砦の奥へ
倉庫の奥には、狭い通路と上に行くための古びた木製の階段があった。
階段はギシギシと今にも折れそうな音を立てているが、上へと続いている。階段の先には地上へ続く木の扉
「……行くしかねえな」
俺は剣の柄にそっと手を添えながら、先に立つ。
「足元に気をつけて。音を立てたら見つかるよ」
背後から聞こえるハカセの声にうなずき、俺たちは一段一段慎重に登っていった。
階段を上がりきってギィギィと軋む木の扉を開くと、そこは砦内部の通路だった。
薄暗く、石畳の床にはところどころに血のような染みが残っている。数メートルおきに配置されたランタンが頼りなく光っていた。
「ねえ、……今度はあっちから声がするわ」
エイルが指をさした方向へ俺たちも視線を向ける。
ちょうど通路が折れ曲がる角。向こう側から男たちの声が聞こえてくる。
「……昨日連れてきた女、明日の朝にはボスのとこに引き渡すって話だ」
「へぇ〜、美人だったし、まだ無傷ってのが不思議なくらいだな。」
「地下牢に行ってみるか? 顔だけ拝んでおこうぜ」
「バカ、見つかったらまたやられるぞ。前に勝手なことした奴、どうなったか覚えてねえのかよ」
会話が遠ざかっていくのを確認し、俺は息を吐いた。
「地下牢……やっぱ、リナ姉たちはそこに……!」
「落ち着いて。場所が分かっただけでも進展だ。あとは、どう潜り込むかだね」
俺たちはランタンの橙の明かりを頼りに壁に手を沿わせながら歩いた。
ふと、ある一角で足が止まった。
他と比べて、壁の石の色が微妙に異なっていた。
さらによく見ると、その部分だけごくわずかに窪んでいる。
「……なんだ、この壁」
声を潜めて手を押し当ててみる。カチリと、乾いた音が響いた。
次の瞬間、壁の一部がゆっくりと押し開き、暗い空間が姿を現す。
「隠し通路……?」
俺たちは目を見合わせると、無言でうなずき、その闇の中へと足を踏み入れた。
隠し通路の中は、想像以上に狭く、息が詰まりそうだった。壁は岩を削ったままで、湿気と土の匂いが混ざり合っている。
「……昔、ここを通って囚人なんかを連れて行ってたのかもしれないね」
ハカセが小声でつぶやく。
視界の狭さが時間の感覚を狂わせる。何分歩いたのか、もう分からない。
その時、通路の先からほのかに光が漏れてきた。俺たちは足音を殺して、慎重に近づいていく。
……そのときだった。
ピタッと、ハカセが歩みを止めた。
「……誰か来る」
低く、息を詰めるような声。その瞬間、T字通路の先から、かすかに足音が聞こえた。
「こっちに来てる?」エイルが小さくつぶやく。
俺はとっさに、正対して戦闘態勢をとった。エイルとハカセも、同じようにいつでも仕掛けられるよう待っている。
近づいてきた足音は、数秒だけ通路の曲がり角に近づき――それから、ゆっくりと引き返していった。
全員が、吐息と共に緊張を解いた。
(あぶねぇ……見つかったら騒ぎになるとこだった)
その後、俺たちはふたたび歩みを進めていくと、やがて少し開けた空間が見えた。
「しっ、見張りがいる」
小さな空間には錆びた鉄格子がいくつも並んでいる。その前に見張りが一人。油断しているようだ。
「アタシにまかせて」
エイルは指先に小さな雷を集めると見張りに向かってそれを放ち気絶させた。
怯えた顔、涙をこらえる顔、絶望に目を閉じた顔――鉄格子の中には、さまざまな表情が並んでいた。
俺はひとつずつ中を確認しながら、頭の中に思い描いている人の姿を探した。
ここじゃなかったのか……
最後の鉄格子のその奥に人影が見えた。
(……リナ姉!)
叫びそうになった声を、俺はぎりぎりで飲み込んだ。
鉄格子の中、簡素なベンチの上に腰かけていたのは――間違いなく、リナ姉だった。
服は少し乱れ、疲労の色は見えたが、それでも顔に生気はあった。
「ヒイロ…?」
声は少しかすれていたが、しっかりとした声だった。
「来たよ、リナ姉。」
「ヒイロ……本当に、ヒイロなの……?」
鉄格子の奥、リナ姉が目を見開く。その涙がリナ姉の抑えていた感情を物語っていた。
「俺だよ。孤児院で、リナ姉からよく叱られたヒイロだ」
そう言って笑うと、リナ姉の口元がゆるんだ。
「ほんと、あんたって…昔から無鉄砲なのよ。でも、来てくれてありがとう」
涙を浮かべたまま、それでも彼女は笑っていた。強く、優しく――いつも俺を叱ってくれてた、あの頃のままだった。
「リナ姉、怪我は? 食事は?」
「大丈夫よ。少なくとも、今はね。ボスと呼ばれてた男……バロックって名前だったかしら。あいつが私に手を出させないように他の連中に命令してるの」
「バロック……!」
その名を聞いて、背中を緊張が走る。
エイルとハカセも、後ろで息を潜めて聞いていた。
「連中は日が暮れると酒盛りをするの。その時、警備が手薄になるわ。今が、その時間帯のはず……」
「ナイス情報、リナ姉。すぐ助けるからな」
「でも……」
「でも、何だよ?」
「私の鍵、ボスが持ってるの。この牢の鍵も、手にかけられてるこの鍵も、全部……」
「なるほどな。つまり、そいつをぶっ飛ばさないと出られないってわけか」
「無茶しないで……! あんた、昔から勢いで突っ走るところがあるから……」
「ああ、だけど昔から変わらなかったから、だからここに来れたんだ。安心して待っててくれ」
俺は拳を握りしめ、リナ姉に背を向けた。ランタンの薄い明かりの中、エイルと目が合う。
「……行くの?」
「ああ。やるしかねえ。あいつが村を、リナ姉を、踏みにじったのなら――おれがぶっ飛ばしてやるよ」
「仕方ないわね。背中は、アタシが守ってあげる」
「ヒイロらしいよ。でも――覚悟はできてるんだろ?」
俺は力強くうなずいた。