柳煤竹(やなぎすすたけ)
「新たに募った人員についての書類です。ご確認を」
堅苦しい科白を、器用なほど軽々しく青年は言ってのけ、上司の卓に書類を積み上げた。
「……新しい方々の書類、って。もう決まった人ですか? それとも」
「恐れながら。予算編成までに人員数を決めよとの内示が玲彰様よりありましたので、貴女のお手を煩わせるまでもないかと配慮致しました。勿論、お気に召さなければ採用は即取り消します」
一見少女にしか見えない新しい上司──香月に向かって、仙丸尚暁は有無を言わさぬ笑顔で答える。
「現在の局員に付きましては、先日ご裁可を頂いた通り配備致します。この書類ですが、急ぎに付き本日中に目を通して頂けますか」
「あ、あの。今日は局長会議と玲彰様からの依頼の薬剤を仕上げなければな──」
「頂けますか」
顔は隙のない笑顔だったが、声にだけはっきりと苛立ちを顕している上に切れ長の目が全く笑っていない。元から十も年上な上に、押しの強いこの副局長が香月は非常に苦手だった。
「……はい……」
思わず頷く。ただ、一刻も早く彼と一緒にいる時間から開放されたいばかりに。
「玲彰様からのご依頼の方は、私にお任せになって結構ですよ? 長には長の職分というものがありますのでね。それをせずして、局長など務まるはずもありませんし」
元通り語調は和らいだが、内容そのものは皮肉に満ちていた。香月も内心全くその通りだとは思ったが、好きでこの地位にいるわけではないので何とも言えない。反論出来ずに黙り込む。
──私って、進歩ない。
男版だけれども、尚暁は皐乃街時代苦手だった先輩遊女の葉山に雰囲気が似ていた。
自分を最初から目の敵にする所もそっくりだ。自我が強くて、自分にも他人にも高いものを要求する。きっと嫌われている理由も同じなのだろう。
「わかり……ました。お願いします」
尚暁が局長室から出て行くのを見送って、香月は椅子の背もたれに倒れ込む。
「──どうせ、意見を言っても聞き入れてもらえないのに……」
ぼそりと呟く。
現在の局員は生き残りだけあって古参の者が多い。貴族出身、反骨精神が旺盛な故に尾上の権力に屈しなかった。それは畢竟、扱いにくいという事。
香月は彼の置き土産をちらりと見て、溜息をついてから局長室をぼんやりと眺めて動かなかった。
広い室内には天井まで所狭しと本棚が並び立ち、窓付近以外内装も良くわからないという部屋。
生家も本が多かったけれども、蔵書数は比較にならない。
──ここは、皐乃街とはまた違った意味で特殊な世界だ。
建物からしてが、見た事もない様な螺旋を描く造りになっている。中央にある内廊下を巡って各局は配置され、常に機材の動く音と薬の匂いが充満していた。全部で二十あるという局室は、一体どこが何の局なのか、入って一ヶ月の身でいきなりの激務で覚える暇もなかった。
ましてや一番接する機会が多い部下が、あの態度である。
教えてくれと、最初のうちは言っていた。だがその度に彼は不快さを隠そうともしない。続けば聞く気もなくなろうというもの、今では向こうから来る以外に自分から決して話しかけない。そうしたら彼は勝手に仕事を進めて来る様になった。
『局内にまだ、尾上の息がかかった者がいる可能性がある』
玲彰は香月の初出勤の時に、人払いをしてそう言った。
先の楠王弑逆未遂及び葉山殺害事件の首謀者として前局長尾上が捕らえられた際、薬処方局そのものにも刑吏府の介入は及んだ。
結果、平生より彼に与していた者達は一人残らず一旦は縛に付く事となったが──結託の物的証拠は見付からず、管理不行き届きという名目で免職に処分はとどまっている。
『其方に突き止めてもらいたいのは、奴等の結託を記してある筈のその文書だ。尾上や環は勿論、加担したと思しき者の屋敷は全て調べ尽くしたが、どこにも見付からぬ』
初めて拝命した任務。緊張が走ると共に、多少の疑問も生まれた。
『書類があるというのは確かなのですか?』
香月の問いに、玲彰は明言しなかった。
『可能性を潰して行ったらその結論に達しただけで、はっきりとした情報はないが、こういった謀には不可欠だろう。存在すれば、裏切りを防ぐのにも使えるからな』
