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彼が残したもの

雨上がりの公園に、僕はゆっくりと歩いていた。リードの先には、灰色の毛並みをもつピットブルの「リク」。筋肉質の体つきに似合わず、彼はおとなしく、いつも僕の歩調に合わせてくれる。

 世間では「危険な犬」として警戒されがちだ。散歩の途中で視線を向けられるたび、僕は小さく会釈をするが、リクはそんなことなど気にしない。ただひたすら、僕を見上げる。その黒い瞳の中に映るのは、僕だけだった。


 リクがうちに来たのは八年前。保健所に収容され、処分寸前だった。ピットブルというだけで譲渡希望者は少なく、誰も迎えに来なかったと聞いた。僕も最初は迷った。けれど、檻の奥で静かに尻尾を振る姿に、何かを感じた。

 「連れて帰ります」

 気がつけば、職員にそう告げていた。



 リクは最初から優しかった。小さな子どもにも、猫にも吠えたりしない。力強い顎をもつのに、僕の手からフードを食べるときはそっと舌で受け取る。まるで「怖がらせてはいけない」と理解しているかのようだった。

 だが世間の目は厳しかった。近所の人に「危ない犬だから近づけるな」と言われたこともある。散歩中に子どもが泣き出し、親が露骨に道を変えたこともあった。僕は心苦しく、リクを守るようにして歩いた。

 それでもリクは、僕にすべてを預けていた。玄関で帰りを待ち、落ち込んでいると頭を擦りつけてくる。孤独だった僕の人生に、彼は初めての「家族」という温かさを与えてくれた。



 やがて月日は流れ、リクの顔に白い毛が混じり始めた。階段を上がるのも苦しそうで、散歩の距離も少しずつ短くなった。動物病院で診察を受けると、獣医は静かに言った。

 「高齢による心臓の疾患ですね。投薬で進行を遅らせられますが、時間の問題かもしれません」

 その瞬間、僕の胸に冷たい穴が開いた。頭では理解していた。犬の命は人間より短い。それでも、心は拒んでいた。リクと別れる未来など、考えられなかった。



 薬を飲ませながら、できる限りの時間を一緒に過ごした。公園でベンチに座り、ただ風を感じるだけの日もあった。

 ある夜、リクは珍しく僕の布団に潜り込んできた。息苦しそうにしながらも、僕の胸に顔を埋め、安心したように眠る。その温もりが愛おしくて、涙が止まらなかった。

 「ありがとうな、リク」

 小さく呟くと、彼の尻尾が布団の中で弱々しく揺れた。



 それから数週間後の朝。リクは自力で立ち上がれなくなっていた。僕は抱きかかえ、最後の散歩に連れ出した。空は雲ひとつなく澄み渡っていた。

 公園の入り口まで来ると、リクは小さく吠えた。歩けないはずなのに、四肢を必死に動かし、一歩だけ地面を踏みしめた。その姿に、胸が締めつけられる。

 「わかった。ゆっくり行こうな」

 僕はリクを抱えたまま、いつもの散歩コースを歩いた。風に揺れる木々、子どもたちの笑い声、遠くの青空――そのすべてを、リクと分かち合いたかった。



 家に戻り、布団に寝かせると、リクは静かに僕を見上げた。目は穏やかで、恐怖も痛みもなかった。

 「大丈夫だよ。お前は最高の犬だった」

 その言葉を聞いたかのように、リクは小さく息を吐き、静かに瞼を閉じた。

 その瞬間、世界から音が消えた。僕の腕の中で、リクは永遠の眠りについた。



 葬儀を終えた後も、家の中にリクの気配を探してしまう。玄関を開ければ待っている気がして、食事のときには隣に座っているように思えた。

 だけど、リードだけが空しく壁に掛けられている。散歩の時間になると、胸にぽっかりと穴が開いた。


 そんなある日、公園を歩いていると、ひとりの子どもが近づいてきた。

 「ねえ、あの大きな犬はもういないの?」

 僕が黙ってうなずくと、子どもは寂しそうに言った。

 「いつも優しい顔してたから、好きだったんだ」

 胸の奥が熱くなった。世間から恐れられていたはずのリクを、見ていてくれた人がいたのだ。



 僕は空を見上げた。青空の向こうで、リクが尻尾ピットブルが誤解されながら人を助ける感動話」のほうがご希望に近いですか?

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