二人とメガネ、あるいはコタツとすき焼き
『梅宮と私とメガネ』『佐伯と俺とメガネ』の二人の話。
定時にあがって自分のアパート経由でもう一度電車に乗って、預かっていた鍵でドアを開ける。
「お邪魔します」
誰もいないと分かっているけど、言わないと落ち着かない。
まずはお湯を沸かして、コタツの電源を入れる。お茶を淹れて、コタツに潜り込む。
温かさにふにゃり、とささくれだった神経がほぐれていく。日中は暖かくなったけど、朝晩の冷え込みは異常だと思う。そんな時に梅宮の部屋のコタツは偉大だ。なかなかしまえないってぼやいているけど、ぬくぬくするのは大好きだ。
ご飯は炊けている。お肉は時間指定で届くはず。お茶を飲んでゆっくりしたら、コタツから出て下ごしらえをしないとと思う。
思うけど。コタツ、出たくない。このまま寝たい。コタツ危険。
ごろりの誘惑を振り切ってキッチンに立つ。まあ、食の誘惑に負けたんだけど。
今夜のメニューはすき焼き。材料の下ごしらえと、箸休めにする白菜の浅漬けを作る。一応うどんもゆでて待機させておこう。汁物も欲しいから、豆腐をちょこっと流用してしいたけも加えておく。梅宮が帰ってきたら味噌とねぎを投入する。
そうこうしているうちに、オートロックのインターホンが鳴る。宅配のお兄ちゃんが差し出す伝票に印鑑をついて、発泡スチロールの箱を受け取った。
「お肉、お肉、すき焼き肉」
梅宮が、肉を取り寄せるから家ですき焼きをしようと言い出したのは二日前のこと。その日は遅くなるとかで、スペアキーを渡される。
『先に入ってて。肉が届くと思うから受け取ってくれ』
あれよあれよと話が進んでしまった。まあ、いいけど。すき焼きは好きだし、コタツで食べるのもまた楽しいし。
自分のアパートにコタツを置こうものなら、絶対にコタツから出ずに手の届く範囲に必要なものを並べる、妖怪コタツになる自信がある。だから自制している。その分、梅宮の部屋のコタツは堪能しているんだけど。
肉は梅宮が用意するとのことだったから、その他のものを自分のアパートから運んで、いざすき焼き。発泡スチロールの箱をあければ、なんだか麗々しい紙箱、そこに貼られているシールには。
「うわあ、ブランド牛だ」
一枚一枚をラップで巻いてある、文字通り箱入りのお肉様だ。これだけで浮かれてしまうけど、良い材料はテンションが上がる。
私は食べるのも好きだからなおさらだ。
ラップをはがして皿に盛り、切った野菜と一緒に盛り付ける。割り下もつくって冷ましておく。コタツで食べるから関西風よりは関東風の方が余裕をもっていけるだろうから、今夜はこっち。
大皿にラップをかけてコタツに置く。カセットコンロと、すき焼き鍋なんてものはないからフライパンで代用だ。
ビニール袋に入れた白菜の浅漬けを揉んでいると、ガチャガチャと鍵を開ける音がして梅宮が帰ってきた。
「お帰りなさい。お肉届いたよ」
「……ただいま。そうか、腹減ったな」
会社で見慣れているはずなのに、部屋の梅宮は一味違う。会社でまとっている緊張感がいい具合に抜けているからかな。ネクタイを緩める仕草とか、袖のボタンを外す仕草にいちいちときめく。顔には出さないようにしているけど。
部屋着に着替えた梅宮が、冷蔵庫からビールを出してコタツにおさまる。
「じゃあ、始めるね」
割り下を煮立たせて肉を投入、その後で具材も入れていく。次第にいい匂いが立ち込める。目の前でいい感じに仕上がっていくすき焼きをわくわくしながら眺めていると、梅宮がぷっと笑った。
「待ちきれないって顔をしてる」
「だってすごくいいお肉だし、お腹もすいているし。一緒に食べると美味しさも楽しみも倍でしょ?」
なぜだかビールをごくごくと飲んで、梅宮は顔を赤らめた。
そうしているうちに、いい感じに煮えてきた。小鉢にとっていただく。溶き卵を絡める梅宮と、それはなしの私。
うん、美味しい。この肉が、肉が……。
「このお肉美味しいね」
ご飯と一緒に食べている梅宮も、同意のようだ。うん、柔らかくて脂身が甘くて、ブランド牛最高。和牛万歳。
フライパンの中も大分隙間ができたから、うどんも投入する。肉や野菜のだしをすって、これがまた美味しいんだ。甘辛のうどんは、白菜の浅漬けともよく合う。
ごちそうさまと言った時には、お腹はいっぱいだった。
「美味しかったねえ、またやろうか」
「そうだな、美味かったな」
