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追放先で再会した初恋の男は、罪深い私を愛し続ける 〜断罪令嬢エリザベートの初恋回帰〜

作者: ゆいり
掲載日:2026/07/01

「エリザベート・フランドール。お前の処遇について、身分剥奪のうえルキリュ領ディート地区への追放を言い渡す」


その日、朝の眩い日差しが差し込むシルドバーニュの王城にてエリザベートは刮目していた。


想像よりも軽い刑罰に対する驚きを孕んだものだった。


処分を言い渡したのは、国王の死去によって臨時で国座に就いているベルナルド王太子殿下である。


彼の人となりを表す厳粛な物言いに対し、エリザベートは寛大な処遇への動揺を隠すべくアイスブルーの瞳を伏せる。


「調査の結果、お前の罪は妹ヒストリアを大聖女の座から引き摺り下ろすため、王妃殺害未遂の冤罪を計画したことのみと判断した」


妹を陥れようと画策したことは事実。


ベルナルドが告げた王妃殺害未遂は紛れもなくエリザベートが計画したものである。


瘴気が蔓延するこの世界で、聖女は結界を張り、土地を癒す特別な存在だった。


なかでも特に、聖なる力が強い特別な聖女は印が発現し大聖女と呼ばれている。


エリザベート・フランドールは、聖女信仰の厚い大国シルドバーニュの侯爵家に生まれ、そして妹は大聖女だった。


フランドール家は歪だった。


女侯爵だった母が早々に死去し、性根の腐った父の支配下にあり、妹は傲慢。


父の色に染まり、大聖女という権威を振りかざすだけで努力もせず他人を顧みない。


エリザベートの目から見て、妹は大聖女に相応しくなかった。


ろくに聖力の制御が出来ないことを指摘されればヒステリックに喚くばかりで、印があるからといって大聖女の地位を引き継いだところでこの国に混乱を招くだけだと思っていた。


――だから妹を聖女の頂から引き摺り下ろした。


その結果、エリザベートは断罪されている。


この結末はエリザベートにとって予期せぬものだった。


破綻するはずのなかった計画は、共謀していた同年の義兄妹であるロイドの暴走によって幕を閉じた。


フランドール家の害虫の破滅を望んだエリザベートと、王族貴族にまで恨みを募らせ踏み込んだロイド。ロイドは特別な力を使い王家の乗っ取りを目論んだのだ。


それは断罪の内容に対する不服の意味ではない。


かつて二人は共謀関係にあったが、目的を見失い一線を越えようとしたロイドをエリザベートは見限った。


目的はあくまで父と妹の破滅。


国の平穏を乱す行為をエリザベートは望んでいなかったのだ。


そして、傲慢さを高潔なプライドへと昇華させ成長した妹によってロイドは倒された。


当然、妹ヒストリアに対する冤罪も白昼の下となり、エリザベートは裁判にかけられた。


そのため処遇が言い渡されるまでは極刑を覚悟していたが、しかし蓋を開けてみれば身分剥奪と辺境送り。


ベルナルドはエリザベートの心の内を見透かすように続けて言った。


「――国王の殺害、ならびに国家存続の危機を引き起こしたロイド・フランドールとの結託に関しては、無実とする。お前はロイドの暴挙を阻止すべく隠密行動を取り、私は命を救われた。のちにヒストリアらに助力し国の崩壊を防いだ事実も鑑みた結論である」


極刑が決まったロイドに憐憫を抱きながらエリザベートは判決を粛々と聞き受け頭を下げる。


なにもかも諦め、国家を脅かさんとするロイドを止めるため行動し続けてきたが、ついに終わったのだ。


国を思えば、これでよかった。被害は最小限で済んだのだ。


しかしエリザベートの心は濁ったままだ。


今まで何をしていたのだろう。放心と後悔がさざ波のように心を揺らす。


これからはシルドバーニュ北部の領土を統治するラキュウス辺境伯の監視下の元、平民として暮らす事となる。



――――移送先はルキリュ領ディート地区。


激しい振動に身体を揺さぶられながら、エリザベートは唇を引き結び、外を見つめていた。


ディート地区は結界で守られるシルドバーニュの最北端の地だ。


王都からの長い旅路の末に馬車は止まり、最後に一度大きく揺れる。

兵士に促されエリザベートは荷馬車を降りると、深く息を吸い込んで辺境の空を見上げた。


秋晴れの空はよく晴れていて、鳥が一羽、高いところで悠々と旋回していた。


その奥で波を打つように結界が美しく揺らめいている。


「案内人が到着している。後のことはその者に訊け」


事務的な言い方をする兵士の言葉にエリザベートは静かに頭を下げ見送った。


案内人と言われたが、これから出会うのは監視役の人間だ。


ルキリュ領の統治者であるラキュウス辺境伯の監視下に置くと沙汰が下され、配下の人間がひとり遣わされる事となっていた。


妹の追放時とは違い、大層なもてなしである。


それが誰の慈悲によるものか分からないが、勝手の分からぬ辺境の地で人を手配されたことをエリザベートは心の内で感謝した。


「――ようこそ、ディート地区へ」


殺風景な景色に、低い芯の通った声が響いた。


エリザベートはその声の主に顔を向けた瞬間、時が止まった。


視界に移る姿が信じられず、双眸を大きく開く。

全身が呼吸をするのを忘れたように固まったまま喉奥に熱いものを感じた。


目の前に居たのは隻腕の男。


エリザベートは彼を知っている。


彼は……――きっと、ベリルだ。


幼少期に出会った平民で、心を許すことが出来た淡い初恋の相手。

忘れるわけがない。

何年経とうが気付かないわけがないのだ。


しかし……エリザベートは動揺する感情に瞳を揺らす。


こんなことは有り得ない。


「あなた……」


不安と疑念に押しつぶされそうな声は続かず、俯き言葉に詰まる。

そして、ようやく出てきたのは最後にベリルの顔を見た日と同じ言葉だった。


「ごめんなさい……」


「……――なんのことだ?」


俯いていた顔を上げエリザベートはベリルと思わしき男を見上げた。


耳に熱が灯るのを感じる。


忘れられたのだろうか。


それとも人違い?


いや、忘れられたのだ。


忘れられて当然だ。


内心で忙しなく独りごちる。


男は「来い」とだけ言って背を向けてしまった。

その背が実際よりも随分と遠く見え、エリザベートは苦い笑みを密かに零した。


しかし後ろをついて歩きだそうとすると足場の悪さによろけてしまう。


「大丈夫かよ」


振り返った男はエリザベートの腕を引く。


視線がかち合い、ますます確信めいて胸が締め付けられる。


エリザベートは気まずげに目を逸らした。


ベリルは何年も前に、ある事件によって会えなくなってしまった相手だ。


眼力の強い瞳が甘く下がる精悍な顔には、勝ち気で言葉よりも行動で示してくれた明るい少年の面影が残っている。


あの頃よりも背が伸びて、骨格さえも……かつてエリザベートの手を引いたものと全く違う。


傭兵と違わぬ恵まれた体躯をしていた彼の父親に似たのか、随分逞しいものとなっていた。


顎先まで垂れる茶色の髪は片耳だけ掛けられており、少し影のある危険な色香を放つ男にエリザベートは眉を歪めた。


そんなエリザベートの様子を男はじっと見遣る。


少し顎を傾けながら訝し気に眉根が動き、それから少しして、大きな溜息が吐き出された。


「暗い顔して遠くばかり見てりゃ、当然躓く……」


唐突に言われ、エリザベートは唇を震わせた。


「お前が何したかは知ってるぜ」


「……っ……」


その言葉にどきりとして瞬いた瞬間、身体が引き寄せられた。


「今度は俺を見て歩けよ、エリィ」


――愛称で呼ぶのはベリルだけだ。彼は覚えてくれていた。


「ベリル、あなたなのね……」


逞しい身体に包み込まれ、エリザベートは双眸を閉じ大きな幸福を噛み締めたが、その感情は長くは続かなかった。


現実を忘れ再会に浸るほど安直な性格ではない。


今の自分は罪人で、ベリルは監視役として遣わされている。


再会を喜べたのは一瞬で、気持ちは重たく沈み己を恥じるとベリルの胸を押し返した。


そして息を整え訊ねた。


「……あなたが私の監視役なの?」


「あぁ、そうだ」


「私の立場でこんなことをお願いするのは良くないと分かっているのだけど……監視役は別の方に変えていただけないのかしら」


そう告げたのは妹を陥れた罪を恥じ入る気持ちからではなく、それを凌駕するほどの別の感情からだった。


――――かつて、ベリルの父ジルはエリザベートの父ガストに翻弄され身を滅ぼした。


その恨みからジルが銃撃事件を起こした結果、一家は懲罰を受けることとなったのだが……その量刑はフランドールの名の下に父ガストの意向が強く反映された過剰な制裁となっていた。


