表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蝉のように儚く  作者: 櫻井賢志郎
8/17

8

「しずくってどう書くの?」

後ろの席に座る男の子の名前があまりにも素敵だったからつい聞いてしまった。

私の悪い癖だ。いつも空気を読まないとか後先考えないとか言われる。

ほら見たことか明らかに戸惑ってるじゃん。

「こう?」

気まずくならないように思いついた雫を描いてみせる。

「ひらがなで、しずく」

そう彼が答えたのを聞いて心の中で感動する。

ひらがなだったら素敵だななんて勝手に思っていた事もあってか、頭の中で自然と海瀬しずくという文字が形になる。

嬉しさと感動のあまり私の考えや思いをべらべらと話してしまう。

きっと彼は私が話してる内容なんてどうでもいいんだろうなーそんな事を思いながら私は自分の話したいことを話していた。


「わたしは大した理由もなく優香って付けられたんだよねだからこんな名前が良かったなとかよく思うんだ」

そんなことを伝えていると彼が思った以上に話をちゃんと聞いてくれている事に安心する。


気が付けば時間は経って始業のチャイムがなっていた。

なんだか人と話したのが久しぶりに感じる。

家族と話す事はあっても私にとっては家族との会話は嬉しいものではない。そういう意味で彼との10分にも満たない会話は充実時間となっていた。

バイトをしている事が多いなんてきっと彼はなんとも思わない。

でも私にとっては重要な事で、もっと遊びたい、自分のために時間を使いたいそんな想いを込めながら話をしていた気がする。


学校の後はバイトに行き1日が終われば帰路に着く。

この時間が一番憂鬱だった。

カフェでのバイトは1年生の時から始めたもので、雰囲気も良くて従業員の方もみんな優しい。

そんなバイト先が私は好きで、もっと遊びたいとか思いながらもバイト自体は嫌いじゃなかった。


「ただいま。」

家について私はすぐに自分の部屋へと逃げる。

昔はそこまで家は嫌いじゃなかったけれどそれもここ数年で大きく変わってしまった。

特にコロナが流行ってからは私の家での生活は一変して耐え難いものと変わっていた。


一番大きな変化は間違いなく父だった。

私にとってこの世で一番嫌いなもの。私の人生を狂わしているもの。それが父だといつも思う。

父は昔から酒癖の悪い人で、酔っ払った際には母や私に手を挙げる事が幾度もあった。

その度に母は私を守ろうとしてくれたけれど、私はただ恐怖を抱きながらじっとその場をやり過ごす事しかできなかった。


でも、それも時々だったからまだ耐える事ができていたのかもしれない。

最近になって父は家にいる事が多くなった。

世間を騒がせているコロナウイルスが影響して家での仕事が増えて顔を合わせる事が増えていた。

家にいる事が増えれば必然とお酒を飲む機会が増える。

たとえ暴力が無かったとしても私にとってはお酒を飲んでいる父がそこにいるだけで恐怖の対象でしかなかった。


ひっそりと食事や入浴を済ませて再び自分の部屋へと戻る。

スマホの画面に目を移すと新しいクラスのグループが既にできていることを知る。

グループのメンバーを眺めているとその中にひらがなで「しずく」と書かれた人物を見つけ、今日喋った彼だとすぐに理解する。


LINEをしてみようかと迷ったけれど、なんと送れば良いのかがわからない。

学校やバイト先では明るく過ごせても家に帰ると積極的に何かをする事ができなくなってしまう。

しばらく悩んだ末に


「前の席の優香だよ!

しずくくんこれからよろしくね〜」

と送る。

どうしてもしずくと送りたくてわざとらしい文章になった事が少し気になるが良しとして気にしない事にする。


「こちらこそよろしく」

返信が返ってきた事に嬉しさを感じていると


「おねえちゃんーお父さん呼んでるよー」

下の階から弟が呼ぶ声が聞こえる。

「最悪」

そう小さく口にして、LINEに浸る間もなく下の階へと降りていく。


「新しいクラスどうだった?」

そんな事かと思いながら父の質問に答える

「まだわかんない」

「そうか」

私はいったい何のために降りてきたのだろうそんなことを思いながら会話が終わる。

すぐに部屋に戻るのも気まずいと思いそのまま少しその場にいる。


私の家庭は決して裕福ではなくどちらかと言えば貧乏な家庭だった。

親からは高校を出たら働いてほしいと言われていて気持ちがわからないわけでもなかったが何のために勉強をして進学校へ進んだのかがわからないと心の中では常々思っていた。

私の人生だから、私の生きたいように生きていきたい。

それに、本当は将来の夢だってあるのだからその夢に向かって頑張りたいと思っていた。

言ったら怒られてしまう。そんなことを思いながら三年生になった今も親へは打ち明ける事が出来ていなかった。


次の日になり、2日目の登校日を迎える。

2日目から授業は始まるけど例年通り、ほとんどがガイダンスで終わる。

授業の中で近くの席の人と自己紹介することがあり、そこでまたしずくくんと話す事が出来た。


「僕は本を読むのが好きだけど、姉ちゃんの影響で外に出たりするのも割と嫌いじゃないかな。」

しずくくんは昨日とは違って自分のことを話してくれる。

話していく中で彼にはお姉ちゃんがいること、休みの日は公園で本を読んだりしていて落ち着いた雰囲気の場所が好きだということを知った。


彼は私が話をしている時にしっかりと聞いてくれるそんな雰囲気を彼は持っていた。

そんな彼に安心したのか、私には友達が少ないだとか休みの日には家にいる事が多いだとか余計なことまで言った気がする。

彼は少し困った様子をしていたけれど深く聞いてくる事はなかった。


斜め後ろの席に座る進藤くんとも仲良くなった。

見た目の通り部活は野球部でどんな事にも動じないような強そうな人だなという印象を持つ。


私も部活に入って見たかった。本当は吹奏楽部に入ってコンクールに出たり、野球部の応援に行ったりそんな青春を送って見たかったけれど現実はそう簡単じゃなくて、ひたすらバイトに打ち込む日々になっていらことが嫌だ。


昼休みになってしずくくんが机にお弁当を広げているの見て一緒に食べようと思った。

「いつも1人で食べてるの?なら一緒に食べよ!」

余計なお世話かもと後になって思うけどなんの悪気もなく私は口にした。

案の定彼は「別にいつもじゃない」と少しぶっきらぼうに答えたけどそんな事はお構いなしに「なら今日は一緒に食べよ!」と言って一緒に食べる事になった。


彼がふと「いつもコンビニなの?」と私の食べているものを見て言ったことに少しドキッとしたけれど、コンビニが一番美味しいからという理由でその場をやり過ごした。

母は弟が生まれてから何かと弟にばかり目が行くようになった気がする。

お弁当なんて一度も作ってもらった覚えがないし、最初は貰っていたお昼代の500円もいつからから自分のアルバイト代で支払うようになっていた。

別に作って欲しいとかそんなことは思わないけれど、みんなが食べているお弁当を見て羨ましいななんて思ったりする。


「いつもは誰かと一緒に食べてるの?」しずくくんに聞かれてまたドキッとする。

別にいっかと思いながら去年友達と喧嘩した話をする。

「そうなんだ」

あまり興味なさそうに答えるもんだからどこかおかしな気持ちになったけどあまり深く聞かれなかったことに安心しながらその後も受験や進藤くんの話をして終わる。


私にとってこのお昼の時間が一番な幸せな時間に変わっていく。

どこか非現実だとすら思えるような温かくて私を認めて、見てもらえてるそんな時間が流れている気がした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