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月夜の霞に梟鳴きて  作者: 藤橋峰妙
第一話「青い炎 / The Blue Flame」
4/20

01

一.

魔法、またはそれに準ずる物により、

我々は、不当に人間を殺めてはならない。




序章:

【The Blue Flame, or The Nightmares】




夏に焼かれていた。

圧されるような蒸し暑さが、今日も街を覆っている。



真上から降り注ぐ日射が、じりじりと肌に突き刺さっていた。

まるで石焼き釜の上に立たされているようだ。茹だつ全身からは汗が滲み出ていた。



ハンカチで汗を拭っても、そのままにしても、上がった体温は一向に下がりそうにもない。



凪いだ暑い夏。日陰にいても、熱を帯びた空気が澱んでいる。



澄んだ青い空には雲一つなく、三十分前から借りている土産屋の軒先に吊り下がった風鈴の短冊さえ、ひとつも揺れやしない。



遠くのアスファルトには陽炎が揺れ、平日の通りをだるそうに歩く人の足元をぼやかしていた。



――またか。



ああ、これは今日も駄目だな。

長廻凛(ながえりん)は思った。



せっかく巻いた前髪も崩れ、海藻みたく額に張り付いている。

凛は、べっとりと張り付いたミルクティーベージュの髪を指先で払った。駅前に並ぶ店の窓ガラスに向き合って、何度、汗を拭いながら髪を整えただろう。



久しぶりに会うからと気合いを入れたのに、こんなにも暑いなら、やめておくべきだった。

さっきまで入っていたカフェに戻ることも考えたが、誰もが熱さから逃げ込む中、二時間以上も居座るのは落ち着かない。



唯一の救いは、汗が目立たない涼しげな紺のフレンチスリーブシャツを着てきたことぐらいだ。



凛は首元の汗を拭い、身につけていたネックレスのチェーンを掴み上げた。


 

光を受けて、水面のような光を放つ青い硝子。ブリリアントカットの、偽物の宝石。

誕生日のプレゼントにもらったものだ。




もらった時は、いちずに、ただ嬉しかった。

その硝子がキラキラと光るたび、かえって惨めな気分になってくる。



「……待つことぐらい」



首元の襟を掴み、パタパタとなけなしの風を送りながら、凛は携帯電話を取り出した。



メッセージなし。着信なし。ため息がこぼれる。



もしかしたら来るだろうかと、馬鹿みたいに思った自分が嫌になって、また一つ大きなため息をつく。



「うーん、またかぁ」



メッセージアプリを開いて、履歴をスクロールする。


『今日の約束、忘れた?』『ごめん、急ぎの用事が入った。今度埋め合わせする』



何度も、似たようなやり取りが並んでいる。



――埋め合わせができるほど、この穴はもう小さくない。



その前も、その前も、予定はすれ違った。予定を入れれば向こうに急用が入った。

忙しいことも知っている。こちらもバイトと授業でギリギリだった。


わがままを言うつもりもない。それでも――。




「ま、仕方ないか……」




――どこにいるの、と打ってから消して、もう別れようと打ち、また消す。



彼、市ノ瀬優翔と付き合い、一年と数ヶ月が経った。

大学の授業で同じグループになったのがきっかけだった。告白は優翔からだった。



恋愛経験が無かった凛でも、優翔からの好意は目に見て分かった。

恋愛猛者の友人達でさえ、優翔からの感情が、誰の目にも明らかであったと言わしめるほど。



恋人になってからそれなりの時間を過ごし。なにより一緒にいることが楽しいと凛は思っていた。少なくとも、数カ月前までは。



――何がいけなかったのだろう。



潮時だと思う自分もいる。

仕方ない、と思う自分もいて、その理由を考える気力もなかった。

 


凛は迷った挙げ句、『今日、約束してたの、忘れちゃった? 連絡待ってるね』と一投目を打った。

そのまま携帯を閉じて鞄に放り込み、汗に濡れたネックレスも取り外してしまう。



「うーんっ、よし! もう考えるの、やめ!」



凛はパチリと頬を叩いて、空に向かって大きく手を伸ばした。仕方ない、仕方ない。そう思いながら帰ろうと思って歩き出す。



ピロロン。



鞄の中から軽い音が聞こえた。凛は肩を跳ね上げて、慌てて携帯を取り出した。



『ねぇーひま? これから遊び行かない?』


「あ……、あー、あぁ……。あっちゃん、か」



画面に表示された名前はアサヒ。大学で仲良くなった東堂朝陽だ。

凛は数秒だけ画面を眺め、返事を打った。




✧• ─────────── •✧




「別れなって何度も言ったじゃない。どーして別れないの? もしかしてまだ好きなの?」


「う……うーん」


「ハァーッ! 煮え切らん」



じっとりとした目で、朝陽は呆れたように言った。



「あんた、《《おしとよし》》にもほどがあるって」


「う、うん……あっちゃん、それを言うならお人好し……」


「あーうん! ほんっと、お人好し!」



憤慨した朝陽が大声を出す。

店内にいた客から痛い視線が突き刺さり、凛は「声でかいって!」とささやいた。



シックな店の中には、ゆったりとした音楽とクーラーが効いている。


平日の夕方だと言うのに、暑さにやられて逃げてきたのか、店内には大勢の客が訪れて、その一時を誰もが穏やかに過ごしていた。



凛と朝陽を除いて。



「ごめん、つい……」



朝陽は周囲を気にして身を縮め、食べかけのガトーショコラをひとかけら分、フォークで切った。



「で、なに? 結局二時間以上も待ってたってこと?」


「うーん、まあね。待つのは嫌じゃないけど……」



凛は目の前に置いてあったカフェラテを持ち上げる。

煮え切らない態度の凛に、朝陽の視線が鋭くなった。朝陽は大学でも一、二を争うキレイ系の美人。美人に睨まれると、凛でも少し怖い。



「そういう時はすぐに帰りなさい。何度ドタキャンされたと思っているの」


「良い人なんだよ。思いやりもあるし、考えも尊重してくれるし」


「いくら顔が良くて、優秀で、性格もよくたって、いつかは人間変わるモンなんだから。それか絶対ウラがあるの!」


「お、落ち付いて、あっちゃん」


「あいつ、凛を傷つけて――」


「……ま、ほら、もしかしたら連絡できなかったのかも。前はバイト忙しいって言ってたし」


「それ、この前も言ってたけど?」



カップを置こうとしていた手を止めて、凛はうっ、と言葉に詰まる。確かにそうだ。



「もしかしたら、こうなるかなって思ってた」


「……もしかして、浮気?」


「そうかもね。まあ、でも、過ぎれば気づくことだってあるよ」



何気なく凛が言うと、朝陽がケーキの真上からグサリとフォークを刺す。

容姿に似合った綺麗な食べ方をする朝陽には、とても似合わない乱暴な所作だった。



 

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