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禄遒の奏  作者: 伯修佳
第五楽章
20/25

甕覗(かめのぞき)

「それは一体、どう……」


 続きを待って香月が沈黙していると、周布はややしばらくの間を置いて再び口火を切った。


「磴候が殿主の座を追われる時、彼は全ての知識の放棄を罰として科せられました。しかし頭の中のものまでは消せない。決して流用してはならないと誓約はしましたが、証拠さえ掴ませなければどうとでもなる。結果、多くの技術が彼の元でより歪んだ形で改悪させられ、犯罪に使用される事となったのです。しかし──亜種植物はそうではなかった」


 亜種とは元々変異を偶発的に起こして出来るものだから、育て方も難しく、種の保存は中々出来ない。故に効能を記しても、肝心の同じものが手に入らない事になる。

 国内でそれを可能にしたのは、生きている人間では自分だけだろうと周布は言った。誇らしげな口調ではなく、哀しげに。


「侯爵は以前、ある亜種の研究を私にさせておりました。それは私がここで行った結果出来たものです。だが外界で同じ条件下にして行って出来るかというと、これに限っては不可能に近い。元々、原料がすくないというのもありますが」


 「長塚伯」ではなくかつての呼称「磴候」と呼ぶ周布に、香月は彼の危うさを感じた。


「そ、その亜種とは一体……どういうものなんですか」


「古い時代の植物です。正種は猛毒として恐れられ、今では研医殿に眠るのみとか」


「まさか──麻珍ではありませんよね」


“長塚は、麻珍を一体何に使うつもりなのだろうか”

 玲彰の言葉が脳裏に浮かんだ。


──あのお方は一体『どこまで』を予測していたのだろう?


 周布は頷く。


「そうです、そのまさかです。麻珍の亜種は正種とは反対に、霊薬として書物にも伝えられているのです。しかし記された書物が紛失してしまい、記録は私の頭の中にのみ存在する事になりました」


 他にも門外不出となっている亜種を保持する為に自分は閉じ込められているのだと──続けた彼の言葉は、だが香月の耳にほとんど入ってはいなかった。


※※※※


 果たして周布の言葉通りに、明くる朝の局長会議の場は紛糾した。


「慣例や法規を守れというわけではない。むしろ同じてつを踏む愚を冒さないと言えるのか」


「万一患者に異変を来たした時、嵯峨局長が責任を取れば良いという問題でもなかろう」


「しかし効能を認定されているものもある」


「亜種などという不確定なものに頼ってどうする。我々が求めているのは恒常性だ」


 喧喧囂囂けんけんごうごうたる非難の中、香月が口を挟む間も与えられず議論は続く。てっきり、自分が責められているかと思いきや、どうも流れは別の方向へ行っているらしい。


「私は悪くない試みだと思う。結果病が快癒すれば問題なかろう」


 相変わらずの抑揚のない口調で言ったのは玲彰だ。

 すかさず局長の一人が反論する。


「亜種の効能については、悪しき実例が多い。周知の話です」


「それは前任者の選択に問題があったからだ。効能はあるのだろう、周布?」


 芸術的ですらある造形の口唇から発せられた名前に、一同は動揺のざわめきを見せた。

 周布は前日と同じく、淡々と亜種について説明した。気負うでもなく厭うでもない、何の作意も感じられない声音だった。


「恒常生産性の問題ですが、大量というのでなければほぼ同等の品質を保つのは可能です。この舜橙という患者一人分の食物ならば確保出来るでしょう」 やはりな、とまた別の局長が吐き捨てた。


「であれば単に実験ではないか。亜種の栽培などするよりも、生薬の改良をしていった方がよほど人道に適っている」


「お言葉ですが」


 それまで黙って考え込む風にしていた姉小路が口を開いた。腹の奥底から出される美声が、瞬時にして全員の耳を奪う。


「月下病の前例は僅か三年で死亡しています。記述を見る限り、投薬の問題以前に進行は充分早かった。現患者は発症後八年を経過しましたが、改良が成功するまで永らえる保障はありません」


