王と妃と従姉妹姫
じわじわ来てもらえれば嬉しいです
「これで……義務で訪う必要がなくなったか」
世継ぎをあげた妃と眠る赤子を見下ろして、王が呟いた。
二日近くを出産に費やした妃はまだ憔悴が色濃く出ている。
王が頷くと心得た乳母が王子を抱いて寝室を後にした。
「よくやった」
「……ねぎらいのお言葉、ありがとうございます」
疲れを滲ませた声ながら、妃は丁寧に返した。
声は常より掠れていたが、王は気にとめなかった。
寝台に腰掛け、妃に顔を寄せる。
「これで一安心だ」
「王子の、養育は……」
「乳母に優秀な教師もつける。案ずることはない」
妃がなおも口を開きかけたその時、扉が勢いよく開かれた。
「お兄様、王子のご誕生おめでとうございます」
まっすぐに王を目指して来たのは王を兄と呼ぶ従姉妹の姫だ。
両親が早くに亡くなり、王が王子の頃から王城で暮らしている。
「私お姿を拝見しましたの。あまりお兄様には似ていらっしゃらないようでしたわ」
「生まれたばかりだ、そのうち顔も変わるだろう」
「そうですわね。お義姉様、おめでとうございます」
「ありがとう、ございます」
侍女に背中に枕を当てさせて妃は寝台に起き直る。
手櫛で髪を整えて従姉妹姫の祝福に応じた。
従姉妹姫は王の腕に己の腕を絡めて寝室の外へと促す。
「皆がお祝いを述べたくて列を作っていますの。宴の準備もできていますから、お兄様お早く」
「わかった。――ゆっくり休め」
「ごきげんよう」
振り返り妃に王がねぎらえば従姉妹姫も笑顔で重ねる。
妃は二人の姿が扉の向こうに消え、扉が閉じてしまうまで寝台の上で微動だにしなかった。
国を束ねる者として当然に、王は近隣の国から妃を迎えた。
三年前の春、国の威信をかけた支度とともに妃は国に入る。
国同士の勢力はほぼ互角。ただ遠方ではあるが新興の国が好戦的であったので、互いに手を結ぶ必要性を感じての婚姻だった。
政略の常で思い入れもなく王は妃を迎え、妃は輿入れをした。
王には弟妹がいたが特に軋轢もなく、妃は王城での日々を始める。
ただ王城には妃の想定外の大きな存在がいた。美しいと評判の従姉妹姫だった。
王の弟妹よりも年が上で、王にとっては近しい妹のような存在。
幼い頃から王城で暮らしていたので内情に明るく、内向きを取り仕切っていたのは従姉妹姫だった。
「わからないことがあれば私にお尋ねください」
「ご丁寧にありがとうございます」
「国が違えば色々と勝手も異なります。どうぞご遠慮なさらずに。私の方がここは長いのですから」
ほんの少し妃が返すまでに時間をかけたが、丁寧にあいさつして和やかに私的な初顔合わせは終わった。
妃はすぐに気付く。王城の、特に内向きのあれこれが従姉妹姫を中心に回っているのに。式典の進行について儀礼官を呼べば丁寧には教えてくれるが、どことなく違和感が拭えない。
案の定式典の最中に小さな失敗をしてしまった。
「申し訳ありませんでした」
「まだ慣れていないのだから仕方ない。従姉妹に教えてもらうといい。詳しいから」
「……はい」
そのどれもが小さいことではあったけれど、積もり積もれば。
いずれは従姉妹姫も誰かと縁づいて王城からいなくなるのだから、と妃は細かいしきたりをきちんと把握しようとした。
儀礼官には強く自分に教えるようにと申しつける。
忙しい王が寝室を訪れたのはその夜だった。
「従姉妹が沈んでいるのだ。妃が来たら自分は用なしだと」
「ま、あ……」
「幼い頃からここで育っているからここを出るのにも抵抗があるようだ。あなたはあれが王城に居るのは目障りか?」
「いいえ、そのようなことを誰が」
「従姉妹が気を揉んでいるのだ」
妃は口をつぐんだ。
王は妃の肩を抱き寄せる。
「もともとあれの父、伯父上が亡くならなければ王は伯父だったから、従姉妹は紛れもない姫として育ったはずなのだ」
そのあたりの事情は周知なだけに妃は黙って王が語るのを待った。
