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桜夜桜酔い桜

花散らしの雨が残念

 住んでいるアパートの近所には有名な神社の支所がある。小高い丘の上に社があって、赤い鳥居が階段状に連なっている。

 両脇には桜が植えてあって、花の季節は赤い鳥居と薄紅色の桜がいい風情だ。


 新年度になって、新学期も始まった。今日は色々と忙しくてだいぶ遅くなってしまった。最寄の駅からは歩いてアパートに帰る。途中でこの神社に参るのが、ここに住みだしてからの日課だ。

 鳥居の前で一礼する。桜のせいか、なんとなく霞がかって薄明るい参道代わりの鳥居をくぐっていく。


『真ん中は歩いちゃ駄目だよ』


 小さい時にしきたりを教えてくれたおばあちゃんの声がよみがえる。おばあちゃん子だった私は、田舎ではいつもおばあちゃんの後ろをくっついて回っては色々と初めて、を経験したものだ。神社の参拝なんかもそれで、真似をして自然に覚えた。

 いつもならあんまりきょろきょろしないのに、今夜は満開の桜がとにかく見事で、自然に上を向いてしまう。それでも通いなれているから、つまづくこともなく上りきる。

 手水舎で手と口を清める。今日はラーメンを食べたから、口は念入りに漱いでおこう。

 神殿というのも、という小さなお社。賽銭箱に投入する金額は決まっている。友達から銭形と呼ばれているけど気にしない。

 鐘は時間帯がなあ、とほんの小さく。お辞儀と拍手は丁寧に。


『名前と感謝と祈念を伝えるんだよ』


 おばあちゃんはそう言って手を合わせて目を閉じた。祈念っていうのが難しくて分からなかったけど、とにかく頭の中で自己紹介と神様ありがとうって唱えていたのは覚えている。

 そんなおばあちゃんも亡くなってしまって随分経つ。大学に合格して、住む場所を探していた時、たまたま空いていたアパート見学の途中でぴんときた。あ、懐かしいって。アパートの大家さんもいい人で、そこに落ち着くことになった。

 お社詣でなんてばばくさい、と友達には言われているけど気にしない。朝は横を通り、帰りにはお参りするのが生活の一部になっている。


 今のように桜の咲いている季節は特に楽しい。私のお参りの時間が遅いのか、他の人を見たことはないけれど、それだけに夜桜を独り占めしている気分になれる。さて帰ろうともと来た道をおりていく。

 途中で小さな広場のように開けている場所があり、そこには桜の古木が一本だけ植えてあって、側にベンチが置いてある。その桜も今を盛りと満開で、幻想的な美しさをかもしだしていた。

 こんな時間だしお参りしたらさっさと帰ろうと思っていたのに、あまりの桜の見事さについふらふらとベンチに近づいて腰を下ろしてしまった。


「ふああ、すごいな、夜桜」


 仰ぎ見れば一面の薄紅。風もなく静かに咲いている。年に一度、ほんの数日の贅沢な風景に、心洗われ魂を奪われそうになりながら座り続ける。

 どれくらいそうしていたのか、ふと気付くとベンチの端に誰かがいて、内心びびる。立ち上がって脱兎のごとく逃げ出そうとした足を止めたのは、その人の服装だった。洋服ではない、白い神職の装束だったのだ。


「神社の方、ですか?」


 その人は男性には珍しい長髪で、こちらに体を傾けて頷いた。その拍子にさらりと髪の毛が流れおちる。


「普段は本所にあたる神社にいるのだが、あまりにも桜が美しくて」


 ああ、こちらに出張されたのかと納得する。たしかにこんなに桜がきれいなら、花見がてらにいらっしゃるのも一興だろう。

 そうですか、と言った後はまた桜に魅入られる。


「いつも熱心に参拝している」


 突然すぐ横で囁かれて、本日二度目の動揺だ。心臓がばくばくとうるさい。いつの間に距離を詰めていたんだろう。音がしたようには思わなかったのに。

 内心は変な神職さんだなあと思いながら、さりげなさを装って横目でうかがい見る。神職さんも微笑んで私を見ていた。

 男の人でもきれいな人はいるんだなあ、というのが感想だった。長髪で神職の装束のせいかえらく浮世離れしている。その顔は眉目秀麗とか妖艶美麗とかの形容詞が浮かんでくる、なにより真っ黒な瞳に吸い込まれそうな気がするほどだ。

 多分ぼうっと見とれてしまっていたんだろう。神職さんが困ったように笑ったのに、我に返る。


「あ、や、別に熱心ってほどじゃ。なんだか日課になっちゃってて」

「いや、作法もきちんとしているし、心中でのよびかけも雑念が比較的少なくてよく響いてくるぞ」


 一瞬、ん? と思う。この支所で人に出会うことは滅多にないし、神職さんと遭遇したこともないのにやけに詳しい。

 心中云々なんて、推し量りようもないのに……。

 そんな私の鼻先につい、と杯がさしだされた。見れば柔和な顔で取るようにと促している。反射的に手に取れば、これまたいつの間に手にしていたのかと、まるで気付かなかった容器からとくとくと液体が注がれる。

 ふわり立ち上る香気は……。


「お酒、ですか?」

「美味いぞ。呑んでみるがいい」


 確かに香りはいいけれど、見知らぬ人からものを貰ってはいけませんというのは安全安心の鉄則だ。ましてや、この神職さんはなにか胡散臭い。

 全力で遠慮していると、神職さんは懐からもう一つの杯を取り出すと手酌で酒を注いでぐい、と呑みほした。


「先に呑んだ。なにも起こらなければ呑んでみるがいい」


 こともなげに言うと、もう一杯注いで実に美味しそうに呑む。貰った杯を両手の指先で支えながら神職さんの様子を確かめた。しばらく待っても眠るとか、気分が悪くなるような様子はない。