 続けて彼は言った。舜橙が既に言葉を発せられない事、その他に特殊な能力を持っている事を。今の治療法では、保って一年であろうという見解まで。


──姉小路局長。


 あんな消極的だったのに、公の場で庇ってくれるとは思わなかった。香月も他の者と同じ位唖然とする。

 更に驚くべき事に、同席していた元良もこれには賛同を見せた。


「彼の『声』は実に失うに惜しい研究対象だ。寿命が延びるというのなら、是非推し進めてもらいたい」


 元良は福福しい顔に満面の笑みを浮かべている。理論の巧拙はともかく、暗に「研医殿とはそういう場所だろう」と示した事に本人以外が気づき、場の空気が困惑に変わる。


「……嵯峨局長は、どう考えますか」


 穏やかな声がして、呼ばれた香月は円卓の上手に座るその声の持ち主を見やった。


──坂ノ内副官。


 年は五十半ばぐらいか、一見見には特に印象強いわけでもない、人の良さそうな雰囲気の男ではあるが、今まで公の場で目立った発言をした所を見た事がなかった。

 なのに彼が言葉を発した途端、一同の意識が瞬時に研ぎ澄まされた様に空気が変わる。

 ごくさりげない中に、有無を言わせぬ威圧感があった。

 香月は彼の、開いているのかどうかという程に細い双眸を捉える。

 隙間から覗く薄萌黄色の小さな眼が、鋭く自分を見つめ返しているのを知った。

 瞳が湛えたものに、背筋を正される。

 自己主張が強い者ばかりを集めた、自律を求められる世界。


「私は、亜種食物で作られた飲み物を口にしました。普通の食物とそう味も変わりません。そして今どうともならずにここにいます」


「戯れ言ですな。一が可だから全が可とは限らない」


 どこからか野次が飛んできた。香月は俯く。


「……それでも、ただ死を待つよりは……」


 声が小さくなるのが悔しい。


「逆もまた然り、でしょうかな」


 思わず顔を上げると、坂ノ内の優しげな笑みとかちあった。


「坂ノ内副官……」


「ここは玲彰様のご推薦もある事ですし、試みてみては如何ですかな」

 しかし、と先程野次を飛ばした男の一人が言い募った。


「もし失敗して患者が亡くなった場合はどうなさるのです。嵯峨局長一人の責任で済むのですか」


「ああ、それは勿論玲彰様も何らかの責任をお取りになるでしょう。そうですよね? 玲彰様」


 笑みを掃いたまま右隣の上座を振り返れば、当の本人は無表情のまま「無論だ」と頷く。


「玲彰様──」


 会議の間は更なる衝撃に包まれた。

 当事者の香月が一番驚愕しており、散会を受けて一目散に駆け寄る。


「れ、玲彰様」


 申し訳ありません、と頭を下げる香月に「構わぬ」と答えは短い。代わりに隣にいる、愛想の良さそうな初老の副官を皮肉げに一瞥した。


「久々にやってくれたな」


 坂ノ内は面白がっている風に見えた。


「話が治まるには結局ああなるしかないでしょう。皆主張が強い者達故、一枚岩にはなりにくうございます」


 勿論、お二人の首が繋がると確信すればこその発言ですよ──そう言って、彼は肉の薄い背中を向けて去っていった。


「……お怒りなわけではないのでしょうか」


 思わず殿主と不仲なのかと聞きそうになった。だが玲彰自身はさほど気に留めてはいないらしく、


「偶に短気を起こしてあの様な真似をする。普段は核心を誰より早く捉えるくせに何もしないのだがな。……奴等は己が研究出来ればそれで良いのだ」


 供を連れるわけでもなくただ一人で去ってゆく玲彰の後ろ姿に深々と頭を下げて、香月は自分に味方してくれた二人を探した。

 周布はもう自局に戻っているらしく見つからなかった。もう一方、昇降機近くに立っている長身を見付けて駆け寄る。


「賛同頂いて、ありがとうございます」


 礼には及びません、と彼は笑みを浮かべた。昇降機に乗り込み、把手を操作しながら答える。


「会議で話した通りです。舜橙さんにはもう余り時間が残されていないと思うので、一進一退の経過を変えられるかもしれない」


 しかし、とこちらを振り返った顔はひどく深刻な様子だった。


「心配なのは貴方です。万一の場合の事を考えると……」


「そうですね。仮にも人一人の人生が懸かっているのですから。責任重大です」


 視線を伏せた香月の両肩に、姉小路の手が置かれる。


「姉小路局長」


「……私は貴方の味方ですから」