「その負い目があるから、従姉妹が不自由しないようにと心がけてきた」
「ご立派なお心遣いと存じます」
「あなたもあれを妹のように思い、可愛がってやってはくれぬか?」
真摯に従姉妹を案じる王の声音に妃は黙って頷いた。
妃を『お義姉様』と従姉妹姫は呼んで慕う。
従姉妹姫が仲立ちする形で、お茶会や詩の集い、観劇が催された。妃は国に知己を広げようと笑顔を心がけ、令嬢達の背景を勉強し適切な受け答えをする。
催しが終われば丁寧な礼状を出し、次の機会に誘ったが。
言葉を並べてはいるが、体調が優れず、またはどうしても都合がつかないとの断りが入る。
事情があるなら仕方ないと妃は主催するお茶会を延期した。ぽかりと空いた時間を潰すために普段は足を向けない温室へ、珍しい花を眺めようと立ち寄った。
温室に繁る異国の花や木々の向こうに、華やかなざわめきが聞こえてきた。
胸騒ぎがして妃は音を立てないように侍女に目配せして、音の元へと歩み寄る。
そこには従姉妹姫が華やかな笑みを浮かべて、備えられていた卓を囲んでいた。一人ではない。
令嬢や、有力な貴族の夫人とともに異国情緒に溢れた香りのお茶を楽しんでいる。
妃は従姉妹姫のお茶会に同席している顔にひたりと視線を当てて、黙って踵を返した。
侍女は従いざま、ちらりとお茶会を眺めやる。
ふと顔を上げて侍女と視線を合わせた従姉妹姫は、ゆっくりと微笑んだ。
寝台の上で妃はじっと夜の静寂とともにある。
王は忙しく、なかなか訪れない。深夜遅くでは起こしてしまうからと自室で眠る。
朝のご機嫌伺いに寝室を訪れると、従姉妹姫が王を起こそうとやっきになっていた。
「お兄様起きてくださいな。ほら、お義姉様もいらっしゃったのに」
「隣国の珍しい話を聞かせてくれと遅くまでせがんだのは、そなただろうに」
「今日は父の命日ですの。一緒に墓参してくれるお約束でしょう?」
ああそうか、と未だ眠りの縁に手をかけている風情ながら王が起きようとする。
従姉妹姫は侍従に着替えの指示を出し、侍従も心得たように手配した。
「妃か。ゆうべは済まなかった」
「――いいえ。お疲れなのですから。私もご一緒しても構わないでしょうか?」
「わざわざありがとうございます。でもお義姉様にお気にかけていただいただけで充分です。身内で済ませてしまいますわ」
王の肩に手を置きお早く支度をと促しながら、従姉妹姫は心苦しそうに妃に伝える。
妃はそうですか、と呟いて寝室を後にした。
嫁いで二年が過ぎても妃に懐妊の兆しはなかった。
従姉妹姫は大いに心配して、医師を手配する。妃がこればかりは人の手ではどうしようもないのですから、と言っても聞き入れない。
「お兄様は王でいらっしゃるのですもの。跡継ぎは絶対に必要です。何もせずに手をこまねいているわけにはまいりません」
「先日の医師の見立てでは、特に問題はないとのことでした」
「私の杞憂とお笑いになって。心配で仕方ないのです。一人の医師の見立てをうのみにはできない心持ちですの」
従姉妹姫の連れてくる幾人もの医師に、妃の体は調べられ月のものや体調などの情報も公にされる。
妃は気疲れからか塞ぎがちになると、従姉妹姫は涙を浮かべて王にすがった。
「お義姉様が心配ですの。お兄様のお子を生み育てるのにお体が弱くては、……私、お兄様には幸せになっていただきたいのに」
「妃も少し疲れが出たのだろう。後で見舞うから心配するな」
「いいえ、あの。あまりお兄様がお顔を出されるとお義姉様がお気の毒で」
「どういう、ことだ?」
王が問うと従姉妹姫は美しい顔を曇らせた。
疲れが出ているのならできるだけ安静にさせるべきではないのか、と。
王は従姉妹の助言をもっともと感じて、花や菓子を従姉妹に言付ける。
「こんな時は女性同士のほうが、気安いと思います。お兄様のお心遣いをお義姉様に伝えますね」
