。
こいつは一体何の種族だ。
そんな疑問を持った瞬間、俺の横に居たそいつは全身を激しく振るい始める。
「馬鹿、やめ――!」
せっかく乾きかけていた俺の体は、雨も届かないはずの木の根で再び濡れた。