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Yell

作者: くどりん

 懸命に駆け抜ける貴女へ届け、我らが贈る万雷の祝福よ――

 朝だ。

 窓から差し込む旭日が朝の訪れを告げてくる。

 眩しさに意識が微睡みから引き起こされる。

 また、憂鬱な日々が始まろうとしていることに気が重くなりそうになるが、頭を振ってマイナス思考を振り払う。

 新卒として、第一志望の会社に就職したのは良いが、待ち受けていたのは理不尽が怒濤の如く押し寄せる日々だった。思い描いていた華々しい社会人生活など夢のまた夢で、汗水垂らして駆けずり回り、謂われもない非難の声に頭を下げ続けることを強要される。

 何度仕事を辞めようかと思っただろう。実際、退職の一歩手前まで差し掛かっていたので、こうして今も同じ会社で働き続けているのは奇跡といっても良いのかもしれない。

 単に辞め時を見失っているだけ? いや、そうではない。

 ある女性を知ったことをきっかけに、自分の中に眠っていた負けん気が呼び起こされたのだ。

 その人はとある配信者で、見つけたのは本当にただの偶然だった。

 とあるゲームの妨害配信というものを主軸に、日々配信を続ける姿につい見入ってしまい、気付いた頃にはすっかりファンになってしまっていたのである。

 雑談の中で彼女がどういう思いで配信を行い、目指す夢の形やその過程の中――現在進行形で味わっている苦難を知ったことで、如何に自分が甘えていたのかを突き付けられたのだ。辛いことから目を逸らし、自分が辛いのは周りのせいにしていたことに気付いたことで、私も彼女のようになりたいと思っていた。

 なにも配信者になりたいという話ではない。困難に立ち向かい、夢を勝ち取ろうする姿に憧れたのだ。

 だから、今では憂鬱な日々であっても俯くことはしない。

 胸を張って、精一杯のことをやっていくのだ。

 頑張ろう! だから――

「貴女も頑張ってね!」



「行ってきます!」

 元気な声と共に玄関を飛び出した娘を見送り、嬉しそうに微笑む妻へと声を掛ける。

「一時はどうなるかと思ったが、元気を取り戻せたようで良かったな」

「えぇ。何でも推し活? のおかげだって言ってたんだけど……」

 ピンと来ていない彼女が首を傾げるのを見て、こちらも曖昧な笑みを返すばかりだ。

 娘が就職してからしばらく、慣れない仕事や世間の荒波に揉まれて消沈した日々を送っていたことに心配していたが、最近では暗い顔は鳴りを潜めていた。

 その原因が推し活ということで、我が娘ながらしっかりと自分の気質を引き継いでくれたことによろこばしいような、それでいてどこか複雑な心境にさせられる。

「なんにせよ、あの子を元気にしてくれたことには感謝しないとな」

「ふふ、それもそうですね」

 穏やかな笑みを浮かべながらリビングに戻っていく彼女の後を追いながら、気付かれないようにスマートフォンを操作して、アプリを起動させる。

 横目で確認した画面では、推しが配信を行っていることを知らせる表示が出ていた。

 しばらくするとその配信に娘のアカウントが現れるのだろうなと、つい笑みが溢れてしまう。

「ありがとうな」

 届くことのないはずの言葉が思わず口をつく。

 恐らく、推しの頑張る姿が娘に元気を与えてくれたのだろう。そのことに対して感謝の念が溢れたのだ。

「何か言いましたか?」

「いや――何でもないよ」

 さて、そろそろ私も出勤の時間だ。



「はい――はい――この度は誠に申し訳ございませんでした! すぐに対応させていただき――」

 電話越しに叩きつけられる怒声に対して、平謝りを繰り返す。

 相手に見られているわけでもないのに、しきりに頭を下げてしまうのは、長年の経験が身体に染み付いてしまったせいだろうか。

 どうにか相手の溜飲を下げることに成功し、通話が切られた途端に全身に疲労感が襲い掛かる。

 精神的な消耗が肉体にまで作用してしまったせいである。

 だが、気怠さに身を任せてはいられない。

 すぐさま先方に伝えた通りの対応に移らねばならない。

 発注を受けたはずの部品とは異なるものを納品してしまい、古くから付き合いのある取引先に多大な迷惑を掛けてしまったのだ。すぐにでも正しい物を手配して送らねばならないのだが、

