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ホタルノケイ

不思議な場所での人外×私の話。

 眠りからさめたと思ったのに真っ暗だった。

 自分の手も見えない真っ暗な闇で、アパートの部屋はこんなに暗くならない。

 きょろきょろと周りを見回しても何も見えない。


「ここ、どこ?」


 声に出してもなにも帰ってこない。

 と、ぼうっと暗闇に光る黄緑の蛍光色。


「うわあああっ」


 情けない悲鳴を上げてしりもちをついてしまった。暗闇に光る穏やかな黄緑色。

 恐る恐る近づいてみる。


「何、これ」


 不規則に発光と明滅を繰り返す、軟体動物?

 こんなの見たことない。

 距離をとって観察していると、ふいに触手のように軟体動物の一部がびよーんと伸びて、こっちに向かってきた。

 こっちくんな。そう思ったのに、それはぺたりと顔に張り付いた。


「ふぎゃあああっ」


 今まで上げたことないわ、こんな悲鳴。やみくもに手を振り回して触手もどきを引き剥がし後ずさりしようとする。

 ちなみに腰は抜けた。

 謎の物体もびくっと波打って、伸びた触手もどきが元に戻った。

 そしてさっきよりは早いサイクルで明滅している。

 顔に手をやってもとりあえず何ともなっていないようだ。

 安心しつつしばらくすると腰もちゃんとなったよう。

 立ち上がってぐるりと見渡しても、どこまでも続く闇しか見えない。

 ここにいるのは、自分と得体の知れない軟体動物だけのようだ。


 とりあえず、この軟体動物から離れよう。そう思って一歩歩く。

 ぐにぐにとその場で変形していた軟体動物が、ぴくっとしたかと思うとずり、と距離を詰めてきた。

 げっと思ってもう一歩後ずさる。もう一歩分近づいてきた。


 私に何のご用でしょう。私の方には用もないし、お近づきになりたくはないのでこれにて失礼させていただきます。


 軟体動物相手に、何故か頭の中で敬語で文を組み立ててそろそろと後ずさりして、大股に歩き出した。

 背中を見せたらやられる気がして後ろ歩きで遠ざかる。

 それなのに、軟体動物はずりずりと近寄ってくる。

 体の一部をのばして地面をはい、びよんと進んだ後で残った体を引き寄せる。

 収縮と伸長を繰り返して、器用な動きを見せるのにちょっと感心するけれど、いやいやそうじゃないだろうとはっとする。


「なんで付いて来るの?」


 私が止まれば軟体動物も止まる。動くと動く。

 体温や呼気に反応しているのか? そんなことはどうでもいい。

 怖い。ここがどこかも分からないのに遭遇した物体が不気味すぎる。

 くるりと反対を振り返って早足で歩く。そっとうかがうと軟体動物がついてくる。

 小走りになる。ついてくる。

 走る。ついてくる。

 全速力。ついてくる。


「いやあああ」


 真っ暗闇の中、訳分からない物体と追いかけっこって何の罰ゲーム?

 ろくでもないことばかり考えながらそれでも走っていたのに、後ろを見ると黄緑色に光ながら軟体動物がついてくる。

 何のホラーだ。

 頭が真っ白になった途端に足元がお留守になった。

 自分の足につまづいて派手に転ぶ。地面、地面といっていいのかわからないが、それはどこまでも平らでひんやりしていて。

 当然ながら勢い良く激突したら、痛い。

 痛みに涙が出てくる。でも起き上がらないと追いつかれる。

 捕まったらどんなことになるのか想像がつかない。


 肘で上体を起こした時、ずりずりと軟体動物が目の前に現れた。


 終わった。


 私の目の前で軟体動物が触手もどきをゆっくり伸ばしてきた。

 それはちょっとためらうような様子で顔の手前でちょっと止まった。そして、さっきみたいにペタリと先端を顔につけた。

 顔の上を移動して、それが涙に触れた。

 目の前で軟体動物のくせに硬直したように動きが止まる。触手もどきから本体? に黄色の光の筋のようなものが走って、それまで黄緑色の蛍光色で一定のリズムで明滅していたのがいきなり赤とか黄色とか青とか、色々な色で激しく明滅した。

 それがなんだかビックリしている時の反応のような気がして、ひとしきりその狂騒のような明滅が落ち着くのをこけた姿勢のまま見守ってしまった。


 しばらくして元の黄緑色の明滅に戻った軟体動物は、そろりと触手を頬に移した。

 こわごわと指先で触れているかのように接触点が小さかったのが、手のひらになったかのように面積が広がって片頬を包むように触れてきた。ほのかに温かくて弾力があるのに柔らかい、不思議な感触だった。