結果、一家離散となった末にベリルの両親は早々に死去している。


彼らを追い詰めたのはエリザベートの父。


平民を家畜と罵り使い捨てる男だ。


そのような父から助けたい一心で、エリザベートはジルが逮捕された時に逃してしまった。


だが最終的に捕縛され、結局エリザベートの行動によって更なる父の怒りを買い、過剰な制裁へと繋がった。


結果論だがエリザベートが手を出さなければもっと穏便に片付いていた事件を掻き乱してしまったのだ。


――ベリルにとって自分は忌まわしき存在。


ずっとエリザベートはそう思い込んでいた。


だからこそ、先ほどの抱擁の意味は理解が出来ない。


自分を気遣うような言葉も受け取る資格などない。


憎いから目の前に現れたのだろうか。


そんな疑念さえ過る。


罪人の立場で役人の交代を願うなどお恐れたことだが、エリザベートは懇願した。


監視役となれば、これからしばらく顔を合わせなければならない。


エリザベートにとってベリルが側にいる事は、ようやく慣れてきた過去の罪悪感を激しく揺さぶられる行為なのだ。


しかし……――――「駄目だ。俺がお前の監視役だ」


ベリルは鳶色の瞳を鋭くエリザベートに向けたまま冷たく告げた。


――――エリザベートの追放処分には二つの条約が存在する。


一つ、追放後の三年間はディート地区から出てはならない。

二つ、辺境伯からの要請があった際は聖女として応じること。


妹は大聖女だったが、エリザベートもまた聖女であった。


その力は妹を凌ぐほどで、聖力を生み出すだけならばエリザベートの右に出る者はいない。


それだけを切り取ればきっと大聖女の印はエリザベートに顕現していただろう。


しかしエリザベートには致命的な欠陥があった。


母親から受け継いだ体質なのか聖力を貯めることが出来なかったのだ。


妹に”聖印”と呼ばれる大聖女の印が現れた日に、エリザベートを取り巻く世界は大きく揺れた。


妹は自分の手から離れ、悪辣な父を心から慕うようになり、エリザベートは一人になった。


そんななか出会ったベリルの一家は心の拠り所だった。


しかし無情にも唯一ともいえる彼らさえエリザベートの手から溢れていった。


もう二度と手に入らない温もりに絶望した日を今も鮮明に覚えている。


判決を聞き、涙が止まらず何度も傍聴席で謝った。


その隣で妹から向けられる冷たい視線。


まるで忌まわしいものを見るような視線ものだった。


「わざわざ王都までやってきて、無様な平民だ……よく見ておくがいい、あれが家畜だ」


父は、引き裂かれる家族に対し満足気に言っいた。


あの銃撃事件の判決はある種の見せしめ。


どんな理不尽も受け入れなければこの家族のようになるというフランドール家の意思として広く伝わったことだろう。


あの時の謝罪はベリルに届いていたのだろうか。


――――無言のまま連れて行かれた場所は、村から離れた結界の袂だった。


そこには二軒の家が並んでおり、一つは新築と窺えるほど真新しい立派な造りで、もう一軒はいつから建っていたのかも分からない古びた平屋だった。


エリザベートに与えられたのは平屋で、ベリルはひと言「お前の妹が使っていた家だ」と教えられる。


扉を開けると軋む音が響き、中は意外にも綺麗に掃除されてあった。


「そこそこ小奇麗だろ。これからはお前が自由に使えばいい」


窓を閉め切っていたからかカビの匂いがしたが大したことではない。


部屋を見渡すエリザベートの背にベリルが告げた。


「一日一回は確認しに来る。脱走でもされちゃ罰にならねぇからな」


他家の貴族や親戚を頼りに行方を眩ます事がないようにという理由らしい。


そんなことするわけがない。


背を向けたままエリザベートは苦い笑みを零したあと部屋の中を歩き、水位の高い水瓶を覗き込んだあと、窓辺に視線を向けた。


窓辺には保存食となる干し肉が吊るされてある。


「そこにあるのは食える。野菜も机の下の箱に少しは入ってるはずだ」


平民の一般的な食卓テーブルの下には木箱があり、そこには未開封のワインが一本と数種類の根菜が入っていた。


「これはヒストリアが暮らしていた名残かしら。それとも別の誰が用意したの?」


「ヒストリアだろ」


訊ねるとベリルは即答したが、よく見ればワインは埃を被っていない。テーブルなどは薄らと埃を被っていたのに対して、明らかに異なる。


きっと持ち込まれたばかりのものだ。


それを敢えて伏せるのはベリルが当人であるからだろう。ならば他のものだってそうだ。


自分のために用意されている。


胸の奥に重いものを感じ、エリザベートは静かに口を開いた。


「地区から出なければ何をしてもいいのよね……」


「あぁ」


「逃げたりしないから安心してちょうだい。確認は三日に一度でも多いぐらいよ」


「そうか。なら明日また来る」


ベリルのちぐはぐな答えにエリザベートは訝し気に振り返った。


「――だから、放っておいて構わないと言ってるの。私は逃げたりしないわ」


だからそっとしておいて欲しい。


気にかけられると心がざわつくから。


しかしベリルは軽くあしらうように口端を歪める。


「この地区を何も知らないのにか?まぁ、お前は一人でなんでも出来るだろうな。昔から器用だった」


幼少期、ベリルと知り合い、フランドール家の別荘を抜け出して過ごした時間は新鮮だった。


ベリルの一家が営む養鶏所で様々なことを経験した。


井戸から水を汲む方法、パンを焼くにはどうすればいいかはベリルの母が教えてくれて、畑の耕し方や鶏の締め方は父のジルから教わった。


二人とも初めは「やめた方がいい」と血相を抱えてエリザベートを止めたが、ベリルが「いいじゃん。一緒にしようぜ」と手を引いてくれたからエリザベートの世界は広がった。


自分で出来ることが増えて、そしてあの家で自分の矜持を守るためにはどうすればいいか必死に考え、生きてきた。


その経験は辺境でも十分に通用するはずだ。


「……自分でこの土地について調べるわ。仕事も探すから大丈夫よ。何も出来ないご令嬢じゃないって知っているなら好きにさせて……その方があなたの仕事も減るわ」


しかしベリルは許さなかった。


歩み寄りエリザベートの長い銀髪を指先で梳きながら言う。


「……俺を遠ざけようとしても無駄だぜ。なにより規則だ」


「……でも、」


「明日は村を案内する。俺に寝込みを襲われたくなけりゃ鍵かけておけよ」


問答無用といった調子で告げられ、髪に触れていた指先は離れていく。


そして気怠げな雰囲気を纏ったままベリルは平屋を出て行ってしまった。


――――翌朝、身体の傷みを感じてエリザベートは目覚めた。


昨晩寝た場所はこれまで邸で使っていたベッドとは造りが異なり、木板に布を重ねただけの平民としてもかなり質素な寝床だ。

これには改良の余地がある。


雨風を凌げる場所があり、当面の食料が確保できる生活は追放の身としては有り余る贅沢だが、それでも睡眠は極めて重要。


人間、睡眠と食事を疎かにすると心が一気に荒んでくるものとエリザベートは心得ている。

それらを安定して確保するためにも、まずはこの土地を理解し、村の人間と交流しなければならない。


辺境伯の要請に応じる条約には報酬として僅かばかりの金銭が支払われることとなっているが、それはまだ当面先の事になるだろう。


最優先すべきは水や食べ物、それから針と糸を買えるように自立したい。

そのようなことを考えながら窓を開けると、冷気が流れ込んできてエリザベートの肌を撫でた。


ふと、昨日のベリルの言葉が蘇る。


『俺を遠ざけようとしても無駄だぜ』


エリザベートの記憶の中のベリルは今と同じように強引だったが、しかしこちらの感情の機微を読んで踏み込んで来ることはしなかった。


