孤独な狩り
俺は、街の外に出て一人で狩りを始めた。
整備された街道を外れると、そこにあるのは草木が伸び放題の緑と、乾いた荒れ地が入り混じった、まるで境界線のない風景になる。
これから始まる作業に沈む俺の気持ちとは裏腹に、空は青く澄みわたっている。太陽の矢が、破れかけのシャツを難なく貫いて、肌をジリジリ焼いてくる。
一匹目のスライムを見つける。何度も倒してきた雑魚だ。青く透明な身体の中に、赤い核が浮かんでいる。
俺は腰の剣を抜き、剣には攻撃強化、自分には身体強化の魔法をかけた。
俺の攻撃は「斬る」というより「殴る」に近い。安物の鉄剣に斬れ味なんて期待していない。刃こぼれしてても、全力で叩きつければどうにかなる。
一閃。スライムの核が砕け、粘液が弾けた。足元から泥水を踏んだような音が響く。
「ふう……これで魔力、一か」
これじゃ、到底足りない。一カ月で目標値に届かせるには、もっと効率のいい獲物が必要だ。
「アンタ、このペースで間に合うの? 期限あるんでしょ」
背後から、ふわりと声が降ってくる。エイルだ。
彼女は、暑い暑いと文句をたれながらついてきていた。そんなに言うならカードに戻ればいいのに
「地道にやるしかねえよ。お前は協力する気なさそうだしな」
「ふーん。まだ時間はあるみたいだし、がんばって~。アタシはちょっと散歩してくるから」
そう言って、エイルは空に浮かび、そのまま軽やかに飛び去った。
――なんて奴だよ。
「十。まだ十か……」
モンスターを探すだけでも大変だ。
返却に必要な一万。スライムだけだと当然終わる数じゃない。
そんなとき、少し先の茂みから、がさりと音がした。
「……来たな」
姿を現したのは、緑の肌と小柄な体。鋭い牙に木の棍棒。
「ゴブリン三体。よし、こいつらなら――少しは稼げる」
剣を抜いて、体に力を込める。
〈剛力〉が筋肉に宿り、体が熱を帯びるのがわかる。
「……こっちからいくぞッ!」
まずは正面の一体へ。ゴブリンが棍棒を振りかぶるが、遅い。
「その程度じゃ、当たんねぇよ!」
足元に滑り込んで剣を一閃。ゴブリンの足を払うように、斬りつける。
「ぎぃぃっ!」
短く呻いて倒れると同時に、背後に一体のゴブリンの気配がした。
振り返りざまに肘で牽制、剣を肩口から振り下ろす。
ゴブリンから鮮血が吹きだし、木に叩きつけられて動かなくなった。
残る一体。怯んだかと思ったが、こっちの隙を狙って突っ込んできた。
「よく見てんな。でも、甘い!」
刃がボロボロになった剣を手放し、空いた右手で拳を握る。
〈剛力〉を全開にした拳を、ゴブリンの顔面めがけて──叩きこむ
「俺は、こっちのが得意なんだよっ」
ドゴォッ!!
鈍い音とともに、ゴブリンが地面に沈んだ。
三体のゴブリンの体から、ぼんやりと光が浮かび上がる。
その光が俺の胸元に吸い込まれていく。
「魔力……十五追加、か。合計、二十五……」
はぁ、と少し息をつく。
このペースじゃ到底間に合わねぇ。けど――
「……やってやるよ。絶対、返しきってみせる」
持ってきておいた予備の剣を腰にさし直した。
✦✦✦
火のはぜる音だけが、森の静寂にぽつりぽつりと落ちていた。
遠く、梟ふくろうの声が一度だけ響いて、それっきりだった。
「ねえ、お腹すいた。早くしてよ」
「今、焼いてんだろ。ちょっとくらい待てないのかよ」
森の中で集めた薪に火を起こし、昼に仕留めたウサギ型の魔物をあぶる。日没ギリギリまで狩っていたため、今日は野宿だ。
「アンタってさ、何でそんなに強くなろうと思うの? 別に人間って、そこそこ生活出来ればいんじゃないの?」
「……俺、五歳からスラムの孤児院で育ったんだ」
「飯もろくに食えなくてさ。周りのやつらも、だんだんいなくなって……」
口を閉じたまま、地面の小石をつま先で転がす。
「誰も覚えちゃいない。死んだら、それで終わりだ」
「でもさ、俺は……忘れられたくなかった」
「強くなって、名前を残す。そうすれば……生きた意味があったって、思える気がしたんだ」
視線はまっすぐのまま。喉の奥から、小さな息が漏れた。
「こんな底辺でもさ。英雄になれんだって、証明したいんだよ」
エイルは、黙って俺の話を聞いていた。
やがて火が少し小さくなった頃、彼女が口を開いた。
「期限までに魔力返せなかったらどうなるのよ」
「……たぶん死ぬよ。俺の魔力値以上を借りてるからな」
「はあ!? バカなの? なんでそんな無茶したのよ。アンタ、死ねないんでしょ!」
「必死だったんだよ」
喉の奥がひりついて、思わず黙りそうになる。
「……怖くなかったわけじゃない。だけど、やるしかなかったんだ」
「なんでよ……死んだら元も子もないじゃない」
「召喚してすぐはさ、あんま実感もなかった。お前みたいなの、どうせ俺となんか縁もないって、どっかで思ってたし」
「でも今は、違う」
「お前に命令する気なんて、ねぇよ。……そんな立場でもねぇしな」
かすかに笑って、言葉を噛む。
「俺は生きて、これからも……お前と一緒にいたい」
エイルが、ふと俯いた。月の光に照らされた長いまつ毛の影が地面に揺れていた。
「レ……」
「ん? 今、何か言ったか?」
「別に。何でもないわよ」
エイルはそっけなく立ち上がる。
「明日も狩りでしょ。アタシ、カードに戻るわ」
そう言い残して、彼女は姿を消した。手元のカードにはエイルの無表情な顔があった。
✦✦✦
木漏れ日がさしこみ、閉じたまぶたのうえから光を感じる。
赤くくすぶった薪の明かりを横目に、俺は寝袋から身を起こした。
「……すげえ、寒ぃ……」
見上げれば、まだ空はうっすらと青い。夜明け直後。肌寒い森の空気が容赦なく顔を刺す。
ポケットから一枚のカードを取り出した。
そこには、昨夜と同じ表情をした、少女の姿がうっすらと浮かんでいる。
「……おーい、エイル。朝だぞ。出てこねーのか?」
返事はない。
「……まあ、そうだよな」
自然と苦笑した。
「召喚者面されたくないって思ってんだろ。……わかってるって」
「勝手に呼んで、巻き込んで。悪かったな・・」
俺は膝を抱えて、地面の炭を細い枝で転がしながら、言葉を探す。
「……まだ出会って、そんなに経ってないけどさ」
微かに風が木々を揺らし、枝葉がかさりと鳴った。
「お前を呼べて、俺は……嬉しかったよ」
ポツリと呟いたその時――
カードにうつる女性の表情が少し揺らいだ気がした。