梅宮もご飯を食べたにも関わらず、しっかりうどんも平らげた。男の人の食欲恐るべしだ。でもきれいに食べてくれたから、なんだか嬉しい。作った甲斐もあるというものだ。
「コンビニ行ってくる。何か欲しいものはないか?」
「ん? 別にないなあ。じゃあ、その間に片付けとくね」
鍵と財布だけ手にして梅宮は部屋を出た。私が梅宮の部屋にお邪魔するようになってから、必ず梅宮はコンビニに行くと中座する。
それで何を買ってくるかといえば、お菓子だったりジュースだったり、アイスクリームだったり。わざわざ買わなくてもいいのでは、と思うようなものを持って帰る。
まあいいや、とまずはフライパンを洗って乾かす。その後で、皿や茶碗を洗い始めた。浅漬けが残ったから小皿に入れて冷蔵庫にしまっておこう。明日にはまた美味しくいただけるはずだ。
冷蔵庫のドアをぱたんと閉めたら、振動のせいか上から小さなものが落ちてきた。
「冷蔵庫に何のせているんだろ。え? これって……」
落ちた衝撃で布がめくれたそれを手に取り、私は穴があくほど見つめてしまった。
「ただいま」
梅宮がコンビニのビニール袋の音とともにご帰還だ。
廊下のはしっこで出迎える。
「おかえりなさい」
梅宮はなんだか機嫌がよい。飲んだビールのせいだろう。
ビニール袋を少し持ち上げて、渡してくれた。
「アイス入ってる。期間限定のやつだって」
「あ、これかー。うん、これは美味しい……じゃなかった。話がある、そこに座って」
コタツのところを指差せば梅宮は怪訝そうな顔をして、それでも素直に腰を下ろした。
私はアイスを冷蔵庫に入れて梅宮の向かいに座る。
コタツの天板の上に、問題のブツを置いた。
「梅宮、これは何? 説明して」
問題のブツ――なくしたはずの私のメガネがどうして梅宮の部屋の冷蔵庫の上にあるのかな? しかもご丁寧に男物のハンカチに包まれて。
「私さ、梅宮にもメガネを探してもらったけど見つからなくて、アパートまで送ってもらったんだよね?」
「そうだったかな」
「メガネを探してもらう交換条件が夕食おごれ、だったよね?」
「ああ……言われればそうだったかも」
「で、約束果たせってクリスマスに食事したよね?」
「よく覚えてるな」
忘れられるわけがない。ほんの三、四ヶ月前のことだ。
結局それが縁で、私は梅宮と……なわけで。その最初のきっかけが、なくしたはずのメガネなんだけど。
「どうしてこれがここにあるのかなあ? しかも隠すように、さ」
梅宮は黙って正座をしなおした。
腿の上に軽く握ったこぶしを置いている様は、かっこいい……ではなくて、潔く認めてしまっているように見える。
「悪かった。わざと隠した」
「なんで、そんなことを」
「佐伯に近づくため」
悪びれる様子もなく、梅宮は真顔で答えた。そんな答えが返ってくると思わなかったから、絶句してしまう。
「コタツも餌付けも、メガネだって全部、単なる同期から脱却するためだった。反省してないぞ。反省するのは、もっと早くにやっときゃ良かったって思うことくらいだ」
「私、あの時本気で焦ったんだけど」
「うん、可愛かった」
「か、かわ……」
今度は私が赤面する番だ。真顔でそんな台詞は勘弁してほしい。
「メガネを隠さなかったら、佐伯と手を繋ぐのも電車に乗るのも、ましてやアパートの部屋に入ることもできなかった」
だから隠したのか。私の生命線のメガネを。メガネメガネとあの時にもあったコタツの周りを探っている私の前で、しらっとメガネを隠匿していたと。
怒りと呆れでこいつどうしてくれよう、と思っている私の前で、梅宮は正座を崩すこともなく小さく笑った。
「怒っている佐伯も可愛いな」
「私は、真面目に怒っているのに、何、その態度」
かっとして声が大きくなるのに梅宮はなんだか嬉しそうで、そのうちに怒るのも馬鹿らしくなってしまった。
黙りこんだ私を、天板越しに覗き込むように梅宮が腰を浮かせる。
「喉渇いたか? お茶飲むか? それともアイスを食べるか?」
「……アイス」
分かったと冷蔵庫に向かう梅宮の後姿を見ながら、餌付けされてるよなあとちょっぴり自分が情けなくなる。
まあ、今日のところは極上のすき焼き肉に免じて許すとしよう。
そう自分に言い訳して、梅宮からアイスを受け取った。
ついでに梅宮が途中で部屋をあける理由も判明した。見上げれば部屋に明かりがついていて、私がおかえりと出迎えるのが嬉しいからだと。
なんだ、その乙女のような思考回路は。