エリザベートが引けば、ベリルも引く。

引いて別のものを二人で見つめた。


かつて彼の実家の養鶏所で特別な場所を見せてもらった時もそうだ。

落ち込んでいたエリザベートに何があったか尋ねるでなく、攫うように腕を引いて「今は俺と居るだろ」と言うのだ。


その瞬間だけは明るい気持ちになれた。

先々の事を考えて沈みがちなエリザベートに対して、ベリルは今その瞬間に心を繋ぎ留めようとしてくれていた。


――――蘇るのは鶏小屋での記憶だった。


「俺、将来は文官になるぜ」


あの日、ベリルは将来を憂うエリザベートに対し励ますように言った。


大聖女としての成長が芳しくない妹の様子に父は懸念を示していたが、しかし相変わらず大聖女の親として権威を振りかざし、女遊びや贅沢の限りを尽くしていた。


このままでは父という害悪を一生抱えたまま、侯爵家を継がねばならないと思うと、あの頃のエリザベートはいつも胸が苦しくなっていた。


そんな時に、ベリルが申し出たのだ。


「平民でも実力があれば雇ってもらえるだろ?お前が不安なら俺を雇えよ」


まるで、ずっと傍に居ると言ってくれたような気がした。

真剣な眼差しが嬉しく頬が熱くなったのを覚えている。

しかし同時に悲しくて、逃げるように視線を逸らした。


「真面目に言ってんだよ。親父達も応援してくれるし。お前は危なっかしいだろ」

「私は……平気よ、大丈夫」


ベリルは賢い。

それに何よりやると言ったら本当に達成してしまう。

だから余計に苦しくなったのだ。


「いつも息苦しそうな顔してるくせに」

「気のせいよ」

「そーかよ」


少し不機嫌に、ぶっきらぼうに吐き捨てられたが、仕方がない。

あの時のエリザベートはそう言うしかなかった。


なぜなら侯爵家の長女として家督を継ぐため他家の貴族と結婚し迎え入れなければいけなかったからだ。

たとえそれを拒否して神殿に仕えると言っても、父は許してくれなかっただろう。


違う相手と結婚して、その傍にベリルが居るなどエリザベートは想像したくなかった。


まして、フランドール家に仕えるならば、ベリルが他の誰かと婚姻を結んだ場合、その現実を直視しなければならなくなる。

そのような未来が待っていると分かっていながら、「ありがとう」などとは安易に言えない。


「まぁいい。とにかく俺は文官を目指す!それも引くて数多の優秀な文官にな!人気すぎて給金弾まなきゃなんねぇってなっても知らねーよ」


焦ったく思ったのだろうか、ベリルは勝手に宣言してしまい、複雑な気持ちの笑みが落ちる。

好きな相手を傍に置き続けられるほどエリザベートの心は強くない。

どうせ結ばれないなら自分の知らないところで幸せになって欲しい。


それがベリルに対する想いだった。


「……それなら雇えなくなるかもしれないわね」


嬉しいけれど、苦しい。

今以上を望んでも叶うはずがないのに、ベリルと気持ちが通じていればいいと密かに願っていた自分がいた。


少し強引で、しかし心遣いがさりげなくて優しい人。

再会した彼にも似たものを感じるが、月日が流れベリルの心は読めなくなっている。


――――そして今や、彼は本当に貴族に登用されている。

どのような経緯でそこに至ったかは知らないが、ラキュウス辺境伯の配下としてベリルは現れた。


幼少期に起きた銃撃事件では連座するかたちでベリルは労役に科されたはずだが、あの後、彼は一体どのようにして過ごしていたのだろう。


密かにエリザベートはベリル達一家を追っていたが、しかし分かったのはベリルの両親が過酷な作業場で死去したことだけ。


ベリルは労役を終えたあと、行方をくらましてしまった。

そして今になって再会した彼の片方の腕は、肘から下がなかった。

何があったのか聞きたい。


しかし再会したばかりのベリルに踏み込んだことを聞く勇気もなく、疑問が綿雪のように積もってエリザベートの心を覆い尽くす。


近づきたいけれど、怖い。


さまざまな思いが脳裏を巡り、エリザベートは一つの結論へ辿り着いた。


やはり監視役は別の人がいい。


もう一度だけ聞いてみるべきだ。


――翌日、起床したのはまだ日が差し始めた頃だった。


昨日は何かを口にする気が起きずそのまま寝てしまったが、さすがに今朝は空腹になって簡単なスープを作った。


その時、平屋にある道具を確認した時にエリザベートはあることに気付いた。

あればいいと考えていた道具が一通り揃っていたのだ。

それは妹のヒストリアが使っていたものなのだろうが、妹は追放時、身の回りのことは何一つ満足にできなかったはず。

王都で妹と再会した時に、雰囲気が変わったと感じていたが、この場所でヒストリアなりに努力したのだろう。


使い込まれた道具を見て、エリザベートは導き手が違えばこうも違うのかと独り言ちた。


自分が見切りをつけていた妹に、別の人間が手を差し伸べていた。

その痕跡を感じ、自分の選択が誤っていたのだろうかと考える。


もしもやり直せていたら……しかし、やはり何度考えてもあの当時の家では希望などなかった。

結末は同じだ。

エリザベートはヒストリアを蔑み、大聖女という大役から引きずり下ろしていただろう。


朝食を摂って暫く、片づけを終え床を履いていた時にベリルはやってきた。


扉をノックされる音に気付き、重い気分で扉を開けるとその手には赤いストールがあった。


「その恰好じゃ寒いだろ」

「でも……」


新品同様にも見えたそれを差し出されエリザベートは口ごもる。


「余りもんだ。それに風邪ひくだろ。言っとくが王都と違ってこっちはやぶ医者しか居ねぇからな。世話になりたくなけりゃ受け取れ」


そう言って胸元に押し付けられ思わず受け取ったものの、そのストールからは甘い香の匂いが鼻を掠めた。


「ありがとう……」

ストールを首に巻いてみると温もりと共に香りが弾ける。

そのことに様々な憶測が湧いて少しだけ寂しい気分になった。


だからというわけではないが、気忙しくもベリルに対し訊ねてしまう。


「――ねぇ、昨日の話だけど……やはり辺境伯に聞いてみることは出来ないのかしら……」


もう一度だけ確認しようと心に決めていた問いだ。

するとベリルが一瞬、顔を歪めた。


「そんなに俺が嫌か?」


不満を露わにされエリザベートの視線は足元へ落ちる。


親切にしてもらったばかりだが、しかしこれから先のことを考えると確かめておかねばらない。


「……あなたは私を見て、辛い記憶を思い出さないの?」

緊張し、恐る恐るといった話し方になっていた。


毅然と振る舞うには難しい、過去の傷を掘り起こす問いだったからだ。

しかしベリルはエリザベートを見て逡巡し、納得したように独り言ちる。


「あぁ、そういう……」


それから唐突に顎先が掴まれた。


「――俺としては、天地がひっくり返っても届かないものがやっと落ちてきた気分だ」


言葉は甘く響くが、高い位置から落ちてくるのは獰猛な視線。

それがエリザベートを捉えて離さない。


「冗談を言わないで、ちゃんと答えて……」


火が付いたように体が熱くなり、エリザベートはベリルの手を振り払って咄嗟に後退った。


こんな風に熱を灯すのはあの鶏小屋以来である。


「答えただろうが。それにもう決まったことだ」


心中穏やかではないエリザベートをベリルはあの時と同じ、真剣な眼差しで見つめてくる。


「……またごちゃごちゃ考えているようだが、俺は別にお前を恨んじゃいない。うちの親父らもきっと同じだ」


「うそ……」


「嘘じゃない。親父が馬鹿した時のことだろ?銃なんてろくに使ったことねぇもん持ち出すなって母さんは釘刺した、それを聞かなかった親父が悪い。親父はお前が助けてくれたつってたが、迷惑かけたな」


