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弟 よ ・・・…  作者: でうく
9/10

サナトリウム

私の物語はまだ続いてゆく。


ユイアンに案内(あない)されトランクに荷物を載せ、車は(はし)り出さんとする。(しか)し、運転手は何時までも座席に座る事は無かった。案内されずにトランクに上半身を屈める様にして覗き込んでいる私の背後に、彼女はびったりとくっついていた。

「・・・・・・」

屈めた体勢を元に返す事も出来ず、私はトランクが閉らぬよう手を掛けて、少なくなった己の荷物を見つめていた。・・・下がれば、ぶつかる。

下がってもどいてくれない様な気魄(きはく)が、其処には()った。

やがて、くの字に突き出た私の背筋に彼女は触れ、負ぶさる様にして私の背に沿い抱しめた。私は動く事が出来なくなった。

頬に冷たい鋼鉄が当る。・・・ナイフだ。ユイアンは私の髪をたくしあげ、国民服の襟では隠せない首筋に触れた。冷たい、爪の感触だった。




ジャキッ




――――――・・・私の髪が空中を漂う。



数百本は砂利道へ墜ち、数千本は彼女の手に留まった。その内数十本は風に吹かれ飛んで往く。風の方向に浅間山が在った。


ユイアンが指を離し、風が加速し、髪は渦を描いて山の彼方へ流れ去る。―――随分と、肩が軽くなった。


「――――・・・」


私は自由になり、振り返った。


「・・・うん。君は、短い方がよく似合うよ」


・・・私の髪は、首筋の処で切断され、軽く宙に浮いて頬を包んでいた。所所が眼に入る。残った髪の量よりも、切られた髪の量の方が多い事は歴然としていた。


・・・・・・ユイアンは何故か、涙ぐむ。




「・・・君は、もう父親の後を、追わなくていいんだよ」




―――ユイアンは気づいていた。私を父の形代として、充たされなかった欲求を叶え(修正感情体験をし)ていた事を。彼女の願いは、叶われた。

気づかなかったのは私の方だったのである。

母に愛された父。彼女に求められた父。院長に信頼をされていた父。皆が求めるのは、父の偶像という形だと、盲信していたのだ。

誰とも違うものを摸索していながら、第二の父を演じようとしていた。

父は研究に没頭していた。・・・弟を、そして母を救う術を求めて。髪を切る事も忘れていた。サナトリウムにて久々に昼間の父の姿を見た時、髪だけはやたら美しく、白く日光に貫ける全身を腰まで伸びた上等の絹が纏っている様だった。

私も無頓着で髪を切らなかった。だがその意識の半分は・・・・・・父を意識しての、事だったのかも知れない。


ユイアンは涙ぐんだ。併し、私は泣かなかった。昔なら屹度(きっと)、泣いていた。だが今は、泣く程のものではない。


私は己の勝手で自分らしさまで手離した。其が一番初めに感じた荷物かも知れぬ。己の勝手で手離したのだから、誰も責められぬ。


泣く意味が無いのだ。



「・・・・・・往きましょう」



私は彼女に手を伸ばした。



「・・・・・・ああ、そうだね」



彼女は私の手を取った。

今度は私が彼女を運転席まで案内する。彼女を乗せてドアを閉めると、私は後部座席に座った。・・・間も無く、車は発進する。

この地に対する未練は無い。後髪を引かれる事も無い。全て飛ばされ、ばらまいてきた。

・・・只、之から起る未来への覚悟とは叉違う。

ユイアンは最後に遺った髪の束を車内から外に向かって風に飛ばし、前景に視線を宛てたまま微笑みを浮べこう云った。


「・・・この頃、長い黒髪の殺し屋の噂が流れていてね」


・・・当初、私には彼女の言っている意味が解らなかった。併し確かに都市伝説は流れていた。マントを羽織った殺し屋が子供を誘拐し殺すという噂である。軍事クーデタ・恐慌と相次ぎ、戦況も悪化する中で其に類似した怪談だと軽く流していた。

