映画と明日
あれはいい映画
適当にテレビをつけていたら、古い映画になった。ラストシーンは有名な、花嫁をさらって逃げるというやつだ。映画が終わってもチャンネルはそのままで、二人してコーヒーを飲む。
「これさあ、逃げている間はいいけど我に返ったら修羅場だよね」
「どういうこと?」
コーヒーが熱かったのか、少し顔をしかめてマグカップをテーブルに置いた彼が聞いてきた。返事の前に私は少しずつすするようにコーヒーを飲む。
外は寒いけど、ここは暖かい。
「だって日本だったら式のあとは披露宴だよね。花婿さんは立場ないし、仲人がいれば面目丸つぶれだし式場の費用とか慰謝料とか、謝罪とご祝儀返却とか考えただけでものすごく大変だよ」
「あー、入籍していたら更に修羅場か」
二人して妙に現実的な話に終始する。王子様にさらわれるお姫様は童話とか映画だからいいのであって、現実でやると社会的にどうよということになる。披露宴なんて会社関係の人なんかも招待しているだろうから、社会人失格の烙印を即座に押される。
一時の感情で一生を棒にふる勇気はない。
「式の最中に逃げる前に、婚約者さんに謝って取りやめるとかすればいいのに」
「見合いの席に乗り込むとか、別れた後で元彼だか元彼女が別の人と付き合おうとするところに現れるのも同じ心理かな」
ああ、そうかもと彼に同意する。
颯爽と現れてさらっていく。平凡な人生にスポットが当たるような感じなのかな。
彼も想像していたんだろう、ちらりと私の顔を見てふきだしそうになっていた。
彼が王子様。私がお姫様……ないな。
「土壇場にならないと気持ちに気付かないってのもあるかもな」
「でも周囲に迷惑をかける前に、二人の間で解決すればいいんだよ」
「それなら映画にならない」
ま、そうなんだけど。私は残りのコーヒーを飲んだ。
休日の昼下がり、のんびり二人でこうして過ごせるのはもしかしたらすごく平凡で幸せなのかもしれない。
「でもさらいたくなるほど魅力的なんじゃないか?」
そんな恋ができたのなら、それもいい思い出じゃないか?
彼はそう言って笑った。
私はもう一杯、コーヒーを注いで彼の隣に寄り添う。
「お願いだから、披露宴会場に涙目の女の子とか登場させないでよ。父親の血圧が上がって倒れちゃう」
「安心しろ。いつも誠実に付き合いをしてきたから、そんなことはないと断言できる」
真面目くさって片手を挙げる彼に、思わずコーヒーをふきそうになってどうにか醜態を回避する。
そんな宣誓のポーズをされても、内容があんまりだ。
「そっちこそ、この結婚に異議ありとか絶叫する野郎とかいないだろうな」
「私の過去の彼は一人しかいません。ついでにその彼は現在形で、未来形でしょ」
ぐい、と頭をかかえられて乱暴に撫で回される。
彼は自分が私の歴代唯一なのが、ことのほか嬉しいらしい。
こんな簡単なことで上機嫌になるなんて、安上がりな彼だ。
でも初恋が実った形の私の方が安いのかもしれない。
ともあれ、と飲んだカップをキッチンに持っていって洗う。
リビングに戻って、コートを着てバッグを手に取る。
「あれ、もう帰るの?」
「親が感傷的でね、今夜は家族水入らずでって言われているんだ」
「そっか」
「明日、寝坊しないでね」
釘をさすと彼は玄関まで見送りがてら、また頭をなでた。
「一生一度の大事な日だ、絶対に起きるさ。でも一応起こして」
少しだけ甘えてくる彼に笑いかけて、私は部屋をあとにした。
途端、寒さに慌ててコートのボタンをしっかりはめて早足で駅に向かう。
明日の天気は予報では晴れ。きっと長く、思い出に残る一日になるだろう。
ふとさっきの映画が思い出される。
映画のようにドラマチックなことはないだろうけど。
「彼がさらいに来たらついていくかな」
のろけか有頂天か。私の呟きは、冬晴れの冷たい空気にとけていく。
もう一度、明日からの家族の部屋を見上げて私は歩き出した。