「……嘘よ……本当のことを言ってちょうだい……」

恨まれてないなど、そんなわけがない。


エリザベートは彼らの人生を変えてしまったのだから。


あの当時、ジルはエリザベートの父を拳銃で撃ったが幸い軽傷だった。

元はと言えば父が養鶏所を営むジルに対し不当な扱いをして貶め恨みを買ったせいだ。


重刑と称しジルは片手まで切り落とされ、労役を与えられたのは明らかに過剰で、それは逃亡したことを理由に父が量刑を引き上げさせたからだ。


ベリルの父親を救う方法はきっと他にもあったはずなのに、感情だけで先走ってしまった結果が招いた不幸な結末を、許してもらえるはずなどない。


なのに、ベリルは否定する。


「相手が悪かった。それに親父は引き際が甘かった。そもそも撃ったことは事実だしな」


冷静に、そして淡々とベリルは言う。


「違うわ……私が余計なことしたから……ジルは重刑になったのよ。マーサだってあんなところで労役なんてしなければ感染症にかかって死んだりしなかったはず……」


ずっと後悔していた。

ただ遠くから状況を探ることしか出来ず、あの頃のエリザベートは弱かった。


「あなただって……消えてしまったじゃない」


喉が熱くなりエリザベートは声を震わせた。

合わせる顔がないと理解はしていても、どうしているかだけは知りたかったのにベリルは姿を消した。


エリザベートと完全に関わりを経つ意思が明確に感じられ寂しかった。


「顔を見せりゃお前に迷惑かかるだろ」


さも当然とばかりに言われ、エリザベートは視線を彷徨わせた。


「……手掛かりさえ残してくれなかったわ」

「お前は優しいから俺らを気にし続ける。あのときは忘れて欲しかった……お前は責任感が強いからな」

「そんな……」


「俺が消えれば憂いは実家のことだけになるだろうが」


まさかその行動全てがエリザベートのためだったとでもいうのか。


向けられた言葉に眉根を寄せストールを握る手に力が籠る。


だとしたら……ベリルは分かっていない。

エリザベートがどれだけ心を預けていたか。


「理解したならさっさと行くぞ」


それ以上押し問答する気がないことを示すように言われ、エリザベートは静かに頷いた。


外は冬が近づく気配を感じながら二人は歩く。

その後は結局、同じ話題に触れることはなかった。


空には相変わらず鳥が一羽だけで飛んでいる。

きっと鳶だろう。少し大きいが鷲がこんなところを飛んでいるわけがないのだから。


ベリルはディート地区を網羅させるべくエリザベートを様々な場所へと連れ歩いた。


村自体の規模は小さい。

だが今後は結界を張る装置の要となる鉱石を採掘する事業で人の流入も増えるだろうとベリルは言っていた。


そして隣の地区と繋がる森については薬草が豊富だが無断で行けば逃亡と見なされるため、入る場合は声をかけるよう釘を刺される。

あとは水はどこから汲むべきかといった取りあえずの生活に関わる事が中心だった。


帰り道、エリザベートはその時の出来事を思い出し溜息を溢す。


案内の途中、料理屋らしき店から女性が出てきてすれ違い際にベリルに声をかけてきたのだ。


溌剌とした雰囲気の女性は季節に反するような少し露出の高い服装で、そしてエリザベートが身につけていたものと同じ甘い香りを纏っていた。


「ねぇ、今夜どうするの?」

「後で行く」


たったそれだけの会話。

なのに短く答え片手を挙げるベリルの姿が気になって仕方なかった。


何が、などと主語のない二人だけに通づる話はエリザベートの中で様々な疑問が湧き上がる。


――あれは誰?

――恋人なの?

――このストールの元の持ち主はあの人?

――夜に会うほどの仲なのに、私を抱きしめたの?


