第十三階層
俺が誰かの恨みを買う様な、そんな酷い魔物な訳が無いだろう。
ただ慎ましく、魔物を殺戮し。
奥ゆかしく、その糧で成長して。
魔物らしく、生きてきただけの数日。
つまりあいつの発言は何かの勘違いなのだろう。
「おいおいおーーい、聞いてますかアア?」
『何を怒っているのかは知らないが、お前が探してる魔光は俺じゃない他の奴だろ』
「馬鹿かテメエ、こんな森で漂う魔光が他に居ると思ってんのかよ」
どうやら話は通じる様だ。
人間やエイカオーネが普段話しているのと変わらない言葉。
そして言ってる事も確かにまともだった。
俺はダンジョン周辺の森や、この北西の森でずっと狩りをしていたが、やはり漂う魔光をダンジョン以外で見かけた事は無い。
もちろん他にも出現する場所はあるだろうから、俺の行動範囲では、という縛り上での話だ。
「まーーあ、どっちにしろテメエも殺すんだけどな」
『……馬鹿か』
「ンアア?」
やはりただの馬鹿だったか、この俺が臆する様な相手でもない。
事実関係がどうあれ、殺すつもりならさっさと手を出せば良いものを。
俺だって一応いつ戦闘になっても良い様に構えている訳なのだから、無駄な時間を挟まずにさっさと始めて欲しいものだ。
もちろん魔光の俺がするのは、腕や足を動かして体の体勢を変える構えなどではない。心構えの方だ。
俺は相手の出方を見て魔法を放つ予定。
まあ、少し会話を挟んだ方がただの雑魚同士の戦闘よりも格好良い訳だから、そこは許してやっても良い。
俺が馬鹿だと言った理由はそこではなく……
『聞こえなかったのか馬鹿め、お前は殺す側じゃなく殺される側だろ』
言葉の最後には相手を馬鹿にする様な笑みを含めた調子で言い放つ。
「あー……死ね」
灰色コボルトのそんな短い言葉と共に戦闘が始まった。
地面を蹴って突き進む直線的な移動、相手の武器は斧だ。
速度は上々であり猪の突進をも超えている。ただし避ける事は可能。
あの時に受けた猪の突進は予想以上だったが今は既に見慣れた上、あれから能力だって上がっているのだから、俺がこの程度の攻撃を躱せない訳が無い。
俺が縦振りを横へ避けると、灰色コボルトが声を漏らした。
「ほーーう……」
空を斬っただけで地面に振り下ろされた両刃斧の反対側で、今度は下から上へ第二撃を放つ。
元々拳大しかない小さな魔光の体に攻撃を当てるのは難しいだろう、一撃目は横へ躱したが今度は後ろへ距離を取る為に下がった。
避けているだけでは相手は死なない。
後ろへ距離を取ったのは反撃の為だ。
未だ斧を上に振り抜いた状態で、胸を広げる灰色コボルトの胴にウィンドボールを撃ち出した。
当たった時の体勢もあり、相手は大きく後退る。
「お゛ふッ!?」
攻撃後の隙は考えていなかったのだろうか、確かにあの攻撃速度なら大半の敵は二撃目までに斧を受けて、今頃悶えるか死んでいるので問題なかったのかも知れない。
しかし俺でも一撃目を簡単に避けられたら、あの様な取って付けた逆方向に振るうだけの二撃目は繰り出さない。
やはりただの馬鹿なのだ。
まともに食らったウィンドボールのダメージを満喫している相手に向かって、今度はファイアーボールを頭に当てようとした。
「……チィッ」
真っ直ぐに撃ち出された火球に相手も気付いて、舌打ちと共に斧を叩きつける事で俺の追撃を掻き消した。
「あんま調子乗んなよオオオ!」
『まだ乗っても居ないがな』
事実を告げてやる俺だが、相手は既に聞こえていない様。
灰色コボルトの身体に変化が起こり始めていたのだ。
ただ戦う分には灰色という表現だけで種族的な説明は充分だった。
だが今それを見直すのなら、このコボルトには元々、目元などの要所だけに赤い紋様が現れている。