「今日中には無理だぁ?」

 物流部門からの返答に思わず顔を顰めてしまう。だがそれも詮なきことだった。業界全体が繁忙期に入り、取引先からの発注は後を絶たない状態が続いているのだ。自社が抱える物流部門も手一杯な状況で予定外の運送はキャパオーバーを招いてしまう。それでもどうにか工面して明日にでも対応してくれるだけ有難い話だった。しかし、

 ――それだと遅すぎる……

 こちらのミスで先方の仕事を停滞させてしまっている以上、可及的速やかな対応が求められる。

「部長、大丈夫ですか?」

 部下の1人が心配げに声を掛けてくる。

 今脳内で考えていることを口にしてしまって良いものかと逡巡してしまう。忙しい時期に自分が不在となっても良いものかと考えを巡らせていると、

「こっちのことは任せておいてください!」

「手に余裕がある人からタスクを再分配しますので、部長はお急ぎください」

 こちらの考えていることなどお見通しと言わんばかりに部下たちが次々とまくしたててくる。

「お前ら……」

 勝手なことを、などと言うつもりはない。頼りになる仲間たちに追い立てられるように会社を飛び出す。

 製造部門の工場から正しい部品を受け取り、遠方の取引先の元へと車を走らせる。渋滞に捕まることがなければ、夕方には戻って来られるだろうが、

「配信時間には間に合わねぇよなぁ」

 ぼやき、最近部下に勧められたことでハマった配信者のライブに思いを馳せる。何事もなければ、仕事終わりに彼女の配信を楽しむことが出来たはずなのである。

 ――道中で……いや、何を考えてんだ……

 火急の事態だと言うのに、移動中とはいえ勤務時間内にそんなことをしていてはいけないと誘惑を振り切る。運転中に気を取られて事故でも起こそうものなら減給どころの話ではないのだ。

 今日も今日とて頑張っているであろう彼女の姿を思い浮かべ、

「俺も頑張りますか!」

 アクセルを踏みしめ、苦言や怒声が待ち構えている戦場への道を急いだ。



「暇だなぁ……」

 ベッドの上で上体を起こし、嫌味な程に快晴な外に向けて言葉を漏らす。

 投げ出された両足はギプスで完全に固定されており、身動きがろくに取れない状態がかれこれ2週間ほど続いている。

 車道に飛び出した子供を助けた結果なのだから、名誉の負傷といえば聞こえは良いかもしれないが、生活に支障を来している以上、手放しで誇れる気にはならなかった。

 ――かといって、あの子供を責める気はないけどな……

 小さな命が無事で良かった、というのが本心からの思いだ。

「ふぅ……」

 やることもないからと、再度身を横たわらせて天井のシミを数えてみるが、すぐに断念する。

 おもむろにスマホに手を伸ばして、ネットの海へと潜り込む。

 ――何かないかな……

 入院生活が始まった当初はネットサーフィンで時間を潰せていたからまだ良かったが、それが何日も続くと飽きが出てくる。

 動画でも見るか、とアプリを起動させる。ショート動画をなんとはなしに眺めていると、

『やめてね~!』

 Live配信だろうか、ゲームのプレイ画面が流れており、配信者であろう女性の声が耳朶を打った。

 その柔らかで、どこか胸の奥を掻き立てる声を聞いた瞬間、視線が画面へと釘付けになっていた。

 画面の中では配信者が操作するキャラクターが、積み上げられた砂を掘り進めており、リスナーはギフトを贈ることでお助けや妨害を行い、配信を盛り上げているようだった。

 流れるコメントを目で追い、配信者とリスナーの仲が良いのが窺い知れた。

 そして、気付いた時には自分もギフトを送っていた。

『出会ってくれてありがとう! 見つけてくれてありがとう!』

「――――っ!」

 こちらに対してのリアクションに心を鷲掴みにされてしまったと感じた。

 なんだこれは、と今まで感じたことのない感覚に戸惑いながらも、彼女の言動から目が離せなくなっていた。

「回診の時間です、失礼しますねー」

「え、あ、はい!」

 気が付けば医師が経過を診に来る時間になっていたことに驚き、慌てて音量を下げて彼を招き入れる。

「お加減どうですかー、って……今日はいつもより顔色が良いですねー」

「え……そうですか?」

 言われて、思わず顔に手をやるが、それで顔色など分かるはずがなかったが、確かに心を覆っていた退屈の澱がなくなっていたのを感じて、それが表情に出ていたのだと理解する。