ベリルの日常を垣間見てしまい、心をぐしゃりと握り潰された気分になってしまう。

そんな資格などないのに。


もう何年もずっと感情の起伏を感じることなどなかったエリザベートの心は容易く掻き乱されていた。

家の前に着くとベリルは唐突にそれを指摘した。


「何か俺に聞きたいことがあるだろ」

「いいえ……」

「へぇ。熱い視線をもらっていたもんだから、気になったんだが」


かつて交流があった頃と変わらず些細な変化に気付かれてしまう。


「……てっきり嫉妬でもしたかと思った」


ただしあの頃とは違うのは、ベリルがその問題から逃がしてくれないことだ。


嫉妬などと言葉にされ胸がどきりと鳴ったがエリザベートは冷静に吐息を零し扉を開く。


「自惚れすぎよ」


そして部屋の中に入りすぐさま扉を閉めようとした。

これ以上、入ってこられないように。


「今日は案内をありがとう。あなたの仕事は終わったわね」


しかし扉が閉じるよりも先にベリルの指が隙間に差し込まれる。


「……待てよ。お前がなに考えてるかなんて隠しても無駄だ」


「随分と手荒に育ったのね……」


ささくれのように痛む感情のまま言えば、それ以上こじ開けられることはなく、ベリルは眉間に皺を深め、少し傷ついたような顔をする。


その反応にエリザベートは瞳を揺らした。


言うべきでなかったと後悔したが、遅い。


「――これだけは言っておく。生きるために何でもしたが、お前を忘れた日はない」


それだけ残すとベリルは手を引いた。

力の抜けた扉は軽く、しかしこの瞬間は明確な隔たりを感じエリザベートは言葉に迷う。


そうしているうちにベリルは「また明日くる」と言い残し去ってしまった。


時間が経過すればするほどに、エリザベートの中に生まれた後悔は膨れ上がっていた。


勢いあまって言ってしまった言葉にきっとベリルは傷ついた。

苦労したに違いない人生を、手荒などと言ったのは間違いだ。


――明日は必ず謝らないと。


そんなことを考えながらストールを握り締める。


悶々とする感情を抱えて夜を過ごし、横たわってから長い時間をかけようやくエリザベートは眠りについたが、しかし翌日になって訪ねてきたのは思いもよらぬ相手だった。


――――翌朝、ただ待つことがもどかしく手持ち無沙汰になったため、平屋周辺の土の状態を確認していると賑やかな声が聞こえてきた。


子供の声だった。


「見てほら、似てる!」

「ほんとだ~、似てるねぇ」


茶色い小さな頭が二つ、弾むように揺れてこちらに向かってくる。

エリザベートが彼らの顔をはっきりと認識できるようになる頃には、二人は駆けだしていた。


「「おはよー」」


目の前に来て勢いよく挨拶をする二人に、エリザベートは膝を折り視線を合わせた。


「おはよう、二人とも元気な声ね。村から来たのかしら?」


二人が現れた方角を視線で辿ったが、他に人の気配はない。

村からは距離があるが二人だけでここまで来たのだろうか。


まだ幼い彼らは双子のようで顔が瓜二つだった。

一人は髪を結っていて、もう一人は短く切り揃えられている。


「あのね、ベリルが今日来れないから代わりに来たの」

女の子の方がハキハキと答え、男の子の方は少し顔を赤らめながらもじもじと言う。


「ちゃんと飯くってるか聞いてこいって……」

「ねぇ、遊んでいっていい?エリーも絵本読める?」


男の子の言葉を遮るように、女の子の方が興奮気味に鞄から鍵を取り出す。


「えぇ、読めるわ。その鍵は絵本と関係あるようね」

「うん。あっちのお家にね、沢山あるから読んでほしいの。入っていいってベリルが言ってたから行こっ!」


ベリルが遣わせたらしい双子は平屋の近くに建つ邸を指さした。


それは辺境伯に所有権のある建物で、これまではルーメンという魔法使いが研究所として利用していたものだ。

妹はその魔法使いと出会い、そして変わった。

彼らが過ごしたであろう建物に全く興味がないわけでなかったが、こんな機会でもない限り足を踏み入れることもないだろう。


「そうなのね。じゃあ、先に二人のお名前を聞いてもいいかしら?」


「ティアだよ。こっちはロマ」

女の子は丸い瞳に弧を描き眩いばかりの笑みを浮かべ答えた。


「お姉ちゃんはエリーでしょ?ベリルが言ってた」

「えぇ。エリザベートだからエリーって呼ばれるの」


どうやらベリルは呼びやすさを重視したのか二人に愛称で紹介していたらしい。


ふと、ロマと紹介された男の子が遠慮気味にエリザベートを見つめながらぼそりと告げた。


「ヒストリアと似てるけど、ちょっとちがう……」

突然妹の名前が出てきて、僅かにエリザベートは目を見開いた。


この双子達とも妹は関わっていたのだと知って驚いたのだ。

小さな子供が苦手だった妹はどのようにして接していたのだろう。


「ねぇねぇ、早く行こうよ!あそこのお家すごいんだよ!」


ティアは人懐こくエリザベートの腕を引いた。

立ち上がるよう急かして促すので思わず笑みが零れるが、しかしこの子達はベリルと一体どういう関係なのだろう。

幼い子供の止めどない勢いに流されエリザベートは歩き出す。


「エリーのお膝乗ってもいい?」

「ぼ、僕も!」

邸の中は持ち主らの性格を表しているのか、機能的な造りだった。


今は使われていないこの邸は、薬草らしきハーブの類の匂いが溜まっており、作業場のような部屋には空の瓶やまだ中に乾燥した草木の根などが保存されている。


ティアとロマの二人に促され最後に落ち着いた場所は暖炉のある部屋だった。


双子は柔らかな長椅子に腰掛けて何度か身体を弾ませて楽んだあと、本棚から数冊取り出しエリザベートに読んでくれとせがむ。

エリザベートは小さな子が好きだ。


混じり気のない無垢な存在は希望があっていい。


双子が望むだけ絵本をよみ一日を過ごした。

気づけば随分と時間が経っており、日は傾き始めていた。


エリザベートは夕食を振舞うと提案したが、二人が断ったため村まで送り届けることにした。


「ボラフ亭のばーちゃんが作ってくれるから大丈夫だよ!」


ロマはすっかりエリザベートに慣れて上機嫌で手を繋いでいる。

当然、反対の手はティアと繋がっており、双子に挟まれ小さな歩幅に合わせ歩いていた。


「昨日食べたやつがいいね」

「同じのかなぁ」


「いつもボラフ亭でご飯を食べてるの?」


エリザベートが問えば二人は大きく首を振った。

ボラフ亭といえば昨日ベリルに声をかけてきた女性が出てきた店だ。


「いつもはベリルが作るよねぇ」

「まぁまぁの味だよね。ベリルがお仕事のときは、お店で食べるの」


双子の口ぶりに、まさか結婚しているのかと内心驚いていた。

エリザベートは二十三だが、ベリルが二歳ほど年上だ。

結婚して子供がいてもおかしくない。

だが一般的に実の父を呼び捨てにするものなのだろうか。


「一緒に暮らしているの?」


気付けば子供相手に探るような質問をしてしまっていた。


「そうだよ!エリーもうちに住んだらいいのに」

ロマが繋いだ手に腕を絡めるように寄ってきて言う。


「そしたらもっと絵本読んでもらえるのにね~」

ティアまで楽しそうに言うのでエリザベートは笑った。


「そうなったらすぐにあの絵本の棚を制覇しちゃうわね」


そんな他愛もない事を話しているうちにボラフ亭に辿り着けば、双子は表でなく裏手にエリザベートを連れていった。

すると勝手口のような場所から、昨日の女性が出迎えた。


ロマとティアはその女性に「エリーが送ってくれたんだよ」と紹介した。