そして現在起きた変化──その赤い領域が増えた。
「っらアッ!!」
変化を確認し終えた瞬間、斧を叩き込まれた土が鈍い悲鳴を土煙と共に吐き出した。
その場所は数瞬前まで俺が相手の変化を観察していた正に真下だ。
元々、力に関して言えば俺の方が能力的に劣っているのだが、地面を見た感じ更にその差は開いた様で、それに伴い速さも上昇、つまり本気モードというやつだろうか。
格好良いな。
「さっさとオレの斧を食らえやアア!!」
『ならしっかり狙ってくれよ、そんな攻撃じゃあ一発もらう方が難しい』
明らかに加速した攻撃、それに次ぐ攻撃、つまり連撃。
先程に比べて避けにくくなったのは事実だが、まだ大丈夫だ。
ただし反撃も下手に挟めば逆に危なくなる為、今は防戦の状態。
「ハァハァ……テメエ、本当に漂う魔光なんだろうな?」
『なんだ眼も馬鹿だったのか』
可哀想に、大人しく俺の強さを悟り下僕になっていれば、種族的に魔法の得意そうなあのエルフを紹介してやっても良かったのに。
頭の方の馬鹿までは治らないだろうが。
「ハッ!」
掛け声を合図に間を詰める斧を持った灰色。
身長だけでなく腕や足も普通のコボルトより太い。
相手の掛け声と共に放った牽制の土球も、在って無い様に避けられた。
やはり隙を狙った訳でもない馬鹿正直な魔法だけでは意味が無いか。
そのまま近付いて斧を振りかぶった灰色のコボルトに対し、こちらも避けようとしたのだが──
──斧が分かれた。
相手の持つ斧は一挺、片手に柄が一本。
放たれる攻撃も一筋、一振りで一撃のはず。
だがこの瞬間見えているのは明らかに二撃、沿う様に二つの刃が横に並んで迫ってきた。
『なっ!?』
余裕は無い、完全に躱すのは厳しいか、真っ二つになるルートだけを否定する位置へ僅かに移動した後、俺は保険とも言える硬化を使った。
斧から放たれた斬撃は地面に痕を描く。
地に残る二本の線は、先程の突然刃が分かれた不可解な現象が見間違いでは無い事を示している。
しかし俺は健在。
その線は俺を挟む様、左右に描かれている訳で、拳大の俺には当たらずに過ぎ去ったのだ。
地面の観察に何秒も費やす事は無く、この好機を反撃に回す。
得体の知れない技を出し終えた相手の隙を突き、腹に強めのファイアーボールを叩き込む。
「んぐぉっ!?」
灰色のコボルトは腹を軽く焦がしつつ、重い一撃に膝を地面に落とし片手を突いた。
「っぐ……なんでアレも当たらねエエ……」
そんな言葉を聞いて考える。
先程の技は刃を二つに分けていた、標的を狙って、標的を中心にしてだ。
当たれば一度で二回斬られる技であり、相手がコボルトや狼程の大きさならば脅威となるが、拳大の俺を狙ったところで、中心に捉える精度が高ければ高いほど今の俺にあの技が当たる心配は無くなる。
もちろんあの技を不用意に大きく避けて中心から逸れ過ぎると逆に危なくなる上に、普通の斬撃にも関わらず悠然と待っていればこちらも痛い目を見る。
どちらにしても一瞬の判断、観戦のプロフェッショナルである俺の冷静な見極めと漂う魔光の小ささがあるからこその攻略だ。
この灰色のコボルトは馬鹿だが、それ以上に運が悪かったのだ。
そもそも相手が超強力な二種族間を跨いだこの俺では勝負の結末は判りきっていたか。
『雑魚め、そんな技が俺に効くと思ったか? 俺は最初から見切っていたぞ』
「オレが……オレが、雑魚だとオオ?」
少し見栄を張って余裕な感じを見せる俺。
最初からと言うのは嘘なのだが、次にあの技を使用されても見切れるのは事実。
ならば今更いつから俺が技を見切っていたかなど些事であり、もっと言えば戦う前から既に見切っていたぐらいの事を言っても良かっただろう。
そう考えるとやはり俺は控え目で謙虚でクールな性格なのかも知れない。
