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美味しい空気

異世界に巫女として召喚されてしまった私のこれから。息しろ、走れとな?

 気がつくと、変な場所にいた。

 おかしい。

 お風呂から上がってパジャマを着て、ベッドに寝転がって本を読んでいたのに。

 いきなり体の中がエレベーターで下降する時のようにへんな重力を感じて、次の瞬間には柔らかく温かい布団の感触が消えて何か冷たいものの上に寝そべっていた。

 慌てて座り込んであたりを見る。

 薄暗い広い場所だった。床は石みたいでひんやりを通り越して冷たい。

 手に読みかけだった本を持って、私は呆然とした。

 

 薄暗い向こうから誰かがやってきて、私の側にしゃがみこんだ。

 くい、と顎を持ち上げられ視線が合う。

 その人は黒い髪の毛に緑の瞳をしていた。黒い服を着て、腰には斜めに革のベルトをつけて、そこから剣を吊っている。

 じっと、まるで観察するかのように見つめた後で、額に指先が当てられる。

 その人が何か呟くと、指先がかあっと熱くなって額に熱が流れ込んできたぎゅっと目をつぶると、低い声が聞こえた。


「俺の言っていることが分かるか?」

「え? いや、はい。分かります」

「結界を消す」


 よく意味の分からないことを言って、その人は歌うように言葉を紡いだ。

 なんだかカーテンがばさりと落ちるように、周囲の何かが勢いよく消えた――と思ったら薄暗い空気の向こうから泣き声とか歓声があがっている。


「な、何なんですか、あなた達は。私はどうしてしまったんでしょう」

「あなたは俺達が呼び寄せた。どうかこの国を救って欲しい。巫女殿?」

「……それって誰のこと。何の冗談?」



 とにかく話を、と連れて来られたのは王宮とやらで。やたらに広く、天井は高く、装飾は無駄に豪華で、ドッキリにしては手が込んでいると感心してしまうほどだけど。今はそれどころじゃない。

 さっき額に指を当てたこの人は、ストウ・マーク王国の王子とやらでデュオ・デ・ナームと名乗った。

 王子って何それ、大体どこの国だ、そんな国名知らないと脳が考えるのを拒否しそうになったところでデュオ王子は説明してくれた。

 この国は広く、豊かで、強いらしい。それを妬んだかどうかは分からないけれど、呪いをかけられた。


「これがその呪われた空気だ」


 やけに薄暗いなと思ったのは、呪われた空気のせいでしたか。なんだ花粉か黄砂が飛んだかと思っていたんだ。

 ……ちょっと待て。呪い、とか言わなかったか?


「呪いですか」

「ああ、空気は濁り光を通さずに作物も育たない。明るい時間帯でも明かりが欠かせないのだ」

「それはお気の毒ですけどそれと私に何の関係が?」

「空気を浄化してもらおう。巫女殿。そのために呼び寄せたのだから」


 言ってはなんだが、私はまごうことなき一般人だ。突出した才能があるでなし、人目を惹くようなものもなく、平凡に毎日を過ごしている大事なことだから二度言うが、ただの一般人だ。間違っても巫女とか呪われた空気を浄化とか、できるはずもないし呼ばれる筋合いもない。

 ここは一つ、笑ってごまかせ。退却だ。


「どなたかと間違えていませんか? 私は平凡な一般人です。呪われた空気ってだけでもありえないのに、それを浄化だなんてできるわけがありません」

「いや、あなたは間違いなく巫女で、浄化の能力を持っている。その証拠にこの部屋の空気がどうなっている?」


 王子に言われて周りを見るとさっきまで薄暗くよどんだ感じの空気が、なんだか霧が晴れていくように明るくなっている?

 CMで見るような空気清浄機がタバコの煙を吸い込んで、透明な空間になったのと現象は似ている気がする。


「私、別になにもしていませんよ?」

「呼吸しているではないか」

「は? 呼吸? そりゃしますよ。しないと生きていられません」

「巫女殿が呼吸をすれば、呪われた空気は浄化されて、呪いも無効化されるのだ」


 待て。すると何か? 私は人間空気清浄機として、なんたらマーク国に呼び寄せられたというのか?

 あまりにも非現実的な話に額に手をやって、はあああっと大きな溜息をついた。

 その瞬間にほわん、とでも形容するような響きを残して部屋が白い光に包まれた。眩しくて目が開けられない。しばらく閉じていてようやく開けると部屋の様子が一変していた。

 さっきまでの薄暗さが消えて、普通の空気になっている。

 部屋の隅々までよく見えて、嫌な感じもしない。


「今のなに?」

「あなたの浄化能力だろう。溜息一つでこの部屋の呪いを解くとは、さすがだな」


 溜息でって、かえって危険だよ。溜息砲か?