「あぁ、昨日の。ありがとね」

愛嬌の良い爽やかな笑みが向けられ、それから直ぐに女性は双子に訊ねた。


「で、ベリルが来るまでこっちに居るの?それとも泊まり?」

「今日もご飯だけ!ばーちゃんのご飯楽しみ」


ティアは店の中に入ってゆき、その後をロマが追いかけながら、しかし一度振り返ってエリザベートに向かって手を振った。


「じゃあね、エリー。また遊ぼうね!」

「えぇ、もちろんよ。またね」


二人が無事に店の中へ入っていったのを見て、エリザベートは平屋へ戻ろうとした。


「――ねぇ、今度はあんたも食べてきなよ!うちの料理美味いから」


その背中に向かって女性が声を掛けた。


「はい。また今度来ます」


振り返り、軽く会釈して店を後にしながらエリザベートは考えた。

ベリルの生活はここに根付いているのだろう。


ロマとティアも素直で可愛らしい子達だった。

昨日の会話も双子の迎えのことだったのだと気付けば、知らないことだらけで嫉妬などしたことが余計に恥ずかしくなる。


赤く染まった空はエリザベートの心を映しているようだ。

見上げると相変わらずひとりぼっちの鳥が孤高に空を羽ばたいていた。


その日の帰り道、ベリルと出くわした。

平屋まであと数分という距離で、出くわしたというよりも待たれていたのかもしれない。


エリザベートは少し驚き足を止めた。

それは今日は顔を合わせることはないと予想していたから、というのもあったが、何よりもベリルが義手をつけていたからだ。


「――どこ行ってた?」

開口一番に尋ねられた言葉はいつもと変わらぬ声の調子だった。


「ロマとティアを村まで送っていたのよ。小さな子供二人だけだと心配だから」


答えるとベリルは怪訝な顔をして言う。


「あいつらこんな時間まで居たのか……」


どうやらベリルは双子と二つの約束していたらしい。


日が高いうちに帰ること、そして本を読んでもらえるのなら二冊までと。


絶対に約束を守るから二人だけでもエリザベートに会いに行きたいとごねたので行かせたらしい。


そんなことを知らないエリザベートは求められるがままに応じ、そして空の色が変わり始めたので食事をさせてから帰そうとすら考えていた。

結局夕食はボラフ亭でとると聞いたので二人を連れて行ったが、ベリルは裏切られたと言って眉をしかめた。


「あいつらの”絶対”は信用できねぇな」


「……あの子達はあなたと暮らしてるって言ってたけど、あなたの子供なの?」

「そんな風に見えるか?」


エリザベートが隣を歩くベリルに訊ねると口許だけ持ち上げて笑った。


「分からないから聞いたのよ……」


また勝手な憶測で間違った言葉を口にしたくない。

そのために聞いたのだ。


「――あいつらは拾った。年の離れた姉が上級聖女だと分かってから家庭崩壊したらしい」


この国はつい最近まで聖力を持つ乙女を神殿が保護する風習があった。


殆どの者は三歳で行われる判定の儀で聖力の有無や保有量が測定されるが、稀に歳を重ねてから聖力を持つことが分かる場合がある。

その際も同様に、召し上げられるのだが、この国シルドバーニュでは褒章が手厚く、排出した家には謝礼が支払われる。

その大金に人生が狂った人間は少なくない。


ロマとティアの両親もまた、大金に惑わされ”日常”を捨てたそうだ。

働くことを疎かにして、父親は賭博や女遊びに耽り、そして夫婦の中は拗れていった。


蔑ろにされた二人は姉を頼ったが、神殿に召し抱えられた姉が二人に手を差し伸べることはなかった。

そのため二人はつい最近まで聖女を嫌っていたという。


見捨てられたと感じたのだろう。


しかし神殿の実情は世間が思うものとは違っていた。

入れば最後、二度と家族と会うことは叶わぬ場所だったのだ。


そして聖力を失った元聖女は、結界の外の一番瘴気の濃い場所から生まれる怪物へ体のいい餌として与えられていた。

そうすることで神殿は怪物を大人しくさせていたらしく、それを代々の国王は目を瞑っていた。


だがロイドの断罪にならびに、ロイドを支持していた神殿の罪も明らかになり、王太子ベルナルドによって王が隠していた罪は公表された。


王宮に上がる機会のあったエリザベートですら、それは知らないことだった。

これらの事実を鑑みると、ロマとティアの姉はきっと死んでいたのだろうと導き出される。


「……だからあなたが保護しているのね」

「まだまだこれからって奴らを放っておけねぇだろ」


――あいつらには未来がある。


そう告げるベリルは情に厚い。

優しいのだ。


「――ねぇ……一昨日の事は、ごめんなさい……手荒なんて言って」


心につっかえていたことを口にすると、ベリルはその意図にすぐ気づいた様子で「気にするな」とだけ答えた。


「……その義手はどうしたの?」

「あぁ、これはルーメンが……お前の妹と一緒に居た魔法使いが作ったものだ」


ベリルは言い直して告げる。

王都で見た、妹のヒストリアと共に居た魔法使いと聞いて直ぐに顔が浮かぶ。


ベリルが彼らとこの辺境で関わっていたことが窺える発言だった。


「動くのね……どうなっているの、それは」

不思議なことに義手はベリルの意思に応じて指先など曲がるらしい。


「神経の信号がどうとか難しいことを言ってたが、とにかく魔法で動くようにしたらしい。今日、会った時につけてもらったが、悪くないな」


ベリルは説明しようとしていたが、面倒になったのか魔法で、と結論付ける。

他人の事は割と丁寧だが、自分の事になるとあまり表に出さないのは昔と変わらない。


家に着くとベリルはさりげなく扉を引きエリザベートを中へと促した。

しかしベリル自身は中に入ることはなく、その場に立ち止まる。


「しばらくの間、あまり外に出るな。鍵もかけておけ。外出したい時は俺が一緒に行く」


「なぜ?」

「お前にご執心な貴族が居る。攫われちゃかなわねぇ」


「……そんな悪趣味な人が居るの?」


聞かされた言葉は考えさせられるものだった。


今やエリザベートは罪人で平民となった身。

これまで侯爵家を継ぐ者として他家の令息から熱い視線は注がれていたが、それはフランドールの名を欲する権力争いによるものだ。


貴族籍のない、まして罪人となり果てた今、エリザベートを囲うのは無駄な浪費だろう。

そのような浪費に耽る人間などいるのだろうかとも思いたいところだが、しかし人間は様々だと知っている。

悪辣な父、ガスト・フランドールのような性根の腐った人間がその代表だ。


とはいえここはラキュウス辺境伯の領地である。

ラキュウス辺境伯は王弟で、その立場の人間を出し抜いてまでエリザベートを所有しようなどと危険を冒す者が本当にいるのだろうか。


「決定打がないってのでまだ調べている最中だが……とにかく、一人で外に出るな。分かったな」


ベリルの瞳は真っすぐエリザベートに注がれていた。


それからベリルは毎朝同じ時間にエリザベートの元を訪れ、一刻ほど共に過ごすようになった。


正直なことを言えば、早く村に慣れて仕事を探したいところだったが、今は言われた通りに過ごすしかない。

物語でも観劇でも、こういう場合、勝手に動くことが危機に繋がる。

重要なのは自制心だ。


その点、エリザベートは待てる人間だったので、ベリルが言ったことは大人しく守っていた。


当面外出することが出来ないという点で、野菜や干し肉などの食料も支給されているので食事面での憂いはなかったが、出来ることをしようと、平屋の周りに畑を作ることを考えた。