ただ慎ましく、魔物を殺戮し。
奥ゆかしく、その糧で成長して。
魔物らしく、生きてきただけの数日。
もう少し欲のある行動を心掛けて見るのも悪くないか。
「────オオオアアアアアア!!」
ふむ、俺が日々の過ごし方を考えていたこの間に、何か叫んでいた様だ。
灰色のコボルトは怒っている。また何かするつもりか。
先程、技を最初から見切っていたと豪語した手前、あまり新しい技を使われては困る。
避けられなかったら格好悪いだろ。
そこでやっと叫びの理由、変化に気付く。
これで二度目、灰色の身体に描かれている赤の紋様が更に増えた。
『二度目の本気モード、最初と合わせて第三段階って訳か』
なんだこの格好良いシステム……羨ましいが今はそれどころでは無い。
灰色コボルトは俺から見て左に一度大きく跳び、着地と同時に地面を弾いてこちらへ向かって飛んで来る。
やはり三段階目でも更に能力が上昇している様だ。
「っらアア!」
『ぐっ』
第二段階よりも更に速い斧が俺の体に空気の揺れを伝えた。
それに次いで更に振るわれる斧、不味過ぎる。
そこから更に少し角度を変えて俺を巻き込もうとする斧、このまま攻撃を続けられていては詰んでしまう。
相手の血走る目からしても冷静な判断は難しい状態だとは思うが、それを補って余り有る速さと力だ。
次の一振りで斧に巻き込まれてもおかしくない。
そんな丁丁と繰り出される連撃を回避する。
対応策を、早急に、やり過ごしては戻って来る斧を避けながら少しずつ準備を進める。
このまま大人しく詰みを待ち、回避のみを続ける選択肢は無い。
斧にのみ集中していても、灰色コボルトの攻撃が俺の回避に追い着き、お釣りが来そうな中での準備だ。
「ハッ、もオオオオらったアアッ!」
斧が光の球体を捉え、ど真ん中を通り抜ける瞬間を見届けて、先程から準備していたものが無事に成功した事を確認した。
『俺はまだ死んでないぞ』
灰色のコボルトが今両断したはずの光の球体を見ている中で、俺はその背後から頭部にソイルボールを撃ち、俺が健在しているという現実へ引き戻してやる。
土球は後頭部に当たりダメージを与えるが、第三段階の能力を纏う灰色コボルトともなれば、即座に斧を俺が居るであろう後ろへ横薙ぎして反撃に出た。
その斧はまたも正確に、光の球体を両断する軌道を走り抜ける。
「ッハアア! 今度こそやったか?」
『残念』
目を見開き驚く灰色コボルト。
流石に二度目ともなれば焦りと不安が浮き出てくる。
「どオオオオなってやがる!?」
『馬鹿に分かる訳が無いだろう』
光の球体、落ち着いて見れば魔光の姿と間違うはずの無い違いがあるものだが、激しい動きの中で視界に捉えると、その二つを見極める事は難しい。
そんな囮の正体は魔法陣。
もちろん薄いそれ一枚だけでは囮として心許ないので、円の中心を基点に二枚目の魔法陣を異なる角度で重ね合わせて淡く光る魔法陣を立体的に見せた。
俺の体と同じ拳大サイズの擬似球体は、回転しながら灰色コボルトの周りをゆらりと流れている。
今の時点で球体の数は二。
一つの囮に対して魔法陣を二つ使用しているが、ファイアーボール程度なら休む事も無くかなりの回数撃てる魔力を持つ今の俺。
囮の数は心配する要素ではない。百の囮を出した所でまだ余裕といった魔力の量。
更に魔法陣は斧で斬られ様が誰かが通り抜けようが特に変わる事も無く在り続けるので、灰色コボルトの攻撃に消滅する事も無いのだ。
恐らくだが魔力を用いて、魔法陣を破壊する攻撃は可能だと考える。
一時的な発動で使われる魔法陣はともかく、この囮の様な持続的な魔法陣ならば破壊しやすいかも知れない。
どれだけ魔力の扱いに長けていれば可能なのかは分からないが、少なくとも目の前に居る灰色コボルトには無理な芸当だろう。