「ここがどこか知ってる?」


 呼びかけても反応はない。ぼうっと黄緑色が明滅した。


「あんたも迷子?」


 また明滅した。



 それ以上逃げる気もなくなって、そのままごろんと横たわる。

 目を閉じても、目を開けても闇の色。これが夢なら起きたらさめるはず。そうあってほしい。そうでないと困る。

 体を横向けて小さく丸まる。閉じた目蓋ごしにぼんやりと明滅する黄緑を感じた。

 この光、何かに似ている。そう思いながら私は睡魔に負けた。



 目を開けてもやっぱり闇の中。側には変な軟体動物。

 失望しながら立ち上がる。どこに行くあてもないけれど、足を動かしてみる。軟体動物はずりずりとついてきた。

 こんなのでも道連れがいれば、まだ気もまぎれるかもしれない。

 そう思ってゆっくりと歩き出した。

 ぺたぺた、ずりずり。その音だけが響く。

 私と、この軟体動物のほかには動くもののいない、生の気配のない闇の世界。

 ここはいったいどこで、どうして私はこんな所にいるんだろう。

 考えても答えはないし、軟体動物には会話は通じやしない。

 それでも独り言であーだこーだ言いながら歩き続けた。

 そのうちに問題に直面する。

 睡眠はなんとかなった。その他の欲求だ。ここには水も食べ物もない。

 入ってくるものが何も、ない。

 恐ろしい予感にぶるり、と震えがはいのぼる。

 タイミングよく、軟体動物がぼうっと明滅した。


「あんたは何を食べるの? エネルギー源ってなんだろう」


 話しかけても返事が返ってくるわけではない、返ったらその方が怖い。それでも話しかけてしまうのは、そうでもしないと不安に潰されるから。

 休憩で座ると、ずり、と近寄ってきた。

 にゅっと触手が伸びてくる。それを手で握って握手もどきな構図になった。

 未知の生物との異種交流か。また触手から黄色の光が走る。軟体動物は虹のように光った。

 綺麗だと思った。


「あんたの名前はなんていうんだろう。黄緑色の光が何かに似ているんだよね」


 そう言うと、ぼうっと黄緑色に光った。その光り方でああ、と悟る。


「あんた、蛍みたい。蛍かあ。蛍、ほたる……ケイって呼ぼうか」


 蛍光黄緑なんだからぴったりだ。ケイ、と呼んで触手を握った手を握手のように上下に振ると、ケイはその動きにあわせて光った。

 名前を付けたらなんだか可愛く感じられる。

 でもうっかり穴から侵入されても困るので、動きには注意して話しかける。


「あんたがなんでこんなとこにいるかは分からないけど、私もね、仕事が終わった週末でアパートで寝ていたはずなんだけど」


 ぽつぽつと話す。一人暮らしでアパートの二階に住んでいること。大家さんはちょっとお節介だけど面倒見のいい人なこと。仕事は難しいこともあるけれど楽しいこと。最近は通勤の自転車にはまって、休みの日も自転車であちこちに出かけること。