幸い、平屋の近くには数本の樹木がある。

焦る必要がないため、まずは腐葉土作りから始めようと落ち葉を集めることを思いついていた。


そのため最近はもっぱら集めた落ち葉をちぎって細かくする作業に徹している。


「「きたよ、エリー!」」


高い声が元気に響き、ベリルがロマとティアを連れてきたのが分かった。

扉を開けると満面の笑みを浮かべた二人がエリザベートに抱き着いた。


「いらっしゃい。今日も来てくれたのね、嬉しいわ」


二人の身体を抱き止め笑うと、足元に影が落ちる。


「今日も来たぜ、ちぎり作業の専門家様が。悪いな、お前はのんびりやりたいんだろうが……」


二人の後ろから現れたベリルは気怠そうに言った。


数日前にベリルにくっついてやってきた二人は、エリザベートが葉っぱを集めてちぎるのを見てすっかり夢中になってしまったのだ。


それから連日のように一緒に行くといってきかないらしい。

ベリルもディート地区から出るわけではないので二人を預けることはせず、連れてきているらしいが、エリザベートを気にしているようだった。


「私はエリーのために頑張ってるんだよ!」

「そうだよ!ベリルは分かってないなぁ」


「あのな、エリーがやってんのは競ってやるもんじゃねぇんだよ。のんびりやりゃいいのにお前らは……」


「時間は金だって言ってたのベリルじゃん」

「そうだよ。時間を捨てるのは金を捨てたのと一緒だって、ねー」


双子は振り返りベリルを見上げては言い返す。

物おじせず言葉を交わす彼らのやり取りを見ていると、まるで本当の家族のようで微笑ましい。


「……どーしたの?」


思わず声に出して笑っていたのをロマに問われエリザベートは目を細めた。


「あなた達二人がいて、ベリルは幸せだと思って」


彼らは腹の内を探り合うような関係でなく、素直な言葉が口にできる相手なのだ。

軽口も互いに信用していなければあんな風には出来ない。


彼らがエリザベートの元を訪れるたびに、彼らの明るい雰囲気に安堵させられる。

少なくとも今、ベリルは辛い思いをしていないのだと証明されているような気がするからだ。


それから外に出て、四人で落ち葉を集め細かくちぎり始めた。


ベリルの話によると、ディート地区はもともと結界の末端かつ瘴気の濃度が高い瘴気溜まりと呼ばれる渓谷に近い場所で、もともとこの土地はやせ細っていたらしい。


しかしヒストリアらによる浄化によって瘴気溜まりは消滅し、土地は蘇り緑が芽吹いている。

今やこの土地の土壌は潤い、作物の栽培に適している。


平屋の周りも同様で、正しく整備すれば自給自足のための畑ぐらいは出来るだろう。

二人が遠くの木に走ってゆくのを眺めていると、ふと隣でベリルが言った。


「――こういう時間がずっと欲しかった」


エリザベートは瞳を大きく瞬いたまま、言葉を飲み込むのに数秒かかった。


無意識に視線を逸らしたまま、しかしエリザベートもまた穏やか時間を噛み締めそれから瞼を閉じた。


賑やかな子どもの声に、隣にはベリルがいる。

身に余る幸せ、というのはこういう時に使う言葉なのだろう。


こんな現実があって良いのだろうか。


そこにふと足音が聞こえてロマとティアがエリザベート達に向かって呼びかけた。


「ねぇ、ミミズがいたよー!」

「僕はね、ダンゴムシ見つけた!」


駆け寄ってきた二人にベリルは立ち上がり、手のひらの中にいるのであろう二人が見つけてきた虫を見ていた。


どうやら落ち葉集めから虫集めに変わっていたらしい。


それからエリザベートは二人を呼び寄せ顔の汚れを拭ってやると、指で梳いて丁寧に髪を溶かす。


土埃を落としてもらいながら二人は「お母さんみたい」と笑った。


――この時間が長く続けばいいのに。



――――その日、エリザベートの元に訪れたのはロマとティアの二人だった。


この地に来てからベリルが不在なのはこれで二度目になる。


あれから数週間が過ぎて、毎日を共に過ごしており、ベリルはいろいろと理由をつけながらエリザベートの元で過ごす時間が増えていた。


そんな中で今回、「辺境伯の命令で別地区に調査しに行く事になる。三日ほど空ける」と言われた時は少し寂しさを感じた。


贅沢な環境に身を置きすぎたせいだろう。


その間にロマとティアが来てくれたことも喜ぶべきことなのに、早くベリルに会いたいと焦燥感に駆られている。


まだ二日目、明後日にはベリルがディート地区に帰ってくる。


「また来るねー!明日はドラゴンが出てくる絵本よんでね」

「追いかけっこもしようね、エリー!」


日が傾く前にロマとティアと別れ、大きく手を振って去ってゆく姿を見送った。


二人は外でよく遊び、それと同じぐらい文字に興味を持っていた。

最近では絵本を読み聞かせる傍ら、エリザベートは二人に字を教えることが増えている。


平屋の扉を閉め、鍵をかけたあと、羊皮紙を机に広げて羽ペンを取る。

これはベリルが譲ってくれたものだった。


字を書きたいとも言い出したロマとティアのために、文字が並んだ表を作ることにしたのだ。


それを見ながら地面に書いて単語を練習する予定だ。


『いつもありがとう、お仕事がんばってるねって書きたいの』


ベリルに手紙を書きたいと言う二人の願いを叶えてあげたい。

ベリルが冬生まれであった記憶が蘇り、それまでにロマとティアがあの一文だけでも自分で書けるようにさせてあげたい。


そんな事を考えていれば気持ちは浮き立つ。


しかし不意に、扉がノックされた。


「どなた?」


一瞬、二人が戻ってきたのかと考えたがそれはすぐに払拭された。

ロマとティアの二人なら大きな声でエリザベートの名を呼ぶはずだ。


それが無かったため確認すると女性の声がした。


「あたし。ボラフ亭で会ったと思うんだけど……」


珍しい来客の声は心ばかり震えていた。

エリザベート訝しみ逡巡していると女性は続けた。


「ティア達が帰ってこないからさ、あんたのとこかと思って……開けてくれない?」


先ほど見送ったばかりの二人が居ないと聞いて心がざわついたが、しかしエリザベートは扉を開けるより先に空の瓶を手にとった。


以前聞いた溌剌とした雰囲気が消えている気がするのだ。

双子の失踪で焦るにしては、どこか必死さが足りない。


昔から周囲を観察することは得意だった。


妹を陥れた時も、王宮内部の勢力や使用人の力関係を把握して入念に舞台を整えたぐらいだ。

エリザベートの観察眼から察するに、彼女はおそらく言わされている。


声のトーンがそれを証明していた。


出会って間もなければ検証しにくいと思われがちだが、逆だ。

特徴的な部分を強く捉え記憶に残る。

明らかに緊張している。


「少し前に帰ったわ。私も探すから少し待っていただける?」


エリザベートはストールを持ち小さな窓辺へ移動する。

ずらせば外せる仕様となっており、音をなるべく立てないよう取り外した。


もしかすると以前ベリルが話していた酔狂な貴族による差金かもしれない。

仮にそうだとして、大人しく出ていけば捕まるだろう。

しかし出ないわけにはいかない。

エリザベートは自分の推測に自信を持っていたが、万が一ということもある。

それにどちらにせよ、対応しなければ女性の身が危ない。


自分のせいでこれ以上他の人間が傷つくのは嫌だった。


なんの償いにもならないが、ベリルの日常を壊さないよう、彼女には無事でいてもらわなければ。


そしてせめてもの抵抗をすべきと結論づけて小窓から出た。

手にはワインとストール。

それを握りしめる。


杞憂なら良い……ーー

壁を伝いそっと息を殺して覗く。

すると、やはりボラフ亭の女性が背中に刃物を突きつけられていた。


三人居る。刃物を突きつけるのは体躯の良い壮年の男、その背後に比較的若そうな者が一人。


身なりは辺境の村に馴染んだ装いだが足元は洒落た靴を履いているあたり、流れの人間を雇ったわけではなさそうだ。


「その人を解放しなさい」


言うと同時にストールを投げて、驚いた壮年の男の頭に向かって瓶を振り上げた。


瓶が割れ、男はよろけて尻餅をつく。

しかし頭を抑え唸っているが気絶するほどではない。

もう一人が倒れた男を心配している間にエリザベートは女性に向かって叫んだ。


「こっちへ!」


唖然としていた女性を促し、割れたワイン瓶を構えながら後退し小窓へ連れてゆく。


女性をなんとか先に平屋に押し込みエリザベートは安堵した。

小窓は男が入れるような大きさではない。


エリザベートも中へと急ごうとした。


しかし追いかけてきた二人が脚を掴み引っ張る。

身体は地面に叩きつけられ、意識はそこで失った。


――――頭と身体の痛みのあと、甘い香りが鼻腔に広がって、そこから深い眠りについていた。


夢なのか、懐かしい記憶の中でゆらゆらと微睡み、ベリルの声が聞こえた気がする。

しかし次第に鮮明になってゆく景色と共に現れたのは深いオリーブの髪に赤い瞳。


馬車の中なのか振動を感じ、荷馬車の中だというのが分かった。


「ーーやぁ、目覚めたね。手荒な真似をしてすまなかった。私はテオ・ステイツ。一度君と踊った事があるけど覚えてるかな」


興奮気味に告げる男の姿は、彼が言うように以前一度だけパーティーで踊った男だった。


身を捩ったが身体は動かない。

手足だけでなく丁寧に腕も動かぬよう念入りに縄で巻かれているのは攫いに来た男を瓶で殴ったからだろう。


「っ……なぜこのような事を……子爵令息であるあなたが……婚約者の方が心配されるのでは?」


唯一自由になっていた口元にテオの指が這って、エリザベートは顔を背けながら尋ねた。


テオは以前から顔を合わせればダンスを申し込んで来ており、角が立たないよう一度だけ応じた記憶がある。


そしてステイツ子爵家といえば聖女信仰が特に厚い歴史ある名家。と言うのは建前だが、財のある家との縁談を繋ぐことに長け、持参金で財を成していると噂される家だ。


子爵令息であるテオもそれを求められたはずだが、しかし嫡男にも関わらずエリザベートに執心だった。


今まで忘れていたのはエリザベートの記憶にあるのが別の令嬢と婚約が決まり結婚を控えているという情報が最後だったからだ。


故に、なぜあなたが、というのが最初に落ちてきた疑問である。


「婚約なら破棄したさ。君が断罪され居ても立っても居られなかった」

「っ……」


さも当然といったかたちで婚約破棄と言葉が響き、エリザベートは刮目する。


「私はちゃんと見抜いているから大丈夫だ。エリザベート、君は無実だろう?美しく清らかな君が妹を陥れただなんておかしい」


おかしいのはテオの方だ。

流暢に口が回るテオはエリザベートの無罪を信じているらしい。


いや、信じているというよりも思い込んでいるといった方が適切なのかもしれないが。


エリザベートは呼吸を整え、眉根を寄せる。


「いいえ。私の罪は事実です」


自分で思ったよりも冷静な声が出ていた。


「父からヒストリアを取り上げることも、そして聖女の頂に相応しくない者を引き摺り下ろすことも私の悲願だったのです。無実を証明するためにこのような事をされたのであればおやめ下さい……私は罪人です」


テオが純粋な善意から行動しているとは思えなかったが、真実は直接知らせるべきだろう。

それで少しでも冷静になってくれたなら幸いだ。


しかし一抹の期待も虚しく、テオの手が伸びてきてエリザベートの顔を包み込む。


「そうか……ならば尚更私といるべきだよ」


愛しむように肌を撫でられテオの影が落ちる。


「フランドール家は力の強い聖女が多く生まれていたからね、僕らの子も期待出来る。君の体質さえ継がなければ完璧だ」


テオは穏やかに微笑む。


「王太子殿下は、聖女制度が変わると仰っていた。今後普及される浄化石の生成には、今までのような中途半端な聖女を集める必要はない。力のある聖女が国益となるのだから……今のうちに仕込んでおけば、我が家は安泰だ」


