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梅宮と私とメガネ

目の悪い人がメガネメガネと、メガネを探す姿はいい

「う……ん」


 寝返りをうって枕に顔を押し付ける。下半身は温かいのに肩には布団がかかっていなくて、寒い。ベッドもいやに硬い。

 もそもそと寝心地がいいように姿勢を変えて布団を肩まで引っ張る。布団も軽いなあ。私としては奮発したはずの羽根布団だけどここまで軽かったっけ。

 そんなことを思いながらのばした足が、何かに触れた。

 ……なんでベッドに異物が?


 目を開けるとぼんやりした世界が広がる。目が悪いから輪郭は滲んでいる。

 それはいつものこと。

 いつものことじゃないのは、ここが私の部屋じゃないこと。

 第一ベッドにすら寝ていない。足をつっこんで肩まで潜り込んでいるのは部屋にはないはずのコタツだ。

 ここはどこ? 私は誰、は分かっているのでまあいいがここはどこだ?

 起き上がってみた天板の上には麦茶の入ったコップが置かれている。

 そしてこっちを向いてコタツで寝ている塊は。

 顔を近づけてぼやけた輪郭を確かめる。静かな寝息を立てているのは……。


「梅宮?」


 私の声に眉間に皺をよせた梅宮が身じろぎする。会社の同僚の梅宮がなんで寝ている? ここが私の部屋じゃなかったら、梅宮の部屋?

 あわあわしながら固まっていると、ぱちりと梅宮の目が開いた。少しの間じっとして、目線で私を見上げてくる。


「お早う。起きたか」

「え、と、ここって梅宮の部屋? あの、さ。私、なんで」


 もぞりと起き出した梅宮は髪の毛が寝乱れて、まだ眠いのか気だるげな様子だ。

 そのままじっと私を見るもんだから、居たたまれない。


「覚えてないのか。昨日は部の飲み会だっただろ?」

「あ、うん。鍋が美味しかったよねえ。やっぱり地鶏鍋の雑炊が最高でって、じゃない。飲み会でした」

「お前、風邪気味とかで薬飲んでただろ。その後で断りきれずに部長から酒を飲まされてへろへろになってた」


 昨夜の記憶を必死でよみがえらせる。確かに梅宮の言うとおりだ。

 そこまではいい。問題はそれから後でなんで梅宮の部屋のコタツで二人で寝ている状況なのか、ということだ。

 麦茶を飲んで口の渇きを潤す。


「悪い、ベッドに運ぼうと思っていたんだけど、どうやらここで寝てしまったみたいだ。風邪の具合はどうだ?」

「そっちは大丈夫そう。どうして私、梅宮と?」


 質問すると梅宮は少し笑った。これは聞き覚えがある。営業の梅宮が狙った獲物を仕留める、もといお客様に契約印を押させようとする時のものだ。

 戦略をめぐらせ、罠にかけ、自分のものにする時のなんていうか内心の興奮を隠した、舌なめずりするような声だ。


「……へろへろで気分悪そうだったから、方向が同じ俺が送っていくってことで一緒に帰った」

「そ、そう。それはご迷惑を。でも、ならなんでこの部屋なのかなあって」


 同僚で同期とはいえ、男の部屋に外泊なんて。

 