無い頭を酷使して状況の把握に努める灰色コボルトを嘲笑い、俺は移動しながら囮を増やしていく。
ただの魔法陣を魔法にではなく、そのまま魔法陣として戦闘に使用する。
恐らく高度な魔法戦であるに違いない。
もしや俺は既に最強という領域へ片足を突っ込んでしまっているのかも知れない。
ふはは、やはりこの灰色コボルトでは俺との戦闘は少々荷が重過ぎた様だな。
しばらく固まっていた灰色コボルトがようやく動き出した。
どうやら考えが纏まった様だ。ただしあまり賢い結論には至らなかった様で。
「お前さえ殺せば済む話だろオオオがアアア!!」
第三段階の力と速さを持って暴れ始めるが、紛らわしい囮の働きによって避けるのが少し楽になった。
灰色コボルトの周りをゆらりゆらりと浮遊する球体から球体へ、身を隠しつつ魔法陣を徐々に増やす。
そこからかなり暴れ通した灰色コボルトは、単に体力の問題か第三段階の状態を維持し続けた反動か、体に軽くない負担が掛かっていた様だ。
「ハァ、ハァ……ッソがアア……」
『そろそろ終わりにするか』
既に俺を視界に入れているかも怪しい灰色コボルトから離れていく俺。
『これぐらいで十分だな』
一息置いて集中する。とは言ってもこれ自体は難しくも無い。
魔力を用いて合図を送るのだ。
俺は溜めた魔力を一気に開放して全てに合図を送った。
――終わりの合図。
それを受け取った全てが、反応を示す。
一つ一つの球体が眩い光を、熱を、音を出していく。
小爆発だ。
灰色コボルトの姿は光に呑み込まれ見えなくなり、本日一番の轟音を森に響き渡らせた。
ふっふっふ、これの技名ならば既に考えている。
爆風を感じつつも、最終的な決断を下す俺。
少し候補も残っていたのだが、やはりこれが一番だろう。
――『魔光達の宴』
光の球達は最期、あんなにも眩しく光って自分の役割を果たしたのだ。
あれは立派な魔光達、あれを魔光と言わないのならば、あれ以上の立派で勇ましい魔光は俺以外居ないだろ。
立ち込める土の混ざった煙が徐々に薄れていく、耐久限界を超えたダメージの後に残っていたのは、横たわる一体の灰色コボルトだ。
『ここらの魔物にしてはまあまあ強かったぞ』
独り呟きながら補吸魔法のプレデイションで灰色コボルトを光に変える。
そこらの狼を一匹喰うだけではなんとなくといった感じの成長だが、こいつに関してはなかなかの成長量。
確かに少し馬鹿ではあったが、しっかり強敵として糧になってくれた様だ。
それにしても第三段階になった時は危なかった。
単純な速度だけで戦いを続けていたら恐らく負けていただろう。
囮が上手く機能しなかったら本当に困る事になっていたはずだ。
あの情報屋のスライムめ、こんな強敵が居るのなら教えろよ。
一応あいつを観察してから勝てると思って戦闘を挑んだのは俺だが、段階的に能力が上がっていく隠し球を持っているなんて分かるはずも無い。
一言、灰色コボルトはそういう技を使うぞといった忠告があっても良かっただろ。
まったく、俺が負けたらどうしてくれるつもりだったのか。
灰色コボルトとの戦闘が終わり今は昼過ぎ、ダンジョンに帰るついでに木の根へ立ち寄って文句を言いに行く予定を立てる。
しっかりと、この俺を危険な目に遇わせた事に対する詫び言を聞かなくてはならない。
北西の森からダンジョンの近くまで戻って来た。
移動によって既に日は傾き始めているが少し雲が厚いのもあり、いつもより暗い感じがする。
そろそろ木の根も見えてくるかという道中、次の種族変えについても一考しておく事に。
漂う魔光になる事で、魔法に関する能力の成長補正は手に入れた。
もちろん魔法自体も手に入れたのだが、それが引き継げるのかと言われると、やはり試してみるまで分からない。
