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月夜の霞に梟鳴きて  作者: 藤橋峰妙
第二話「救い / The Salvation」
14/21

11 もう一つの世界


「一体どうされたんですか……らしくない」



青年は、呆れと心配が混じった顔で言った。



「まあ、あなたは興味があることと魔法に関すること以外なんて、覚えていられないような人だけどさぁ。

 俺の名前も忘れてしまったなんてヒドイです。俺は東雲ですよ、東雲碧惟しののめあおい

 一か月と十五日前からあなたの相棒(バディ)、兼部下の」

 


「や、うん。うん……うん」



凛は勢いに任せて頷いた。



「思い出しましたか、燐さん」


「わたしは……燐だ。氷月、燐……それであなたは東雲だ」


「ほんとに大丈夫ですか?」



凛がブツブツと呟いていると、黒髪の青年――東雲は心配そうに顔を覗き込む。

そして差し出した手のひらを動かし、凛の顔の前に指を四本立てた。



「何本に見えますか」

 

「よ、四本?」

 

「じゃあこれは」

 

「三本……」

 

「これで?」

 

「……な、七本?」

 

「うん。よし、正常ですね。錯乱薬じゃないか……。じゃあ、どこか具合の悪いところは?」



凛は目を閉じて呻いた。夢だ。きっとこれは夢なんだ。



「頭が、痛い。ちょっと、ぼーっとして」

 

「頭」



東雲は怪訝そうな顔をしながら、凛の手を引いて立たせた。

そのまま勝手知ったる自分の部屋のようにキッチンへと向かい、迷いなく戸棚を開けた。


凛は廊下に取り残された。

この部屋の住人のはずなのに、自分だけが客みたいだ。



「少し待っていてください。コーヒー、淹れてきます」

 

「こ、こーひー?」

 

「ええ。コーヒーですよ。……俺はやめた方がいいと思いますけどね。

 頭が痛い時はいつも飲んでいたじゃないですか」

 

「えっ、頭が痛い時にコーヒーって飲むっけ……」

 

「何か言いました?」

 

「い、いや、えっと! じゃあそれでお願い……」



がしゃん。硬い音がして、凛は肩を跳ね上げた。

東雲は手にしていたカップをフローリングの床に落とし、真っ青な顔で振り返った。



「お、おねがい……?」



カップは陶器特有の硬く高い音を立て割れ、破片が粉々に散らばった。



「だ、大丈夫ですか!? 今、掃除機かなにかを……ちょっと待って、あれ、どこにあるんだろ」



慌てて辺りを見渡した凛だったが、はっと動きを止めて、もう一度東雲を見る。

 


「だい、じょぶ、ですか……って?」



東雲は目を見開いたまま凛を凝視して固まっていた。

まるで今の言葉を、人生初めて耳にした言葉みたく、茫然と片言で呟いている。



凛の背筋に冷たいものが走った。



「あっ、いや、お願い」

 

「お願い……」

 

「う、うん」



凛が曖昧にうなずくと、東雲はさらに眉間のしわを深める。

凛の言動を不自然に思っている表情のまま、その手はくるりと宙で円を描いた。



「レヴィス・アステ」



――そう東雲が言葉を紡いだ次の瞬間。


割れたカップが元通りの姿に戻って、東雲の手に収まった。

凛は驚きのあまり声を上げそうになり、とっさに口もとに手を当てた。



床には、破片一つも転がっていない。

時間を巻き戻したかのように、元通りのカップが東雲の手元にある。



「インスタントでもいいですか? あ、いや、そっか。インスタントしか無いんでしたっけ」



東雲は凛の返事を待たず、瓶のふたを開ける。またもう一振り手をリビングに向けて振った。



――いったい、何が起きてるの。

 


凛は言葉を失った。

まるで強盗にでもあったかの部屋が、みるみるうちに、綺麗になっていく。



足元に散乱していた本が浮かび上がり、本棚に向かってゆっくりと飛んでいく。

粉々に割れた陶器の破片が集まり、大きな花瓶に戻った。倒れた椅子や机はひとりでに起き上がる。



天変地異を起こしたかのような部屋が、定位置に収まっていった。



東雲は小さなポットに水を注ぎ、掌をかざした。

底から柔らかな青い光が灯り、水が静かに沸騰し始める。



凛は目を見開いた。火も、電気も使っていない。湯気の立つこげ茶色の液体を入れたカップが、目の前に差し出された。


 

