第二話 先輩と5月の青
「とうちゃーーーく」
電車とバスで凝り固まった体を伸ばすように、先輩は万歳をした。
見渡せば、青い空、青い海、青い花、そして黒い頭頭頭頭…。
「人だ」
「人だねぇ」
呆然とする俺の隣で、先輩はケラケラと笑う。
俺たちはカメラ技術向上を目指した遠征として、二人で国立公園に来ていた。
どうやらこの遠征は写真部恒例のものらしい。証拠に去年の写真も見せてもらった。今はなき5人の先輩に囲まれて先輩が笑っていた。
しかしえらい混みようだ。今が大型連休で公園の花が見ごろだとはいえ、あまりにも混んでいる。混みすぎである。
「いや、なんでこんな人がいるんすか。言っちゃえばただの花では?」
「その花畑の綺麗さに気づけないようじゃ、君も写真家としてまだまだだねぇ。それだけ多くの人の心を動かしてきたってことだよ」
「いや、これじゃ花撮ってるのか人撮ってるのか分からなくなりません?」
「そこが腕の見せ所だから…って言いたいところだけど、まあ、本気で撮りたいなら開園ダッシュが正しいんだろうね」
あはは、と呆れたように先輩は笑う。そこまでしていい写真を撮ろうという気概は俺にも先輩にもない。俺も先輩も朝に弱いのだ。
「まあ、探せば人があんま映らないような角度もあるから、探してみればいいよ。時間はたっぷりあるんだし」
「ま、そうですね」
丘状になっている花畑は中を通れるよう道がつくられている。とりあえず2人で最後尾に並ぶが、人の量が量だけにじりじりとしかすすまない。俺たちの後ろにも次々と並び始め、一体この道を抜けられるのはいつになるのかと思うと気が遠くなりそうだった。幸い、急ぐ人はいないため前と後ろのスペースは余裕があるため、立ち止まっても追い抜かしても文句が出るような雰囲気はない。ゆったりと撮っていこう。
とりあえず自分のカメラを構え、足元の花を一枚撮る。人を写さないためにはアップで撮るほうがいいだろう。ううむ、なかなか難しい。遠目にはみっしりと生えている花は、良く育つようにか花と花のスペースが空いていて場所を見極めないとみすぼらしくなってしまう。角度を変えて撮り直し。後ろをぼかすか、手前をぼかすか、トライアンドエラー。夢中にシャッターを押していくうちに、ファインダーの中の花と空がちょうど混ざりあった。息を詰めるようにF値をあわせて理想に近づける。
ようやく自分の中の及第点を見つけたところで、我に返って先輩の姿を探した。
「あおいくん、ずいぶん集中してたね~」なんてにやにやとからかわれるんじゃないかと思ったが、先輩は先輩で目の前のカメラに集中している様子だった。先輩にしてはおしゃれな白い服に青い花が良く映えている。
なんだか不思議な気分だ。先輩と学校以外のところで一緒にいるなんて。
俺が部活に入って二人きりの部活に最初は緊張していた先輩も、だんだん軽口に軽口でかえしてくれるようになった。一緒にいて会話が途切れることもあまりないが、かといって沈黙が続いても気まずいわけでもない。仲は良好といっても差し控えはないだろう。ひどく心地よい距離感だった。
手を伸ばしすぎたら逃げられそうで、かといって手を伸ばさなければいつの間にか目に見えないところまで逃げてしまいそうな。
俺はずっと、先輩との距離を図りかねている。
思いを振り払うようにシャッターを切る。真剣な横顔がカメラに収まった。
「先輩、ずいぶん集中してますね」
「おえ?」
にやにやとした顔をつくって声をかけると、先輩は夢から覚めたような表情でこちらを見た。そしてカメラを自分に向かっていることに気づき、口をとがらせる。
「あ、ひどい。とーさつだ、とーさつだ」
「先輩だっていつもやってることじゃないですか」
「私はいーの。先輩だから!」
横暴なことを言いながら、先輩がこっちにレンズを向ける。むすっとした顔でとりあえずピースサイン。
「映えない」
「そりゃ、一般の男子高校生に映えを求められましても」
「男女差別だ」
「言い換えると、俺に映えを求められましても」
「よろしい」
一瞬間をおいて、どちらからともなく吹き出す。我ながら間抜けな会話だった。
再度先輩を撮ろうとカメラを構えると、するりと躱される。そして器用に人込みをすり抜けながら丘を登って行ってしまった。必死に追いかけるが人にぶつかりそうでどんどん背中は遠ざかる。見失うかと思ったとき、先輩がくるりとこちらを向いた。道の端っこへ移動し、そのまま待ってくれるらしい。
何とか追いついた俺に、先輩は「ん」とスマホをこちらに差し出し、俺と肩をくっつける。思わず受け取ったスマホはカメラアプリが立ち上がっていた。ご丁寧にインカメになっており、先輩の言わんとしていることを察する。
写真映えする花をバックに、まったく映えない俺の仏頂面と先輩のアホ面が記録された。