第三話:信じてください、私はここに住んでいるんです
「+81」
その数字の並びが、テレビで注意喚起されている詐欺電話の最初の番号だと頭をよぎるが全力で蓋をする。
意を決して、自分の電話番号の先頭の「0」を抜き、入力する。
指が少し、震えていた。
画面が切り替わる。
今度はスマホが震える。
『Amazon:123456 はお客様の確認コードです』
……来た。
アメリカが、私を探しに来た!
たった6ケタの数字。
それを打ち込むだけで、私は「世界のAmazon」の仲間に加わった——はずだった。
「よし、入れた」
画面には、待ち望んだKDPのダッシュボード。
真っ白な、私の本が並ぶはずの場所。
……でも。
画面の一番上。
すべてを台無しにするような「黄色い帯」が居座っていた。
『アカウント情報が不完全です。今すぐ更新してください』
不完全。
その言葉が、今の自分を言い当てているようで胸に刺さる。
「まだ、何かあるの……?」
恐る恐る、その黄色いバーをクリックした。
そこにあったのは、住所入力だった。
住所。
当然、日本語で書こうとする。
でも、画面が求めてくるのは「英語(ローマ字)」だ。
「……あ、これ」
ふと、思い出した。
中学生のころ、英語の授業で「海外に手紙を出す」という練習をした気がする。
先生が言っていた。
「日本の住所は、後ろから書きます」
……後ろから。
そうだ、たしかに習った。
でも、現実の住所は教科書みたいに単純じゃない。
○○県、○○市、〇〇町、〇丁目……。
これを、逆にする。
町が先。市が次。県が最後。
「えっと……〇〇-cho……」
打ってみる。
でも、すぐに指が止まる。
「丁目」って、英語でなんて言うの?
「番地」は?
「県」は?
そもそも「丁目」なんて概念、アメリカにあるの?
ハイフンはどこ?
カンマは必要なの?
郵便番号を入れたら勝手に住所が出てくる、あの「日本の優しさ」はここにはない。
あるのは、冷徹な空欄だけ。
何度も入力しては、消す。
ネットで「住所 英語 変換」と検索し、出てきた文字を震える手でコピペする。
「これ、本当に届くの?」
「郵便屋さんは、これで私の家を見つけてくれるの?」
だんだん、自分がどこに住んでいるのか分からなくなってくる。
15年も看護師をやってきて、住所なんて何千回も書いてきたのに。
パソコンの画面に向かって、心の中で叫んだ。
「Kindleさん、私は、ちゃんとここに住んでいるんです。嘘じゃないんです。信じてください」
自分の存在を証明するだけで、もう一時間は経っていた。
本を書く。
そんな華やかな舞台に辿り着く前に、私は「自分の住所」という名の迷宮で、完全に遭難していた。
まだ、一文字も書いていないのに。