「どうぞ、ここに置いておきますから」



いつの間にか、目の前に東雲が立っている。

突然目の前にいるものだから、凛は半歩後ろへ下がってしまった。

 

受け取らない凛に、東雲は何事もなかったかのようにカップをテーブルに置いた。


あまりに自然で。あまりに日常的で。

逆に、凛の心は恐怖でこわばった。



「――っ!」



堪えきれず凛は部屋を飛び出した。

ドアを開け放った先に広がっていたのは、見覚えのない街だった。



白く濁った霧が視界を覆っている。冷たい風が吹くたび、その霧が波のように揺れ動いた。



その向こうに、ぼんやりと異形の都市が姿を現す。



まず目に入ったのは、巨大な石造りの城壁だ。

視界を遮るほど高く、霧の中で淡い金色に光っている。

刻まれた紋章や碑文が、ちらりと見えては隠れた。



城壁の内側は、さらにおかしかった。

瓦屋根の上を、広告みたいなネオンが走っている。

隣にはガラスと金属のドームがあり、木造の建物の柱にホログラムみたいな紋が揺れている。


さらにその奥には、立ち上るような黒い森が広がっていた。

森の裾を流れる運河は、まるで蛇のように街を縫い、光を反射して虹のように輝いている。



様式が揃っていない。時代も、国も、全部がごちゃまぜだ。



空を見上げると、霧を裂くように巨大な光の輪が浮かんでいる。

人工物にも天体にも見える、その輪のさらに外側に、月が二つ重なっていた。



赤い月と、青い月。

――一つは血を溶かしたように薄く赤く、一つは死にかけた蛍のように青い。



霧の奥で、その美しい景色はまだ続いているようだった。



目に映るすべてが、凛の知る現実の景色とかけ離れている。

凛の見慣れたビルの群れではない。高い建物はあるが、見慣れた造りでもない。



「……どこ、ここ。日本じゃ……ない?」


「にほん?」


 

背後から、東雲の落ち着いた声が聞こえてくる。



「確かに、表の任務で一度行きましたけど、もう戻ってきて一週間になりますよ。

 まさか、その時から記憶が飛んでいるんですか?」



その言葉に、凛の思考はさらに渦を巻いた。

彼は日本という言葉も、場所も知っている。だが――ここは日本ではないという凛の呟きに、まるで当然のことのように応じた。



ここはどこなのか。なぜ自分はここにいるのか。

ふと、頭の奥で何かが軋んだ。脳の片隅に沈んでいた知識が、ゆっくりと水面へと浮かび上がってくる。



もう一つの世界。【裏側の世界(ファル・カタル)】。

二つの月がある世界。魔法の世界。ここはその、第二中心街。「自分の家」。



自分はそれを、知っている。確かに知っていた。

けれども――それを「知った記憶」が、どこにも見当たらない。



心の奥が凍りついたようだった。

知らないはずの記憶。持っているはずのない知識が留まることをしらずに浮かんでくる。




「とりあえず、ほら。コーヒー、飲んでくださいよ」




東雲は凛の隣に立つと、わざわざ持ってきたのか、湯気の立つコーヒーを差し出した。



幻覚を見ているのだろうか。夢と現の狭間にあるような感覚が、凛の足元を崩していく。

もしかしたら今このカップを受け取ったら、中身が零れるのではないか――。



凛は指先を震わせながら、そっとカップを受け取った。

カップは割れなかった。普通のカップだ。熱さも、重さも、ちゃんとある。



「このカップ――」

 

「ン、ああ、すみません落としてしまって。でも、もう元通りですよ」



青年は何でもないように言った。


 

「そ、そうみたいね。あ、ありがとう」



東雲の表情が一瞬だけ固まった。まるで目の前にいる幽霊の存在を改めて認識したかのような表情で。



「い、いえ……。どういたしまして……」



微妙な空気が流れていた。

訝しげな視線から逃げるために、凛は両手で持ったカップを口に運ぶ。

近づけたコーヒーの茶色の水面には、ぼんやりと別の顔が映っている。



悪い夢を見ている気分なのに、カップは熱を持っている。

コーヒーに舌がヒリヒリと痛んだ。夢ではない証拠を、はっきりと突き付けられている。

戸惑いから抜け出せない凛を置いてけぼりに、東雲が口を開いた。



「そうだ。燐さん、招集がかかっているんです」

 

「……しょ、――招集?」


 

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