 理由があるとするならば、今日見つけたばかりの配信者に魅せられたことだろう。

「えっと……良いことがありまして」

「そうなんだ? なんにせよ気が晴れてるのは良いことだね」

 その後もどこか気の抜けた声と共に問診は進められ、医師は次の部屋へと向かっていった。

 個室の扉が閉められたのを確認して、すぐさまスマホの音量を元に戻す。

 すっかりのめりこんでしまった自身に苦笑を浮かべるが、こんなに楽しいものを見つけてしまっては仕方がない。

「ありがとうね」

 これで退院の日まで……いや、それ以降も退屈とは縁遠い日が送れることだろう。



「おいおい、マジかよ……」

「兄貴、どうしたんっすか?」

 こっちの呟きに耳聡く反応した弟分がこちらを覗き込んでくる。

「いや、なんでもねぇよ」

 手元を隠すように身体を逸らし、煙に巻く。

「? なら良いんっすけど」

 納得がいかなさそうな顔をしていたが、このことを周囲に知られる訳にはいかなかった。

 硬派で通している自分のイメージとはかけ離れた趣味――動画配信者の推し事を知られては周りの連中に舐められてしまうだろう。

 だが、別に浮ついた感情で彼女のことを推しているわけではないのだ。如何なる困難が立ちはだかろうと立ち向かうその心意気に、リスナーに楽しんでもらおうと努力を続けるその姿に惚れ込んでのことだ。決して、ガチ恋というわけではない。

 そんな推しの彼女が、己の夢に向けて臨んだイベントで、他の追随を許さないほどの独走を見せていたのだ。その凄まじい光景に思わず驚いてしまったのである。

 ――最後まで油断はできねぇが……

 足下をすくわれないように、というのは本人も分かっているだろう。いらぬ心配だろうが、自分も最後まで彼女を応援し続けようと改めて心を決める。

「負けんじゃねぇぞ」

 とりあえず激励代わりにビリビリギフトでも送っておこうか。



「う~ん……」

 どうしようかと唸り、頭を悩ませる。

 推しが夢の実現に向けたイベントで頑張っているのだが、自分に何が出来るのかと思考を巡らせる。

 苦学生である自分では高額ギフトを贈ることも難しい。もし贈ったとしても、何かの拍子にこちらの生活が苦しくなったと知られては、いらぬ罪悪感を与えてしまわないだろうか……

「とりあえず、いいねとコメントで応援するしかないかぁ」

 何もしないよりもささやかでも行動を起こさなければ意味がないと、自分に言い聞かせる。

 頑張れ、応援してるよ、ありきたりな言葉でも届けることで励みにしてもらえればと、コメントを打ち込んでいく。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 


 これは空想の物語かもしれない。

 あるいは、実在する誰かの物語かもしれない。

 それは当の本人たちにしか与り知らないことだろう。

 だが、確かなことは、


「頑張れ!」


 交わることがなかったはずの人生が1人の女性に導かれ折り重なったこと――


「応援してるよ!」


 本当の名前も素顔も知らない私たちだけど、


「勝ちに行こうぜ!」


 確かに貴女に魅せられ、共に駆け抜けることを選んだのだ。


「ぶっちぎっちゃえ!!」


 貴女という綺羅星に想いよ届けと、僕たちは声を張り上げる。


「大丈夫! 貴女なら出来るよ!!」


 夢に向けてひたむきに駆ける貴女の背を押し、共にその道行きを進めるように――


「その調子! いけるいける!!」


 勝たせてあげたい、そんな傲慢な気持ちではなく、貴女と共に勝利を掴み取りたいから――


「「「「一緒に頑張ろう!! といきちゃん!!!」」」」


 さぁ、運命の幕を上げよう――

 現実の逃げ場でしかない夢はもういらない。

 夢が叶わない現実なんて吹き飛ばしてしまえ。 

 ここを夢への第一歩とするために――

「行こうよ、みんな!」

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