「男がずりずり伸ばしていると、疑われるかも知れないだろう?」

「・・・・・・確かに」

無理矢理納得した。この時代・この国で、本土人に紛れて生きる事、其が最も賢明だ。・・・黙っていれば、気づかれないのだから。

併し其が誰より最もずるい事だ。結果として、過ちを全て見過す事になった。気づかぬ私が、原因を作った。



あれは完全に、私の所為だった。



私は程無くして、彼女との別れも味わう事となる。




ユイアンは連行された。彼女の行方は、私も知らない。根拠は私が全く聞き流していた“長い黒髪の殺し屋”であった。


「長い黒髪の着物を着た女が、あやしげな研究をしている」と云うデマゴギーが、御上の耳に届いたらしい。


彼女は自ら移民してきた父とは違い“徴用”リストに登録されている。故に、真先に嫌疑が掛ったと云う。


このデマゴギーが流れ始めたのは、父が死んで数ヶ月後―――詰り、私が頻繁にこの研究施設に通う様になってからだと教えられた。誰に。其は、先日ペスト菌のゲノムを敵国の空中にて散布した、イモト陸軍中佐にだ。

怪談に出てきた怪人物とは、私の事だったのである。

何故怪談の真相が明らかになったか。ユイアンが連行された時、国がまともならば徴兵年齢でない手前、私はそのイモト中佐に保護された。彼は彼女から色々と話を聞いていたそうで、私の父の事も知っている様だった。


私の今着る国民服は、彼女が保管していたものだった。父が死ぬより前までは、物資も其程(それほど)困窮しておらず、特に餓死する訳でもないが為アバウトに配って回っていた。死ねば回収されるそうだが、このイモト当時派遣軍参謀とやらは、何もしなかった様なのだ。


ユイアンが私の髪を切ったのは、この為だったのかと今更想う。そうして私の容姿を変えるよう促してゆく事で、怪談の例の殺し屋からイメージを遠ざけようとしていた、更に国民服を着せる事で、国に対する忠誠と、本土人である事の誤魔化しになると考えた。

併し、其だけで軍は納得しない。だから彼女は、疑われるのは自分だけでよい、と、わざわざ目立つ格好をしていた・・・との事である。確かに私は国民服を纏う前、染め抜いた黒い着物に白衣という、何とも奇妙な格好をしていた。国民服を持たない手前、彼女もそうであった。髪も長く後ろ姿では、同一人の女と視えただろう。


噂を流したのは、研究所内部の臨床系の医師達であった。中には御上に直接もの申した者もいるらしい。彼等にとって、長い黒髪の殺し屋は私で()ろうが、彼女で在ろうが構わない。利用でき、叉連行の口実が出来れば其で良かったのである。