「お前途中で寝てしまって、家もよく分からないし。だから連れて来た」

「重ね重ね申し訳ございません」


 頭を下げると天板に額が触れる。穴があったら入りたい。コタツの中に全身潜り込みたい。うわあ、醜態をさらした。

 恐る恐る顔を上げると梅宮は少し首をかしげて私を眺めていた。


「別に。そんなに迷惑じゃなかった」


 おい、そんなにって何だ。気になるじゃないか。いやいや、私は梅宮に迷惑をかけたんだ。ここは速やかに退却、じゃなくて部屋を去ろう。


「本当にごめんね。来週にでも埋め合わせする。私帰るよ」


 そして必需品を探す。メガネメガネ、どこだ。あれがないとまともに歩けない。

 天板の上に手をさまよわせてもメガネらしい物が見当たらない。枕に使っていたらしいクッションの周りを手探りしてもそれらしい物には当たらない。


「梅宮、私のメガネを知らない?」

「さあな。コートと上着はそこにかけてある。バッグは部屋の隅にある」


 指をさされてそっちを見る。滲んでぼやけた視界の中を進んでコートや上着のポケット、バッグの中を探してもメガネがない。

 どうしよう。


「……梅宮。本当に、本当に悪いんだけどメガネを一緒に探してくれない?」

「いいけど、夕飯おごれ」

「う、分かった」


 それから一緒に探してもらったけどメガネはやっぱりなかった。

 タクシーの中にでも落としたんじゃないか、って結論付けるしかなかった。梅宮にタクシー会社を覚えているかと尋ねても、流しだったと言われてしまえばそれまでだ。

 二人でコタツに入ってうなだれていると、梅宮に聞かれた。


「お前、そんなに目が悪いの?」

「そうだね。梅宮の細かい表情は分かんないや」

「どこまで近づいたら、分かる?」

「んー?」


 コタツから出て梅宮の側に行く。部屋着なのかスウェットを着ている。スーツじゃない梅宮なんて初めて見るかも。

 梅宮に顔を近づける。

 滲んだ世界が近づくにつれて輪郭が鋭になり、対象とその他が分離されていく。

 ほとんど顔の前で私は止まった。


「ここくらいで、細かいところまで見える」

「お前……誘っているんじゃと思うくらいの距離だな」


 はい? と思っていると梅宮がすっと目を伏せてちゅっと唇を重ねてきた。

 今の何?

 今何された?

 最初から最後まで目はばっちり開けていたから、梅宮の顔は良く見える。

 少し太めの眉とか意外に長い睫毛とか、切れ長の二重とか、少し薄めだけど柔らかそうな唇とか、唇とか、唇とか。


「う、めみや」

「お前、隙ありすぎ」


 訳の分からないことを言われて私は固まる。梅宮はコタツから出て、冷蔵庫を開けた後でこっちを見た、気がした。


「コンビニ行ってくるから、ここにいろ」


 バタンとドアが開閉されて外から鍵をかける音がする。

 待て、ちょっと待て。私はさっき梅宮と、梅宮と……。ぺたりと座り込んだまま頭の中はぐるぐるとしている。

 ――なんで梅宮がキスをしてくる? 私達は同期で同じ部署だけど個人的なつきあいなんて全くないぞ。部屋なんて初めて入ったし、なにより私服姿ですら初めて見るような間柄なのに。

 さっきの梅宮の行動の意味をとらえかねているうちに、また鍵の開く音がした。


「ただいま」

「あ、お帰りなさい」


 梅宮と思われる塊がこっちに来る。なんだかえらく機嫌がよさそうだ。コタツに入って袋の中からサンドイッチだとかヨーグルトとか、ペットボトルを取り出した。

 あとお泊りセットとかかれている、一泊用の化粧品と歯ブラシ。……気が利くね。


「食べたら支度しろ。家まで送る」

「え、いいよ。タクシー呼んで帰るからさ」

「お前、予備のメガネとかあるの?」

「家にはあるから。梅宮にこれ以上迷惑かけられないし」


 食べる合間に答えると、梅宮は迷惑じゃないから、ともう一度言った。


「この辺り一方通行が多くてタクシー呼びにくい。住宅街だから流しもいないぞ」


 そう言われてしまえばおおせに従うしかない。食べたものをまとめて袋に入れる。

 顔を洗おうときょろきょろすると、梅宮が手を引いてくれた。

 こっちと案内されてタオルを渡される。

 顔を洗って歯を磨く。ぼんやりとした視界で確認すると、随分さっぱりしている。歯ブラシは一人分。整髪料らしきものと歯磨き粉が置いてある。

 バッグの中のもので簡単に化粧をして、コタツの置いてある部屋に戻る。


「梅宮、お待たせ」

「もういいのか。その歯ブラシどうするんだ?」

「ああ、処分しようと思って」

「……なら、こっちでやるからよこせ」


 歯ブラシを渡すと梅宮はまた洗面所へと消えた。そっちのゴミ箱に捨てるのかな?