 なんてことはないたわいない日常だけど、こんな非日常に放り込まれるとたまらなく貴重に思えてくる。


「早く、こんなとこから出られたらいいね、あんたも私も」


 返事のかわりか、ケイが光る。手の中の触手がすり、と手の平をこすった。また立ち上がって歩き出す。ケイは触手を戻してずりずりと移動する。

 疲れるまでそうして歩いて、また地面に腰を下ろす。


「おなかすいた。喉かわいた。……あんたって食べられるのかな?」


 うにょっと伸びてきた触手を歯で挟むとケイがびっくうとした。

 ぺろ、と舌先で舐めると何の味もしない。その感触に驚いたのか虹色明滅がひとしきり続いた。


「ごめんごめん、食べないよ。ケイ。ああ、そう言えば自己紹介していなかったっけ。私はね、滝田ゆかりっていうの」


 ケイが落ち着いた頃? そう言って笑う。こんな軟体動物に自己紹介したってどうしようもない。

 分かっていてもこの世界の道連れはこのケイしかいない。

 私は今の生活とか昔の思い出とか、どうでもいいことをケイに向かって話し続けた。

 そのうちに眠くなってうとうとする。

 ケイの触手がゆっくりと頭を撫でる。なんだか人間くさくて、笑えてしまって、お休みと呼びかけて目を閉じた。



 目がさめるとケイを抱きしめていた。ほんのり温かくて安心する。

 ケイがもぞもぞと身をよじっているのを無視して抱え込むと、なんでか蛍光ピンクに発光した。

 首がつらいので、そっとケイに頭をもたせるとものすごく気持ちがいい。


「ケイ、あんたって枕としては最高級かも」


 半分寝ぼけたままうっとりと呟くと、ケイがいつもより抑えた光量で柔らかく明滅する。


「お休み、ケイ。もうちょっと寝かせて」


 二度目の眠りはひどく気持ちが良かった。



 意識がはっきりしてくると私はケイを抱きしめたまま、ケイがびろんと体を伸ばして体を覆うような形に変形していた。どうりであったかいと思った。

 ケイも寝ているのかは分からないけれど、明滅の間隔はいつもよりゆっくりで光も抑えられている。

 不思議ないきもの。そう思いながら布団になったケイを眺めていた。

 やがていつもの黄緑の光が強くなってきて、うにょんとケイが収縮した。するすると体の上にあったものがいつものケイに戻っていく。


「布団になってくれたのかな? ありがとう。……なんだか寒いね」


 ぶると体が震える。ケイが包んでいたのがなくなったからだろうか。

 そう思いながらまた立ち上がる。

 でも力が入りにくい。そういえばずっと食べていないし、飲んでいない。

 こんな所で座り込んでも救助が来るとは思えない。だから叱咤してどうにか歩き出す。

 ひどく寒くなっていくのに、体は熱い。喉がからからで頭まで痛くなってくる。


 とうとう、それ以上歩けなくなって膝をつく。

 ケイが側によってきた。本体をなでると温かいはずがひんやりと冷たく感じる。

 あれ、と思っている間に座っているのも辛くなって、体を横たえる。

 ケイが目の前にいる。手を伸ばすと触手がその中にすべりこんだ。


「ケイ、なんか、体が動かなくなっちゃった。あんたが何を食べるのか知らないけど、もし私が駄目になって私を食べられそうなら食べて」


 体がどんどん重くなる。

 ケイが触手を肩において軽くゆさぶるようにしてきた。ちょっと、その仕草ってものすごく人間くさい。

 くすりと笑って、ケイを撫でる。

 変な世界の変な相棒。蛍みたいな軟体動物。


「ごめん、ケイ。もう目が開かない」


 ひび割れた唇からそんな言葉が出る。唇が乾いて割れたのかうっすら血の味が口の中に広がった。

 最後の光景はひどく早い明滅を繰り返す、ケイの蛍光色。



 次に気付いたとき、目に入ったのは白い天井でアパートの木目のそれじゃない。

 黒の世界から今度は白の世界に来ちゃったのかな?

 そう思っていたら、聞き覚えのある声が聞こえた。


「滝田さん、ああよかった。あなた、肺炎で一時危なかったのよ」


 顔をそちらに向けると泣いて化粧が崩れかけた大家さんがいた。

 大家さん、と言うと、泣き笑いの顔になった。


「もう、どうなることかと思ったわ。この人に感謝しなくちゃ。あなたの隣の空き部屋を見学にいらしたんだけど、あなたの部屋が昼間なのにカーテンが閉まっていて、隙間からは電灯がついているのに気付いてね。几帳面なあなただから変だなあと思って電話をしても反応なし。

 携帯にかけたら中から聞こえるからチャイムを鳴らしても出てこない。だから、鍵を開けたらあなたが床で倒れていて……」


 そう言われてぼんやりと思い返す。金曜の夜、風邪気味で早めにベッドに入ったはずだった。

 それがなんで床に倒れていたんだろう。


「今日は何曜日ですか?」

「火曜日よ。あなたを見つけたのが月曜日の昼だったの。私ったら倒れているあなたを見た途端、どうしていいか分からなくなっちゃって。そうしたらこの人が救急車の手配をしてくれたり、冷蔵庫の氷で冷やしてくれたりして」


 言われて大家さんの斜め後ろに立っている男の人に気付いた。

 大きくて年上のように見える人だった。


「あの、ご迷惑をかけてすみません。助かりました」

「いや、俺はなにも」


 言葉少なく返したその人は、それでも目がさめるまで付き添ってくれていたらしい。

 その人は一之瀬いちのせ けいと名乗った。


 結局私は三日入院してアパートに戻った。海外在住の親からは盛大に小言をもらって、大家さんに詫びの品をもっていくと一之瀬さんが隣に入居したと聞かされた。

 慌てて追加のお菓子を買って、私は隣の部屋のチャイムを押した。


「はい」

「隣の、滝田です。無事に退院できました。これはお詫びとお礼の品です」

「わざわざどうも。俺も引越しのあいさつをと思っていたのでこれをもらってくれますか?」


 品物を交換するような形になって、二人で笑う。

 そうしてお隣の一之瀬さんとは顔を合わせた時のあいさつからはじまって、おすそ分けとか仕事のついでにもらった優待券とかを融通しあうようになり、そのうちにそれが映画やドライブ、食事の誘いに変わっていって、まあなんというかお付き合いする仲になった。

 今はお互いの部屋を行き来している。

 蛍は私より随分年上で普段は落ち着いていて頼りがいがあるのに、びっくりするくらいに物にぶつかる。

 そのギャップも蛍の魅力だ。


 その日は蛍の部屋にいた。DVDを見て、私は二人分のコーヒーを淹れマグカップを両手に持って蛍を呼ぼうとした。

 蛍は隣の部屋に入ろうとしていた。ドアは15センチほどしか開いていないのに、そのまま通ろうとして派手にぶつかっていた。

 どうして見えているのにぶつかるかな?

 笑って声をかけようとした時に、蛍の低い声が聞こえた。


「全く、ニンゲンというのはやっかいだ。こうまで可動性に乏しいとは」


 え?

 今なんて言った?


 マグカップを持って固まる私の前に、部屋から本をとってきた蛍が戻ってきた。


「どうした、ゆかり?」

「ううん、なんでもないよ……ケイ」


 笑って本を脇に挟み、片方のマグカップを取り上げた蛍は手の平で頬を包んだ。

 その感触は何故かよく知ったもののように感じられた。




 

 

 

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