捕えた者達のどこか不可解な言動は、“見付かるはずのない脅威”を推理させるからだ、と彼女は無表情に告げた。
『麻珍毒の数が依然として減り続けている事からも、残党がいるのは間違いない。もしかしたら“奏の鳴声”を掘りあてる羽目になるやもしれんが』
最後に彼女は、管理体制を整えるのも香月に一任すると言い置いて会見を打ち切った。
──奏の鳴声とは、玲彰様も訝しな事をおっしゃる。
記憶にある限り、それは幸いをもたらす奇跡を差すのではなかっただろうか。
この国に生を享けた者ならば、赤子でも知ろうかという神鳥の伝説。一声にして極楽の音色を世界に与えると、伝えられている。
勿論「ありえない」方の話であろうとは香月でさえもわかっているが、非論理を認めない上司に掛かれば、奇跡もものの例えになるのかもしれない。
山積みになった書類に再び目を向けて、彼女は可能性を考える。
新たな局長を快く思わない部下。常識的に考えても、年端もゆかない自分に膝を折るのは屈辱なのだろうとは思うが。
──仙丸様がその『奏』という事はないだろうか。
疑念に神経を研ぎ澄ませていたので、扉を叩く音に香月は驚きの余り心臓が止まるかと思った。
「失礼します。副局長はいらっしゃいますかー?」
部屋の主の返答も待たずに呑気な声がして、扉の陰から金色の癖毛の青年が顔を覗かせた。
「あ、すみません。いないみたいですね」
「……仙丸様なら、調合室にいませんでしたか? 玲彰様からの依頼がありましたので」
何とか笑みを形作って香月が言うと、青年は首を傾げ髪と同じ色の眉をひそめた。
「そうですか。じゃあ入れ違いになったのかな。……どっちにしても、作業が終わるまで声は掛けられませんねえ」
「斎条さん、何かお困りなのですか?」
二十七歳とは思えない愛らしい顔をさも困惑に歪めていた彼は、慌てて手を振って打ち消した。
「い、いえいえ、局長のお手を煩わせるような事ではありませんから」
「でも、貴方が上司の仙丸様を探すのは決まって重要な裁断の時ではありませんか」
青年──斎条弥は仙丸と同じく『生き残り』の一人である。とは言え昨年入ったばかりの新参者でもあり、地位がいきなり降って沸いたという点では香月の仲間と言えた。
まだ若輩の身ながら、副局長の次位に当たる施薬殿の責任者としては一応卒なくこなしている秀才らしい。そのきさくな性格は、人見知りな彼女にとってもいささかの救いとなっていた。
「もし良ければ、私も何かお手伝いを──」
尚も彼は勢いよく首を振る。地毛らしい繊細な髪が、動きに合わせて軽やかに跳ね上がった。
「いやホント、とんでもないです!! 局長にお越し頂いたりしたら、僕が副局長に大目玉を食らっちゃいますっ」
香月の笑みが、凍りつく。斎条は「しまった、言っちゃったよ」という言葉を、声には出さず表情であます所なく示した。
「それって……どういう事でしょうか?」
「何でもないです! 『局長を現場に近づけるな』って言われていたなんて、絶対そんな事ありませんから!」
「……言われていたんですね」
うっ、と更に彼は言葉に詰まる。まるで悪戯を見つかった子供の様だ。
香月の表情を見て気まずくなったのか、笑って言い繕った。
「あ、ホラ。多分ですけど、副局長は着任まだ間もない局長に気を遣ってそうおっしゃっただけで他意はないんじゃないかと思いますよ。お気になさらないで下さいね」
それじゃっ、と斎条は上司の答えを待たず、来た時同様勝手に去っていってしまった。
「あ! ちょっと待──」
伸ばした手は空中で停止したまま。ややあって、力なく机に下ろすと、彼女は項垂れた。
与えられた仕事だけ、やっていろという意味なのだろう。
──自分の理では量れない人間っていうのは、どこにでもいるのよ。
かつて自分にそう言って励ましてくれた人の事を思い出す。
「……こんな事で、落ち込んでいたら駄目よね、姐さん……」
自分はまだ、ここでは新参者──異物でしかない。ならばせめて。
自らを奮い立たせるようにして、取りあえず香月は目の前の課題を早急に片付けるべく書類をめくった。会議の帰りに、少しでも局内を見て回る時間を作る為に。




