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遅刻

遅刻はよくない。待たされるほうのメンタルに大ダメージ

 彼は遅刻魔だ。

 メールで確認しても、前日携帯で注意していても、私との約束には遅れてくる。

 心配でなにかあったんじゃないかと携帯にかけたり、メールをしても反応はない。

 じりじりと待ちながら、これで何度目だろうと考える。

 約束の時間はとっくに過ぎて座りこみたくなった頃に、彼は現れる。


「ごめんな。寝過ごして」


 寝過ごしてのほかは出がけに用事がとか、気分が乗らなくてとか、他の人から電話がかかってきてとか、メールが入ってとか。

 ごめんと言いながら悪びれた様子はない。私がうんざりとした気持ちでバッグを握るとそれに気付かずに腹減った、何か食べようと歩き出す。

 そのくせ待つのが嫌いなのだ。

 映画館でもチケット販売の列に並ぶと、段々機嫌が悪くなる。それならと思ってネット購入していたのに、ねえ、もう上映時刻は過ぎちゃった。

 クレジットで無駄に引き落とされる二枚分のチケットと空席の映画館。

 中央のいい席を購入したのに。アクションは映画館に限るって言っていたのに。


 それを指摘すると途端に不機嫌になる。


「悪かったよ。今度は遅れないから。今日はお前の好きなところに行こう」


 結局本屋に行って、彼の好きな店に行って。中途半端な時間に食べたせいで夕食は食べる気にならずに駅で別れる。電車の中で仲のよさそうな二人連れを眺めながら、自分って何だろうと自問する。

 彼に告白したのは私の方だ。惚れた弱みはこっちにある。

 そう思って付き合ってきたけれど、彼は私との約束を守らない。

 遅れるなら遅れると連絡があればまだいい。こっちからの連絡に応じてくれれば、まだいいと思える。それすらなしで平然とした顔で現れる。


 いつもごめんって言うけれど本心から?


 積み重なるたびに、何かが削り取られていくような気がする。

 私の自尊心だったり、彼を好きだと思う気持ちだったり、彼への信頼だったり。

 最初に待たされてしまうせいで、私は楽しい気持ちになれない。

 告白して受け入れてもらえたときは、顔を見るだけで嬉しかったのに。

 今では会っている最中は気分が乗らず、別れて一人になると気分が重くなる。


 溜息をついている自分に気付いた時に、賭けをしようと思った。


「次は遅れないで」


 そう念押しをした。彼は分かった分かったと軽く返した。



 最初に遅れた時には、次は遅れないでと告げた。

 二度目に遅れた時は、お願いだから遅れないでと告げた。

 三度目に遅れた時は、絶対に、絶対に遅れないでと告げた。


 私は時計に目をやる。約束の時間から一時間が過ぎていた。


「ごめん、悪い。携帯のアラーム、寝ぼけて止めたみたいで」


 私を認めて手を上げて近寄ってきた彼を見つめる。仕事に打ち込む横顔が好きだった。よく通る、少し低めの声が好きだった。

 大きな骨ばった手が好きだった。目を細めて笑う仕草も好きだった。

 今も好きだ。でも、賭けに負けてしまった。


「もういいよ」

「ほんとごめん、お詫びに好きなものおごるから」

「だから、もういいよ。私におごらなくてもいい。もうやめるから」

「やめるって何を?」


 彼はわけが分からないといった体で私を見つめる。

 うすうす気付いていた。私が好きなほどには、彼は私を好きではないのだろうと。

 仕事で遅刻をしない彼が私との待ち合わせで遅刻をするのは、私を軽く見ているからだと。

 好きだから目をつぶろうとした。でも、ごまかしようがなかった。


「もうあなたと待ち合わせをするような付き合いはやめるってこと」

「ちょっと待てよ、それって」

「別れよう」


 短く言って彼の横をすり抜ける。


「ちょっと待てよ。いきなり何だ、俺は納得できない」

「――今まで何回遅刻した?」

「は? 今は遅刻の話じゃなくて別れ話なんだろう」


 彼につかまれた腕を振りほどく。強張った顔の私を見て、彼もようやく私が本気だと悟ったみたいだ。肩にかけたバッグを脇に抱きしめる。


「言ったよね。『次は遅れないで』って。この前は『絶対に、絶対に遅れないで』って。私、賭けをしたんだ。遅れないでって念押しをしてそれでも三回遅刻するようなら四度目はもう、ない。それが今日」

「何だよそれ。言ってくれれば俺だって」

「何回も言ったよ。その度に分かったって言ったじゃない」


 彼は気まずそうに黙りこんだ。

 好きだから待っていられたんだ。でも、私ばかりが待ち続けるうちに大事にされていないんだ、と惨めになった。

 これ以上待ち続けたら、きっと彼を嫌いになる。被害者ぶって彼を責めてしまう。

 その前に離れよう。そう決めて賭けをした。


「私は忠犬じゃないよ。待って待ち続けて、気まぐれに現れたご主人様に尻尾は振れない。じゃあね」


 彼は呆然とその場に突っ立って、私が立ち去る邪魔はしなかった。人の波にまぎれてとにかく早足で歩く。泣くのを我慢していると顔が歪むのが分かる。

 自分で別れるって決めたのにすごく苦しい。心臓はばくばくしているし、胸はきりきりと痛む。

 愛想はかなり尽きてはいるけれど、まだ好きだから余計に辛い。


 結局あちこちをぶらついて私は家に戻った。マンションの入り口に見覚えのある人影が立っている。オートロックだから中には入れなかったか。

 くるりと逃げ去ろうかと思ったけれど、足に力を入れて自動ドアを通り過ぎる。

 彼を見ないように開錠操作をして内側のドアを開けた。彼は追ってはこなかった。

 そのままエレベーターに乗って部屋に戻った。


 コートとバッグをソファに置いて、ベッドに倒れこむ。

 どうして彼はマンションで待っていたんだろう。どうして何も言わないんだろう。

 天井をぼんやり見ながらどうしてと思っていたら、メールの着信音が聞こえた。

 彼からだった。


『本当に悪かった。反省している。俺は甘えていた。待っていてくれるだろうって考えていた。無表情で別れようって言われたのが堪えた。ひどいことをしたと自覚している。すみませんでした』


 週明け、会社で顔を合わせた時に彼はどうするだろう。

 私はどうするだろう。

 大人の決断はひどく苦い。割り切れない。

 彼は待っていた間に何を思ったんだろう。じりじりと待つ辛さを少しでも味わったんだろうか。


 もし、彼から誘われるようなことがあったら。私は彼を待つんだろうか。




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