冬の散歩
自分の足で歩くと色々発見があって楽しい
いきなり冷え込んだ季節は知らずに皮膚を固くし、背筋をこごめさせる。
マフラーを巻いて手はコートのポケットに突っ込んで、そうしてアパートのドアを開ける。
空気は澄んでいるのに冷たくて、鍵をかけている間でさえ手が凍えていく。
今日は徒歩での移動。
飲み会の翌日だから、車は置いてきている。それを取りにいくための短い散歩。
普段なら気にも留めずに通り過ぎるだけの景色は、今日はゆっくりと目に入る。
側溝にたまった落ち葉とか、意外に凝っているマンホールの意匠だとか。
天気がいいのは救いだけど放射冷却で寒さが身に染みる。暖かそうな室内から悠然と外を眺めている猫の艶やかな毛並みに撫でたい、と内心で大声を上げる。
歩行者用の横断歩道も渡るのは久しぶりだ。のんびりと道を横切って冬の街並みを歩く。
時間に追われずに歩けるのは、ある意味贅沢なのかもしれない。
ケーキ屋の前を通って華やかな飾りつけに目を引かれる。前に遊びに来た海外の友人が、日本のケーキは最高と感激していたが確かに甘さ控えめな美しいデコレーションは見ているだけでも楽しい。まあ、その友人は和菓子にも感激して、これぞ日本文化と力説していたが。
帰りに買っていこうかなと甘い誘惑に流されそうになってしまった。
交差点を左折して上り坂になる。ふと生花店の店先に可愛らしく飾られているブーケに足が止まった。店から可愛い女の子が笑顔で出てくる。
「可愛いでしょう。おすすめですよ」
そういえば最近は忙しすぎて花を飾るとか思いもよらなかった。
アパートの自室もよく言えばシンプルだけど、悪く言えば殺風景だ。ワンコインの値段もお手ごろだし、つい買ってしまった。可愛いブーケを手に持って歩くのはちょっと気恥ずかしいが、これも散歩の小さな記念と割り切ることにした。
職場の駐車場について、このまま帰るかとも思ったけれど週末に読みたい本を職場に置いていたから建物に入る。人の少ない屋内を歩いてエレベーターで昇る。
デスクで目当ての本を手にして、さて帰るかと部屋をでようとする。
タイミングが悪いことに、携帯が鳴った。
「はい」
「今、どちらにいらっしゃいますか?」
「うん、医局」
「良かった、患者様のご家族が急にいらして話を伺いたいとおっしゃっています」
「……今、いきます」
どの患者さんのご家族だろう。まずはナースステーションでカルテを確認、説明のために簡単に書かれてある人体の本も持っていかなくては。願わくば説明は一度で終われると嬉しい。遠方の子供、兄弟とぱらぱらと来ては同じように説明を求められると、いっそ最初の説明を収録してそれを再生したい気分にかられる。やりはしないし、その度ごとに真摯にしっかり説明はするけれど。
でもせっかくの休日だったのにな。
溜息をついて白衣をはおり、携帯の電源を落として下の病棟へ行こうとして机の上のブーケに気付く。
このままだと萎れてしまうかも。
花瓶なんてしゃれたものはない。結局インスタントコーヒーの空き瓶に水を入れてブーケを突っ込む。色気もなにもあったものじゃない。
気を取り直して聴診器を掴み、仕事の顔に切り替える。
どうせ説明の後で病棟業務を押し付けられて、そのうちに急患の応援とかに引っ張り込まれるに違いない。預言者のようにこの後の流れが目に浮かぶ。
短い散歩は終わって、日常の延長が始まった。
でも仕事が終われば可愛い花が待っているかと思うと、まあ悪くない気がした。