其は、イモト陸軍中佐の台詞からもひしひしと伝わってきた。



「・・・何だって、君は涅槃(ねはん)寂静(じゃくじょう)最小単位の微粒子を、肉眼で視る事が出来るそうじゃないか」



私は眼を見開いた。何故この男が、いや、何故私の特性を知っている者がいる。私はこの特性について、誰にも口外してはいない。


「・・・・・・彼女から言われたのだよ、君には特別な能力が在る。利用し甲斐の有る能力だ。皇国の戦闘を有利にする」


ユイアンが!? 私は混乱した。彼女にさえ私は言っていない筈だ。そもそも特別な能力となど思った事が無いのだから。


生れた頃からそうだったから当り前の感覚だ。流石(さすが)に、皆が皆そうではなく私自身の主観に過ぎぬ事は理解していたが。私は頭を抱えた。


主観的な事象にさほど不思議な事は無い。まさか―――彼女にも原子が、視えていたのか



「君達東洋人には、皇国人(われわれ)には視えない視覚的な力が在る様だな」



「・・・・・・」


私は黙り込んだ。何だか不審尋問を受けている様な気分だ。何が言いたい。



「彼女も、体内の有機化合物の運びから此方の“心”を読み取っていた」



―――やはり彼女も細胞や原子が視えていたのか。


併し解らない。神経伝達物質の運びが視える事が何故“心”を読み取る事へと繋がるのか。私には読み取れない。ヒトの“心”ほど、読めない抽象的なものは無い。

私が悶悶と考え込んでいると、私の脇で様々な玩具とも取れる器具や厚紙が落されて、盛大な音を立てた。


「!」


・・・煩い。

反射的に片眼を瞑って其方側を見遣ると、目の前に用紙が置かれ其等の器具が見えなくなった。何やら文字が書かれている。

只でさえ読み難い。私は眼を凝らし、石墨の跡を追った。



「・・・・・・タナカ非言語式・・・?」



「そうだ。まるで(これ)は玩具の様だが、個人の能力を測るのに適している。安心し(たま)え。此処は前線と較ぶれば、無限の刻が流れている」




物語はまだ終ってはいない。之迄(これまで)、他人が遠くへ去る事を、私はずっと見送っていた。其で、他人事で無い事を忘れていたのだ。

・・・・・・今は、私の身に降り懸ろうとしている“別離(めいれい)”に、想像を廻らさずにはいられない。




「君が肉眼で視えるという脳の器質とこの検査の結果を照合し、遺伝と能力の関係を調べるのだ。脳の活性部分と能力が発揮される分野、其を分野別に優位に働く人間で(ふるい)分けをする事は、君には訳の無い事だろう」




国家総動員―――学徒出陣・集団疎開・強制連行―――その何れも免れた私は




「君には、記録を取り検定を中心にこの研究を遣って貰うと同時に、マルタ(実験体)の選別を行なって貰う。此処(サナトリウム)は我が帝国陸軍の実験施設となった」




他人の運命を決める“死の選定者”となった




「確か君には弟がいただろう。弟はどうしたのかね?」

混乱している脳内に、突如イモトが私に訊く。脳がうまく働かず反射系の脊髄が即答に近い早さで口を動かす。

「知りません」

・・・イモトは、眉を寄せて私を睨む。併し私は、本当に知らない。敢て住処を訊ねなかった。故に結局は、弟がどうなったのか、細君が最終的にどうなったのか、私は知らないのである。

・・・・・・知っていたなら、反射的に答えていたかも知れない。

私が本当に知らない事を悟ったのか、イモトは顔の中心に集中させた筋肉を元に戻した。

「・・・・・・其が賢明だ」

今考えれば、弟で(ため)心算(つもり)だったのだ。このタナカ非言語式検査で能力を測り、データを取れば後は死の収容所行きだったに相違無い。学習思想学という名前は最早独り歩きし、狂気を含んだ用語となっている。


「遺伝的にも能力的にも欠陥がある“障害認定”のついた者は、安楽死だ」


・・・・・・身体の力が抜ける。私は実験用の机に寄り掛り、其の侭床に尻餅をついた。・・・・・・違う。私は人間のランクづけをしたいのではない。




「“学習”“思想”学に選別は必須だろう?」




物事が在らぬ方向へ進んでいる。私は只、個々の“心”の成り立ちを知りたかっただけなのだが。


「君達の研究は美しいよ。科学的根拠に乏しい優生学の水準を、ここまで上げてくれた。やはり健全な人種・優れた人種というものは神に()って定められているのだな」


いつの間にか“心”が何なのか、根本を置き忘れている。


「そして其は、君達の人種である」


嘘偽りでないその思想が怖い。人間の心を恐ろしいと思った。人間の心を、脳の器質を、狂気に走らせる根本の原因は一体何なのだ。脳(原子)に環境(空中を漂う要素)がどう作用する



・・・イモトは恍惚とした視線で、私を見た



「・・・枢軸の劣った金髪碧眼が度々浄化政策の為にこうして戦争を起すが、其でも現代に至るまで滅ぶ事は無かった。其は見ての通り君達の様な研究者や医師を輩出する最も知的な民族集団だからだ。遺伝的にも能力的にも優れている」


“優生保護”の名目で、彼は私の能力を此処へ閉じ込めようとしていた

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