硬化は出来ても変形は出来なかったのだからな。
まあ魔法が一時的にまた使えなくなっていたとしても、能力は文句の無い成長を期待出来るのだから、改めて覚え直せば良いだけの事。
とにかく魔法に関してはあまり問題では無いだろう。
そうともなれば、次は力か速さを重視した種族変えにしておきたい所だ。
速さが優秀なら慣れさえすれば避けながら魔法で攻めていくのも楽になり、灰色コボルトが相手だったとしても『魔光達の宴』を使う必要が無くなるかも知れない。
これに関してはどの様な種族変えにしても俺の能力は全体的に上昇するのだから、結局灰色コボルトに苦戦することは無くなる気もする。
とりあえず俺の見立てではあるが、速さと魔法は相性が良いはず。
それに今回速さを選べば、遠い所まで足を運ぶのも楽になる。
一方、力に傾いた種族を選べばどうか。
まず力自体も今まで得ている種族変えの補正がある為、その種族本来の力を上回って暴れ楽しむ事が出来る。
そして何よりも重要なのは、一見して力任せな奴であるのに、実は魔法を扱えてしまうという存在になるのだ。
格好良い。
『……ふっ』
力と速さ、これで今回どちらを狙うかというのがほぼ決定してしまったか。
まあ結局の所、エイカオーネの所に行き、種族変えで選ぶ事の出来る選択肢を見てからでないと、最終的な判断は下せないのだが。
『さて』
俺はスライムの情報屋を一度蒸発させてやる為、木の根を潜ると同時に、中に居る一体のスライムへとファイアーボールを二発同時に打ち出した。
『よう今戻ったぞ』
『ククッ、早かったな』
もしかすると火球を食らって反応が返って来ないかと思った俺だが、衝突した火球が弾け目視出来ない程の空間から、いつも通りの笑い声が返って来る。
木の根を通る風が土煙を流し終えた所で会話が再開した。
『なんで無傷なんだよ』
『もしやあの可愛い挨拶で俺に傷をつけられると思っていたのか』
真面目に驚いた様な口調を装うスライムは近付いて言葉を繋げる。
『それで北西の森はどうだった?』
『ああ、お前が情報をくれたお陰で良い運動になった』
『そいつは何より』
『それとお前の言っていた、派手に暴れるというのもやってきたぞ』
『ああ良くやってくれた。一応こっちでも確認したからな』
いつ確認したんだよ、と率直に返そうと思ったが情報屋の事だ、いちいち考えていては時間の無駄になるだろう。
文句を言う気も失せ、話題を少し変える事に。
『ところで、北西の森に居た灰色のコボルトは何なんだ?』
『ククッ、やはり遭遇したか』
恐らくあの灰色との遭遇も、この情報屋に謀られたと考えられる。
俺が派手に暴れたお陰で出遭った訳だが、もしかするとこいつはその茶番を狙って『派手に暴れろ』というリクエストをしたのかも知れない。
まあこいつ相手に早計は禁物だろうが、あの出遭いがこいつの目的だった所で驚く程の事でもない。
『種族名で言えばブラタヴィス・コボルト。こいつはコボルトの中でも結構な上位種族でな。まあ、全体的に力任せな奴だ』
『あのいきなり赤い紋様が増えて強くなるのが厄介だったぞ』
『確かに追い詰められると能力を上昇させてくるが、その言い振りだと戦ったのか?』
『別に考え無しに突っ込んだ訳ではないぞ? ただそんな技を使ってくるとは予想していなかったから思ったよりも苦戦しただけだ。しかし最終的に勝てたから良いものの、そういう強敵の情報は俺に教えておくべきだろ』
言い終えると、少し間を空けるスライムの情報屋。
また何か嬉しくない事を考え込んでいるのだろう。
『……ククッ、悪いな。まあお前なら適当に逃げて、死にはしないと考えていたからな』
『どうだか』
『しかしブラタヴィスまで倒すか……』
