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第一話 先輩と4月の光

 絞りを調整、露出を上げて、色相を変更。ピントを当ててシャッターを切った。切り取られた世界がディスプレイに映し出される。


「調子はどう?」


 背後から声をかけられて振り向くと、少し離れたところに先輩が立っていた。アドバイスを貰おうとミラーレス一眼を差し出すと、ふむふむと今日俺が撮った写真を確認し始める。


「数値いじるのは慣れてきたみたいだね。次は、構図も考えてみるといいかも」


 お、これいいね、なんて目の前で自分の写真が評価されるのが照れくさく、周りを見回す。うちの高校の中庭は、やけに辛気臭い。日陰になった花壇でチューリップが枯れかけていて、日向の鉢植えでもオレンジの花が枯れかけていた。昼食に使えそうなベンチも鳥の糞がこびりついていて、もう何年も使われていないだろう。昨日降った雨が大きな水たまりになっていて、茶色い蛙が顔をのぞかせていた。

 つまらない景色に見切りをつけて、改めて先輩に向き直る。後輩への指導というものに慣れていないのか、はたまたそれ以外の何かなのか、表情はひどくぎこちなかった。しかし、目だけはきらきらと輝いていて、本当にカメラが好きなんだろうな、と思う。

 先輩は一生懸命に説明してくれたが、何せ俺はカメラをはじめて1週間のど素人だ。用語だってよくわからない。カメラも自前のものではなく父親が使わなくなったのを拝借しているだけである。知識は右耳から左耳に抜けていく。


「つまり簡単にまとめると?」

「精進あるのみ、かな」


 ですか。


「じゃあ、ここは先輩が手本を見せてくださいよ」

「作品を?撮るところを?」

「どっちも」

「なんか照れるな」


 先輩は首から下げていたカメラを撫でる。ちなみに先輩のカメラも自前のものではない。部室で埃をかぶっていたものを勝手に拝借してきたようだ。高校生にとってカメラってめちゃくちゃ高いのだ。


 照れる、とはいうものの満更ではないらしく、真剣なまなざしであたりを見回していた。


「どうせなら、リクエストしてもいいですか?」

「いいよ、なにがいい?」

「あのベンチを、いい感じに」

「無茶をいうなぁ」


 指さした先にあるベンチは、荒れ放題な中庭の中でもとりわけみすぼらしく、鳥の糞にまみれている。恨みがましげな眼をした先輩だが、写真経験者の意地だろうか意を決した表情でベンチへ向かっていく。ぐるりとベンチの周りを一周すると、うううと唸り声をあげた。


「映えない…」


 でしょうね。


 それでも先輩は迷いがちに数枚撮ってから、きっとこちらを見つめた。

「あおいくん、モデルやってみない?」


 いや、冴えない男子高校生ひとり突っ立ったところで別に映えるようにはならないだろう。

 俺ができる限りの嫌な顔を披露してみせたが、先輩はぎこちなくぶりっこめいた顔をして見せた。


「たとえばさ、そこに座ってみて」

「座るってまさかそのベンチに?」

「うん、このベンチに!」

「いやいやいやいや。嫌ですよ」

 汚いし。


 俺がベンチに座ればいい写真が撮れると本気で思っているわけではないだろうが、いつの間にか先輩の目にいたずらな炎が宿っていた。いやまあ、最初に焚きつけたのは俺なんだけど。


 生理的嫌悪感が芽生える見た目をしたベンチと、梃子でも引かない様子の先輩を交互に見てため息を一つ。


「これで、どうですか?」

 ベンチの背後に回り、背もたれにもたれかかる。正直触りたくもなかったが、座るよりはましだろう。なんか広告で見かけるようなポージングを見よう見まねでして見せれば、ぱあ、と先輩の顔が明るくなった。


「いいねいいね。映えてきた!」


 そのまま撮影タイム。


 先輩の撮影シーンを見せてもらうという条件で始めた撮影タイムだったはずが、先輩の指定に合わせ空を見たり、うつむいたり、思う存分フォトジェニックな存在として扱われる。

 以前現像した写真を見せてもらったが、先輩のカメラの腕はなかなかいい。きっとこの冴えない中庭だって、素晴らしいものとして切り取っているんだろう。


 先輩はシャッターを切る手を止めないまま、アドバイスを語りだした。

「あおいくんの写真は、コンセプトが決まってないんだよ。撮って、って言われたからとりあえず撮ってるだけ。ちゃんと主役とか、テーマとか決めてあげるともっと良くなる」

「テーマ、ですか」

「うん。テーマ自体はなんでもいいんだけどね。よくさ、ネットで転がってるパンケーキの写真とかだって、『見てみて、めっちゃ可愛い食べ物見つけたよ!』みたいな想いで撮ってるから、いい感じに見えるんだよ。せっかくかわいいパンケーキ撮っても、くしゃくしゃの紙ナプキンとか移りこんでたら台無しになっちゃう。一番かわいい角度で、かわいく見えるものだけを写すと、みんなかわいいって思ってくれるの」


