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冷たさの残る空気を切って降りると、うっそうと樹木が茂る、広大な敷地が現れた。
街灯が、整備された遊歩道を点々と照らしている。
遊歩道には整えられた花壇が並び、列をなして霧雨に濡れた花弁を重たくしならせていた。
広い公園だった。
燐は、木々の間を抜け、遊歩道の一角で箒を止めた。
歩道のきわに降り立ち、静まり返った周囲をぐるりと見渡す。
爆発音は鳴り止み、雷のごとく鋭い光線も、いつの間にか途絶えている。
不気味なほど辺りは静まり返り、遊歩道にも、木々や芝生の向こうにも、人の気配すら感じられなかった。
先に降りたはずの東雲の姿さえ見当たらない。
「し……東雲?」
暗い闇と、怪しい街灯の光があるばかりだ。
一歩、二歩と、敷き詰められた石畳の上を進む。
冷たい風がぶわりと全身にまとわりつき、燐は目を閉じて――そして、また開いた。
視界を覆い尽くすほどの眩い閃光が、いくつも迸る。
静かな公園は消え去り、そこは地獄のような喧騒に包まれていた。
「燐! ぼぅっとするな、退け!」
突然、サングラスをかけた髭面の男が、黒い影に追われながら雑木林から現れ、燐の横を走り抜けた。
彼はスーツの上に重そうなローブをまとい、手にした杖を振って黒い影を迎え撃っていた。
追ってくる影は犬のような姿をしており、赤く光る目を持っている。
その体から黒い泥が滴り落ち、次々と新たな影が生まれていく。
「あんの野郎! ディゼバの炎とアウセンディーヤの番犬を出しやがった――クソッ!
晴野のやつ、俺に……! 覚えてろよ!」
男の魔法が影を貫いても、次々と影は湧き出てくる。
男は悪態を吐きながら、左の雑木林へと横切っていった。
燐が最後に見たのは、苦虫を噛み潰したような男の表情だった。
燐は取り残された。
置いてけぼりにされた燐の頭上でも、あちこちで極彩色の光線が空を切り裂いていく。
道へ視線を戻すと、整備されていた敷石は剥がれ、花壇の植物は茶色く枯れ果てていた。
木々が遊歩道になぎ倒され、濃紺だった空が赤く染まっていた。
煙の中を、数人が箒に乗って飛び回っている。その中に、東雲らしき姿も見えた。
火事だ。
しかも、炎は人間の手の形をしていた。『ディゼバの炎』――炎の悪魔の化身。
燐は身をこわばらせ、思わず後退る。自分の目を疑った。
燃え盛る手は、飛び回る人影を追い、木々の上を横切って、空を薙ぎ払った。
一層赤く空が燃え、雑木林の奥から、のっそりとした動きで赤い炎の怪物が姿を現した。
「ヒッ」
喉の奥から短い悲鳴が漏れる。
燐は衝撃のまま、後ろに数歩足をよろけさせた。足が縺れたその瞬間――熱風が頬を撫でて。
――目の前に、人気のない静かな公園が戻っていた。
「……えっ?」
鮮烈な光の筋も、闇を溶かした様な影の犬も、大きな炎の怪物も、そこには存在しない。
乳白色に包まれた霧の向こうに星が瞬き、静謐な森と、ほのかな街灯の明かりが点々と灯る遊歩道が奥へと続いている。
「ど、どう……」
熱風ではなく、冷めきった風が再び体に染み込む。
燐は言葉を失ったまま、もう一度、前へ足を踏み出した。
――喧騒が戻る。
遠くで白い閃光が走った。
上空でも、他の場所でも、色とりどりの光が闇の中で幾つも弾けている。
燃え盛る手が、大きく振り落とされた。火柱が上がった。一拍を置いて、灼熱の暴風が吹き荒れた。
衝撃に身体を押された燐は、また後ろへ下がる。
――私には、無理だ。
静寂に包まれた公園に戻る。梟の鳴き声がした。
綺麗な石畳に視線を落として、燐は思った。
無理だ。足を前に出す勇気がない。身体が、意志に反して後ろへ引き戻される。
何らかの魔法で、この公園と戦場が重なっていることは理解した。
だが、心も身体も、まだついていかなかった。
ふと背後を振り返ると、一つのベンチが目に留まる。
街灯の下にぽつんと置かれたそのベンチには、可愛らしいドレスを着た小さな人形が、ひっそりと腰掛けていた。