 手にした杯からはなんともいえないよい香りがする。誘われるように、杯の端に口をつけた。ほんの一口、舐めてみる。


「美味しい」

「そうだろう。米どころの名人の杜氏が仕込んだ、極上の奉納ものだからな」


 それって横流しか? と思いながらも本当に口当たりがよくてほのかに甘いお酒が美味しくて、こくりと呑み込んでしまっていた。神職さんはふわりと笑って、また注ぎ足してくれる。

 あ、どうもと最初は恐縮しながらだったのに、だんだんと遠慮がなくなって気持ちよく呑んでしまう。お返しにと神職さんの杯にもお酒を注ぐ。さしつさされつ、どれくらい呑んだだろう。


「美味しいですねえ、それに桜もきれいだし目の前には美人さんだし。最高」

「美人……。女ではないぞ」

「わかってますよう、でもすんごくきれいで格好いいじゃないですか。目の保養なんですう」


 微妙に語尾がのびていて、ああ、これは酔っていると自覚する。

 なにしろこのお酒が本当に美味しいのだ。かなり呑んだはずなのに容器にはまだまだ残っているみたいで、杯を干すとまた注がれてしまう。

 神職さんもいい感じになっているみたいだ。頬がほんのりと赤らんで桜の花びらのようで、色男に磨きがかかっている。

 カラオケやうるさいおしゃべりの花見宴会は苦手だし、一人で夜桜なんて物騒だから夜にお酒を飲みながらの花見はしたことはなかった。でもなんでだろう、すごく楽しい。


「そうか、目の保養か。よし、いいものを見せてやろう」


 神職さんはご機嫌で立ち上がると、くっと顎をそらした。息を吸い込んですううっと吐き出す。吐息が風になり渦を描くのが見えた、気がした。なにか小さいものが神職さんが息をはいたあたりに出てきていた。

 ふわふわとしたものが、くるくると神職さんと私を取り囲む。


「えええ、ちっさい、天女?」


 壁画でみるような天女が色とりどりのきらびやかな衣装をまとい、楽器を手にして漂っている。それが笑いさざめくと演奏を始めた。

 桜に吸い込まれるように、空気をしずかに震わせて妙なる音色が耳に届く。これまで聞いたどんな音楽よりも透明で、深く、心の奥を震わせる。私までふわふわと浮いていくような気がした。

 神職さんに目をやれば、目を細めてまた酒をすすめてくれる。愉快で楽しくて、いつの間にか私も笑って音楽と酒と夜桜に酔いしれていた。



 ふと気付くと音楽はやんでいて、小さい天女たちも姿を消していた。でも余韻が残っていて、体の中でらせんを描いている。

 くるくるとふわふわとゆるやかに。


「気に入ったか?」

「はいっ、すごいです。あんなの初めてです。どうやったんですか?」

「ただ呼んだだけだ」

「すごい、すごすぎます。不思議ですねええ」


 ゆらりと酔いが体を巡る。とても気分がよくて、神職さんも楽しそうで、桜はきれいでとにかく最高だった。


「あのようなもの、望めばいつでも見せてやる」

「ありがとうございます。ありがとうございますうう」


 神職さんの手を握り締めてぶんぶんと振ってしまっていた。神職さんはあっけにとられたように固まっている。きれいな人は手も爪もきれいなんだなあ、と感心しながらこの親切と奇跡のような夜に私は感激していた。

 いや、単に酔っ払っていたんだろう。

 握ったはずの手が反対に引き寄せられていい香りに包まれただとか、神職さんの顔がすごく近くにあっただとかは切れ切れに覚えていた。

 ふわふわゆらゆらと足元が揺れ、気付けばアパートにいたのだから。


「あれ? 昨日お参りしてから夜桜見て、神職さんと酒盛りして……どうやって帰ったんだろ」


 かなり呑んだはずなのに二日酔いにもならずに、私は元気に大学へと向かった。

 



 数日もすれば、桜は散る。私はお参りの後、あの桜がはらはらと花びらを散らす様をベンチに座って見つめていた。


「散っているな」


 また唐突に神職さんが現れた。古木の幹を背に、その髪に白い装束にひらりはらりと花びらが落ちてくる。花びらをまとわせて佇んでいるのは、幻想的でこの世のものとは思えない光景だった。

 魅入られていると、神職さんがくつりと笑う。


「花びらが……」


 伸ばされてくる手が頭に触れる。摘み上げられた薄紅の花びらは、役目を終えた物悲しさも伝えてくるようだった。神職さんが手の平にのせると、花びらは風に運ばれてほかのものとまぎれてしまう。

 また吹いた風で花びらが舞う。まるであの夜の天女のように。


「美しいものは、あっという間に駆け抜けていってしまうんですね」

「だから、見つけた時を好機とつかまえておかねばな」


 刹那の美。その一瞬を目に、心に焼き付ける。最高の贅沢だろう。

 神職さんの言葉に同意していると、きれいなきれいな指先が私の髪を梳いた。

 つられて見上げれば唇が弧を描き、ゆるりと吐息交じりに囁かれる。


「つかまえた」


 神職さんの声が耳を打つ。桜の下には――。では花の下に現れたのは?

 桜が身を震わせるように、狂おしく花びらを散らした。








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