 なるほど。そう言われると、俺の写真が先輩にダメだしされたのも分かる気がする。写真撮るときほとんど何も考えてないからな。


 先輩に指示されてベンチに足をかけ、顎に手を当てる。

「ちなみにこの写真のテーマは?」

「カッコつけ男子」

「おい」

 自分が指示したんだろ。


 なんて雑談をしながら撮られる。悪ノリも混じっているのだろうが、先輩はカメラにはひどく真摯だ。いつの間にか空に赤が混じってくる。


「あおいくん、こっちきて」


 不意に左側から先輩の細腕が生えてきて、手を引っ張られた。先輩の楽しそうな笑顔が至近距離で目に飛び込んでくる。


「もうすぐ夕方だし、あっちのイチョウの方にいいスポットがあってね」

「はいはい、ちゃんと前向かないと転びますよ」

「あおいくん、お母さんみたい」


 けらけらと先輩は笑う。まるで、友人のように、信頼している人に向けるような、心を許している様な、無邪気な笑い方だった。つられて俺の頬も緩んでしまう。


 肩を並べてたどり着いたイチョウの木は、正門前に鎮座していた。人通りが多いところだからかしっかりと清掃や手入れがされている。地面にできた水たまりに、イチョウの緑と赤く染まりかけた空が映ってきらきらと輝いていた。


 先輩は駆け足のまま俺を振り返る。あ、と声を上げる間もなく、先輩は嬉しそうに言葉を紡いだ。


「ね、今度はあおいくんが撮ってみてよ。こっちなら多分いい写真が…わ!」


 前を見ていなかった先輩が、水たまりに突っ込んだ。その感触に驚いたのか、今度はひどく体のバランスを崩す。咄嗟につかまれていた腕を引っ張った。


 が


「わぎゃぶ」

「うへゃ」


 二人して転んで水たまりの中に転がり込んだ。一瞬、水滴がキラキラと舞って世界が輝きを増す。尻からじわじわと痛みと冷たさが伝わってくる中、隣で呆ける先輩と触れた肩だけが、熱を持っていた。目が合う。


「あは」

「ははははは」


 同時に笑顔がこぼれた。


「あはっ、ふふふふ、あはははははははは」

「は、はっはははははははははは」


 笑っている理由は自分でも分からない。思わぬところで転んだのがおかしかったのか、水たまりに座り込む自分たちが間抜けだったからか、理由をつけようとすれば思いつくが、そのどれもが違う気がした。ただ先輩と2人で笑うのがどうしようもなく楽しかったのだ。


 次第に長くなった影に気が付いて、ようやく我に返って立ち上がる。濡れた手を差し出すと、大人しく小さな手がのっかった。


「ずぶぬれだね」

「ですね」

「あー、お母さんに怒られちゃうな。高校生にもなって水たまりで遊ぶなーって」


 小さいころに水たまりで遊んだときの母親の剣幕を思い出す。いや、あの頃は怒っていたが今では呆れのほうが勝ちそうだ。母の冷たい目を想像して少し心が重くなる。


 はっと思い出して胸元のカメラの様子を確認すると、問題なく起動した。数滴水滴がついてしまっているが、動作には問題なさそうだ。


「先輩」


 声をかけると、他に目を向けていた先輩がこちらを向く。薄紫の空に照らされた先輩と目が合った。


 咄嗟にシャッターを切る。露出なんか知らない、ぼかしも、ホワイトバランスもどうでもいい。ただ、テーマだけは決まっていた。


 先輩を撮ろう。先輩を撮りたい。先輩が少しでも心を開いてくれているうちに。先輩が手の届くところにいてくれている奇跡を、切り取って永遠にしたい。水たまりでぐしゃぐしゃだけど、髪の毛もぼさぼさだけど、それでもこちらをまっすぐ見つめてくれるから。


 10枚ほど撮っただろうか。液晶の先輩は呆れたような笑顔を浮かべていた。そして、空を見上げる。


「マジックアワー、だね」

「マジックアワー?」

「1日2回、写真が綺麗に撮れる時間があるの。今がその時間」


 先輩の顔に影がかかる。空に藍色が混じりだした。


「狙わずにこの時間にあたるなんて、あおいくんは運がいいね」


 そう言いながらも、先輩自身はカメラを構えようとはしなかった。まるで、はしゃぎすぎた今日を恥じるように、カメラを撫でる。

 先輩の背後に、周りの生徒が校門を出ていくのが見えた。ざわめきにまぎれるように先輩はささやいた。


「今日はもう、帰ろうか」


 魔法の時間はもう終わり。

 でも、待てばまたマジックアワーはやってくるだろう。


 先輩が背を向けて歩き出す。少しでも近い距離で歩くため、俺も足を踏み出した。


次のエピソードは5月中に出せればいいなと思っています

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