 上着とコートを羽織っていると梅宮も支度が済んだみたいだ。

 黒いハイネックのセーターにデニム、ダークグリーンのコートを羽織っている。


「じゃ、出るぞ」

「お邪魔しました」





 靴を履いて部屋を出ると、手を引かれてエレベーターの所に連れて行かれた。


「梅宮、手は繋がなくてもいい」

「見えていないんだろ? 危なかしいから黙って繋がれとけ」


 ボタンを押した梅宮に見下ろされる。なんだかずっと梅宮のペースで、悔しい。

 開いたドアに先に通されてエレベーターが下降する。手はずっと繋がれたまま。

 駅に行ってホームに並ぶ。確かに梅宮がいないと電車の行き先さえ見えない。意外に面倒見のいい梅宮の一面を知った気がした。

 やってきた電車に乗り込む。休日とはいえそれなりに混んでいる中、梅宮は手を繋いだままもう片方の手をつり革を握る。

 同じようにつり革につかまって電車の振動に身を任す。

 

 これってどんな風に見えているんだろ。電車の中まで手を繋いでいるこいつらバカップルだろとかかな。

 一旦手が離れて安心したら、またすぐに繋ぎなおされた。しかも。恋人繋ぎとか言われる指を絡めた繋ぎ方だ。

 ちょっと待て。

 見えていない私の手を引くのは、人助けとしてはアリだ。

 だけど恋人繋ぎは必要性が全くない。ナシだ。

 むっとして梅宮に目を向けるけど、本人は涼しい顔をしている、ような気がする。見えないって切ない。

 くそう、こっちが見えてないと思って好き勝手しやがって。むかむかしながら、それ以上に繋がれている手にドキドキしながらつり革を握りなおす。

 

 メガネをかけたら、覚えていろ。この恥ずかしさを絶対に埋め合わせてもらう。

 

 電車で二駅、いつもの改札を手を繋いだまま通過する。

 梅宮はあちこちきょろきょろ見ながら歩いている。


「随分雰囲気が違うんだな」

「ここは昔からの商店街だからね、小さいお店が多いけど楽しいよ」

「夜もあんまり暗くないか」

「ちょっとうるさいけどね」


 たわいない話をしながら私のアパートにたどりつく。うちにエレベーターはないから階段を上がった三階に部屋がある。


「最上階か」

「これでも一応女ですから」


 なぜそこで無言になる。いちいちしゃくに障る奴だ。

 バッグから鍵を取り出して開ける。

 ここで梅宮とはお別れ、かな? ありがとうと言おうとしたら先を越された。


「予備のメガネをかけたところを確認するまでは帰らない」

「なんで?」

「ちゃんと見えているか確認しないと、お前危なかしすぎる」


 信用されていないその言い方に、はいはいと思いながら玄関に梅宮を待たせて部屋に入る。勝手知ったる自分の部屋。ぼんやりとしか見えなくても家具の配置も、物の置き場所も覚えている。

 チェストから予備のメガネを取り出してかけた。


 ああ、明瞭な視界。


 ほっとして玄関の梅宮に声をかける。


「梅宮、メガネかけたよー。大丈夫、ちゃんと見えているから。本当にありがとうね。今度美味しいものおごるから」

「喉渇いた」

「へ?」

「コーヒーが飲みたい」


 背後に俺は恩人ですよオーラさえなかったら、速やかにお引取りを願ったんだが。

 そのまま待たせて服を着替え、梅宮を招き入れる。

 ダイニングテーブルの向こうで座る、梅宮。

 部屋に入れた異性第一号だ。自慢するようなことじゃないけど。

 コーヒーメーカーをセットして、電源を入れる。そのうちに部屋の中にコーヒーの香りが漂い始めた。


「インスタントじゃないんだ」

「うん、家でゆっくり飲むのが好きだからね」


 買い置きしていたクッキーを皿に出して、そのうちにドリップされたコーヒーをカップに注いで私も席につく。好みの濃さのコーヒーに満足して頬が緩む。


「キッチンが広いな」

「結構料理をしているからね。さっき通った商店街で買い物もできるから」

「そんなもんか」


 梅宮はなおもあちこちを見回す。私だって視界良好だったら梅宮の部屋で同じことをしているだろう。あまりじろじろ見られると恥ずかしくなってはくるが。


「ごちそうさん」

「こっちこそ助かった。どうもありがとう」


 じゃあな、と立ち上がった梅宮を玄関まで見送る。


「お前、メガネは作り直すのか?」

「そうだね、作ってから時間が経っているから視力チェックがてらそうするつもり」

「コンタクトにはしないの?」

「前に一度作ったことはあったけど、合わなくて」

「そうか。お前、コンタクトの方がよさげなんだけどな」


 玄関でコートを羽織ながら梅宮が呟く。

 そうかな? と首をかしげた私に笑ってひょいと手を上げて梅宮がドアを開けた。


「じゃ、帰るわ。佐伯、コーヒーうまかった」

「それなら良かった。気をつけて」


 そう言って梅宮はあっさり帰っていった。


 久しぶりに眼科が併設されているメガネ店を訪れたら、ふとコンタクトのパンフレットに目がいった。梅宮から言われたからじゃないけど、メガネとは別にコンタクトを持っていれば今回みたいなことがあっても慌てなくてもすむ。

