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二月の攻防

良い筋肉は良い骨格に宿るの続編

 期待している、と松本は真面目な声でのたまった。


「何を?」

「チョコレート」


 首をかしげた拍子に強調される胸鎖乳突筋は好みだけど、随分と俗物的なものを欲しがるものだと松本らしくないように感じる。

 もうすぐのあの日が何の日かは知らないわけではないけど、今更チョコレートで愛の告白をするのも違う気がしてささやかに抵抗してみた。


「松本、チョコレート好きだったっけ」

「あんまり甘くないのなら食べる。あのブロックみたいなやつとか」


 ブロック、はて、と思い浮かべると敷石状の生チョコのことかと思い至る。

 生チョコはいい。私も好きだ。少し酒を効かせてあるのが好みで、ブランデーよりもラムの方が……。


「早川。脱線しているだろう」

「ごめん、松本。それは生チョコのことだね?」

「そう言うのか。なんかまぶしてあるから、手で食べると汚れるやつだ」


 松本が画像ボランティアをやった後で実物の確認を余儀なくされた私は、気付けばいつの間にか松本の彼女として認識されていた。

 先輩医師がようやくかと松本に祝福の言葉を述べているのを聞いた時には、あのボランティア画像を本人の目の前で絶賛した自分を呪いたくなった。後から聞けば松本は撮像の際に、各検査室でも技師から褒め称えられていたそうだ。


 まあ、そうだろう。何度見返しても惚れ惚れする骨格と筋肉。と、内臓。

 個人的には棘上筋と三角筋、肩甲下筋は勿論だが、腹横筋の厚みに感動したし、大腿の筋は内側・中間・外側広筋の発達具合が申し分なく、また腓腹筋とヒラメ筋の盛り上がりには大層そそられた。実物は、もっと良かった。

 肘を屈曲させた時の上腕二頭筋はすごいの一言だ。

 かたいがちがちの筋肉ではなくて、しなやかな張りをもつ感触は感動的ですらある。

 何をしたらこんな綺麗な筋肉が作れるんだろうと尋ねると、水泳とボクシングと聞かされて意外に思った。


 そんな松本となし崩しに今の状況になっているので、いまひとつ盛り上がりには欠けている。誰それに恋してときめいたり、顔を赤らめたりするような乙女成分に乏しいというか、萌えるポイントが違っているというか。


「松本はいっぱいチョコレートをもらっていた記憶があるけど」


 看護師さんや技師さん、職員さん、果ては患者さんからなんだか沢山もらっていたのをうっすら覚えている。

 あの頃は忙しくて夕食を取る時間も遅くて、チョコレートがあれば飢えがしのげるから、読影室に提供してくれないかなと割と本気で思っていた。


「お前だってもらってただろう。友チョコだか逆チョコだか知らないけど男女から」

「そうだった」


 確かにもらったけど、全部アパートに来た弟に食べられてしまった。なんで姉ちゃんがこんなにもらって、と泣きながら食べる弟にかける声はなく、弟の目を盗んでちょっとだけ食べた記憶がある。

 結局自分では食べなかったチョコレートのお返しをしたんだった。


「去年はもらえなかったから、今年はくれ」

「業界の陰謀に乗るんだ」


 はぐらかすと、松本はあの日モニターの前で囲い込んだような眼差しになった。

 今は読影の合間の休憩にと、ペットボトルのお茶を片手に話をしているところで、幸か不幸か他に人はいない。いればこんな話は出ない。


「ボクシングの前にはものを食べたら吐きそうになるんだ。三分刻みのサーキットトレーニングみたいなもんだからな。チョコレートだったらあんまり胃に負荷がかからずに、栄養源になるだろう?」


 カカオに砂糖に生クリーム。確かカフェインも含有されているし手軽に食べられるけど。


「生チョコは冷蔵庫に入れておかないと駄目だよ。ジムに行く前に食べるの?」


 なんでか松本が肩を落とした。とん、とペットボトルを机に置いたと思ったら、こっちに向かって歩いてくる。

 すごく嫌な予感がして、キャスターつきの椅子を横に移動させようとするよりも松本の動きの方が早かった。今回は椅子の背もたれの両脇をつかまれて、包囲されてしまっていた。

 これは、やばい。非常に、やばい。


「仕事に戻ろうか、松本」

「はぐらかすなよ。早川」

 

 手を肘掛に移して松本が身を乗り出してくる。この体勢は危険しか感じない。

 逃げ場がないと観念すれば、松本が再度確認を取りに来る。


「早川からのチョコレートが欲しい。それしかいらない」


 白衣に包まれた前腕から上腕のラインが張り詰めている。肘掛に置かれているのは大きくて厚みのある手で関節部も太い。

 あの骨格と筋肉に皮膚と服をまとった松本は、存在感がすごい。圧倒的だ。

 それに静かに迫られた日には、降参するしかない。


「早川、俺にチョコレートをくれないか」

「わかった、分かりました。チョコレートはあげるから、この包囲を解いて」


 松本に触れているのは膝だけなのに男性だから体温が高いのか、筋肉が熱量を放出しているのかとにかく熱い。松本からの熱が伝染してしまいそうだ。

 この場をどうにかしたくて、松本の要求を飲む。離れてくれるかと思ったのに。


「じゃ、口約束な」


 それ、使い方が間違っていると思いながら、職場にあるまじき行為を受けてしまう。

 多分今の私がチョコレートを口に含んだら、いつもよりもずっと早く溶けてしまうだろう。松本の熱が伝染している。

 異性からのチョコレートは絶対に受け取らないことを約束させられて、松本の呪縛からはひとまず逃れられた。ついでに松本も異性からのチョコレートを断ると宣言したけれど、考えようによっては少し怖いので藪はつつかないことにした。



 当日は松本リクエストの生チョコをきっちり贈らせていただいた。ただ結局のところ逃れられるはずもなく。翌月チョコレートのお返しにとえらく光るものを渡されて、それを身につけるようにと強要され、気付けば教授に学会シーズンを外した吉日の予定の有無など尋ねる羽目になり……。


 なれそめはと聞かれるけれど、二次元の骨格と筋肉に惚れましたとは言えない。

 言わないだけの分別はある、つもりだ。





 

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