「頼む。妃の支えになってやってくれ」
「勿論です。ほらお兄様、巡視においでになるのでしょう? 日があるうちに出立なさった方が皆の負担が少ないと思います」
王は従姉妹姫に見送られ、王城をあとにした。
妃は寝台にいる時間が少し、増えた。従姉妹姫は頻繁に見舞いに来てくれる。王から送られてきたという巡視先の物を携えて。
「お兄様はあちらで侯爵令嬢と遠乗りされたそうですわ」
「……そうですか」
「私へのお手紙には楽しかったと書かれているんです。一人だけ楽しむなんてずるいと思いませんか?」
「陛下からの、お手紙、ですか」
「ええ、昔から王城を離れると見聞きされたことをよく手紙にしてくれるんです。勿論、お義姉様もご存知でしょう?」
「さあ……私にはよこされていないようですので」
従姉妹姫はまあ、と息をのんだ。
口元に手をやり、気の毒そうに妃を見つめる。
「私ったら浮かれてしまって。きっとお兄様はお義姉様に何かするのが恥ずかしいのね」
妃は肩掛けを引き寄せてくるみ直す。
明らかに空気がぎこちなくなり、従姉妹姫はそそくさと席を立った。
王が巡視から戻った。土産の品を携えて妃のもとを訪れた。少しやせたか、と王は感じた。妃は品々に礼を述べて凝った作りの首飾りを手に取った。
「見事な細工ですこと」
「細工師を集めた街があるのだ。競い合って良い品を仕上げている」
「ありがとうございます。大事にいたします」
妃は微笑んで首飾りを掌に載せた。王は沈んで見えたのは錯覚だったかと、妃の手を取った。
久方ぶりに寝室をともにして、妃は穏やかな気分で庭を散策する。
向こうから従姉妹姫も庭を楽しんでいたようで、妃を認めて歩み寄る。
「お義姉様。お顔の色がよろしいわ。お兄様がお帰りになったからでしょう」
「まあ、そんな」
妃はふと従姉妹姫の胸元に目をやった。そこには素晴らしい首飾りがかかっている。
視線をたどったのか、従姉妹姫は首飾りを見下ろしてふふ、と笑みを漏らした。
「お兄様のお土産です。お義姉様もお兄様から戴いたのでしょう?」
「ええ。――とても綺麗ですね」
「私は好みがうるさいからと随分吟味されたんですって」
細工師の中でも名人と呼ばれる者の作だろう、その首飾りはまるで従姉妹姫のためにあつらえたような見事さだった。
揃いの腕輪もと手首を見せられ、妃は曖昧に微笑んで従姉妹姫が通り過ぎるのを見送った。
王は従姉妹の助言を受けて、子ができやすいとされる時期にのみ妃の部屋を訪れるようにした。その他の日では妃が疲れてしまうし、子ができないと落胆させるのはかわいそうだからと。
さすがに女性の細やかな機微は女性にしかわからないと感心し、王は妃の前で従姉妹を褒めた。
「あなたの体調まで考えて意見を述べてくれるのだ」
「私は……もっと陛下のお顔が拝見できれば嬉しいのですが」
「可愛いことを言ってくれる。だが、負担を強いたくない」
王は妃が触れている手をそっと引きはがして、指先に口づけた。
妃の表情が冴えないのは、子のできぬ焦りだろうか。訴えかけるような眼差しは子ができぬ自分を恥じているからだろうか。
従姉妹の言うとおり、自分から話題に触れてはならないと宥めるように微笑んで、妃の部屋を去った。
妃は誰もいなくなった部屋で一筋、頬を濡らした。
ようやくの妃の懐妊に、王城は明るい空気に包まれた。
妃の経過はあまりかんばしくなかったが、それでも腹は大きくなり関心は性別に寄せられる。従姉妹姫も自分に子ができたかのような張り切り具合で、枕に頭を乗せている妃のもとに足繁く通っては報告する。
「服もたくさん揃えましたの。部屋も手を入れていつ生まれても大丈夫です」
「ありがとうございます。私も服を作りましたの」
「まあ。お義姉様は安静になさっていればよろしいのに。私が引き受けますから、どうぞお心安らかに。お兄様も義務から解放されてほっとしていらっしゃるんです。世継ぎをもうけるのは大事なお役目ですものね」