 と部屋の扉がせわしげに叩かれて、誰かが転げ込んできた。


「殿下、王宮の空気が清浄になっています」

「王宮全体か? 局所的な現象なのか? 急ぎ調べて報告せよ」


 王子の命令に礼をしたその人は、慌しく去っていった。扉を見ていた王子が首をめぐらせて、顔を確かめることができた。

 空気がきれいになって見た王子は、男らしい風貌の人でした。眉は黒くて太めできりりとしているし、緑の瞳は切れ長で、鼻はすっと高くて、薄めに引き結ばれた唇は意思が強そうに見える。

 体も大きくて剣なんか持っているし結論、近寄りがたい人だった。


「髪が濡れている」

「は? ああ、お風呂に入ったから」


 どうやら向こうからもよく見えるようになったというか。さっき顎つかまれたはずなんだけど、ようやくお互いに観察する余裕が出たというところだろう。

 それっきり会話もなくてとても気まずい中、ただただ椅子に座っていた。

 もう一度扉が叩かれてさっきの人が顔を出した。


「殿下、王宮のこの階だけの現象のようです」

「そうか、だが巫女殿の力が本物なのは確認できた。以後、国の空気の浄化に当たってもらおう」

「はい。……巫女様。直接話しかける無礼をお許しください。ただお礼を申し上げたくて。あなた様はこの国の希望です。どうぞ、どうぞよろしくお願いいたします。国をお救い下さい」


 深々と、ものすごく丁寧な礼をして急ぎお部屋をご用意いたします、とその人は扉を閉めた。


「――という訳だ。よろしく頼む」

「ちょっと待ってください。私は引き受けるとも何とも言っていませんよ。第一、勝手に連れて来られても困ります。呪いの空気って私にも害があるんじゃ」

「そのことなら心配ない。あなたには無害なはずだ。それに一度道ができたから今後の行き来は自由だ。こちらは最大限、あなたの都合に合わせる。あなたはただ、ここに来て色々な場所へ赴いて呼吸をしてもらいたい、それだけだ」

「それだけって、誰がそんな胡散臭い話を受けると思っているんですか」

「あなたが断ったら、この国は作物が育たず、国民はいずれ肺をやられて滅びる。そういうことになるな」


 脅したよ、この人。さらっと国が滅ぶとか言った。

 何それ、なんで私が国の命運とやらを握らないといけないんだ。


「まあ、疲れているだろう。今日のところは休むといい。こことは別の部屋を用意するので、存分に呼吸してくれ」


 そう言って王子はすっと立ち上がって部屋を出ようとした。

 って置き去りか? 文句を言おうとした絶妙のタイミングで王子が振り返った。背中に目でもついているのか?


「そう言えば名前を聞いていなかった。俺は名乗った。あなたは?」

「――かおる。立花 薫です」

「カオル、ではお休み」


 今度こそ王子は出て行った。しばらくしてから扉が元気よく叩かれた。そこに良く似た顔をした双子が現れる。


「失礼いたします。巫女様のお世話と警護を任されました。双子の弟でデライト・ラング。私は姉のレフトゥーラ・ラングと申します。どうぞよろしくお願いいたします」

「巫女様、よろしくお願いします。俺、感激です。この部屋の空気、なんて綺麗なんだ。俺、絶対巫女様の側を離れません」


 感激やな弟と冷静な姉か。二人とも薄茶色の髪と琥珀色の目をしている。

 外見から年は分からないけれど、そんなに私と離れてもいないみたいだ。


「まだ事情が飲み込めませんが。立花 薫です。カオルって呼んでください」

「カオル様。ではこちらへどうぞ」


 そう言われて案内されたのは、さっきまでとは別の建物だった。

 部屋が広い、豪華、ベッドには天蓋までついているよ。どこのお城ホテルだといいたいくらいにすごくて、油断していると口があんぐりと開いてしまいそうだ。

 最初は薄暗かった部屋も、ほどなく明るくなる。

 ――浄化、されているの?