更に考え込む情報屋。
『……お前、この後の予定はあるか?』
怪しく黒く笑っている。
スライムの表情がここまで読み取れた事はあっただろうか。
少なくとも、ここまで読み取りたくなかった表情は今まで無かっただろう。
『とりあえず第七階層で種族変えしてくる予定だ……その後は、考えていない』
『そうか、なら夜になったらまたここへ来い』
『……何を考えているのか分からないが、一応来てやろう』
『よし、なら早い所済ませて来い。俺も少し準備があるからな』
ふむ。少し良い様に動かされている部分もあるので気分の方はともかく、今回も悪い話では無いのだろう。
考えてみるとブラタヴィスの事も結果だけを見れば、成長出来ただけでなく良い戦闘経験にもなった。
そんな事を思いながらもスライムとの会話を一旦切り上げて木の根を出る俺。
とりあえず向かうべきはダンジョンだ。
種族変えの部屋へ向かう事にしよう。
第七階層。既に見慣れたダンジョン風景だ。
移動に掛かる時間も初めに比べると随分と短い。
ダンジョンマスターである俺が道に迷わず最善のルートを熟知しているからこその早さでもある。
これがダンジョン内部の構造に疎い人間ならば、第七階層に来るだけで、相当な時間と体力を要する。
第七階層を移動しながら種族変えをする為の部屋へ向かう俺。
少し考えてみると今の俺の強さは、既になかなかのものになっているはずなのだ。
何と言っても、あの灰色──ブラタヴィス・コボルトの第二段階までを素で避け続けることが出来る俺。
第三段階になってくるとあの時点での能力的な差もあった為、流石に囮を使わせてもらったが、それだって俺が持つ実力の内だろう。
そこから更に、倒したブラタヴィスを摂り込んで成長した訳だ。
既にダンジョンの低階層にやってくる人間ならば正面切って挑めるのではないか。
あいつらの太刀筋などブラタヴィスの斧に比べれば止まって見える。
……いや、今は見栄を張って誇張する必要も無い。見劣りする程度だろう。
その他に魔法を使う者が居ても関係ない。
むしろ魔法でこの俺に挑んで来るなど、素手より愚かというものだ。
中途半端な魔法を使えた所で、俺が紡ぎ出す数々の魔法旋律を理解して対処する事など不可能。
俺は種族的に見ても魔法に愛された漂う魔光。
フェロルという魔光中で最弱種族が持つ残念な魔力の量などは、むしろ愛の鞭というやつだ。
決して魔法に愛されなかった訳ではなく、その逆境を乗り越えてこそ真に魔法から愛される資格を持つという隠されたメッセージ。
とにかく今の俺なら人間が二、三人相手であっても問題はない。
ふっふっふ、可能なステップアップはしていくべきだ。
次に勝てそうな人間を見つけたら相手してやろうじゃないか。
まあ種族変えで初期能力も確実に引き上げられて行く訳だが、成長率の恩恵もあるのだ。
せっかく人間と戦うのだから、種族変えをした直後よりも体慣らしを含めて少し雑魚を狩った後の方が良い。
ここは手堅く行こう手堅く。
どちらにしても今は情報屋スライムとの約束がある。
種族変えした後はとりあえず木の根に向かおう。
出来る魔物はここが違うのだ。
これがブラタヴィスの馬鹿コボルトならば、先程の約束など頭の片隅にも残っていないだろうな。
既に消え去った敗者に対して独りで勝ち誇る俺。
切ない気持ちになった訳では無いが、丁度目的の部屋に着いたので三下的な思考は中止する。
少しも切なくは無かったが部屋に着いてしまっては仕方が無い。
『おーいエイカオーネ』
いつもの様に魔法陣から現れるエルフ。
少し見慣れてきた感覚がある。実際はまだ数回だけしか会っていない。
むしろ数回しか会っていないのに何故かそれなりに親しい気がする。
