第四話 先輩と5月の芝
「「いただきます」」
ゆずき君をゲートに届けた後、俺たちはレジャーシートを広げていた。
放送で呼び出してもらったあと気がかりでしばらく付き添っていたが、5分くらいですぐに迎えはきた。6歳くらいの女の子が真っ先に駈け寄ってきた。彼女がみーちゃんだろう。みーちゃんはゆずき君以上にグズグズと泣きじゃくりながら、「ごめんね」と抱きついた。みーちゃんの腕の中で目を丸くしながら「ぼくも、なぐってごめん」とゆずき君も謝って、仲直り。綺麗な大団円だった。
感謝の言葉を繰り返すマシーンと化したゆずき君パパとママから逃げ出すように俺たちはその場から去り、空いた腹を満たそうとピクニックエリアにやってきたのだ。
お弁当を広げてさっそく唐揚げに手を伸ばす先輩をしり目に、水筒のお茶を煽る。ピクニックエリアは広く、人口密度はさっきと比べて低い。喧騒が少し遠ざかり、鳥の声がよく聞こえた。
「ゆずき君、無事に帰れてよかったですね」
話題にするのはさっきの出来事だ。
「先輩子どもの扱い上手くてびっくりしました」
「まあ、私生まれながらのお姉ちゃんだし!」
そう胸を張る姿は末っ子っぽく見えるが、まあ実際に長女ではある。お姉ちゃん気質ではあるのだろう。みーちゃんみたいに言い過ぎてポカリとやられちゃうタイプではあるが。
「そういうあおいくんは、へたくそだったよね」
「末っ子であんま年下を相手にしたことがない、っていうのはありますが。顔が怖いのもあるんですかね」
ゆずき君、明らかに俺にビビってたもんな。不愛想なのもあるだろが、顔を見て怖がられてしまうことが多い。目がいけないのだろうか?
眉間によりがちなしわを伸ばそうとぐりぐりと伸ばしていると、先輩に生暖かい目で見られた。
「でも、あおいくんも頑張って話しかけてゆずき君帰してあげてたよね。えらいえらい」
小さい子と話してお姉ちゃんスイッチでも入ったのか、からかうにしてもやけにうざいムーブだった。喧しい。眉間から手を放しておにぎりに噛みつく。母の味がした。
「仲直りしないまま本当に絶交しちゃうのは、ダメでしょう」
思わず声に力がこもってしまった。先輩をちらりと見るとぽけーとした顔で俺を眺めている。
「それに、迷子が心細い気持ちはよくわかりますから」
実は小さいころ、ここで迷子になったことがある。
両親と姉二人でこの公園に来た俺たちだったが、母が一時的に席を外したことがあった(大方トイレか何か、大した事ではなかっただろう)。父は一眼レフを構えて誰よりもはしゃいでいた。最初は家族にレンズを向けていたが、観覧車を見ては写真を撮り、花を見ては構図を練り―――要は完全に子どもから目を離していた。大人の目から解放された子ども3人もまた何かに気を取られ、どこかに駆けだしてしまった。気づけば両親の姿はどこにもなかった。
あの時は父が迷子になった!と3人で焦ったものだ。
あの時は姉たちが手を引いてくれた。帰り道なんて2人も分からなかっただろうに、こっちに行けば両親がいるよ!と根拠のない自信をもとに走り出し、付いた先は子供向けのアスレチック施設だった。こんなところにいるわけがないだろうと思った俺だったが、あまりに自信たっぷりな姉の様子に一緒に楽しむことにした。結局、子どもたちはここが好きだろうと読んだ母が、父の首根っこを捕まえながら迎えに来たのだ。
あの時の俺は姉たちがいたから平気だった。でも、もし1人で、姉とケンカ中だったらと思うと…。さっきのゆずき君は意地は張っていたがかなり心細かっただろう。
先輩も覚えがあるのかくすくすと笑った。
「そういえば、私も去年迷子になりかけて焦ったなぁ」
「それは気を付けてください、マジで」
危なっかしいなこの人。
「大丈夫、すぐに先輩にメッセ送って迎えに来てもらったから」
「よかった。高校生になって迷子の呼び出し貰ったのかと思いました」
「まあ、さすがにねえ。絶対に動かないでって念押しされて、ゴーカートやってたから」
「のんきに遊んでたんですか」
「暇だしいいかなって」
アホの子だ。先輩の先輩たちは大変だったろう。
「そういえば、写真部って去年までは先輩以外もいたんですよね。他の人はどうしたんですか?」
「皆、卒業しちゃった。私の同級生も、私の1年上も元からいなかったから」
「てっきり、先輩が部内抗争の上にやめさせたのかと思ってました」
「んなわけあるかー!まあ、写真部があんまり人気なくて、同級生は入らなかったんだよね。一人きりの部活っていうのもいいかなって思ってたし、私が最後の部員っていうのもかっこいいかなって。写真は続けたかったしね」
なるほど。
「先輩、写真好きですよね。いつから好きなんですか?」
「私も始めたのは、去年部に入ってからかな。元から興味だけはあったんだけど。4月の部活紹介でワイワイしてて楽しそうだなーって思ったのがきっかけで写真部に入って。まさか5人とも3年生だとは思わなかったけど、おかげで皆唯一の後輩に優しかったし。カメラ自体も性にはあってたのもあるかな。1人で黙々とできるから」
「じゃあ」
この場で聞いてしまおう。ずっと気になっていたこと。
「じゃあ、俺が入ってきたとき、どう思いました?」
「え?」
「いや、言ってしまえば俺、無神経にも先輩1人の城にずけずけと上がりこんじゃったわけじゃないですか。カメラ完全に初心者でしたし。迷惑だったんじゃないかなって」
声が思わず尻すぼみになり、誤魔化すようにミニトマトを頬張る。先輩は数秒黙りこくった後、笑った。
「ううん、嬉しかったよ」
強い風が吹いて、先輩の髪を揺らす。
「この公園に来るのだって、ううん、いつもの部活動だって。あおいくんがいたから楽しかった。いてくれてありがとう」
よかった。胸のつかえがすっと降りたような心地がする。ずっと、ずっと、俺の存在が先輩の重荷になっているんじゃないかって不安に思っていた。なんていったって2人きりの部活動なのだ。後輩の俺には入る権利も入らない権利もあったけど、先輩には受け入れる義務かやめる権利しかなかったのだ。せめていい後輩になりたかった。その抱えていたもやもやが、先輩のたった一言で晴れていく心地がする。
最後の唐揚げを先輩が頬張るのを確認して、俺はそのまま寝っ転がった。青い空に白い雲がふわふわと漂っている。レジャーシートからあふれた足にチクチクと刺さる芝生が心地よい。
隣で先輩も寝っ転がった気配がする。鳥の声だけが俺たちの間に降り注ぐ。
先輩が内緒話をするようなささやき声で言う。
「あおいくんは、なんで私しかいない写真部に入ろうと思ったの?」
さあ、なんででしょうね。今まで写真なんかスマホでたまに撮る程度だった俺が、写真部にわざわざ入った理由。
答えたくなくて、目を閉じた。先輩もそれ以上何も聞かなかった。