第十二話 先輩と7月の明
「なんか、それいいなって思ってさ」
「いいなって、赤点取ると心配されるのが?」
「いや、赤点取るのもいいなって」
首を傾げて園崎の次の言葉を待つ。
「実は俺、夏の試合でスタメンにならないかって言われててさ」
「えっ、すごいじゃん!」
「おめでとう~」
「けど、俺としてはできれば3年の先輩たちに出てほしいんだよ」
「えー?せっかくなら試合出たくない?出たいから練習するんじゃない?」
「いや、俺、正直バスケは楽しくやれればいいんだよ。試合で活躍するなら、他の先輩たちを押しのけるより自分が3年になったときに勝利へと導けたらいいな、と思ってる。けど3年間頑張った先輩たちを押しのけてまで出場したいとは思ってない」
いつになく真剣な顔で話す園崎の姿は、意外でもあったし納得でもあった。
いつも頭の中にバスケを置いていて、早弁して昼休みに解放された体育館でバスケをしている姿を知っている。もっと上手くなりたいとトレーニングを欠かさないことを知っていたし、バスケに関しては真面目に物事に取り込んでいることを知っている。でも、体育の時に俺や久我みたいな足を引っ張りがちなやつにも積極的にボールを回してくれたり、丁寧にコツを教えてくれることを知っている。先輩たちと仲が良く、廊下ですれ違うたび嬉しそうに挨拶していることを知っている。
中目白がうーん、と真面目な顔で首をひねる。
「でもさ、先輩たちも強いメンバーで勝ち進めば長い間一緒にいられるんじゃない?」
「ああ、先輩たちも俺の分まで頑張ってくれ、って言ってくれてはいるんだ。だが裏で悔しそうな顔をしていることを知ってる。そこまでして活躍したいと、どうしても思えないんだ」
それは、スポーツマンシップとはまた違う何かだ。しかし園崎も不真面目でそういっているわけではない。悩んでいる園崎を茶化したりしたくない。が、なんと返せばいいのか分からなかった。
数秒沈黙が続き、園崎が表情を作って何かを言おうとしたその時、久我が笑いながら言った。
「じゃあ、そのまま先輩たちに言ってみればいいだろう」
「いや、先輩たちは気にしないよって言ってくれてんだって。俺が勝手に気にしてるだけで」
「先輩たちがどう思っているかではなく、ソノが思っていることを伝えるのだ」
そう言い切る久我に、幼馴染の浅川が意外そうな声を上げる。
「なんか、珍しいね。クガちゃんがそんなこと言うの」
「軽音部の先輩の受け売りでな」
照れくさそうに、でも誇らしそうに久我は微笑む。
「音楽は誤魔化せないから、先輩も後輩も関係なく自分の感じていることをきちんと伝えること。それが大事なんだと、入学時から繰り返し言われているのだ。どんな曲が好きか、練習はきつくないか、逆にゆるすぎないか、体調は悪くないか、悩んでることはないか。時には練習をやめて話し合うのが、軽音部スタイルだ」
「あれだね~、音楽性の違いってやつ?」
「ああ、こじれる前にしっかり話し合えばケンカ別れをすることも少なくなるだろうという考えだ。それでたとえ解散したって、言いたいことを言っていれれば後悔は軽くなる。それが軽音部の理念だ」
文化祭で聞いた久我たちの演奏を思い出す。仲がよさそうで、楽しそうで、ミスもしていたし粗削りだったが聞く人に熱量は伝わってくる。そんな演奏だった。
「それでも、解散はするのか?」
思わずすがるように聞いていた。久我はうっすら笑ったまま頷く。
「ああ、同じチームでやっていくにはどうしようもないほど意見が合わないこともあるのだ。軽音部内にいくつかチームがあるから、解散したり脱退したりしたらどこかのチームとくっついたりする。しかし、退部する人はいない。解散するときはお互い納得していて、かえって解散前より仲がよくなったりもする」
「え?仲良くなるなら解散しなければよかったのに」
「それが、そうでもない。ただの友人なら上手くいくものの、ずっと一緒に音楽を合わせるには窮屈な関係もあるのだ」
久我と一瞬目が合った。姉弟として上手くやれず先輩後輩として関係を築こうとしていることを伝えたことがあった。しかし、その先輩後輩としても上手くいっていないことは伝えていないはずだが…。
「そうはいっても、一度離れた後でまたチームを組む人もいるようだがな。卒業後に大学がたまたま同じだったからとバンドを組んだというOBたちもいる。その時の心境で適切な距離感を保てるかどうかが大事なのだろう」
と、締めくくってから久我は改めて園崎に向き合った。
「すまない。話が脱線したな。もしソノが赤点を取ってこっそりレギュラーから外れたいというなら、魅力的に思えてしまうかもしれない。しかし、それはきっと先輩たちが望むことではないだろう。素直に話すことをおすすめする。それでもやはりレギュラーになってほしいと言われるかもしれない。はたまた、ならやはり自分が出たいと言われるかもしれない。それは、ソノが決めることではない。先輩たちが自分で考えてソノに伝えたいことだ」
「でも、伝えることで先輩たちを傷つけることもあるんじゃないか?」
つい口をはさむ。もし赤点を取る形で園崎の要望をかなえるなら、それはそれで丸く収まっていいんじゃないかとも思う。もちろん赤点はよくないが…。
先輩の顔が思い浮かぶ。ひな姉に何かを言われただけで俺から逃げ回るようになった姉のことを。もしバスケ部がソノのせいでぎくしゃくしたとして、この意外に繊細な友人は傷つかずにいられるだろうか?