特に問題視する点では無いが、あえてもっともらしい答えを付けてやるとすれば、種族変えという特殊な状況にこのエルフが立ち会っているからだろうか。
自分が違う種族に変わる瞬間。
……何か気恥ずかしいな。
『変態め』
「へっ!?」
『やはり変態だったか』
「あの、違います」
『なんだと、ならばお前は何者だ。俺の知る変態エルフをどこへ攫った?』
「エイカオーネです。大丈夫です攫われていません」
律儀に質問に答えるエイカオーネは少し微笑んでいる様に見えた。
あの情報屋の嫌な笑いに比べるとひどく健全な薄い笑みだ。
やはり知り合いの中ではエイカオーネが一番まともである。
『挨拶はこれぐらいにして、早速種族変えをしようと思う』
「分かりました」
エイカオーネが軽く手を振るうと、階層を区切るのと同じ闇が近くに現れる。
前回も思ったが格好良い。何気なく、闇を出現させるのだ。
道具に頼っている様子も見られない。
これは一種の魔法だろうか、それとも何か特殊な……
ともかく俺がこういったものを扱えない以上、エイカオーネが俺よりも強いのではと考えられる。
低階層の人間ならば恐らく勝てる、と自分の強さに自信を持ったばかりなのだが、改めて考えると目の前に居るエルフには勝てる自信が無い。
あまり彼女を怒らせる様な事はしない方が良いのかも知れない。
ただやはり、例え強さがどうであれ大人しく下手に出るというのも何か違うだろう。
これはただの見栄ではなく俺なりの、彼女との付き合い方、関わり方の様な気がするのだ。
自分でもあまりよく分からない。
ただなんとなく、エイカオーネもそんな関係を楽しんでいる気がして。
そんな彼女を見ながら闇を潜った。
ここもお馴染みの広い部屋。
小さいと思っていたスライムから更に小さい漂う魔光になった俺。
この大きな空間を広く領する様な、巨大な魔物に憧れる事は既に無い。
スライムの時には思えなかった事だが、小さいながらそれなりに強くもある魔光になったからこそ、ただ大きければ満足だという想いが無くなったのだろう。
もちろん興味という部分でいえば、これからも繰り返す種族変えの中で、そういう魔物を選んでみるのも悪くは無いと思っている。
『ん?』
「どうしました……?」
広い部屋の中、石畳の上に小さな何かが落ちている。
近付いてそれが見覚えのあるコインだと視認する。
『誰かが落としたのか』
「それは無いと思います」
俺の隣で人間達が日常的に使うこの金を見てエイカオーネが言う。
「この部屋を使っているのは私達だけですから」
種族変えなんていうのをしているのが俺しか居ないのだから、確かに他の魔物には縁の無い部屋だ。
……ん? ああそうだそうだ。これは俺の金じゃないか。
スライムの時に持っていたのは薬草とお金だ。
あの時、漂う魔光になってから薬草の束はエイカオーネに預けたが、今ここに落ちている金には気付いていなかった。
『ああスライムの時、薬草と一緒にこれも持っていたのを忘れていた』
「フェロルさんのお金でしたか」
『別に必要ないしこれも預かっておいてくれないか?』
「わかりました」
エイカオーネは屈んで、床にある数種類のコイン達を一枚ずつ拾い、腰のポーチへ納めていく。
数分後、間違いなく数分後だ。
普通に掻き集めて拾えば数十秒も掛からない作業。
途中から鼻歌が聞こえた気もするが俺は黙って待っていた。
全部拾い終えて立ち上がった彼女が、満足気に「ふう」と大きく息を吐いてこちらを見た。
「全部拾いました」
『コイン拾いは楽しかったか』
「はい……あ、種族変え……」
『何故一枚ずつ拾っていたのかは触れないでおいてやろう』
「……は、はい」
『水晶』
「はい……」
そして俺は床に置かれた水晶へと、魔光の体を近づけた。