 自らの視界に覆い被さる影に何故か多少の恐怖を感じたが、香月はしばらく彼を見上げてから──微笑んだ。


「ありがとうございます。期待に応えられる様に頑張ります」


 姉小路の顔がこちらに傾いて、口を開こうとした時。


「あっれ〜、また間の悪い時に出くわしちゃいましたね」


「斎条さん!」

 機械は既に四階に着いていて、乗り込もうとしたのか入口付近に立つ青年がこちらをにやにやしながら眺めている。


「済みません、特に姉小路局長」


 悪戯っぽく笑い掛けるが、笑みを向けられた方は憮然として返事をしなかった。


「斎条さん、しばらく戻られませんか? 亜種治療についてお話したい事があるのですが」


「いえ、そう時間は掛からないと思います。施術局に伺えば良いですか」


 香月が姉小路局長を見ると、肯定の頷きが返って来た。


「では一刻の後に打ち合わせをしましょう」


 いつもの書類に決栽をする仕事があるだろうと戻ると、調合室に入ったすぐ右手に昨日まではなかった書類箱が置かれていた。

 『決栽書類』と札が付いている。

 室内を見回して奥に座る仙丸を捉えるが、顔を上げて説明をされるわけもない。他の局員がちらちらとこちらを盗み見ている。


──気にしない。


 言い聞かせつつ、書類を持って局長室に向かった。


──そう言えば、周布局長に先に礼を申し上げた方がいいだろうか。


 ざっと見て急ぎ期限のあるものだけを処理し、禾管局の植物園に向かう。


「周布局長……」


 扉を叩こうとした、その時。


「──帰ってくれ!!」


 室内から怒鳴り声が聞こえて、香月は驚いた。


──わ、私まだ何もしてないのに?


「もう全て昔の話だ! それともまさかお前、私を」

 どうやら誰かと話をしているらしい。

 相手の声は小さい上に低くて、よく聞き取れない。つい耳をそばだてようとして、悪趣味だと居住まいを正す。


──邪魔をしない方がいいのだろうけど、でも。


 どういうわけかこのまま帰っては良くない気がして、少し躊躇ってから扉を叩いた。


「周布局長、嵯峨です」


 人の話し声は止み、ややあってから開いた戸口から周布の顔が覗く。

 気のせいか、青褪めて見えた。


「お話中でしたか?」


 いや、と彼は視線を剃らした。


「誰もおらんよ」


 座ろうと椅子を引き寄せる手が震えている。


「先程の会議のお礼を申し上げたいと思いまして」


「礼? 何かしましたかな。私はただ、亜種に付いて説明を求められたから答えただけですよ」


 気を遣ってくれているのかと最初は思ったが、どうやらそうではないらしい。

 どことなく心ここに在らずな様子で、「済まんがこれから急ぎの仕事があって……」と立ち上がりさえした。今座ったばかりの椅子から。


「失礼致しました。実はこれから治療に付いての打ち合わせを行いたいと思いまして、周布局長にもご同席頂ければと」


「いや、悪いが私はここから長く離れるわけにはいかないのだ。助言も協力もしようが、打ち合わせには参加しない」


 薄くなった額には汗が滲んでいる。


──何故。一体何にこれほど怯えているのだ?


「そうですか、ではせめて担当者と共に、一度ご挨拶を」


「止めてくれ!!」


 悲鳴に近い声に驚いて、香月の身体が軽く跳ねた。


「あ、いや。済まない……いいんだ、そんな気遣いは無用だよ」


「こちらこそ、ご不快にさせてしまわれたのですね。申し訳ありません」


 釈然としないながらも立ち上がり、香月は部屋を出ようとした。

 その両腕を掴まれる。


「一つ約束してもらえないか」


「は、はい?」


 縋る様な眼差しが真っ直ぐ彼女を捉えていた。浮かんでいるのは、明らかに恐怖に見えるのだが──


「治療には協力するが、局員達にはここに来させない様にしてくれ。もし見付かったら──いや、もう手遅れかもしれないが」


「わかりました……? あの、何か気懸かりな事でもあるのですか」


 ついそう聞いてしまった。


「何でもない……大丈夫だ、まだ、今のところは」


 意味深な呟きの意味を追及する間もなく、香月は室内から追い出されてしまった。

 気になったのは、彼が決して見ない様にしていた、植物園の扉。


 あの部屋に、もしかして誰かいるのだろうか?

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