それは違うよ、と声を上げたのは浅川だった。ほんわりと気の抜けた、それでいて見透かすような視線をこちらにむけ、鈴を転がすような声を上げる。
「クガちゃんが言いたいのはね、傷ついて傷つける覚悟が必要だっていうことなんだよ~」
「それは、ダメなんじゃないか?」
「でも、ほら、お互いナイフを持った手をぶんぶん振り回してたら、相手はどんな怪我するか分からないでしょ~?でも、向き合ってナイフで応戦すれば、そんなに深手は追わないはず」
よくわからないたとえだった。が、肝心の園崎はフィーリングで通じたのか「そっか、そうだな」と小さくつぶやく。
一方当社比真面目な顔で聞いていた中目白は、また違う視点でつぶやく。
「私、ソノがすっごく強い事知っててさ。なんでこんな弱小校に来たんだろうって思ったこともあるんだよね」
「まあ、あまりバスケに真面目ではなかったからな。偏差値が高いほうを選んだ」
「ま、そんなことだろうと思った。…私としてはせっかくなら試合はできるだけ勝ちたい。負けたくない。だから、せっかく来てくれた即戦力にレギュラーになってほしい先輩たちの気持ちのほうが分かる」
「おう」
「けどさ、それでわざと赤点取られたほうがむかつくと思う。だからさ、卑怯な手は使わないで真正面から向き合いなよ。それがアンタのスポーツマンシップだと思う」
「そっか」
園崎はさっき閉じた教科書を開くと、シャーペンを固く握った。
「これで、実力で赤点取ったら恥ずかしすぎんな」
「ああ、俺も協力をするから皆で頑張ろう」
お悩み相談室はここまで。完全に意識の外に放っていた教科書に改めて向き合う。完全に集中し始めた園崎とは対照的に、俺はぐるぐると悩みこんでいた。
園崎の話だったのに、俺に言われた気分になっていた。もう諦めきっていた俺と先輩の関係。その実、二人で話し合った果てでの関係ではない。姉弟という必然の関係性のくせに、俺たちの関係は常に一方的だった。
『他人』は先輩が一方的に切り出してきて俺はそれを受け入れただけだった。
『先輩と後輩』は俺が一方的に切り出して先輩がそれを受け入れただけだった。
そこに対話はなかったし、深い話はあえて避けてきたわけだ。そして、近い距離で振り回したナイフがお互いに深く突き刺さっている。逃げた結果これ以上ないというほど傷ついているのだから、俺たちは諦めて相手を傷つける覚悟をしなければならない。
ここまで考え、俺は自分で自分に呆れてしまった。
今更こんなに悩むなんて、俺は結局意地を張っていただけで『他人』という関係に何一つ納得できていなかったんじゃないか。じゃあ、先輩は?あの愚直で愚かな姉は、今の関係で本当に満足してるのか?
I was able to understand Jessica by talking to her.
同じ日本語を話してるのに、俺は先輩のことを何も理解できていない。
気合を入れなおすためにドリンクを注文しようと席を立つと、久我が着いてきた。
「少し、言い過ぎたと思うか?」
さっきまでの自信ありげな口調から一変、少し不安げに聞いてくる。なんだかおかしくて少し笑ってしまった。律儀な奴だ。
「いや、よかったと思う」
「そうか」
「俺もさ、話し合ってみようと思う」
眼鏡の奥の瞳が瞬きをする。誰と、とも何を、とも言わなかったし、久我も詳しいことは聞かなかった。
「ああ、そうするがいい」
にやりと笑いながら胸をとんと叩く拳を受け入れる。
「おう」