優しく、しかし断固として妃が針を持つのを赦さずに従姉妹姫は作りかけの服を取り上げる。根をつめるようなことは、妃のすべきことではない。
裏方は自分がやるから任せてくれと。
妃と従姉妹姫の間で、うすぎぬはぴり、と裂けた。
「あっ」
「お義姉様、申し訳ありません。代わりの服をすぐに用意します」
従姉妹姫は謝り、針自慢の侍女にすぐに服を作るように申しつけた。
妃は手の中のうすぎぬをいつまでも握りしめた。
二日苦しみ抜いて、妃は王子を生んだ。
王と共に祝いを述べた従姉妹姫は、廊下に出て乳母から王子を渡されて抱きしめる。
「お兄様のお子。世継ぎの王子」
歌うような口調で従姉妹姫は王子を抱く。
王は安堵で満たされていた。世継ぎをあげてくれた妃への感謝と、これでまた妃と親しく日々を過ごせるとの期待でいっぱいだった。
これで妃も憂うことはないだろう。
義務感で、日を計算して部屋を訪れる必要はなくなった。
いつなりと寝室を訪うて、妃の低く柔らかい声音で言葉を交わすことができるのだ。
「色々と世話をかけた。これで妃も元気になるだろう」
「――そうですわね」
王子を抱いたまま従姉妹姫は同調した。
妃は産後の肥立ちが悪かった。寝台から離れられずに弱っていく。
誰の目にも先は長くないように思えた。
王が悲痛な思いで妃を見舞うと、妃は王に願いを口にする。
「王子が私の顔を知らずに育つのは不憫です。どうか、肖像画を王城のどこかに置いてくださいませ」
「何を気弱な。しっかりせずにどうする」
「陛下……お慕いしておりました。子も授かることができ、私は――幸せです」
妃はうっすらと微笑んだ。ほどなく、妃は儚くなった。
王はふさぎ込み、描かせた妃の肖像画を前にいつまでも座っている。
従姉妹姫はそんな王を心配して、顔を出す。
「お兄様。またここに。もうお義姉様はいらっしゃらないのですよ。お兄様がいつまでも心を残されてはお義姉様もおつらいでしょう」
「そんな、ものか?」
「ええ。王子は私がしっかり育てます。お兄様も早くお義姉様のことを乗り越えなければ」
王は重い腰をあげた。
従姉妹姫は肖像画を眺め、すっと目をすがめる。
王子は従姉妹姫が主に養育して素直に丈夫に育つ。ただ不思議なことに、何もないところを見てはくすくすと笑う。
「どうしたの? 何もないのに」
「お……まがいるの」
子供の戯れ言と従姉妹姫は流す。
そのうちに王子の顔には亡き妃の面影が表れる。王は妃を懐かしんで、王子を慈しむ。従姉妹姫はお兄様は情が深いことと苦笑した。
ある晩、従姉妹姫は窓から外を眺めやる。最近は王子も言葉をたくさん覚え、口答えもするようになっていた。
「お母様はそんなことは言わない。意地悪しない」
「何をおっしゃるの? お母様はとうに亡くなっているのに」
「側にいらっしゃるもの。笑っていてくださるもの」
可愛くない、と従姉妹姫はくさくさした気分になる。
ふとした折りに妃に似てくる王子をだんだんと冷淡に扱いそうになっていた。
「親が親なら子も子なのかしら。いつまでも――」
嫌な気分を晴らそうと酒杯を重ねる。
月に誘われて窓辺へと近づいた。目の端に何かがきらめいた気がして、窓から身を乗り出す。
地面に月の光を反射しているあれは?
窓辺にかけていた手が、かくんと外れた。均衡をとろうとしてぐらりと体がかしぐ。
ふわりと体が浮き、そして外に投げ出される。
恐怖に引きつる従姉妹姫の目に、地面できらめく物がどんどん近づいてきた。
それは、首飾りだった。
従姉妹姫は早朝、冷たくなって見つかった。美しかった顔は引きつり、目は見開かれている。
王は悲痛な思いで葬儀を終え、忘れ形見の王子を抱きしめた。
王子はこっそりとある部屋へ忍び込んだ。微笑んで自分を見つめる肖像画を一心に見上げ、お母様と呟いた。
軽く重ねた手の下に、首飾りがのぞいていた。