「入浴は済まれていますね。なにか軽いものでも召し上がりますか?」

「いいえ、結構です」

「ではお休みのご用意を。こちらでも寝衣は用意しておりますが、どうされますか?」


 そう言って見せられたのは、リボンとフリルのついたいわゆるネグリジェというものだろうか。フリフリ具合がとてつもなく恥ずかしい。


「ええと、私には似合いそうにないのでこれで寝ます」

「そうですか。どういうところがお気に召さないのでしょうか」

「お気に召すもなにも、私に着られる方が勿体ないと言うか。すいません、フリフリ……あ、と過剰に思える装飾が苦手なんです」

「では大人しめなものをご用意いたしますね。お休みなさいませ」


 そう言われて一人になった途端に、あちこちを見て回る。探検ですよ、ええ。あちこちの扉をあけて引き出しもあけてみる。

 うわ、すごい。本当にお城ホテルだ。興奮してすっかり鼻息が荒くなっているからか、えらく空気の浄化が進む。気付いたらクリーンエアーですよ。いくら私には害はないとはいえ、あんまりいい気持ちじゃないから綺麗な空気にはほっとする。

 人が何人眠れるんだ、っていうくらい広いベッドの上でごろごろ転がりながら、これからどうなるんだろうと思いながら図太くも眠ってしまっていた。


「――オル様、カオル様。お早うございます」

「う、うぅ。日曜日なんだからもっとゆっくり……ってここ」

「殿下がご朝食をご一緒にと伝言をよこされています。お断りなさいますか?」

「でんかって、……ああ、昨日の」


 目が覚めても昨日のことは夢じゃなくって、豪華な寝室のふっかふかな寝具に包まれていた。

 レフトゥーラさんに手伝ってもらいながら着替えをして顔を洗って、薄く化粧されて髪型を整える。朝からなぜこんな窮屈な格好をしないと駄目なんだろう。王子の待っている食事の間に着く頃には、早くもうんざりしていた。

 王子はやっぱり黒い服を着てそこにいた。


「よく眠れたか?」

「お早うございます。おかげさまでぐっすりです」


 なんか精神的に疲れたからね。内心でぼやきながら席につく。長いテーブルの端で、ここは昨日浄化できなかったところらしく、王子の姿もなんとなくぼんやりしている。そのうちにテーブルの上に皿が載せられる。それを見ておや、と思った。

 なんか質素。パンとスープ。果物が少し。

 ホテル、じゃなかった。王宮の朝食ならもっと、こう、なんていうか、皿が載りませんとか、世界の珍味とかあってもいいんじゃないかと。

 いえ、勝手な想像だけれどね。

 こんな考えが伝わったのか向こうから話しかけられる。


「質素だろう。だが今国内ではあの呪われた空気のせいで、作物の生育が不良だ。民の食事も貧しい。そんな時に王家が飽食を貪っていては民に示しがつかない。この呪いが解けるまで食事は民と同じものにしているのだ」


 王子、偉い。困っている国民のことを思って同じ食事にするなんて。


「料理人は腕の振るい甲斐がないと嘆いているが。どのみち食材も日々乏しくなっていく。備蓄はあるが呪いが続けば心もとない。他国からの輸入も足元を見られて価格が高騰しているしな」


 目の前の料理を見ていただきます、と小声で言ってから手をつける。一生懸命料理したのが分かる、スープの野菜は絶妙の火の通り加減だ。パンだって固いけど小麦の風味は十分だ。果物も残さずいただいて手を合わせる。ご馳走様でした。

 食事が終わるころには、空気もだいぶ澄んでいた。


「それで私はどうすればいいんでしょうか」

「こちらで国内をまわってくれればいい」

「でも、私にも生活があります。ずっとこちらでは困ります」

「あなたの都合のいい時でいい」


 話し合って週末なら、ということになった。金曜の夜から日曜の夜まで。祝日があったらその前夜から当日の夜まで。


「報酬は?」


 聞かれてきょとんとする。ええと、ファンタジー小説とかで呼ばれちゃった勇者とかなんちゃらに報酬ってあったっけ。


「あなたのことは国が総力をあげて対応する。何でも望みを言ってくれ」

「と言われても」


 お金をもらったって日本で使えるわけじゃないし、宝石なんかそぐわない。

 それに週末だけこっちに来て呼吸するだけでいいんなら。


「別にいらないです。王宮に泊まれるだけでもいいし、各地に行ったらその土地の風景を見るとか食事とかできるわけですよね」

「ああ」


 なら週末ごとにリゾート旅行のようなものじゃないか。しかもタダで。

 むしろ申し訳ないくらいの条件の気がする。


「報酬は本当にいいですよ。あ、もし浄化が済んで作物がちゃんと取れたら、それで美味しい料理作ってください」

「そんなことでいいのか?」


 会話しているうちにここもいっそう綺麗になってきたらしい。さっきよりも王子がはっきり見える。はい、と頷くと欲がないとかすかに笑われた。うわ、王子の笑顔は危険かもしれない。


「では、話がまとまったところで、早速だが走ってもらおう」

「はい?」

「どうすれば効率よく大きな呼吸ができるか考え合わせて、走ってもらうのが一番だと結論が出てな」


 ……私、異世界でマラソンランナーですか?




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