不気味なことを口にされ、エリザベートは瞳を揺らし唇を噛み締めた。


テオは半分間違っている。

結界を張るための浄化石は半永久的なものになると発表された。


それを作れるのは確かに力の強い聖女である必要があるが、しかし一度作ってしまえば今までのように時間をかけて聖力を注ぐような事はしなくていい。


テオはエリザベートを手に入れることが利益になると考えているのだろうが、それは本人が想像しているよりもずっと実入は少ないはずだ。


これからは神殿に聖女が囲われた時代とは異なり、世界に蔓延る瘴気との関わり方も変わってゆくだろう。

聖女に固執しない未来を掴むため、動き続ける者達が世界を変えてゆくのだから。


「君は金になる。でもそれだけじゃない、ちゃんと愛しているから安心してくれ。高嶺の花も罪人となれば雑草同然に詰むことが出来て嬉しいよ」


テオの言動は常軌を逸していた。

愛していると言いながら雑草と貶し、利益を産む駒のように言っている。


「ずっと焦がれていたんだ。婿を取らねばならない君が誰も選ばならないから、僕を待っていたんじゃないかと……」


言ってテオの唇がエリザベートの額に落ちる。

嫌悪に染まり肩が震えた。


――誰も選ばなかったのは、誰のものにもなりたくなかったからだ。


ロイドと共に父とヒストリアを破滅させると決めた時、家督はロイドに譲ると約束した。

エリザベートは神殿び身を置き生涯を国に捧げるつもりだった。


ベリルを忘れられなかったからだ。

結ばれる未来がないのなら、せめてただひとり想い続けることだけでも許して欲しい。

そう密かに願ったのだ。


だが……今のこの状況でテオに告げるべきは本心ではない。

喉の震えを落ち着かせ、エリザベートは静かに訊ねた。


「本当に、こんな私を愛してくれているのですか……?」


エリザベートはテオに訊ねた。

本当に愛してくれているのかと。


なるべく不安そうに、そして非力であると分かりやすく双眸を伏せて。


「あぁ、もちろんだよ。じきにルキリュ領を出るから安心してくれ。私の領地に君と暮らす邸を用意している」


「そうなのですね……ですが私、揺れが気持ち悪くて……少し休むことは出来ませんか?」


未だエリザベートの顔を包むテオの手のひらに嫌悪を飲み込み頬を寄せては悲痛に訴える。


「困ったな……逃げられてもいけないし、しかし愛しのエリザベートが辛い思いをするのも憚られる……」


テオは悩まし気に顔を歪めた。

それから思案するような素振りを見せたのでエリザベートは視線を上げて答えた。


「逃げたりなどしません……私を想ってくれた行動に今は感謝しています」


静かに告げるとテオは頷いた。


「まぁ、こんな場所だが……良いだろう」


するとテオは前方に向かって馬車を止めるよう声を上げた。

速度が徐々に落ちてゆき、最後に大きく揺れて馬車が止まる。


そして幌が開くと朝日が差し込んできた。


あまりの眩さに目を瞑る。

随分と走ってきたようだ。


徐々に目が慣れてきて時間の経過を感じながら、エリザベートは身体の拘束を解き始めるテオの行動に疑問を抱く。


先ほどは警戒する発言をしていたのに、完全に縄を解いてしまったのだ。


「……邸に着くまで我慢しようと思ったけど、君が煽るからね。休憩がてら既成事実でも作ろう」


テオはエリザベートの膝に手を置くと身を乗り出して影を落とした。


縄を解いたのは、行為に及ぶためだったのだ。

唇は震えたがエリザベートは取り乱さないよう冷静にテオを見つめる。


「私に感謝しているなんて嘘だろう?報告では君はずっとベリルという男に守られていたそうじゃないか。まるで恋人のように仲睦まじく過ごしていると……そんな君が僕に感謝?」


口端を歪めて笑うテオに恐怖を覚える。

そして強い力で荷台の床に押し付けられるエリザベートは呻いた。


「こんな場所では嫌です……」


「いいや、むしろ相応しいよ。君は私の所有物になるのだから……愛してるよエリザベート。一方的なものでも構わない、君を一生囲うと誓う」


恍惚とした面持ちで告げるテオの顔が首筋に埋められる。

そして薄い皮膚が吸い上げられた。


少しでも時間を作ろうとしたが無駄だった。

それどころか逆効果だったのだ。これでは自力で逃げ出すどころではない。


こんなことならベリルに気持ちを伝えていれば……胸の内でそんなことすら感じ始めていた。


王都では何度も緊迫した場面を切り抜けてきただけに自惚れていのだろう。

罰が当たった。こんなことで……――

テオの執着を甘く見過ぎた。


強硬手段に出るわけがないと考えたのは、貴族としての自分を捨てきれなかったのかもしれない。


ふと、平民は家畜だと言った父の言葉を思い出した。

あれと似た思想を持つのなら、強硬手段などではないのかもしれない。


エリザベートは家畜で、それと同然の人間をどこで犯そうが、体裁など気遣う必要はないのだ。

テオの生温い吐息が耳許に伝いエリザベートは瞼を固く閉じた。


――気持ち悪い。


抱きしめてくるテオの身体を払いのけようとしたがその腕は固かった。


明らかにベリルの時とは違う。

最初に辺境に辿り着いた時に抱き止められた腕は優しかった。


頬に薄く涙が伝い、濡らす。


もう一度会えたなら包み隠さず向き合いたい。


自分もベリルと同じように、忘れた日はなかったのだと告げたい。


溢れてゆく涙が止まらず、諦めてかけていたその時、――銃声が二度響いた。


「は、……何故だ……」


エリザベートを縫い止めていたテオの身体が硬直し、それから静かに首をもたげた。


「おい、何があった?」


テオが大声で問いかけたが返事はない。


吸い上げられた首筋の淡い痛みを感じながらエリザベートは困惑していた。


「……テオ・ステイツ子爵令息だな」


低い声は静かだったが、明らかに怒気を孕んで重く響く。

そこには肩で息をつくベリルの姿があった。


「てめぇは辺境伯の許可なく監視下の人間に接触した。連行させてもらう。死にたくなけりゃ大人しくしろ」


その後ろを数頭の馬が駆けつける。

エリザベートは身を起こしたものの座り込んだまま動けなかった。


ベリルと一瞬だけ視線がかち合い、鋭い瞳がエリザベートを射抜き思わず肩が跳ねた。


それからベリルはテオを仲間らしき人間に引き渡したあと、エリザベートの元へ歩み寄り、荷台へと上がって手を差し出す。


「帰るぞ」


短く告げられた言葉に張り詰めていた心は解けて、手を取る代わりに気付けば抱きついていた。


「遅くなって悪かった」


震える身体をベリルはただ静かに支える。

昔から寄り添ってくれる人だった。


エリザベートは温かな胸の中で首振り、瞼を閉じて紡ぐ。


「迎えに来てくれて嬉しかったわ……本当に、うれしかった。あなたに会いたかったから……」


ベリルは微かに指を曲げて、肩を抱き返す。

その手が震えているのを感じて顔を上げると安堵の色が浮かぶベリルの瞳と重なった。

そしてようやく、エリザベートは素直に自分の心を認めた。


罪は消えなくとも、この人と幸せになりたいのだと。


――――あれから数週間が経った。


テオに攫われた日、いや、その前からずっとエリザベートは見守られていた。

冷たい秋の空を高い位置で旋回する鳥はステラという辺境伯の鷹で、本当の監視役は彼女だったそうだ。


ステラにエリザベートの動向を見張らせていたベリルはディート地区を離れた後に警告を受け、目星をつけていたステイツ子爵家が所有する屋敷までの距離から、馬車移動が可能なルートを導き出し必死に探してくれたという。


さらにベリルは案内役として、その任務は本来ならば一日限りのものだった。

それをわざわざ理由をつけてディート地区で出来る仕事に集中させたという。


これら一連の真実は、ベリルの仲間が後日暴露したことでエリザベートが知ることとなった。


――――不意に扉を叩く音がした。

夕焼けが窓から差し込み始め、その頃合いから察してそれが誰か直ぐに分かる。


長椅子に座っていたエリザベートが絵本を閉じると、先ほどまでずっしりとした膝の重みが消えて小さな足音が二つ、駆けて行く。

その後を追うように歩いて行けば、すでに子供たちが扉を開きベリルに話しかけている。


その姿に目許を和らげてエリザベートが見つめていると、ベリルの両腕が広げられた。


「おかえりなさい」


そう言って歩み寄り、広げられた腕に身体を預けると小さな温もりが二つエリザベートの足元へくっついた。


「ただいま」


優しい声が響き、愛しい人の口付けがこめかみへと落ちてくる。


幸せだ。


まるで初恋が芽吹いたあの日々に、戻ってきたみたいだった。

それは皮肉にも妹ヒストリアが冤罪で追放された地と同じ場所だった。


以上、『冤罪で聖印を奪われた令嬢、辺境で本物の大聖女になる ~傲慢令嬢ヒストリアの救済証明~』のスピンオフ、エリザベートのその後の物語でした。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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