 眼科医に相談すると、酸素透過性のよい使い捨てのソフトコンタクトレンズを勧められた。ためしに装着するとよさげだ。

 メガネを新調し、ついでにコンタクトを一か月分購入して帰路についた。


 翌週、どんな顔をして梅宮に会おうかと心配した私は肩透かしをくった。

 梅宮はいつもと変わらず、見事に同僚のままだった。

 こっちも安心して普通に接していたらわだかまりもすぐに消え、いつもどおりの日常が戻った。




 そんなある日、梅宮が私のデスクにやってきた。


「佐伯、約束果たしてくれ」

「ああ、夕飯おごるやつね、いいよ。いつがいい?」

「もう予約したから」


 ちょ、手回しいいな。さすが部の有望株。じゃなくて。

 あまり高い店じゃないだろうな。


「正装な。その日はメガネじゃなくてコンタクトにしてくれ」

「ちょっと、正装って。梅宮、どんな店を予約したの?」


 当日のお楽しみとか言って教えてくれなかった。コンタクトも作ったのを口滑らせるんじゃなかったと後悔してももう遅い。

 戦々恐々と私は当日を迎えた。

 正装して待ち合わせしたそこに、同じようにきめてきた梅宮が現れた。


「じゃ、行こうか」

「……なんで手を繋ぐの?」

「人が多いから」

「今日はちゃんと見えているから」

「まあ。いいから」


 ぐいと引っ張られ手を繋がれたまま歩き出す。

 確かに人は多い。カップルが多い。そりゃそうだ、今日はクリスマスイブで、ここはイルミネーションが有名な場所だ。

 いや、待て。なんで梅宮はこんな日を指定したんだ?

 帰ってきたのは一年で一番綺麗だから。それには同意。


 連れて行かれたのはおしゃれなレストランで、通されたのは個室で。

 財布の中身が非常に心配になる。多めに入れては来たけど大丈夫かな。カードもあるし、なんとかなるかな? コースを予約していたのか、飲み物をきめただけで次々と料理が運ばれてくる。


「うわあ、綺麗。すごい、美味しい」

「お前、相変わらず楽しそうに食べるな」

「いや、だって本当に美味しいもん」


 デザートまで美味しくいただいて私は大満足だった。

 いざ支払いとなった時に、梅宮は私を制して自分が払った。私におごれって言っていたのになんで?

 席についたまま支払いも終わり、店を出ようとなった時に個室のドアの所で梅宮に問いただす。


「梅宮、夕飯おごれって私に言ったのになんで自分が払うのよ」

「俺がそうしたいんだからいいんだ」

「でも……」

「じゃあ、俺にクリスマスプレゼントをくれよ」

「何にも用意してない」


 そう言ったら梅宮はにやりと笑った。あれ? この笑い方……。


「欲しいのは目の前にあるから、もらうな」


 抱き寄せられて顎を持ち上げられて梅宮の顔が迫ってくる。

 なんでかキスされた。抱きしめられた。

 何度も角度を変えてキスされて、飲んだワインのせいか頭がくらくらしてくる。

 梅宮は満足そうな息を漏らした。

 そして手を繋がれたまま店を出る。そのまま有無を言わさずに梅宮の部屋に連れて行かれて……。

 なんで? って聞いたら、抱き込まれながら溜息まじりに言われた。


「俺がどれだけ苦労して、色気より食い気なお前の気の置けない同期のポジション確保していたと思うんだ」


 洗面所には私の歯ブラシが、梅宮のと一緒にコップに立てられていた。



 後日冷蔵庫の上に布に包まれた、なくしたはずのメガネを発見して梅宮を締め上げたのは、今となってはいい思い出だ。

 梅宮の計略に乗せられたのは、すこし腹立たしいけれど。





 

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